599931 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

PR

Profile


小野寺秀也

Category

Archives

Recent Posts

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Rakuten Card

Favorite Blog

突然・知人が来まし… New! 木昌1777さん

ちょっと贅沢( *´艸… New! 元お蝶夫人さん

検査を増やしたら…新… New! ひでわくさんさん

【短歌日記】感染者… New! 平安寺悠悟(へいあんじ・ゆうご)さん

アゲハ蝶飛来・東京… New! じじくさい電気屋さん

Comments

Freepage List

Headline News

2017.06.02
XML
テーマ:街歩き(511)
カテゴリ:街歩き

 「知る人ぞ知るAKOちゃん」が今日の金デモに参加するという知らせがメールで流れて来た。私は、AKOちゃんなる人物をまったく知らなかったが、フェイスブックのプロフィールによれば、滋賀県彦根市の人で、若くからヴェジタリアンとなり、脱原発や脱自然エネルギーを訴える紙芝居を上演しながら自転車で全国を回っているのだという。
 金デモの集会ではきっとAKOちゃんのスピーチがあるだろうと思ったものの、ここのところ集会はパスしてデモだけの参加にしているので、残念ながら話を聞くことはできない。





肴町公園から一番町へ。(2017/6/2 16:57~19:09)


 昼頃まで降っていた雨もすっかり上がり、17~8℃ほどの過ごしやすい夕方になった。肴町公園に着いて、終わりかけていた集会の後方から写真を写し始め、周辺から集会の様子を結構な枚数を撮ったのだが、後で見るとほとんどピンボケだった。絞り優先のオートフォーカスに設定していて、絞り、フィルム感度、フォーカスポイント数、露出補正値をあらかじめ決めるのだが、急いで写そうと思うと忘れてしまって前の設定のままシャッターを押し続けてしまうのである。
 デモが始まる午後7時はまだ明るさが残っていて、デモが終わるころにはすっかり夜になっている。だから、周囲の明るさの変化に応じてデモの途中で何度も設定しなおす必要がある。今日は、それも不十分なまま終わってしまった。家に帰って、写真整理をしていてがっかりしてしまった。欲しかった場面はピンボケ、試し撮りのような構図のものがよく写っていたりするのだ。

 肴町公園から一番町に向かう細道はなんという名前の道だろうか。元鍛冶丁公園から一番町に向かう道は「元鍛冶丁通り」なので、「肴町通り」でいいのかもしれないとおもったが、それは公園の北を通って行く道の名前で、残念ながらデモが行くのは公園の南を通る道である。この道は「大町通り」と「肴町通り」の間の道で、「日本銀行裏の通り」とでも呼んでおけばよいのかもしれない。







一番町(広瀬通りまで)。(2017/6/2 19:10~19:13)

 40人のデモは、大町通り(中央通り)の少し北で一番町に出て、広瀬通り、定禅寺通りへ向かって北上する。


 今日の市民へのアピール文の主題は、金デモのような市民運動に牙をむくに違いない「共謀罪」法案と、同じく国会で審議されている「日印原子力協定」承認案の二つが中心だった。「共謀罪」法案への反対は全国的な規模で起きているが、ネットは加計学園とアベトモジャーナリストの犯罪疑惑で賑わっている。どれも安倍首相が中心にいる「大事件」である。
 いずれも内閣が崩壊しても不思議ではないほどの事件だが、かつて内閣総辞職に力があったマスコミジャーナリズムは今ではすっかり弱体化してしまった。今、期待できるのは、国会での野党の闘い方と、私たちの市民運動だけである。それに、ネット世論がいくらか役に立つかもしれない。
 加計学園問題で潮目が変わったと言う人たちもいるが、私にはよくわからない。政府権力に引導を渡す決定的な力、手段を野党も私たち市民も手にしていないように思う。動かないマスコミのために、倒閣の世論形成が必ずしも容易ではないのだ。自民党内部の動きに期待する向きもあるが、私個人としては自民党のどんな部分にも期待するのは嫌だ。





一番町(広瀬通りから定禅寺通りまで)。(2017/6/2 19:14~19:21)


 この5月24日に大道寺将司死刑囚が東京拘置所で亡くなった。病んでいた多発性骨髄腫による。極左暴力集団とかテロリストと呼ばれるが、彼は「彼の革命」の途次で獄死したのである。
 辺見庸さんの文章で彼が俳句を作っていて全句集 [1] を出版したことを知った。作句年順に編まれた全句集だが、彼の死を知って読み直している。今回は、2012年の最後の句から時間を遡るように読み始めたのだが、2011年からの頁に次のような句が出てくる。


新玉(あらたま)の年や原発捨てきらず (p. 185)
無主物を凍てし山河に撒き散らす (p. 185)
風さやぐ原発の地に秋深し (p. 181)
日盛りの地に突き刺さる放射線 (p. 179)
原発に追はるる民や木下闇(こしたやみ) (p. 177)
加害者となる被曝地の凍返(いてかえ) (p. 174)


 必ずしも出来のいい俳句ばかりではない(と私はおもう)が、私たちが反原発、脱原発を唱え、動き始めたころ、獄中の彼は私などと同じような原発への思いを抱いていたことは記しておきたい。「原発に追はるる民や木下闇」は、私たちのモチベーションの基底そのものではないか。






定禅寺通りから晩翠通りへ。(2017/6/2 19:23~19:42)


 辺見庸さんは、『棺一基 大道寺将司全句集』に序文と跋文を書いている。その序文のなかで全句集の書名が採られた句を紹介している。


棺一基(かんいっき)四顧(しこ)茫々と霞みけり (p. 123)


 この棺は、「絞首刑に処された」人のためのもので、棺の人に彼は留置場の庭などで会ったことだろうと辺見さんは推測している。そしてこう書いている。


 棺一基は、寒き春に震えながら流れてゆく凍える舟のような表象であった。そうであるならば、俳人の眼はどこにあったのか。かれの躰は作句のただなかにあって、どこに位置したのだろう。眼も躰も、一基の棺の外にあったと同時に、粗末な窓なしの木棺のなかにもあり、だからこそ俳句として仮構された末期の眼には、見えるものすべてが茫々と白く昏く霞んでいたのではないだろうか。この句から察するに、大道寺将司はおそらく死の風に乗ろうとしている。死の川にむかい傾ぎ、暮れていこうとしている。かれはこれまでもそのように死に備えようとしてきたし、いまも備えようとしている。そう感じられてならない。  (pp. 15-6)


 読み直していて、私には次のような句によって痛いほどの強い印象が刻み込まれるのだった。


おほいなる錯誤の沙汰や名残雪 (p. 122)
ゆきあひの風のふるへを挽歌と (p. 118)



[1] 『棺一基 大道寺将司全句集』(太田出版、2012年)。



 読書や絵画鑑賞のブログ
かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)

小野寺秀也のホームページ






Last updated  2017.06.03 20:10:14
コメント(6) | コメントを書く



Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.