ウィキペディアに「長寿」という項目があって、その中の「存名中の世界の長寿者十傑」と「存名中の日本の長寿者十傑」という表をスマホで探し出して見せてくれたのは、奥さんの故郷の秋田に向かう途中でわが家に立ち寄ってくれた甥である。今日の午前中のことである。
世界一の長寿者は、田中力子さんという115歳の日本女性で、あたりまえだが日本一の長寿でもある。その世界のリストの5番目、日本の3番目に「松下しん 114歳」が掲載されていた。その松下しんは、長寿者リストを探して見せてくれた甥の祖母で、つまりは私たちと同居している妻の母親である。甥夫婦は、毎年「ばあちゃん」に会いに来てくれるのである。
義母が日本の長寿の5番目にリストされているということを誰かから聞いたのは、ほんの1ヶ月くらい前だったような気がする。リストを見せてくれた甥も、「日本で5番目、世界で9番目ですよ」といいながらスマホを差し出したくらいで、かなり短期間で順位が変わっていたということだ。
そのことに気づいて、どこかみんなの雰囲気が静かなものになってしまった。こうなると、見方次第では長寿者リストというものは、死神の持つ「○○リスト」というものに似ていなくもない。ぞっとするが、そういうことなのだった。もっともっと長生きしてもらおうと思って必死になって介護している身にはなおさらきついのである。
「いやーっ、すごい! すごい!」などと口々に言いながら、みんなでその場のムードを切り替えたのだったが、114歳の当人は、甥夫婦のために用意した白桃とずんだ餅をお相伴して、満足そうにうつらうつらしているのだった。
暑い日が続く。午後6時過ぎ、家を出るといくぶん暑気は和らいでいて、ゆっくり歩いて行けば、汗をかかないで勾当台公園まで行き着きそうだ。そんなことを考えながらゆっくり歩いて、結局は今日も遅刻である。
勾当台公園から一番町へ。(2018/8/3 18:37~19:10)
集会でのスピーチでは、青森県からの参加者が大間での集会や青森県での脱原発候補の選挙戦の総括など詳細な報告を行ってくれた。また、何人かはプルトニウム問題に触れた。今日の市民への呼びかけにもプルトニウムのことが次のように取り上げられていた。
7月31日、原子力委員会は、プルトニウムの保有量を減少させるとの方針を初めて明記しました。現在、日本は47トンものプルトニウムを有しています。これは原爆6000発分に相当し、かねてアメリカなど海外から疑念の目が向けられてきました。
原子力委員会の岡委員長は、「プルトニウムを着実に減らしていくのは日本の責務だ」と強調しました。しかし、もんじゅが廃炉になった今、プルサーマルとして通常の原発でプルトニウムを消費することも限界があります。プルトニウムを増やさない唯一の方法は、原発を動かさないことです!
国は一刻もはやく核燃サイクルを放棄し、六ヶ所再処理工場を本格稼働させる前に、閉鎖することを決断すべきです。すでに再処理工場の地下にはとてつもなく危険な高レベル放射能廃棄物が眠っています。
東北の大地が再び放射能に汚染させられる前に、全ての核施設を廃炉・閉鎖に追い込みましょう!
