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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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小野寺秀也

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2017.03.03
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カテゴリ:街歩き

 早朝の散歩のときからだいぶ暖かったので、朝食のあと郵便局に出かける際には薄着で出かけた。それでも、西に向かって歩いていると背中に当たる午前10時の陽射しに汗ばむほどだった。
 一昨日、92枚の往復はがきを出したら、昨日、一枚だけ戻って来た。返信はがきの方に消印が押されていて、相手に届かぬまま返信先の私に配達されたのだ。返信はがきが先に有効になるなどという経験は初めてである。いずれにせよ、往信分は未使用のまま往復はがきとしては意味がなくなったので、印刷し直しの往復はがきが必要になって郵便局に出かける羽目になった。
 出かけた先は小さな郵便局だったが、対処に困ったらしく、どこかに電話で問い合わせていた。さいわいなことに、スタンプミスを記したうえでそのまま配達するということで、私の要件は何ごともなかったかのように終わったのである。
 郵便局から家に帰り着いたころから、風が強く吹きだした。暴風警報が発令されたほどの風だった。金曜日に来るヘルパーさんと入れ替わって、強風のなかを妻は食料買い出しに出かけて行った。

 金デモに出かける夕方には風もおさまっていたが、冷え込みはきつくなってもいた。強風が吹き荒れて空気が入れ替わったようだ。

 温めたり冷やしたりして金属の強度を試験することをクリーピングテストと呼ぶが、こういう熱履歴は、中性子による照射損傷とあいまって、鉄鋼製の原子炉圧力容器や格納容器の脆性破壊の原因になる。なかでも、玄海原発1号機はもっともその危険性が高いと、井野博満東大名誉教授が指摘している。
 今日の朝からの自然の熱クリーピングはいくぶんの水洟をもたらした程度で、私は鼻水を啜りながら勾当台公園に着いたのだった。






勾当台公園野音。(2017/3/3 18:09~18:24)


 金デモが河北新報の一面に取り上げられたためか、先週は50人もの参加者があったが、今日はあまり多くはなくて、最終的には35人の参加にとどまった。

 もともと脱原発というシングル・イシュウで集まりましょうという約束事があるので、集会のスピーチは、森友学園と自公政権を結ぶ疑獄事件に微妙に触れつつ、そして巧妙に避けつつすすめられた。

 福島から参加された二人が、映画「『知事抹殺』の真実」を見た感想を話された。このドキュメンタリー映画は、福島の原発でMOX燃料を使うことに反対していた佐藤栄佐久元知事が収賄額0円の収賄罪で有罪判決を受けたという、いわば権力によるフレームアップを描いたものである。こうしたが検察や警察の司法権力による国策捜査として行なわれるばかりではなく、マスコミが「冤罪」のフレームアップにきわめて重要な役割を果たしてしまうことに。驚きと恐怖を覚えたというスピーチだった。

 焼津市のビキニデーに参加された人のスピーチもあった。アメリカによるビキニ環礁での原水爆実験は1946年から行われていたが、1954年3月1日の水爆実験では、焼津市の第5福竜丸を含む多くの漁船が被ばくした。毎年3月1日にはビキニデーと名づけた反核行事が行なわれていて、焼津市では被ばくで亡くなられた久保山愛吉さんの墓まで焼津駅前から行進したあと「墓前祭」が行われている。
 その3・1ビキニデーの地元の人たちの交流会での話題が披露された。浜岡原発に反対する地元の人たちが、東電1F事故の前に100万筆におよぶ反対署名を集めたものの受け取ってもらえないままになっていたという。いかにももったいないことなので、何とか再提出するように取り組みたいと話されていたという。福島の事故の前に100万筆もの反対署名を集めたということは驚きに値するが、現在ならさらにいっそう反対する人が増えているだろう。

 県議会開催中にもかかわらず、脱原発をめざす宮城県議の会の遊佐美由紀さんも集会に参加されていた。所属する民進党中央は脱原発をめざす年限をめぐって揺れているが、いずれにしても脱原発をめざすことには変わりがないこと、県議の会の仲間とともに頑張りたいなどと挨拶された。

 最後に、12日の日曜日に行われる「福島原発事故を忘れない 3・12アクション」の案内もあった。そのため、来週の金曜日(10日)の金デモはお休みで、「3・12アクション」に大勢の参加を、というアピールがなされた。





勾当台公園を出発。(2017/3/3 18:33~18:38)


 集会中にどんどん冷え込んできて、デモに出発するころには寒さが耐え難くなってきた。それなのに、勾当台公園を歩き出してしまうと、あまり寒さを感じなくなっていた。体を動かしたせいばかりではないようだ。いくぶん冷気がおさまったような感じだ。







一番町を行く。(2017/3/3 18:44~18:52)


 不思議なことだが、一番町の通行人の反応がデモの人数によって違うような気がする。先週の50人のデモの時には通行人の表情は「おっ、デモだ!」という感じで、35人の今日は「何をやってるんだろう?」という感じの表情にみえるのだ。
 たしかに、人数がどんどん減った極限を考えれば、その反応はもっともだろう。2,3人で「原発なくてもええじゃないか、ええじゃないか」と叫びながら踊っていたら、みんな目をむいて注目するに違いないのである。
 一人では狂気、数人では悪ふざけ、数十人ではまっとうな行為、同じことをやっても「見られ方」が異なるのは世の常なのである。






青葉通り。 (2017/3/3 19:01~19:08)

 前々回の金デモの日(2月17日)の朝に、義母が誤嚥性肺炎で救急入院したのだが、入院に至るまでの経過がいつもと違っていた。血中酸素量と発熱が肺炎の目安になるのだが、6日ほど前から熱は平熱で血中酸素量が80台に下がることがあった。それは静かに寝ているときで、トイレや食事のために起きると90台に回復するのである。
 入院の3日前に訪問医の診断を受けたときも、起きていたためか血中酸素量は95でまったく正常だった。その後も、静かに休んでいるときは低い値、起きれば正常値という状態が続いた。思い至ったのは、生体活動の衰えによる酸素量低下であって、肺炎によるものではないということだった。
 肺炎だったら回復が期待できるが、老衰にともなう呼吸の衰えなら打つ手はあまりないのではないかと心配になった。訪問医に電話で相談して、家庭で酸素吸入する方法も考えてみることになって、再度診察を受けることになった。
 金曜日の朝、訪問医の診察を受けたときには発熱もあり、呼吸音も悪いこともあって、肺炎のおそれで救急入院ということになった。誤嚥性肺炎なら回復するので、緊急入院なのに私と妻はほっとしたのである。
 入院後は、いつもの入院時と同じように、あっさりと正常に戻り、一週間で退院と宣告されたものの退院予定日が週末にかかるため、安全を見込んで週明けの月曜日(27日)の退院ということになったのである。
 低酸素症状は肺炎のせいということになったのだが、どうも釈然としないのである。肺炎なのに、身体の運動量と酸素量に強い相関があるというのが不思議なのである。ある医師は「数字にあまり振り回されないように」と言い、ある医師は「まもなく113歳なのだからそういうことがあってもおかしくはない」と言うのだが、介護する側は細かな変化に対処しなくてはならないので、あまり安心はできないのである。
 義母の入院騒ぎには、妻も私もすっかり慣れっこになっているのだが、時を経て慣れるということは、時を経て私たちの老いも進むということで、妻も私も以前と同じように疲れてしまうのである。

 

 

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かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)

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ブリコラージュ@川内川前叢茅辺





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Last updated  2017.03.19 10:31:17
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