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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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小野寺秀也

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2018.06.12
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テーマ:山歩き(109)
カテゴリ:山歩き

​ 私が山らしい山に最後に登ったのは、3年前の​2015年5月18日の泉ヶ岳​だった。その時のブログの出だしにこう書いていた。​


​​ 一昨年の8月に仙台神室岳の仙人沢ルートを往復して以来の山歩きだ。神室岳から下山したとき、一緒に登ったイオの後肢が弱っていることに気付いて、本人の承諾を得たわけではないが、登山からは引退させた。13年間ずっと山歩きの相棒だったイオが山に行けなくなると、私もその気が失せてしまって、昨年は一度も登山はしなかった。​​


 つまり、5年前の​2013年6月24日の仙台神室岳​が「13年間ずっと山歩きの相棒だったイオ」との最後の登山で、それから2年後、このままでは体力が減退するばかりだと思いなおして泉ヶ岳に上ったのだった。
 しかし、イオのいない山登りはまったくつまらなかったし、山登りが無理になっても家で普通に暮らしていたイオを置いて私だけが山に行くことが後ろめたくて、ふたたび山に行くことをやめてしまったのである。
 そのイオが今年の正月、2018年2月4日に老衰で生を終えた。それから4ヶ月が過ぎたころから、イオと一緒に上った山々の写真を見直し,整理することができるようになった。そして、思ったのだ。もうイオを家に残して山に行くことを気遣う必要はないのだ。私の日々の行動の理由にイオの存在を根拠とすることはもう一切ないのだ、と。
 「また、山登りを始めたい」と妻に言うと、「イオ離れだね」という言葉が返ってきた。いくら何でも、そろそろイオの存在、イオの死から自立しなさいよ、という意味らしい。
 山登りを再開すると思っても、そう容易には始められない。なによりも体力(足の筋力)が極端に衰えているだろう。それに当分のあいだは、イオの思い出が濃密に残る山は避けたい。
 『宮城県の山』(山と渓谷社、2004年)というガイド本で、七ヶ宿町にある傾城森という標高440mの山を見つけた。福島県と山形県の県境に位置する七ヶ宿町そのものに私は足を踏み入れたことがない。そこに一番近い山といったら蔵王連山の最南端の不忘山(1705.3m)にイオと一緒に上ったことがあるだけだ。
 七ヶ宿町近辺には、蛤山(1014m)、峠田岳(1081.7m)、龍ガ岳(994.2m)と、以前の私なら手ごろと思える山がいくつかあるのだが、無理をして最初から躓きたくはない。傾城森ならまったく問題ないだろう。往復で2時間ほどの歩きで済む。何よりも、ガイド本に「遊歩道が整備されおり」と書いてある。登山道ではなく、遊歩道なのである。少なくとも登山と呼ぶのが憚られるほどがちょうどよいだろうと考えた。


Photo A 山伏森(左)と傾城森(右)。 (2018/6/12 14:04)


 ヘルパーさんが来る日の日中は、義母の介護の手伝いが免除される。ヘルパーさんが来る火曜日に決行することにした。ずっと雨の天気予報が出ていたが、短い時間なのでレインウエアで強行しようと考えていた。ところが、前日の夕方頃に予報が曇りに変わった。
 東北道を白石ICで降り、国道4号を少し南下してから国道113号に入って七ヶ宿に向かう。この道は、小原温泉まで行ったことがあるだけだ。小原温泉入り口をあっという間に過ぎ、そこからの道のりは七ヶ宿町の奥深さを印象づけるに十分だった。
 白石川に造られたダム湖、七ヶ宿湖から下は白石市、そこから山形県境までが七ヶ宿町になる。傾城森は七ヶ宿湖の最上流部を過ぎたあたりにある。上の写真は、さらに奥にある七ヶ宿の中心集落である「関」地区で昼食をとった後、集落のはずれで写したものである。​

 
Photo B 逢瀬橋の向こうに山伏森。 (2018/6/12 10:08)


 国道113号から傾城森は見えるのだが、遊歩道入り口へ入る道を見過ごして通り過ぎてしまった。白石川の支流に架かる横川橋を渡って100mほどで左に入るように地図には記載されていたが、実際の道はほとんど橋の西詰から始まっていた。
 赤い吊り橋(逢瀬橋)が遊歩道の始まりである。橋の向こうに見えるのは山伏森で、傾城森はその陰になっている。逢瀬橋の前に傾城森の由来が書いてあった。そのまま書き写しておく。

​​
 横川と白石川の合流するこの地に女性の乳房を思わせる二つの岩山、北峰が「山伏森」(三九〇メートル)南峰を「傾城森」(四四六メートル)といい、総称して傾城森と呼んでいます。この二つの岩山には哀れな物語が伝えられています。

「今からおよそ三百年前の話です。
 冬のある日の夕暮れ時、修験者と気品のある尾錠がこの辺りにたどり着きました。男は仏道修行中の山伏、女は傾城の誉れ高い京都祇園の名妓。楼主に抱えられて自由のない芸妓と、厳しい掟に縛られた山伏との恋は世間に認められるはずもなく、二人は手を取って京都を逃げだし長旅の末この地にたどり着いたのです。
 二人はさっそく草庵を結んで住み、人目を忍びながらも楽しい日々を送りました。
 しかし、それもつかの間のこと。女は重い病気にかかってしまいました。修験者は、病気が回復するように一心に祈り、薬を求め一生懸命看病しました。そのかいあってか、女は少しずつ快方に向かいました。
 ところが、所持金も乏しくなってきて、生活に困るようになったので、二人は将来を危ぶみ世を儚んで、山下の地獄渕に身を投じて死んでしまったのです。
 一方京都からは、かつて名妓に仕えたことのある下女が、この二人を追いかけてきましたが、二人はすでに死んでしまっていたのでした。下女は、たいへん悲しみ、後を追って東方の山下(現在の下女森)で自らの命を絶ってしまったのでした。」

