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テーマ:街歩き(661)
カテゴリ:街歩き
ベンヤミンはかつて言ったことがある。世界について子供が持つ最初の経験は、「大人たちのほうが強い」ではなく、「自分には魔術の能力がない」ということである、と。 ジョルジュ・アガンベン『瀆神』 [1] 「自分には魔術の能力がない」ことに気づくことから人間は大人に近づく。それに気づくことのない未熟な精神はどうなるのだろう。発達しそびれた精神は、自分には魔術の能力がないと信じることができないのではないか。十分に年老いた政治家なのに、手に入れた政治権力を「魔術の能力」だと思い込み、行使しようとしている。この国にはそうとしか思えない例がある。 時あたかも、俳優の窪塚洋介さんが、ご自身が出演した映画『沈黙」の舞台あいさつで「東北大震災でたくさんの弱者が生まれました。他の国に何兆円もばらまき倒しているのに、自分の国の弱者に目もくれない。福島の原発は人災。あれだけのことがあっても再稼働なんて、危ねーっつうの。悪魔のような連中たちが、この国を切り売りしている」と政府の対応を批判したという。 もちろん、魔術の能力は悪魔が使うから魔術なのである。つまりは、「訂正でんでん」などと意味不明な呪文を唱える悪魔のような連中が政治権力を魔術として行使するのだ。かつて「言語明瞭なれど意味不明」という政治家への評言があったが、いまは「言語不明瞭で悪意鮮明」の評言がふさわしい。 間違った国語が話される「美しい国」などあるだろうか。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 今日も野音ステージで。(2017/1/27 18:10~18:31) 原発事業に固執した東芝の破たんがいよいよ現実味を帯びてきた。ここに至るまでの経営戦略や政治的判断のことを考えると日本の政治・経済の未来は暗澹たるものがある、という話題で集会は始まった。 それに応じるように、東芝ばかりではなく、原子力関連の仕事があまりなくて日立も三菱も将来は期待できないのではないか、と数字を挙げて話された人もいた。 映画「『知事抹殺』の真実」を見た人からの報告もあった。原発立地県の知事として県民の安全のために東電や国と対立した佐藤栄佐久元知事が突然逮捕され、収賄額0円にもかかわらず収賄罪で有罪判決が出されるという奇天烈な「冤罪」事件のドキュメンタリーである。原子力を推進する権力にとって邪魔になる存在に対して国策捜査が行われ、きわめて不合理な判決が下されるストーリーは、とても不愉快なものだったと感想を述べられた。 先の新潟県知事選挙でも、泉田前知事が立候補を取りやめたいきさつについても、不穏なうわさがつきまとっていた。政府、検察、警察、そしてマスコミジャーナリズムも一体となって不法な権力を発動するとき、私たちがとるべき対抗手段は限られてしまう。映画によってそのような現実を見せつけられれば、いやな気持になるのは当然である。 政府は原子力を推進したい。私たちは原発を止めたい。その時、反対運動を一人のヒーローに託してしまうと、その人が狙い撃ちにされる。私たちそれぞれが連帯した集団のひとりひとりとして運動を進めることが最良なのである。国民の過半が原発に反対するからといって、国民の過半を冤罪に持ち込むことは不可能なのだから。 映画は嫌な気分をもたらしたが、エンディングテーマは吉田拓郎ふうの明るく元気の出るプロテクトソングだったと、録音された一部を聴かせてくれる人が続いた。 「脱原発をめざす宮城県議の会」の女性議員が、災害弱者についての勉強会を開いたことを報告された。東電1F事故での避難においても、避難が困難となる災害弱者が大勢いた。にもかかわらず、災害弱者を置き去りにするようないい加減な避難計画で女川原発を再稼働しようとしている。20人の県議の会メンバーとともに一緒に脱原発目指して頑張りたいと挨拶された。 今日のデモに来る途中である店に寄ったら、「今日は金デモだね」と声をかけられて、少しずつ原発反対のデモが知られるようになって嬉しかったと話された人がいた。その人は、岩沼市の先週の金デモにも参加されたという。10人ほどのデモだったが、こんなふうにいろんなところで脱原発を訴える運動があることはとても素晴らしいと話された。 1月29日開催の『原発のない東北の復興を考える』シンポジウムに対する賛同者、賛助金はこれまでの最高になって盛会が期待されるという報告もあった。 ![]() ![]() ![]() ![]() 雨上がり、勾当台公園から一番町へ。