プルトニウムを増やさないように原発を動かすというのは不可能だ。誰かがスピーチで述べたように、保有するプルトニウムを何らかの口実を設けてアメリカに引き渡すか、国際管理に任せるしかないのではないか。そうなれば、日本はアメリカの同盟国だと信じて疑わない政府や官僚の思惑とは違って、まるでイランや北朝鮮の核に対する国際的(主としてアメリカ)の扱いと酷似してしまうのではないか。日本の国家主権などないに等しいということになる。今回のプルトニウム削減も、アメリカから言われて慌てて言明したということだろう。
プルトニウムの保有量を減らしたいという日本は、「もんじゅ」の破綻、廃炉へという結末にもかかわらず、高速増殖炉を諦めきれず、フランスの高速炉ASTRIDにしがみついている。高速増殖炉というのは、文字通り核燃料を増殖しつつ運転する炉ということで、大量にプルトニウムができてしまうのである。燃料を燃やしながら燃料を増やすという「夢の原子炉」がいまや日本の足枷になってしまったということですらある。この事ひとつとっても、日本の原子力政策というのは、将来への整合性も合理性もなく進められていることがわかる。
さっさと原発を捨て去ることが、もっとも合理的なエネルギー政策なのは今さら言うまでもない。
「原発ゼロをたどって」という朝日新聞の連載記事がある。その9回目に「民意、推進側を悩ます」(8月3日付け)と題して、自民党政権がどのようにインチキをしながら原発政策を決定している(あるいは、決定していない)かを描いている記事がある。そのまま引用しておく。
原発・エネルギー政策の議論から逃げようとするのが安倍政権の特徴でないか。端的なのは有識者会議の構成だ。
政権を奪還した2012年暮れの衆院選から約2カ月後の13年3月1日。当時の経済産業相・茂木敏充(もてぎとしみつ)(62)は第4次エネルギー基本計画をまとめる有識者会議の委員を発表した。それは民主党政権時代の25人を15人に縮小、「脱原発派」とみられた委員を8人から2人に減らすものだった。
会見でこの点を聞かれた茂木は「専門性を中心にして議論をしていただく」などとかわしたが、原発の是非の論議を封じ込もうとしたのは明白だった。こうしてつくられた14年の第4次計画で、原発は「重要なベースロード電源」という位置づけを獲得した。
さらに17年8月、第5次計画の議論を始めた有識者会議では、「脱原発派」委員は1人に。その「1人」が日本消費生活アドバイザー・コンサルタント・相談員協会常任顧問の辰巳菊子(たつみきくこ)(70)だった。
「あのメンバーで結果が見えていると思いました……私は国民の代表との立場で参加しましたが、マイナーというか、独りぼっちでした」
今年5月、「脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会(eシフト)」などが開いた集会で辰巳はそう語った。事実、7月に閣議決定された第5次計画は第4次に続き原発を維持するものになった。
が、それは民意の裏打ちを欠いていた。朝日新聞の今年2月の世論調査では、停止中の原発の運転再開について反対が61%、賛成が27%。「反対」が「賛成」のほぼ倍というのは、ほかの報道機関の調査でも大差ない。
eシフト運営幹事の桃井貴子はこう見る。「民意を聞けば、『原発ゼロ』になる。だから原発維持で行くには民意無視を決め込むしかない」
先の国会で「原発ゼロ基本法」を審議しなかったのも、原発をめぐる議論の拡大を恐れたからではなかったか。実は推進側は「原発ゼロ」の声が怖くてならない。
今年6月10日投開票の新潟県知事選。原発維持路線を取る政権与党の自民、公明が支持する陣営が開票日前日9日、地元紙に出した1ページの広告が話題になった。
「脱原発の社会をめざします。……再稼働の是非は、県民に信を問います!」――焦点の東京電力柏崎刈羽原発の再稼働について慎重姿勢をそうアピールした。
新潟県では前回16年10月の知事選で再稼働に慎重な野党系候補者が当選。そこで今回、与党系は再稼働の争点化回避に動いたと報じられた。
野党系の選対幹部の新潟国際情報大教授・佐々木寛(52)は話す。「新潟では『脱原発』の姿勢でないと勝ち目がない。だから向こうはそんな戦術を取るしかなかった」
重い原発のリアル(現実)。もはや7年前の事故をなかったことにできない。いまも使用済み燃料問題ひとつ解決できない。そして「原発ゼロを」という多くの人の思いが推進側を苦悩させる。 (太字は引用者による)
私たちの脱原発デモがどのような意味を持っているのか、とてもよく理解できるような記事だ。
今日のデモも30人である。言ってしまえば、ほんとうにコアだけの人数だが、仙台人にはあまり経験のない酷暑の中でこの人数を維持できているのは、私が思う以上にすごいことかもしれない。しかもコアのかなりの部分が高齢者だということ、その持つ意味をよく考えてみなければ……。
「金デモは、私の終活だ!」と語る人がいる。それは、原発を子や孫に残さないという意志なのか、それとも、原発廃炉の達成を自分自身の生きた証としたいのか。
そして、私はどうなのか。一つだけはっきりしていることがある。大学、大学院と原子力工学を学んだ責任のようなものを感じている。原発の危険性をもっともよく知り得た者の責任である。
もう一つ、18歳から23歳までの、人間がもっともよく学びうる時期に原子力工学を選んでいたという悔い、悔しさが私をかき立てている。その後の人生を物理学者として生きたので、その思いはなおさらである。
小野寺秀也のホームページ