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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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2017.06.09
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テーマ:街歩き(375)
カテゴリ:街歩き

 市中心部の公園は土、日に行われる「東北絆まつり」の準備で使えないというので、東北大学片平キャンパス北門に午後6時30分集合で、集会なしでそのままデモに出発する。
 東北大学北門は東一番丁通りをまっすぐ南下した突き当りにある。40年近くも片平キャンパスと自宅を往復していたのだが、当時は徒歩で20分ほどの道だった。退職して数年後、北門出発のデモに初めて参加したとき、自宅から30分もかかって驚いたことがあった。片平から青葉山キャンパスに勤務先が変わって、さらに退職して数年、しみじみと老いを実感したデモ参加だった。
 そんなこともあって早めに自宅を出たが、これはこれで早く着きすぎて暇を持て余すのだった。まあ、年金生活者らしい時間の使い方と言ってしまえばそれまでのことだが……。

 デモの出発を待つ間、私が通っている頃にはなかった街灯が建てられているの見つけた。その街灯に道の名前を彫った金属板が取り付けられている。
 西から北門前まで来る道には「伊勢屋横丁」とあり、北門から北方の一番町に向かう道には「櫻小路」とある。39年も通い続けた場所の通りの名前を今日はじめて目にしたのだった(いや、聞いたことがあってもすでに忘却の先のさらにずっと先になってしまったという可能性も否定できないが)。
 ところが、道向かいの街灯を見ると、「櫻小路」に相当する道に「道場小路」とあり、北門から東に向かう道は「弾正横丁」と記されていた。西から来た「伊勢屋横丁」が北門前から「弾正横丁」と呼び名が替わっても不思議ではないが、同じ道を「櫻小路」と「道場小路」と呼ぶのはどうしたわけだろう。
 「道場小路」と記した街灯の傍に石標が建っていて、東面に「弾正横丁」、北面に「道場小路」と彫りつけられていた。なんとなく「櫻小路」より「道場小路」の方に分がありそうな気配だが、立派な石造りの道標だからといってとくに権威があるわけでもないだろう。
 知り合いの郷土史家に尋ねてみようかとも思ったが、「これ以上、やることを増やさない」という最近のモットーに反するようで心が決まらないのだった(この頃は、「これ以上やることを増やさないで!」という妻の口癖に従って、素直に自分のモットーにしているのである)。







東北大北門から一番町へ。(2017/6/9 18:30~18:36)

 6時半になったので周辺のぶらぶら歩きから戻ったものの、デモは出発する気配がない。脱原発カーが到着していないのだった。デモグッズのほとんどを搭載している脱原発カーを待つ集団は、大学の門の前にたむろしている普通のおじさん、おばさんという印象からかろうじて免れていたのは、いつも参加者が持参する数本の旗のおかげである。
 10分ほど遅れて脱原発カーが到着した。脱原発カーは、仙台市と合併する前の秋保町からやってくる。私の車で30分ほどの行程だが、年式の(とても)古い脱原発カーでどれくらいかかるかは定かではない。
 ようやくデモグッズを身に付けた40人のデモの列は、北門を出発して北上していく。広瀬通りまではまっすぐな道で、一番町を広瀬通りで左折して晩翠通りまで出て、晩翠通りを南下して青葉通りを国道4号の大通りを越えて、いつもの流れ解散地点「仙都会館ビル」前までのコースを歩く。
 「無理をしないで途中で抜けてくださいね」という案内があったように、いつもよりは長いコースになっている。





一番町(青葉通りを越えて広瀬通りまで)。(2017/6/9 18:57~19:03)
 南町通りを越えて「サンモール一番町」に入ると、テント張りの出店が並んでいて真ん中を歩けない。さらに青葉通り、藤崎前を過ぎて「ぶらんどーむ一番町」に入ると、季節外れの七夕飾りが並んでいて、デモの旗竿が吹き流しに触れないように倒して歩くしかなくなった。
 さすがにまずいと思ったか、先導するお巡りさんが七夕飾りのない左側を歩くように誘導してくれる。この七夕飾りは、明日からの「東北絆まつり」の出し物の一つだろう。東北6県からそれぞれ有名な祭りの出し物が参加するということだ。






広瀬通り。(2017/6/9 19:04~19:08)




晩翠通り。(2017/6/9 19:10~19:12)


 広瀬通りの信号で止められたデモの列は、道向かいの一番町角に集まっている若者たちに大きなコールの声を上げる。いつものコースなら、あの人混みをかき分けてから広瀬通りを渡るのだが、今日は、彼らを横目に見ながら左折して一番町から離れるのだ。
 夕暮れは次第に深まってきて、イチョウ並木の木の下と外では明暗の差が大きくなった。これもまた、「木下闇(こしたやみ)」という夏の季語で表現していいのだろうか。定禅寺通りや青葉通りのケヤキの大木は薄明るい空の残り陽をすっかり遮ってしまうと思っていたが、広瀬通りのイチョウの木も夕空の薄明りを遮るほどに大きく繁茂しているのだった。
 晩翠通りもイチョウ並木なのだが、こちらはまだまだ木が若くて、広々と夕空が開けている。さて、これから夕焼けの街をどんなふうに写せばよいのか、何かで勉強しなければ……(やることを増やすな!)。





青葉通り(一番町を横切っていつものコースへ)。(2017/6/9 19:18~19:31)

 晩翠通りから左折して少し行くと、道の左手に晩翠草堂がある。土井晩翠の屋敷が仙台大空襲で焼失した後、教え子や市民の手によってこの地に建てられたもので、晩翠はこの家で80歳の生涯を閉じた。晩翠の死後、仙台市に寄贈され、「晩翠草堂」として当時の様子がそのまま公開されている。
 晩翠通りから青葉通りに入って晩翠草堂の付近まで、このコースで最も暗い場所になっている。大きく繁茂したケヤキ並木ばかりではなく、並んでいる建物も外部を照らす光の少ないビルばかりなのだ。もちろん、晩翠草堂は道を照らす光に寄与するような建物ではない。
 晩翠草堂を過ぎて国分町通りまで来ると、急に景色も明るさも開ける感じがする。建物の照明や街灯のせいもあるけれども、地下鉄工事のためケヤキ並木がなくなっているせいだ。工事が終わったところからケヤキの若木を植えているが、まだすべてが終わっていない。
 一番町を横切ると、あとはいつものコースと同じだ。


 このごろ少し困っていることがある。妻にも指摘されているのだが、デモの翌日から2日ほど風邪ひきのように熱が出るのだ。デモで歩く距離は朝の散歩ほど長くはないので、いちがいに疲労だとは思えないのだが、5週ほどそんなことが続いている。このブログも翌日に書いているのだが、解熱剤を飲んでパソコンに向かっている。
 疲労は疲労、発熱は発熱、私の身体はその程度の区別はするだろう(と思う)。以前からしょっちゅう風邪を引くのだが、その周期が金デモとぴったりと同期してしまったのだろうか。
 この状況を打破する手段がかいもく見当がつかない。



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かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)

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Last updated  2017.06.11 08:20:50
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