金デモは、先々週で250回に達した。252回目の金曜日の今日は11月3日の休日なので、250回記念の昼デモということで企画が立てられた。
脱原発デモが長引くのは、私たちの主張が通らず脱原発が実現していないということに他ならないが、250回も続けられたみんなの〈持続する意志〉を少しは誇っていいだろう、などと思いながら、いつもよりずっと早い昼食を終えて家を出た。
早めに元鍛冶丁公園に着いて、少しばかり会場の準備の手伝いをしながら午後2時の開始を待った。いや、集会の開始を待つというよりも、公園にやってくる人たちを待ち望むという気分である。
三連休の初日、暖かな秋晴れの昼過ぎ、デモ人を集めるにはもっとも難しいタイミングとなってしまった。連休中の昼デモは、たいてい参加者が少ないのである。
定刻となって、集会は金デモ代表の西さんの挨拶から始まった。挨拶の最後に、デモには批判の形をとった誹謗中傷があることも紹介され、「鳴り物がうるさいと言われますが、今日はたくさんの鳴り物で楽しく元気にデモをしましょう」と締めくくられた。
集会の前半はパフォーマンスに充てられ、最初のパフォーマーはシンガーソングライターの苫米地サトロさんだ。1954年にアメリカの水爆実験が行われたビキニ環礁で被曝した第5福竜丸を歌ったおなじみの「ラッキードラゴン」からサトロさんの歌が始まった。
続いて、特別ゲストのYAMさんが登場した。YAMさんは、八戸市で「PEACE LAND 金曜アコースティックデモ」を行っているミュージシャンで、八戸のデモのこと、毎年7月に大間原発の隣接地で開催されるロックフェスティバルについてスピーチされた後、参加者全員に持参した楽器が手渡され、50人をサンババンドに仕上げるべくYAMさんの熱心な指導が始まった。
シャカシャカと鳴る「シキシキ」という楽器などのグループ、二個のカウベルが連結したような「アゴゴ」のグループ、タンバリンならぬ「タンボリン」のグループにそれぞれ分かれて、YAMさんが打つ「スルド」のリズムに合わせての練習で、即席のサンババンドが出来上がった(はずだ)。
集会の後半は、県内で金曜行動を行っている団体からの挨拶である。
最初に、「塩釜金ぱつデモの会」の木伏研一さんが挨拶され、街の人にやさしく迎えられるデモの様子などを報告されてから、三人のお孫さんと一緒に参加されていることも話された。この孫たちに原発を残さないように強く願ってデモを続けているという言葉が印象的だった。
「脱原発長町アクション」の平尾伸二さんは、脱原発を掲げて行っていた金曜行動は、安倍政権が憲法に反して次々と決定する政策・法に反対するため、今では「原発も戦争もNO!」を掲げて行動していることなどを話された。
最後のスピーカーは「アベ政治を許さない!大崎demo金曜行動」から予定されたいたが、同日同時刻に金曜行動を開催しているため、代表の只埜斉さんのメッセージを金デモスタッフの笹木さんが代読された。「大崎demo金曜行動」もまた、「アベ政治」が終わらなければ原発の廃炉も生活もよくならないという立場に立って「戦争法反対」と「脱原発」の二つのスローガンのもと、「野党は共闘!市民は共同!」の運動こそが未来を切り開くことを信じて金曜行動を行っているというメッセージだった。
デモ(一番町)。(2017/11/3 15:00~15:07)
快晴である。20℃もあろうか、とても暖かい。明るい陽射しとビル陰を繰り返しながら、50人のデモは一番町に向かう。YAMさんのリードするにわか仕立てのサンバのリズムはしごく快調で、コールもまたYAMさんのリズムである。
連休初日の一番町の昼過ぎはいつにもまして賑わっている。サンバの軽快なリズムを鳴らして通るデモは、十分に市民の耳目を集めているように見えた。もっとも人通りが多くなる広瀬通り付近にさしかかると、約二名のサンバダンスチームも現れた。
バックにサンバのリズムが流れているせいか、市民に呼びかけるアピール文もいつもよりずっと新鮮に聞こえる。いつのころ刷り込まれたのか、「デモは怖い」とか「シュプレッヒコールは脅しに聞こえる」という声を今でも聞くことがあるが、こんな感じの楽し気なコールや呼びかけはどう聞こえているのだろう。
東電1F事故の後に始まった国会前での10万人を越える抗議行動からデモや抗議集会の質も評価も大きく変わった。従来のデモのようにことさら「団結」や「連帯」を大声で叫ばずに大勢の人が集まるようになった。五野井郁夫さんが言うように[1]、それは「非暴力」の市民一人一人の自主的な行動であり、それはいわば大衆の「祝祭」でもあるのだ。
主催者挨拶で触れられたデモ批判の主張は、デモ迷惑論を装った原発推進の主張にすぎないが、いまだに残る「デモ怖い」感情はそれなりの対処が必要だろう。そして、今日のデモのように、軽快なサンバのリズムで楽しく元気に訴えるデモは、そうした感情を払しょくするのにとても有効に思える。理屈を説いて解消できない感情なのだから、情感あふれる行動によって感情そのものを和らげられたらいい。私たちの金デモもいつでもそうあればいいと思うのだが、残念ながら、私にはこのような音楽的センスがない。
デモ(青葉通り)。(2017/11/3 15:13~15:27)
にわか仕立てのアコースティックデモとはいえ、一番町を流しながらしだいに調子が上がってきた。デモが青葉通りにさしかかるころ、YAMさんが先頭の横断幕の前に出てくると、リズムの軽快さが一段と増したように思えた。
青天井の青葉通りに出れば、反響音が消えて澄んだ音調になる。デモを待ち受けるために小走りで離れる私を、高い金属音のアゴゴのリズムが追いかけてくるような感じがした。
あっという間にデモは終わった。楽しいことはいつでもあっという間だ。
[1] 五野井郁夫『「デモ」とは何か』(NHK出版、2012年)p. 8。
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