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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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2017.05.12
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テーマ:街歩き(387)
カテゴリ:街歩き

 私が両手を差しのべると、彼女もゆっくりと両手を上げる。十分には上がらない両手を迎えるように私が体をかがめると、私の首に両手を回す。力を入れず、私の肩にそっと腕をかけているだけだ。
 私は、右手を彼女の背に回し、左手では彼女の上着を少しばかりたくし上げて素肌の腰に手を回す。それからゆっくりと、胸と胸、お腹とお腹がしっかりと密着するように抱きしめながら立ち上がるのである。
 こうして、彼女と私は日に十数回も抱き合うようになった。

 彼女は113歳、私の姑である。一日の初めの抱擁は、朝食のためにベッドから車椅子へ移動するときである。ベッドから食卓へ移動させ、前掛け、袖カバーを付け、漢方薬とほうじ茶を飲ませ、入れ歯を入れ、「いただきます」と食事を始めるまでが私の仕事だ。
 ベッドから車椅子へ、車椅子からトイレへ、トイレからベッドへ、そしてそれぞれの逆の移動のときが彼女と私の抱擁のときである。トイレが関係する移動のときは、私たちが立ったまま抱き合っている姿で、妻が下の世話をするという二人がかりである。
 以前は彼女の両脇を抱え上げるようにしていたが、局所的に力がかかるので、背中を抱いて体を密着させて持ち上げるようになった。接触面を広くしてその摩擦を利用するのだ。しかし、それも衣服がずりあがってしまうと、つい強い力で抱きしめてしまう。
 最近、たまたま裸の腰に直接手を当てて抱き上げたらまったく滑らないことを発見したのだ。夏は大胆にたくし上げ、冬は服の下に手を差し込むようにして抱き上げる。台所の水仕事の後で抱いて、思いっきり悲鳴を上げられることもあったが、おおむね順調な抱擁生活が続いている。

 脱原発デモのある金曜日はヘルパーさんが来る日なので、抱擁回数は減る。ヘルパーさん二人が義母を入浴させるのが午後4時前後で、風呂から上がった義母の傷の手当てを私がする。左手の小指の付け根に褥瘡のような傷ができて一年以上も治らないまま皮膚科の医師の指示を受けながら手当てをしている。いつの間にか、外傷の手当ても服薬の判断も私の仕事になっている。
 義母の入浴が済めば、老犬イオを散歩に連れ出す。四肢とも弱って来たので、なかばハーネスで吊り下げられての散歩だ。いまは介助用のハーネスがあって助かる。
 散歩が終わってイオの夕食の準備をして、ひと休みしてから金デモへ出かけるのがふつうのパターンだ。今日は、カメラを準備するのも着替えるのもさっさと済ませて早めに家を出た。金デモ前に用事を一つこなすのだ。






錦町公園から一番町へ(定禅寺通り)。(2017/5/12 19:04~19:15)

 今日のデモから夏時間が採用され、集会は午後6時半から、デモは7時からとなった。私が錦町公園に着いたのは午後6時58分くらいで、集会が終わりかけていて、デモだけの参加となった。
 夕暮れの名残などはもうすっかり消えてしまって、40人のデモは暗い定禅寺通りを西へ、一番町に向かう。








一番町(定禅寺通りから青葉通りまで)。(2017/5/12 19:16~19:26)


 錦町公園に向かう途中、広瀬通り一番町の角を通ったのは午後6時半過ぎだった。待ち合わせの若者たちでごった返しているばかりではなく、待ち合わせがすんでどこか居酒屋へでも大移動を始めた集団もあって、前を急ぐ私には歩きにくいことこのうえないほどの混雑だった。
 デモが一番町を広瀬通り付近に辿りつくころは7時半近くになっていて、若者たちの混雑はそれほどでもなかった。常識的なことだろうが、ほとんどの待ち合わせ時間は午後7時前だったらしい。
 それにしてもどこかの店に移動する集団が30人から50人ぐらいの団塊だったが、今ではそれを収容できる店がたくさんあるらしいことに驚く。









青葉通り(一番町から東二番町を越えて)。 (2017/5/12 19:31~19:41)


