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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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2017.12.22
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カテゴリ:街歩き
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 老犬が不調である。朝食を終えた老犬にご褒美のおやつをやっているとき、喉に痞えたらしく激しくむせ込んだのが事の起こりである。喉のゼイゼイ音が続くので麻酔をして調べてもらったら異物が詰まっているのではなく軟口蓋の肥大のせいだという。
 抗菌剤を一週間ほど飲んでるうちは落ち着いていたが、薬が無くなるとふたたび騒ぎ出した。結局、蓄膿症の疑いという診断でふたたび抗菌剤と消炎剤を飲み始めた。薬を飲みだす前の二日間ほどは、ぐずり鳴きする犬に付き合って、30分寝ては起き、1時間寝ては起きというような夜を過ごすことになった。
 薬のおかげで老犬は普通のペースに戻ったので、私の睡眠不足を取り戻そうとほぼ一昼夜横になって過ごした。これで私の体調は万全と思って、布団から這い出したら腰が痛くてまっすぐに立てないのだった。長く寝込むと腰が痛くなることは風邪引きの時にはときどきあった。普通に過ごしていればすぐに良くなるのが普通で、今回も昼過ぎにはなんとか恢復した。
 かくして、睡眠不足も腰痛もなく、元鍛冶丁公園に向かったのである。







元鍛冶丁公園から国分町を越えて一番町へ。(2017/12/22 18:19~18:35)


 今年最後の金デモだが、参加人数はいつもどおりで特に変化はなさそうだ。サンタクロースに扮した三人が目立っているが、一番町に出てしまえばこの時期のサンタクロースはそれなりに街の雰囲気に馴染んでしまうに違いない。
 デモの列が街の雰囲気に馴染んでいるというのは、それはそれでいいことのように思える。一方で、街中のデモをするというのは「ある異和」を伝えることでもある。馴染みつつ差異を伝えることができればいいのだが……。













一番町(1)。(2017/12/22 18:37~18:40)


 ノーベル平和賞が発表され、授賞式も終わってしまえば、話題としては少しばかり気が抜けてしまったが、今年最後のデモの日にこの地球に残された〈希望〉を見ておきたい。
 世界の125ヶ国の賛成で核兵器禁止条約が採択されたこと、その条約にアメリカに従属することを選び続ける自公政権は反対したこと、恒例だったジュネーブ軍縮会議における日本の高校生のスピーチを外務省が取りやめにしたこと、ノーベル平和賞が「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」に送られたこと、授賞式で被爆者のサーロー節子さんが受賞演説を行ったこと、日本政府がノーベル平和賞を黙殺したこと。
 こうした諸々のニュース、特に東アジアの三流国の属国政権の思惑のはるか高みで​サーロー節子さんの受賞演説​は響き渡っている。


 今年七月七日、世界の大多数の国々が核兵器禁止条約の採択に賛成した時、私は喜びでいっぱいになりました。私はかつて人類の最悪な側面を目撃しましたが、その日は最良の側面を目撃したのです。私たち被爆者は七十二年の間(核兵器が)禁止されることを待ち続けてきました。これを核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。
 責任ある指導者であれば、必ずやこの条約に署名するに違いありません。署名を拒否すれば歴史の厳しい審判を受けることになるでしょう。彼らのふるまいは大量虐殺につながるのだという現実を抽象的な理論が覆い隠すことはもはやありません。「抑止力」とは、軍縮を抑止するものなのだということはもはや明らかです。私たちはもはや恐怖のキノコ雲の下で暮らすことはありません。
 核武装した国々の当局者と、いわゆる「核の傘」の下にいる共犯者たちに言います。私たちの証言を聞きなさい。私たちの警告を心に刻みなさい。そして、自らの行為の重みを知りなさい。あなたたちはそれぞれ、人類を危険にさらす暴力の体系を構成する不可欠な要素となっているのです。私たちは悪の陳腐さを警戒しましょう。
 世界のあらゆる国の、全ての大統領と首相に懇願します。この条約に参加してください。核による滅亡の脅威を永久になくしてください。

 私は十三歳の時、くすぶるがれきの中に閉じ込められても、頑張り続けました。光に向かって進み続けました。そして生き残りました。いま私たちにとって、核禁止条約が光です。この会場にいる皆さんに、世界中で聞いている皆さんに、広島の倒壊した建物の中で耳にした呼び掛けの言葉を繰り返します。「諦めるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かってはっていくんだ」
 今夜、燃え立つたいまつを持ってオスロの通りを行進し、核の恐怖という暗い夜から抜け出しましょう。どんな障害に直面しようとも、私たちは進み続け、頑張り、他の人たちとこの光を分かち合い続けます。この光は、かけがえのない世界を存続させるために私たちが傾ける情熱であり、誓いなのです。







