ブログに自分の風邪っぴきの話を書くのは、ほんとうにもういい加減にやめなければ……。そう思うほど私はしょっちゅう風邪をひく。何度も何度も風邪をひいているのに、風邪をひかないための知恵などまったく身につかないのだ。
一年ほど前のことだが、朝、布団の中で目覚めると鼻と口のあたりがツンとする。夕べの酒が少し残っているような感じなのだが、その夕べにそんなに飲んだ記憶がない。
それだけのことなので、そのまま起き出して散歩に出かけたのだが、歩き始めるとどんどん足が重くなる。驚いて、急いで引き返したが、そのまま発熱ということになった。
その時、朝の目覚めの鼻先がツンとする感じが風邪ひきの始まりの徴だということが分かった。それ以来、そんな時は散歩に出かけず、急いで葛根湯を飲む。
とはいえ、それで風邪をひかなくなったという話ではない。風邪のひき始めが目覚め時と重なることはそんなに多くないのだ。むしろ、体を動かす日中に風邪の症状が現れることが多い。ささやかな発見も風邪ひきの回数を減らすことにあまり貢献していない。
今朝、目覚めたとき鼻先がツンとする。朝食が終わったころには、熱が出てきて少しぼーっとしてくる。金デモは無理かもしれないと思いながら、市販薬を飲んで布団に入って休んだ。
午後1時ころに起き出して、昼食(4種のキノコのクリームスパゲッティ)を5人分(来客が一人、外出中の妻の分は作り置き)作った。もう一度、市販薬を飲んで、布団に潜り込む。
夕方、症状が軽くなったので、金デモに出かけることにした。鼻ツンで対策したのが少しは効いたようだ。
勾当台公園から一番町へ。(2018/2/16 18:19~18:44)
勾当台公園に着くと、スタッフの一人が「風邪は大丈夫?」と声をかけてくれた。じつは、朝方フェイスブックで風邪ひきを公表していたのだ。フェイスブックは世話好きで、「〇年前の今日、こんな投稿をしていますよ」と教えてくれる。「余計なお世話」と思うこともあるが、たまたまその投稿が2012年7月に始まった脱原発みやぎ金曜デモから半年後の感想のまとめのような文章だったので、シェアして再投稿した。そのとき、それから5年後の今日の金デモに参加できるかどうか危ういと書き添えたのだった。
インフルエンザも流行っているから無理をするな、とFBで忠告してくれた人もいたし、先ほど声をかけてくれた人も「いま、けっこう風邪をひいている人が多いですよ」と話されていた。
風邪が流行っているというのに、先週と変わらない35人の参加者が仙台の街に出発した。
いま、何となく金デモの専属カメラマンふうに振舞っているし、町内の行事や友人たちの集まりでもカメラマンという役割だが、私はけっしてカメラが趣味だというわけではない。
かつて3台のコンパクトデジカメを持っていた(いまも2台は現役である)。1台は登山、釣り用の防水仕様のもの、1台は大学に勤めていたときの実験メモ用、もう1台は普通の家庭用だった。
金デモのことを毎週ブログに書くようになって写真の掲載も始めたのだが、夜デモではそのコンデジのどれでも気にいる写真は撮れないのだった。業を煮やして一眼レフを買ってしまった。その時、妻はなけなしの年金をカメラ道楽につぎ込まれるのないかと恐怖心を抱いたとあとで漏らしていたが、そんな高級なカメラを買ったわけではない。もちろん高級機が欲しくないわけではないが、上達しない腕のままではそれは生意気だと自分に言い聞かせているのである。
夜デモの撮影で問題なのは、オートフォーカスがうまく働かないことが多いことだ。デモ人は歩いているし、繁華街では背景の明るいショーウィンドーの方に焦点が動いてしまうことがある。
明るい部分をはずしてシャッター半押しで距離をあわせてから元の構図を狙えば少しはましになる。しかし、それでは歩いている被写体(デモ人)が構図から外れてしまうことも多くなる。デモの写真は、畢竟デモ人の写真ということなので、それでは困るのだ。
一番町(2)。(2018/2/16 18:50~18:55)
この正月に老犬が死んで、その時の気落ちがなかなか戻らない。気落ちと言うか、どちらかと言えば進んで何かをしたいと思うことがほとんどない。いつもやってることを淡々とこなしているだけの生活、そんな感じである。
これはあまりいい状態ではない。そう思ってとりあえず街に出てみることが何度かあった。一度は友人に誘われて飲みに出たのだが、それ以外はぶらぶら夜の街を歩いて本屋を覗いてみる程度の外出なのだが……。
