「原発事故の自主避難者を被告にした行政の鬼畜」は、『田中龍作ジャーナル』の一記事のタイトルである。その記事は、次のように始まって「鬼畜」政策の経過をきわめて適切に要約している。
この国の行政は鬼畜だ。原発事故からの自主避難者をとうとう被告として訴えたのである。
福島県と国は自主避難者への無償住宅供与を今年3月末で打ち切った。これを受けて山形市の雇用促進住宅で避難生活を送っていた8世帯は立ち退きを迫られた。
立ち退きを拒否したところ、大家である独立行政法人・高齢・障害・求職者雇用支援機構は、8世帯を相手取り、「住宅の明け渡し」と「4月1日からの家賃の支払い」を求める訴えを山形地裁に起こした。9月22日のことだ。
訴えの法的根拠は、災害救助法にもとづく住宅支援の契約が3月31日で切れたことによる。
自主避難者とは避難区域に指定されたエリア以外からの避難者のことである。区域外といえども線量は高い。
国が避難基準とするのは、年間20mSv以上という殺人的な線量だ。チェルノブイリ原発事故のあったウクライナでは年間1mSv以上であれば避難の権利が発生し、5mSv以上は強制移住となる。住民は国家から住宅の提供を得るのだ。世界的に見て日本の避難基準が人権軽視であることがよく分かる。
東電福島第一原発の事故による自主避難者の数は2万6,601人(福島県避難者支援課まとめ=昨年10月末現在)。自らの生活基盤を奪われたのだから、当然収入は減り生活は厳しくなる。
にもかかわらず自主避難者の99%は、4月1日から家賃を払わせられている。彼らの多くは生活に困窮する。これも人権問題である。
この記事以上のことを付け足すことは何もない。私たちの脱原発の闘いは私たちの人権を守る闘いそのものであることは確かだが、〈3・11〉以降、放射能被曝をめぐってじっさいに起きている人権侵害の一つが「原発事故の自主避難者を被告にした行政の鬼畜」政策なのである。
「棄民」という指摘はしばしばなされているが、政府の原子力政策の失敗としての東電1F事故の被害者を「棄民」として切り捨てることで不正を回収しようとすることはもはや政治などではない。国民を否認する政治・行政というのは、本質的に矛盾した存在であることは明らかである。
なんて憂鬱な国なのだろう。憂鬱な国の寒い夕方、脱原発デモのために私は家を出る。元鍛冶丁公園に集まった顔馴染みのデモ人と挨拶するのだが、笑顔で挨拶ができない。
元鍛冶丁公園から一番町へ。(2017/11/17 18:17~18:38)
寒くても45人、繁華街の光の道を辿るようにデモに出発する。デモの翌日に熱を出すことの多い私は、念のため、薄手の羽毛ジャケットを探し出して着てきた。まったく寒くはないが、汗をかくほどでもない。寒くても熱を出し、汗をかいても熱を出す身にはありがたい。
何週間か35mmの短焦点レンズを使っていたが、今日は18-140㎜のズームレンズを装着してきた。夜の写真は明るさが問題だが、オートフォーカスの設定ではコントラストが大きい場面で狙い通りに焦点が定まってくれないことが結構ある。
強い近眼で老眼も進んでいる身にとって、自分の視力に頼らないオートフォーカスはとてもありがたいのだが、私とカメラの意思の齟齬に悩まされる。昔は普通にやっていたのだからマニュアルで焦点距離をあわせればいいようなものだが、暗い街で動きを止めないデモ人の瞬間瞬間に焦点を合わせる自信がないのである。
結局、オートフォーカスで最後まで写したのだが、帰宅して調べたらピンボケ写真がけっこう混じっていた。「Delete」キーを押せば済むことなのだが、それはそれで心的エネルギーをそこそこ消耗するのだ。
寒くなったというのに一番町の人出は多い。いつもより多いような気がする。昔、「冬が来る前に」という歌があったが、晩秋から初冬にさしかかるころ、人恋しくなることがあるのかもしれない。
人恋しさに街に出てくる、そういうことはたしかにあるだろうが、大勢の人に共通して起るものだろうか。ボードレールや朔太郎の都会や群衆への関心は感傷の一種だと私は思っているのだが、それは優れて詩人特有の感傷であるかもしれない。
もし、そんな人恋しい感傷が私たちに普通にあるのなら「感傷」のマーケティング・リサーチなどというものがあって、この一番町の人出も対象になっているのかもしれない。私の家族の一人が長いことマーケティング・リサーチの仕事をしているので、いつか感傷や気分を対象にした仕事があるのかどうか聞いてみようか、などと人混みを眺めて思いつつ、一番町を過ぎていく。
一番町(広瀬通りから青葉通りまで)。(2017/11/17 18:45~18:49)
原発事故の自主避難者はいわゆる区域外避難者であるが、この区域外避難者をめぐる経過は、『FoE Japanブログ』の「山形県雇用促進住宅の8人の自主避難者が訴えられる!」という記事にもう少し詳しく書かれている。その記事のなかの次の一文が政府の避難者政策の本質を端的に示している。
「原発事故子ども・被災者支援法」は2012年に制定されました。避難した人もとどまった人も帰還する人も、自らの意思で選択できるように、国が住宅の確保や生活再建も含めて、支援を行うように定めた法律です。被災者の意見を政策に取り入れることも定めています。
国と福島県が、この法律を適切に運用し、避難者や支援者の声に耳を傾け、避難者の生活再建のための具体的な施策を打ち出し、住宅提供を延長していれば、現在のような事態を回避できたはずです。
しかし、残念ながら、国は、帰還促進、復興の名のもとに、次々と避難指示を解除し、避難者への支援を打ち切りました。
こうして、国は20mSvもある汚染地域への帰還を強制しようとしている。避難者への支援を打ち切り経済的困窮におとしめること、そして20mSv汚染地域での生活を強いることなど、政府・行政は幾重にも人権侵害を重ねている。
デモが終わり、初冬の街を歩いて帰途に就く。私にも人恋しさの感情がしばしば生まれるが、自然の季節巡りとは関係は薄いようで、どうも人生の季節巡りに刺激される感傷らしい。しかし、季節巡りとはいうものの、人生の季節は一巡で終わるので、なにがほんとうかは確かめようがない。
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