 この二つの岩山は、江戸時代から旅の人への観光説明の材料となっていて、富田伊之著の『奥州紀行』安永六年(一七六九)にもこの物語の概要が記されています。
      平成二十年十一月   七ヶ宿町教育委員会​​


Photo C 林のなかの遊歩道。 (2018/6/12 10:14)

Photo D 山伏森分岐。(2018/6/12 10:16)

Photo E 山伏森中腹の鳥居。 (2018/6/12 10:21)

Photo F 山伏森頂上から見る七ヶ宿湖。(2018/6/12 10:24)

Photo G 山伏森山頂の祠。(2018/6/12 10:25)


 歩くと少しばかり揺れる赤い吊り橋を渡ると、初めにコンクリート製の階段があり、その先は石だらけの道と階段道が林のなかに続いている。写真で見るように、低いが急峻な山容を反映して、ほとんどは階段状の勾配のきつい道になっている。
 橋から7分ほどで「山伏森」分岐に着く。ガイド本には帰り足で山伏森によるように書かれていたが、先に山伏森に向かう。
 階段道が続いて、息が切れることおびただしいが、中腹の鳥居を過ぎるとあっという間に頂上に着く。頂上の木々の間から七ヶ宿湖が望めるが、眺望はそれほどでもない。小さな祠が祀られていて、中に陶製のお稲荷様が納められていた。


Photo H 傾城森の分岐。(2018/6/12 10:44)

Photo I 傾城森頂上尾根。(2018/6/12 10:52)

Photo J  傾城森頂上から見る七ヶ宿湖。(2018/6/12 10:49)

Photo K 傾城森頂上から見る七ヶ宿関集落。(2018/6/12 10:49)


 山伏森を分岐まで下り、傾城森に向かう。道は傾城森の西斜面を南まで迂回し、遊歩道入り口の反対側から頂上に上がる。傾城森への道が北に向かうあたりにダム公園に向かう分岐標があった。その分岐から5分で頂上に着く。
 頂上は南北に伸びる尾根上になっていて南の部分からは東に七ヶ宿湖が望め、北端からは北西に七ヶ宿町の中心部である「関」の集落が一望できる。ここの頂上にも山伏森と同じような小さな祠が祀られていた。
 階段道の上りで大いに息が切れたのだが、短時間だったのであっというまに息切れもおさまる。
 下りはじめれば、何の造作もなく逢瀬橋に着く。10:05に逢瀬橋を渡り始め、帰りは11:16に逢瀬橋を渡り終えた。時間的には毎日の朝の散歩程度だが、標高差150mほどの階段道はそこそこ足にこたえた。​


Photo L 滑津大滝。(2018/6/12 12:27)


 山歩きの計画は早々に終わってしまったが、昼食にはまだ早いので、国道113号をさらに奥の方へ行ってみることにした。
 まず初めに、傾城森への入り口の直ぐ西で横川沿いに北の長老湖や蛤山登山口に向かう道を確認した。そこから関宿の集落を過ぎ、滑津大滝を見る。
 滑津大滝からさらに113号を西進して峠田集落で七ヶ宿スキー場への入り口を確認した。七ヶ宿スキー場には、峠田岳への登山口がある。
 龍ガ岳へはこの113号から稲子峠の道に入り、国道399号に出なければならない。稲子峠へ行く分岐を確認するために113号をさらに西に向かった。


Photo M 山伏森(左)と傾城森(右)。(2018/6/12 14:00)


 国道113号から分かれるいくつかの登山口への道を確認して、同じ道を引き返し、関宿の集落のなかの蕎麦屋さんで昼食をとった。いつもできるわけではないが、山登りの後に山麓の蕎麦屋さんで昼食とするのは、わたしのお気に入りのパターンである。
 昼食を終えて、関宿を出かかるあたりで傾城森と山伏森がよく見えるところがあった。初めに見つけた場所からは、傾城森と山伏森の高さの関係がよくわかた。もう少し、113号を東に進むと二つの山塊の様子がはっきりと見える場所があった(Photo A)。


Photo N 七ヶ宿湖と噴水。(2018/6/12 14:37)


​ 国道113号を戻り、傾城森の横を過ぎ、七ヶ宿湖に沿って下っていくとダム湖のなかで噴水が上がっているのが見えた。ダムサイトに入って写真を撮ったが、これは決められた時間に噴き上がるらしく、偶然のタイミングで通りかかったということらしい。​



Photo O 材木岩。 (2018/6/12 15:00)


 滑津大滝を見、ダム湖の噴水も見た。せっかくなので有名な材木岩を見ておこうとダムの下流で旧道に入った。この旧道からは材木岩に行く道ばかりではなく、寒成山(621.6m)の登山口である飛不動尊への道も分かれているので、その確認も兼ねていた。
 材木岩は写真で見るばかりだったが、崩落した岩もまたみごとな角柱が多くて、材木という名称が「まるっきりそのまんま」なのだった。

 あっという間に終わった傾城森歩きのおかげで、いくつかの山の登山口への道の確認もでき、いくつかの観光スポットにも立ち寄り、遊びとしては十分と思いなして帰途についた。
 問題は、これから継続的に山行ができるかどうかである。


 

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かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)
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Last updated  2018.06.14 16:27:48
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