それでも、普段は立ち寄らない本屋にも足を延ばすので、思いがけない本を見つけることもある。4日ほど前、『アセンブリ』[1] という本を見つけた。ジュディス・バトラーである。彼女の書いたもので一番新しかったのは、『人民とはなにか?』[2] にバディウやブルデューなどの論考とともに収録された「われわれ人民――集会の自由についての考察」というさほど長くはない論文だった。
その本の中で、バトラーは「人びとが集まることは、〔中略〕既に一つのパフォーマティヴな政治的主張なのである」と主張し、次のように述べている。
われわれは街路に出る。なぜなら、われわれはそこを歩き、そこで動く必要があるからだ。われわれは街路を必要としている。なぜなら、われわれはたとえ車椅子に乗ってでも、妨害されることなく、ハラスメントも政府による拘留も受けず、傷つけられたり殺されたりすることを怖れることなく、街路を動き回ることができるからだ。われわれが街頭に立/つとすればそれはわれわれが存在し続けるために、その名に相応しい生を生きるために支えを必要とする身体であるからだ。動くことは身体の一つの権利であり、集会の権利自体をも含む他の諸権利を行使するための前提条件である。集会は同時に、共同で行なわれるあらゆる要求の表明の条件であり、人びとの集まりが求める特殊な権利でもある。この循環は矛盾であるよりもむしろ、政治における複数性、一つの人民の創設条件なのである。 (『人民とはなにか?』、pp. 78-9)
『アセンブリ』は、サブタイトルに「行為遂行性・複数性・政治」とある。その序論にこんなことが書いてある。
集会の自由と表現の自由が区別される理由を考えるなら、それは、人民が共に結集すべき力はそれ自体が重要な政治的特権であり、ひとたび人民が集まったときに発言すべきこと――それがいかなるものであれ――を発言する権利とはまったく異なっているからだ。集会が意味しているのは発言内容以上のことであり、その意味作用の様態は、協調した身体的な行為化であり、行為遂行性の複数的形式なのである。 (『アセンブリ』、p. 15)
要するに、この本は『人民とはなにか?』に収められた論考を大成させたものらしいのである。クィアの理論家から虐げられた者たち、「剥き出しの生」を生きる者たちへ眼差しを向ける思想家となったバトラーの著作として、なにかワクワクと期待してしまう本だ。
まだ序論の一部しか読んでいない(序論も長いのだ)が、人々が広場に集まり占拠すること自体がパフォーマティヴで、それだけですでに優れて政治的だとする主張は、ジョルジョ・アガンベンが『到来する共同体』[3] で天安門広場に集まる人民が明確な政治的要求を掲げていないにもかかわらず中国共産党政府は戦車を繰り出さざるをえなかったと指摘したことと呼応しているようだ。
「なんであれかまわない存在」としての「われわれ人民」が広場に集まる。そのアセンブリの存在自体が、権力を脅えさせる優れた行為遂行性(パフォーマティヴィティ)なのだ。
「アセンブリ(Assembly)」とは、立法議会などという意味もあるが、集合や集団という意味である。私が初めてAssemblyという言葉の意味を知ったのは、大学3年のとき、「原子炉工学」の講義で原子炉内の核燃料棒のひとかたまりをAssemblyと呼ぶことを教えられたときである。
それから50年、核燃料アセンブリを学んでいた私は、人間のアセンブリのひとりとして核燃料アセンブリをこの世からなくすために夜の街を歩いている。
風邪だが、デモを歩いたからといってことさら症状が悪化したわけでもない。デモの前と同じようにわずかに熱っぽくどことなくぼーっとした感じがする程度だ。朝目覚めてすぐ、風邪の徴候に気づいたことが役に立った(と一応は自分を褒めておく)。
デモは終わった。急いで家に帰って、「風邪だ。風邪だ」と騒いで(妻を攪乱して)布団に潜り込み、『アセンブリ』を読むのだ。
[1] アラン・バディウ他(市川崇訳)『人民とはなにか?』(以文社、2015年)。
[2] ジュディス・バトラー(佐藤嘉幸、清水知子訳)『アセンブリ――行為遂行性・複数性・政治』(青土社、2018年)。
[3] ジョルジョ・アガンベン(上村忠男訳)『到来する共同体』(月曜社、2012/2015年)。
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