 4月29日に発生した福島県浪江町の帰宅困難区域で起きた山火事は、12日ものあいだ燃え続け、この5月10日にようやく鎮火した。その間、福島県当局は環境放射線量に変化はないとして、ネットで流れる放射能拡散の話をあたかもデマであるかのように喧伝した。
 しかし、モニタリングポストの実測値を調べると、いつもは0.175μSv/hrほどで推移している浪江で4月29日に0.186μSv/hr、5月1日に0.182μSv/hrに上昇する時間帯があった。同じように請戸でも0.128μSv/hrの平常値が4月29日に0.145μSv/hr、5月1日に0.143μSv/hrへ上昇する時間帯があって、ともに降雨と連動している(まさのあつこ「Yahoo!ニュース」)。
 5月8日に至っては、大気浮遊塵に含まれる放射性セシウム量が浪江町で前日の約3倍、双葉町では約9倍に達した(「日テレニュース24」)。
 放射能が拡散しているという話はデマだとする福島県の広報こそがデマであって、明らかに火災現場から放射能は拡散移動しているのである。もちろん、地域全体の全放射能量は変わらないのだが、汚染濃度の高い帰還困難区域から低い区域へ放射能が拡散、移動しているのは間違いない。
 しかし、報道で扱われている放射線量はあくまで人間にとっては外部被ばくに相当する数値でしかない。問題は、放射性物質の存在形態が火事によって変化したということなのだ。
 地表面に比較的安定に存在していた放射性物質の一部は、例えば生きた植物や枯葉などは灰となって、地中の一部は高熱によって気化するなどして空中へ舞い上がる。この段階では、地表面にあろうが空中にあろうが、空間線量率はそれほど変化しないだろう。暖かい空気とともに上昇した放射性塵は、風向きや地形の影響を受けて濃くなったり薄くなったりしながら次第に沈降してくる。降雨は沈降を早めるだろう。このような経過は、観測結果をよく説明する。
 空間線量率は変わらなくても、放射性物質が地表面に比較的安定に捕捉されているか、空中を浮遊しているかでは健康に与える影響は大きく異なる。人間の呼吸による外気吸入量は安静時と運動時では大きく異なって1日当たり10立方メートルから150立方メートルと幅があるが、この呼吸を通じて放射能塵を吸入することで内部被ばくが生じる。
 日本では内部被ばくを無視して外部被ばくのみを議論するが、科学的には内部被ばくの方がはるかに危険だと考えるのは、世界的趨勢である。原子力推進国家群の国際的御用機関であるICRP(国際放射線防護委員会)は、危険度の比を1:1とみているが、ECRR(欧州放射線リスク委員会)は1:300ないしは1:1000で圧倒的に内部被曝が危険だとみなしている。
 しかし、内部被ばく量を日常的にモニタリングすることは簡単ではないので、外部放射線量から内部被ばく線量を推定する方法を取り入れて被ばく限度を規制している国がある。例えば、ウクライナでは外部被ばくが1であれば0.66の内部被曝があるとみなしているという。日本の1mSvはウクライナでは1.66mSvの被ばくと評価される。同じように、外部被ばくの危険度を加味した推定値を定めることによって、日本での1mSvがベラルーシでは2mSv、オーストリアに至っては7mSvと評価されるというのだ。20mSv/yを帰還可能区域とする日本にオーストリアの規制値を適用するとそれだけで140mSv/yに達してしまう。
 原子力規制委員会が世界最低水準の規制基準で日本の原発の再稼働を認めているように、日本の政府は世界最低の安全基準で国民の放射線被ばくを管理しているのだ。上に挙げた国々に比べると、日本国民は日本国政府にどれほどぞんざいに扱われているかがわかる。大事になんかされていないのだ。有事の際には「どんなことがあっても国民の命を守る」と大見栄を切った政治家がいたが、日々の政治で国民の命を大切にしていないのにどうして有事に守れるというのだ。有事が来るまで私たちの命が続くかどうかわからないというのに……。




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かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)

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Last updated  2017.05.19 12:51:41
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