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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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小野寺秀也

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2018.04.29
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テーマ:街歩き(613)
カテゴリ:街歩き

​ ​​​「大いなるものは遠くにゆく。遠くに行くものは還ってくる」

                     (老子の言葉)​​​ [1]​


 英文学者で詩人の加島祥造さんの本の中の言葉だ。デモの後に立ち寄った本屋で見つけた一冊で、89歳になった詩人の伊那谷での独居生活の日々の思いを綴った本だ。
 続く会議や来客、書面づくりやパワーポイントの作成で気ぜわしい日々だった。先週は金デモも休んだ。そんな中で、息継ぎをするように少しずつ読んだ本のなかの言葉にとても惹かれたのである。
 著者の加島さんには悪い気がするが、前後の脈絡をはずしてしまう方が、意味が深く沁みとおるような気がする言葉だ。加島さんは英訳された老子を日本語訳にするという仕事で、いわば東西を貫く老子理解というものを追及されたのだが、残念ながら老荘孟孔についての私の素養はごくごく素朴なもので、上の言葉の出典も分からない。
 なぜかとても感動したというのに、私には「大いなるもの」の具体的なイメージがない。まったくないのだ。そして、遠くに行って「還って」きた「大いなるものは」は、行く前とは変わっているのか。何よりも、還ってきた「大いなるもの」を迎える私はなにがしか変容しているのだろうか。どれもこれも、イメージがはっきりしない。こんな茫漠とした感覚で、読書灯を消した午前三時の暗闇の中で、感動した言葉とともに浮遊しながら眠ってしまい、夢の中でも遠くにも行けないのだった。

 気ぜわしい日は続いているが、時間を拘束される用件は一休みになった。金デモに出かけられる。
 この気ぜわしさが、忙しかった現職時代の感覚を呼び覚ましたかのように、急に思い立って竿を抱えてざぶざぶと広瀬川を渡った。現職時代、忙しいほど何とかやりくりして川に行くことに固執していたのだが、その感覚に似ていた。
 それにしても二年ぶりの川の渡渉もごろた石の河原歩きもじつに体にこたえた。水があんなにも重いとはついぞ思ってもみなかった。そして、魚たちもまったく不愛想で何の反応もないのだった。金デモのことも考えて早々の川上がりになった。





元鍛冶丁公園から一番町へ。(2018/4/27 18:21~18:34)


 いつものことだが、遅刻して元鍛冶丁公園に着いた。最初に挨拶した人が、「興奮して久しぶりにスピーチまでしてしまいましたよ」と話しかけてきた。朝鮮半島のドラマティックな政治的展開のことである。
 西のドイツに比べればだいぶ遅くなったが、東の分断国家の統一への一歩になりうる画期的な動きだ。先行きのことを断言できるわけではないが、平和的統一があるとすれば、こうした動きが必ず先行するはずだということは確信できる。プロセスには必ず踏まなければならない段階がある。
 文在寅韓国大統領と金正恩朝鮮労働党委員長の共同声明は、朝鮮半島の完全非核化、朝鮮戦争の終結を目指し、その後の相互の軍備縮小を果たすと宣言した。その日程が明らかではないという批判もあるが、少なくとも大事な決断をしたいうことだけは事実だ。
 軍産複合体と新自由主義的強欲資本主義が本国から遠く離れた他国で侵略的な戦争を強引に引きおこしつつ、世界に冠たる経済繁栄を追求してきたアメリカが、東アジアの安定化と軍縮を歓迎するとは思えないし、アメリカの世界戦略として韓国や日本近辺での軍事的プレゼンスを縮小させることも考えにくいが、平和を求める世界世論が朝鮮半島二国の思いを実現できるようアメリカを強く牽制してくれることを願っている。
 なんとかの一つ覚えのように「北への圧力」しか思い浮かばない無能力外交しかできない日本の安倍自公政権は、このような国際的政治状況からすっかり取り残されたしまったが、せめて朝鮮半島二国の足を引っ張るマネだけはやめてほしいと切実に思っている。
 こんな歴史的瞬間に安倍首相は「拉致問題解決を私のリーダーシップで……」などと発言しているらしい。拉致問題については口先ばかりで何一つできもしなかった事実を棚に上げて、トランプに泣きついてきたばかりだというのに、この情況音痴(完璧な政治的無知)ぶりに唖然とする。霞が関のあの辺りは政治的汚物の溜まりに化しているとしか思えない。





