水曜日(6月14日)から翌日の朝まで、テレビならぬスマホに張り付いていた。予想通りと言えばそれまでだが、またまた強行採決である。もうそのことしか書くことがない、と思い込んでパソコンに向かったが、まったく書くことが思いつかない。
ブチ切れそうになるほど怒っているということも、書くことが思いつかない理由でもあるだろうが、どうもそればかりではない。このような悪い状況では、私としてはなにがしかパフォーマティブな言葉を書きたかったのだ。
しかし、パフォーマティブな言葉はパフォーマティブな日々に少しずつ紡がれるのだろう。戦争法案のときのように、この「共謀罪」法案では国会前に出かけることはなかった。6月14日当日に、知人の何人かは仙台から国会前に出かけた。それを聞いてから、私自身が一度も東京へ行こうと思わなかったことに気づいて、そんな自分を訝しくさえ思えたのだった。
行動が伴わない言説は意味がないとは必ずしも思わない。しかし今回は、遂行された行為に裏打ちされた行為遂行的な言葉が欲しかったのだが、それはないものねだりだった。
せめてこれから必死で考えよう。成立した「共謀罪」法に反対するパフォーマティブな言葉と日々の行いのことをじっくりと考えてみたい。さしあたっては、ブログであれ、手紙であれ、会話であれ、自公政権への批判や悪口の度合いをもう少し強めておこう。さしあたっては、脱原発デモばかりではなく他のイシューのデモももう少し気合を入れて参加しよう。
そのうえで、反共謀罪的な日々の営みをなんとか構築して、何年あるかわからない残りの人生を生きることにする。6月15日にそんなことを考えた。国会に突入した樺美智子さんの命日に、国会前に行けなかった私はささやかな決意だけはしておくのである。
少し心が治まった。




錦町公園からデモに出発。(2017/6/16 19:00~19:11)
デモの出発予定の1分ほど前に錦町公園に着いた。その途端に指名があって、空間線量率の変動について説明せよ、というのだった。
福島原発から飛散した放射性物質はさまざまな物理・化学的形態で東北、関東の地を汚染したのが、さまざまな物理・化学的形態であることはその挙動も複雑だということだ。現在の仙台における空間線量率の変動を説明できる確定的な根拠はないが、偏在する放射能が風や地形に依存して移動することは当然考えられる。
私たちを取り巻く環境全体に多様な物理・化学的形態で存在する放射能物質は、これからも多様な道筋で私たちの身体を襲ってくると考えざるを得ない。放射能を含んだキノコの胞子が空中を飛んでいるというニュースがあった。山火事で放射能が再拡散したというニュースもあった。まだまだ、私たちが想像もしなかった形で放射能物質が移動し、再拡散していると覚悟しなければならない。

定禅寺通り。(2017/6/16 19:15~19:21)
45人のデモは、錦町公園から定禅寺通りを西へ下っていく。公園ではまだ残っていた夕暮れの光も、勾当台通りを越えるころには空の明るさが地上まで届かなくなった。
この辺りで、カメラのホワイトバランスの設定を「曇天」から「自動」に切り替える。私は「曇天」の設定で得られる柔らかい色合いが好きなのだが、夜の一番町では黄色みが過剰になってしまうのだ。
集会でどんなスピーチがあったのかわからないが、今日のデモは異様に活気がある。コールの声は大きく、動きも激しい。「共謀罪はほんとうに頭にきた」という参加者の声もあって、強行採決への憤りがエネルギーとなって噴出しているように思えた。
市民への呼びかけやコールにも「共謀罪」のことが含まれている。
「みなさん、政府自民党・公明党は、委員会採決をすっとばすという、まったく信じられない方法で、共謀罪を強行採決してしまいました。まさに国会の死であり、議会制民主主義の破壊です。こんな横暴なやり方がこれまであったでしょうか? みなさん、共謀罪は、テロ対策のためではなく、市民運動をつぶそうというものであることが国会での論議のなかで明らかにされました。
わたしたちは、デモを続けることによって、このような横暴に決して負けることはないんだ、ということを示し、憲法で保障された「表現の自由」「デモの自由」を守り抜きましょう!」
「共謀罪を許さない!」 「強行採決ひどすぎる!」
「原発情報秘密にするな!」 「特定秘密保護法廃止!」




晩翠通り。(2017/6/16 19:37~19:46)
共謀罪についてあらためて書くことがないなあ、と思いなしたことにはおそらくもう一つの理由がある。14日の昼過ぎから15日の朝まで、ネットで流れるニュースや評論や意見表明をたくさん読んだ。個人で考える範囲を大きく超えたさまざまな考えがネットで飛び交っていれば、ことさららしく私見を述べるなどという気分は薄れる。
15日になって次のようなツイートを読んだのを最後に、ネット情報の海からから這い上がったのだ(最近、スクショなるものができるようになった)。

先の大戦で多大な犠牲を払って戦後民主主義は生まれた。しかし、その犠牲は民主主義を勝ち取るために支払った犠牲ではない。軍国主義、天皇制ファシズムによって強いられた犠牲だった。
日本人は自らの力で民主主義を獲得したのではない、あるいは、日本人は近代的自我形成を経ないまま現在に至っている、などとしばしば指摘されてきた。であれば、今、日本人としての私たちは民主主義を自らの手で獲得する歴史上の一点に立っていると言うことができるのではないか。安倍晋三は、日本人が真剣に民主主義を考える機会を与えているのだ。沖縄・辺野古であれ、「もり・かけ」疑惑であれ、性犯罪の握り潰しであれ、国会運営であれ、もののみごとに反民主主義的な政治というものの実態を安倍政権は国民に教えてくれているではないか。
この時代を経て、日本の民主主義は「もっと強くなって復活する」。それは、期待でもあるが、決意でもあるだろう。
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