一番町(2)。(2017/12/22 18:41~18:48)


​ サーロー節子さんと共にノーベル平和賞の受賞演説を行ったのは、「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」事務局長のベアトリス・フィンさんだった。​その演説​は、核保有国すべてを名指しつつ、人類の未来を指さすものだ。​

​​
 市井の人々の行動により、これら草の根の努力の頂点として今年、これまで仮説だったものが現実へと前進しました。核兵器という大量破壊兵器を違法化する国連条約が、122カ国の賛成で採択されたのです。
 核兵器禁止条約は、この世界的な危機の時にあって、未来への道筋を示しています。それは、暗い時代における一筋の光です。
 さらに、それは私たちに選択を示しています。
 二つの終わりのどちらをとるかという選択です。核兵器の終わりか、それとも、私たちの終わりか。
 前者の選択を信じることは、愚かなことではありません。核を持つ国が武装解除できると考えることは、非理性的なことではありません。恐怖や破壊よりも生命を信じることは、理想主義的なことではありません。それは、必要なことなのです。
 私たち全員が、この選択を迫られています。そして私は、すべての国に、核兵器禁止条約に参加することを求めます。

 米国よ、恐怖よりも自由を選びなさい。
 ロシアよ、破壊よりも軍備撤廃を選びなさい。
 イギリスよ、圧政よりも法の支配を選びなさい。
 フランスよ、テロの恐怖よりも人権を選びなさい。
 中国よ、非理性よりも理性を選びなさい。
 インドよ、無分別よりも分別を選びなさい。
 パキスタンよ、ハルマゲドンよりも論理を選びなさい。
 イスラエルよ、抹殺よりも良識を選びなさい。
 北朝鮮よ、荒廃よりも知恵を選びなさい。

 核兵器の傘の下に守られていると信じている国々に問います。あなたたちは、自国の破壊と、自らの名の下で他国を破壊することの共犯者となるのですか。

 すべての国に呼びかけます。私たちの終わりではなく、核兵器の終わりを選びなさい!
​​


 この演説文を読みながら、1992年に亡くなった反核の哲学者ギュンター・アンダースを思った。ヒロシマ、ナガサキから始まる​『核の脅威』​に対する人類の「アポカリプス不感症」を非難しつつ警告を発し続けた哲学者の死から25年、核保有国を孤立化させつつ、世界は核廃絶の未来に向けて動き出した。未だ遠い未来には違いないが、未来を手繰り寄せる確かな一歩になるだろう。
 いつか私たちは(あるいは、私たちの子どもたちは)2017年7月7日を歴史上のメルクマールとして記憶することになるにちがいない。





青葉通り。(2017/12/22 18:49~18:55)


 わが家の老犬は、要介護犬である。オシッコのときもウンチのときも抱きかかえて広瀬川の堤防に出る。水は抱きかかえて飲ませるのだが、首の力が衰えいるので、ときどき鼻ごと水に突っ込んで噎せてしまう。2、3日前からシリンジで水を飲ませ始めた。食事は自力で食べているのだが口先に餌がないと食べられないので、これまた付きっ切りである。普通のドッグフードを食べているが、すでに流動食の準備はできている。
 そんな老犬とのバタバタの暮らしの中で読んだ一篇。

​​
死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを、
葉あいにおきる風にさえ
私は思い煩った。
星を歌う心で
すべての絶え入るものをいとおしまねば
そして私に与えられた道を
歩いていかねば。

今夜も星が風にかすれて泣いている。
            尹東柱「序詩」 [1]​​


 若いころ、こんな抒情にあこがれていた。いや、こういう抒情を描ける心性に憧れていたというべきか。
 尹東柱24歳の詩である。その4年後、日本に留学していた尹東柱は福岡刑務所で獄死する。友人が朝鮮独立運動を行っていたこと、ハングルで詩を書いていたことを罪に問われたという。
 復古ファシズムの時代に、ファシズムに圧殺された詩人の抒情詩を読む。意図したわけではないが、いずれ意味あることになるかもしれない。


[1] 尹東柱詩集(金時鐘編訳)『空と風と星と詩』(岩波書店、2012年)p. 9。



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Last updated  2017.12.25 14:15:16
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