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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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2018.06.08
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テーマ:街歩き(421)
カテゴリ:街歩き

 昼食を食べていたらレターパックが届いた。中には、『プラチナタウン』と『和僑』と題する二冊の文庫本が入っていた。ともに楡周平さんの小説で、膨大な負債を抱えた宮城県の田舎の町の再建に町長として取り組むという苦難の道を選んだ主人公を描いた連作ということらしい(まだ読んでいない)。
 送り主は、宮城県のある田舎町で小学校、中学校を共にした同級生の一人だった。「小説に描かれた宮城県の緑原町という架空の田舎は、私たちの生まれ故郷のあの町に似ているような気がして」という意味のことが書き添えてあった。

 関東のある都市の小学校長で職を終えた彼女は、数年前に仙台で開かれた同級会の際に故郷の親戚を訪ねて、町のさびれようにとても驚いたと語っていた。
 同級会の宴席で「何とかしなさいよ、小野寺さん」と彼女は私に詰め寄るのだった。冗談だろうが、彼女から見れば仙台で暮らす私は〈ほぼ故郷で〉暮らしていると思えたのだろう。私は私で、とうに仙台で人生を終える覚悟をしているので、返答に困るのだった。
 同級会の参加者の3分の1はその故郷で暮らし続けていて、彼らの顔色を窺ってみたがさほどの反応はないのだった。彼らのうち何人かは、平成の大合併で行政の中心がかつての隣町に移ってしまうまでは町会議員だったはずだ。
 平成の大合併という行政の合理化は、故郷の町のさびれ方に大いに貢献したらしいのである。そして、私たちの生まれた町は大きな行政都市の小さな一部になり、小説の主人公が取り組む故郷の町とは大きく条件が異なってしまっているのだ。
 本を送ってくれた友人の気持ちは痛いほど伝わってきたのだが、生まれ故郷のために何ができるのか全く見当がつかない。もう56年も住んでいる仙台の一角の町で、その町内会長などを引き受けることでこの町のために人生の最後の時間を使おうと思っている身には、生まれ故郷のために割く時間も能力もあるように思えないのがいくぶん寂しい。






勾当台公園から一番町へ。(2018/6/8 19:03~19:13)


 遅刻をして集会の途中に勾当台公園に着いた。雨を避けてカメラを取り出して準備をしているとき、突然マイクを手渡されて慌ててしまった。何を話していいのか全く思い浮かばないのである。
 以前にはスピーチの話題を二つほど必ず準備していて、スピーチする人がいないときに話そうと考えていた時期もあったが、たいていは私まで話す必要がなかったということもあり、最近は集会に遅れて参加するようになったこともあって、もうスピーチの準備はしなくなっていたのだ。
 友人が送ってくれた二冊の小説から「さびれていく故郷の町」というイメージにつながり、それから「住民の心が荒廃していく原発立地の町」という​先週の金デモ後に書いたブログ​の内容を思い出し、それを紹介した。










一番町で。(2018/6/8 19:14~19:25)


 いつものことだが、スピーチを終えた後にあれも話せばよかった、これも話せばよかったというのが思い浮かぶのである。話す内容を吟味していないのだからしょうがないのだが、今日のスピーチの後で「避難訓練は、故郷を捨てる訓練だ」というある脱原発集会でのプラカードの言葉を思い出した。
 さびれていく故郷、原発をめぐる交付金や税金に頼るしかない故郷などいうどころのレベルではない。原発事故によって故郷を捨てるしかないというとんでもない物語は、実際に福島で起きているのである。現実の悲劇ははるかにフィクションの悲劇をこえてしまっているのだ。デモに出発してから、そのことを話せばよかったと思ったのだが後の祭りである。




青葉通り。(2018/6/8 19:30~19:34)


 集会のあいだ、雨脚は強くなったり弱くなったりしたが、35人のデモが出発するころにはだいぶ小降りになった。デモが一番町に着く頃にはすっかり降りやんでいた。
 一番町のアーケードを出て、青葉通りに出ると路面はそれほど濡れていない。濡れた路面が街灯や車の光を反射する夜の写真が好きで、少しばかり期待していたのだった。デモ人もデモのコースもほとんど毎週同じようだと、写真もまたいつものパターンになってしまうので、そのような変化を期待してしまうのである。
 単なる記録だと考えれば何も問題ないのだが、多少は他人の目に触れる写真だと思うとそれなりに欲が出るのである。腕は上達しないのに欲がまだ残っているいうのは不幸なことだ(と思う)。


 

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かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)
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Last updated  2018.06.09 15:56:38
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