一番町(1)。(2018/4/27 18:37~18:41)


​ デモはコールと市民へのメッセージを繰り返しながら一番町を行く。今日のメッセージには女川原発の再稼働が延期されるニュースも含まれていた。​

​​
 4月26日、東北電力は、女川原発2号機の再稼働を、2年延期して2020年度以降に延期すると発表しました。原田社長は記者会見で、「早期の再稼働を目指し、審査への対応や安全対策工事に全力を尽くす」と述べましたが、もはや延期ではなく、廃炉を選択すべきではないでしょうか?
 安全対策や使用済燃料の処理に莫大な費用のかかる原発よりも、今こそ再生エネルギーの拡大にシフトすることが時代の流れです! そして、そのために送電網を空けるべきです! それが被災地に「寄り添う」ことではないでしょうか?
 震災から7年がすぎました。この間私たちは原発の電気を全く使わずに暮らしてきました。このまま「原発のない東北の復興」を、みんなの手でつくりだしましょ​う!


 河北新報の記事​にははっきりと「安全対策完了見通せず」と書いてある。現在に至っても、地盤改良工事を追加しなくてはならない惨状である。​時事通信​によれば、19年度の安全対策工事完了を目指している東通原発1号機も、その目標時期を見直さざるを得ない状況に陥っている。
 膨大な資金をつぎ込み、安全対策をいくらやっても原発は安全にならない。端的に言えば、そういうことである。九州電力と原子力規制委員会が手を携えながら危険性を隠蔽、改竄、黙認して再稼働した川内原発や玄海原発では事故が相次いでいる。原発の安全を担保する科学技術そのものを私たち人類は持ち合わせていないのだ。
 原発の安全対策工事は、いまや「シジフォスの岩」そのものである。気の毒だが、〈罪〉が背負った〈業〉というものだ。






一番町(2)。(2018/4/27 18:41~18:48)


 原発事業の未来を指し示す別のニュース​(4月24日付け毎日新聞)​もあった。
 三菱重工業や伊藤忠商事などがトルコで進める新型原発建設計画から、伊藤忠が離脱するというのである。トルコ北部のシノップに新型軽水炉「アトメア1」4基の建設するという計画は、当初の2.1兆円という総事業費の見込みが2倍以上に膨らむことが分かり、現時点で事業化のめどが立っていないたためという。
 東芝(ウエスチングハウス)の例に明瞭に示されているように、原発事業で企業が健全に生き延びる道などないのである。常識的な経営感覚を持っている企業なら撤退するのが当然すぎるほどのことだ。
 ただ、日本では原発事業が「政府案件」(厳密には「首相官邸案件」)なので、国が原発企業に湯水のように税金をつぎ込んでくれるはずだという感覚が企業人の正常な経営感覚を狂わせているのだ。
 原発大国のフランスの基幹的な企業だったアレバ社が立ち行かなくなってほぼ国営化したにも関わらず三菱重工業が資本提携したのも、政府の後ろ盾という幻影に判断力を失ったためだろう。
 その辺の事情を4月25日付けDIAMONND onlineの​「三菱重工を悩ます「安倍案件」、トルコへの原発輸出に暗雲」​という記事が明らかにしている。いまや、原発輸出も「安倍案件」なのである。日本の行政組織ばかりでなく企業もまたさまざまな「安倍案件」にもみくちゃにされているのだ。ここまで来れば、「安倍案件」は反社会性の象徴になってしまったと断言してもいいだろう。
 「安倍案件」から日本の社会に健全性を取り戻すためにこそ、原発関連企業は総撤退すべきだ。「安倍案件」の先には奈落が口を開いているのだから。




青葉通り。(2018/4/27 18:49~18:53)


 夜の道だが、青葉通りは文字通り「青葉」の茂る道になった。昼間は明るい青葉若葉も、この時間になると夜の闇をいっそう濃密にしているようだ。
 デモの列に並んで青葉通りを歩きながら、この季節にはまだ昼光の中で青葉通り(定禅寺通りでもいいが)の青葉をそれとして実感しながら眺めたことがなかったことに気づいた。
 この季節が好きで、毎年、同じ時期になると「ああ、いい青葉だ」と繰り返し思うのだが、なぜか今年の初めての実感が夜になってしまった。なんか変だ。


[1] 加島祥造『ひとり』(淡交社、2012年)p. 66。


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かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)

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Last updated  2018.04.30 07:26:17
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