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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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2017.08.04
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テーマ:街歩き(388)
カテゴリ:街歩き

 テレビのチャンネルをつぎつぎと切り替えていて、こんな場面が目にとまった。韓国ドラマの一シーンである。

 「お子さんの誕生日を覚えていますか?」
 医者が70歳くらいの老婦人に尋ねる。
 「長男は〇〇年▽月××日に生まれました。」
 「それでは、こちらのお子さんの誕生日はいつですか?」
 母親に付き添ってきた息子(次男らしい)を見ながら、医者はかさねて質問する。母は、隣の息子の顔をじっと見つめるが、答えられない。息子は答えを促しもせず、笑顔を絶やさず母親の言葉を黙って待っている。

 母親の認知症の診断の場面である。102歳で亡くなった私の母のことを思い出した。特養ホームに入っていた母親の話は、しだいに昔のことばかりになってきて、話に登場する人物も場所も私はよく知らないものばかりだった。それは、長男と次男が生まれた4、5年の間のことで、その頃、母は20代半ばだった。
 母の人生のハイライトシーンが初めての子供が生まれたころというのは、なんとなく理解できる。長い人生の多くの記憶が薄れていくなかで、そのハイライトの時代のことどもが心に深く残り続けていたのだろう。
 母はしだいに人の識別も難しくなってくる。6人の子どもの中で最初にわからなくなったのは末っ子の私の顔である。たぶん6人の子どもの中で一番足繁くホームに通っていた私を最初に忘れたのだ。なにしろ私は母が42歳の時に生まれた子どもなのだ。長男とは17歳も離れている。母のハイライトの時代から最も遠い時代を一緒に生きていたということだ。
 ただ、母の記憶の中心が20代半ばであることを知っていたので、私の顔を誰よりも先に見分けられなくなったことはとくに驚きではなかった。すなおに納得できたのだった。

 さて、先の韓国のテレビドラマだが、「ディア・マイ・フレンズ」というタイトルで、認知症の女性を含む幼馴染の5人の老婦人の友情を描いたものらしい。一人は独身で、中卒なのだが高卒認定試験の勉強中で、大学で学ぶことを願っている。一人はがんの手術から生還して元気に生きている。一人は、進行癌の手術を控えて一人娘と旅行しながら田舎の両親を訪ねたりしている。もう一人はそんな友人たちを助けたくて、家事のまったくできない夫を捨ててまでも家を出ようとする。もう一人、認知症の女性をずっと想い続けている老教授も登場する。
 こういうドラマなら見てもいいかな、と思ったのだが、私が見たのは15回連続の14話目だった。私のテレビとの付き合いはこんなものである。
 
 母親に最初に忘れられた子どもは、今日もデモに行くのである。東北の小さな田舎で生まれ育ち死んだ母は政治的なデモのことはまったく知らないと、兄姉たちは思っているが、私の学生時代に何度か訪ねてきた母は私のデモのことはよく知っていたのである。ただ、ほかの子どもたちには何も話さなかっただけのことなのだ。





元鍛冶丁公園から一番町へ。(2017/8/4 18:40~19:06)


 夕方になって小雨が降り出した。梅雨明け宣言が出る前は、晴天の暑い日が続いたが、梅雨明け後はこんなぐずぐずした天気が続いている。
 しばらくぶりのことだが、今日は集会が始まる前に元鍛冶丁公園に着いた。もともと京都の人で仙台に移られてしばらく仙台の金デモに参加され、京都に戻られた人がしばらくぶりに参加されていてスピーチをされた。京都での脱原発デモのこと、福島を無視したまま強行されようとしているオリンピックのことなどを話された。ピンクのTシャツを着ていて、京都は伏見の脱原発デモでみんなが着ているものだという。
 伏見は私にも少し馴染みがある土地である。結婚した姉が亡くなる一昨年まで住んでいた街である。京都は国内の学会も国際会議も多く、あるいは京都から西で開かれる学会のときなどよく伏見の姉を訪ねていたし、姉が亡くなる直前には見舞いで何度も足を運んだ土地である。しかし、姉が亡くなってしまうと、遠くて縁も何もない土地のようになってしまっている。
 青森から参加された人は、大間原発のことを話された。7月16日の大間原発建設反対の集会とデモには全国から400人の参加があったこと、函館市民と函館市による2件の大間原発建設差し止め訴訟が行われていて、そのうち市民による訴訟は6月に結審してまもなく判決が下されるということなどを話された。

 小雨だが降りやまないなかを、40人のデモは京都から参加された人の若々しく元気な声のコールに導かれながら、元鍛冶丁通りを一番町に向かった。






一番町(広瀬通りまで)。(2017/8/4 19:08~19:12)


 集会のスピーチで、アメリカの電力会社が2基の原発の建設中止に踏み切ったことについても話があった。その2基の原発建設を請け負っていたウェスチングハウスウが経営破たんしたうえ、建設費が数十億ドルに達することなどが中止する理由だという。原発建設中止を伝えるニュースのなかに、次のような記事の一文があった。


コロンビア大学世界エネルギー政策センターのジェイソン・ボードフ所長は「(工事中断の)発表は、米国の原子力産業の展望がどれほど暗鬱かを示す強いシグナルの一つ」として「命脈が切れた原発産業と低価格なガスの登場、そして再生エネルギー価格の下落にともなう結果」だと評価した。