(2017/1/27 18:36~18:46) 小雨が降っていたので、集会は先週と同じように野外音楽堂のステージの上で行われた。集会中に雨は上がって、35人が勾当台公園を出発するときには傘を畳んで歩き出すことができた。 今日はカメラのレンズに雨滴がつく心配はなくなった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 一番町(広瀬通りまで)。(2017/1/27 18:46~18:50) 不調の胃がゲフゲフとなるように、政治家の悪い日本語に当たって気持ちがゲフゲフとなる。心の調子を整えようと、この数日で少しばかり冬の歌を集めてみた。「訂正でんでん」を聞いて死にそうになった心へのささやかな薬である。 噴水は疾風にたふれ噴きゐたり 凛々(りり)たりきらめける冬の浪費よ 葛原妙子 [2] 生きていれば意志は後から従きくると思いぬ冬の橋渡りつつ 道浦母都子 [3] 冬一日(ひとひ)暮れむとしつつ束の間のやさしさが空にただよふを見ぬ 安立スハル [4] 病む心はついに判らぬものだからただ置きて去る冬の花束 岡井隆 [5] 好きな短歌を抜き書きしているのだが、どういうわけか女性の歌が多い。上の三種を選んだらすべて女性の歌だったので、岡井隆の歌も加えてみた。言い訳めくが、女性歌人だけが好きなわけではない。挙げればきりがないが、岡井隆も寺山修司も塚本邦雄も福島泰樹も好きである。政治家の言葉などではなく、そんな歌や詩を読みふけるはずだった老後はどこへ行ってしまったのだ。原発とうす汚れた政治言葉への〈私怨〉が私の老後のすべてになりそうで困惑している。 ![]() ![]() ![]() ![]() 一番町(青葉通りまで)。(2017/1/27 18:54~18:56) 「はじめに言葉ありき」。ロゴスとは言葉である。つまり、言葉は論理である。論理が論理であるためには、人々の間で言葉は共有されねばならない。明治以降の日本の教育が「読み書き」を重要視したことには大いなる意味がある。今ふうに言えば、コミュニケーションに言葉は不可欠である。健全な社会の成り立ちには言葉は不可欠のはずだ。 しかし、「訂正でんでん(訂正云々)」、「がいち(画一)」は総理大臣である。「みぞうゆう(未曾有)」、「ふしゅう(踏襲)」は副総理大臣である。体から力が抜けてしまう。日本の義務教育制度は完全な失敗だったのだ。基礎的な読み書き能力を小、中学校で学習しなくても政治権力のトップの座を得ることができるのだ。しかし、勉強しない子どもたちが誰でもそうなれるわけではない。世襲政治家が多いということは、貴族政治または封建政治における世襲制に似たシステムが現代日本には存在していることを示している。その社会ステムは、教師や親や子供たちの頑張りを貶めている。 学校の勉強を頑張らなかった人間が世襲で政治権力の座についている。そんな政治家が「頑張れば成功する」などといいながら「一億総活躍」などという白々しいスローガンを口にする。彼らが私たち国民の頑張りを無意味なものにしているというのに……。 いや、少なくとも私たちの頑張りをこのような社会を変えることに向ければいいのだ。頑張った人間がほんとうに報われる社会、頑張ることが困難な人間でも大切にされる社会にするための頑張りには意味がある。そういう頑張りでは、けっして自民党の政治家にはなれないが……。 ![]() ![]() ![]() 青葉通り。 (2017/1/27 19:01~19:04) ろくに日本語を使えない政治家に、脱原発を訴えるデモ人の言葉は届くのか、ほんとうに心配になる。今話題になっている政治家にはたぶん届かないだろう。「彼ら」の言葉が日本語なら、私たちの言葉は日本語ではない。私たちの言葉が日本語なら、「彼ら」の言葉は日本語ではない。 しかし、「彼ら」ではない政治家もいるはずだ。そういう政治家には必ず届く。なによりも、私たちと同じ日本語を話す無数の日本人には届くはずだ。そう信じる。 [1] ジョルジュ・アガンベン(上村忠男、堤康徳訳)『瀆神』(月曜社、2005年) p. 24。 [2] 葛原妙子『現代短歌全集 第十四巻』(筑摩書房、1981年)p.44。 [3] 『道浦母都子全歌集』(河出書房新社、2005年)p. 116。 [4] 安立スハル『現代短歌全集 第十五巻』(筑摩書房、1981年)p. 131。 [5] 岡井隆『現代短歌全集 第十三巻』(筑摩書房、1980年)p. 203。
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