 原発産業の〈命脈〉は断たれたのである。未来はないということだ。世界の趨勢は原発を捨てる方向にあり、東芝に例を見るまでもなく原子力産業は急激に衰退しつつある。にもかかわらず、日本の政府と企業は原子力産業がこれからも発展するという幻想に捉われたまま、原発にしがみついている。
 彼らには、世界の動き、歴史を認識する能力がないのか、意識的に封じているのか、いずれにせよ、世界に対する認知能力が欠如していると言わざるを得ない。世界中の人が見ているものを見ないで、内向きのベクトルで政治や原発を語ることに恐怖を覚える。
 世界の動向という点に関して、きわめて示唆的な文章を見つけた。ファティマ・カストナーは、ジャック・デリダが強い関心を示していた世界社会的な「謝罪劇場(Theater des Pardons)」について次のように書いている [1]。


それによってデリダが視野に入れていたのは、歴史家のアネット・ヴィヴィオルカが「証人の時代(Ara des Zeugen)」と呼んだ世界社会的な発展である。すなわち、ある特定の記憶、追憶、過去を抜本的に見直す文化という、グローバルに広まった社会実践のことであり、文化的、民族的、宗教的文脈にかかわらず現在世界中に広く存在している――不正を法的に清算する様式に完全に取って代わるまではいかないまでも――それを新たな長期的調整の論理へと投げ込むような社会実践である。
 このようなグローバルな「謝罪劇場」は――デリダによればそれは「記憶のユニバーサルな緊急性」を指すのだが――これまでさまざまなかたちをとってきた。すなわち、公的な歴史描写の批判や歴史上の出来事から締め出された部分の再考慮から、ありとあらゆる種類の記念やセレモニーの隆盛まで。例としては系譜研究とルーツの整理、資料館の創設と公共の閲覧にむけた開放、あるいは博物館や記念史跡の開設などがある。どのようなかたちがとられるにしろ、二〇世紀の道徳的および政治的大惨事を目の当たりにして、まずはドイツで、やがてニュルンベルク裁判の持続的な道徳-法的影響力の結果としてほかの多くの国々において、悔恨のシ—ンが世界的に津波のごとく押し寄せてきたかのようであった。その際、公的な謝罪は特別な役割を果たした。それは過去の不正の公的な承認として、すなわち、国家の責任の承認として、したがってそのような不正はもう二度と繰り返さないという予防措置として受け取られた。こうした種の行為のなかで、おそらくもっともシンボリックな行為は、ドイツ元首相のヴィリー・ブラントのものである。彼は一九七〇年一二月九日、ワルシャワ・ゲットーの犠牲者のための記念碑の前で、敬意の込もった追憶の表情をにじませながら跪いた。それによって、それまでは存在したことのなかった世界規模の公的謝罪の時代と、洪水のような悔恨の表明との開始が告げられたのだった。これによって、記憶と謝罪のグローバルな儀式が行われはじめ、そのもっとも驚くべき現われとして、今日では、真実和解委員会というものが世界規模で作られている。


 この世界社会の、つまりグローバルな政治・思想的動向のどのような部分も日本の政治・歴史の情況に重ね合わせることができない。むしろ、逆方向へ動いているように見える。日本はこの世界社会の一員なのか。少なくとも日本の政治権力とその周辺は、明らかに世界社会の価値意識から孤立し、絶縁している。異なった価値意識はいずれ衝突する。それを避ける知恵こそが、歴史に対する真実和解委員会的な試みを生んでいるはずのだ。
 歴史を修正し、歪曲し、時には無視する政治権力を拒否しなければならない。そうでなければ、私たちは世界社会と和解できないだろう。世界に金をばらまけばなんとかなると考えるような粗雑な脳細胞には理解できないだろうが、歴史と正しく向き合わなければ、世界とは和解できないのである。
 いま、多くの人の努力で、そのような政治権力を下支えしている勢力とその行動形態が明らかになりつつある。その勢力とどのように闘うのかは、これから自ずと見えてくるだろう。




一番町(青葉通りまで)。(2017/8/4 19:15~19:18)


 一番町は、二日後(7月6日)に始まる仙台七夕の準備が進んでいる。七夕飾りの竹はほとんど準備されている。デモはその竹の下を通っていく。
 若い二人のコーラーの元気なコールとプロの音楽家の軽快なリズムにのって、小雨煙るデモなのに、まるで快晴のもとを歩いているように軽快に進んでいく。







青葉通り。(2017/8/4 19:21~19:27)


 暗い青葉通りに出ると、濡れた路面に街灯やビルの灯、車のライトが反射して華やかな感じさえする。信号の変化に応じて、淡い青色に光っていた路面が一瞬に赤色に変わる。こんな詩句を思い出す。


もうよしなさい
あきらめなさい
と 雨のなかを青が点滅する
旅の後半部は
誰でも急ぎ足だ
    吉原幸子「信号 I」部分 [2]

    
 小雨に濡れるデモも、少しばかり急ぎ足になったころに終わるのである。



[1] ファティマ・カストナー「謝罪をめぐる世界劇場」、グンター・トイプナー編著(土方透訳)『デリダ、ルーマン後の正義論』(新泉社、2014年)pp. 251-2。
[2] 『続吉原幸子詩集』(思潮社 2003年)p.70。


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