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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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小野寺秀也

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2018.11.16
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テーマ:街歩き(613)
カテゴリ:街歩き

 SNSの投稿記事に「スペインが原発を止める」という記述があって、それに関連するニュース記事を探したが見つからない。その短い文章を投稿した人はスペイン語に長けているので、私には見当もつかないニュースルートがあるのかもしれない。スペインは、もともと再生エネルギー先進国で、原発廃止に踏み切ることは十分にありうることだ。
 そのニュース検索をしていると、スイスやポルトガルが脱原発に踏み切ったという1年前以上の古いニュースが引っかかってくる。もうとっくに分かっていることだが、そんなふうにして、脱原発へ向かう世界の潮流を再確認することになる。
 原発を止めると日本は原始時代に戻ると言った無知な芸人だったかテレビタレントがいたが、それを言うなら、日本は原発にしがみつくことで世界から取り残されてひたすら原始国家に向かっているというべきだろう。
 これだけ通信手段が発達して世界中のニュースが瞬時に届く時代だというのに、日本の政治はまるで鎖国でもしているかのようだ。鎖国というのは国民への情報を遮断する統治手法だが、現代では国民が望めばインターネットを通じて情報を得ることは可能だ(問題は、自ら情報獲得に向かう人間が必ずしも多くないということだが)。
 しかし、インターネットといえども言語の壁は越えられない。スペイン語がまったくわからない私には、スペイン語で検索はできないし、たとえ元のニュースが見つかってもどうにもならない。
 脱原発のいいニュースに出会えると期待して「脱原発 スペイン」などと日本語で検索を続けたのだが、何の成果もなく諦めて、金デモに出かけたのである。




元鍛冶丁公園から一番町へ。(2018/11/16 18:24~18:36)


 元鍛冶丁公園には欅の落ち葉が降り積もっていた。青葉通りと定禅寺通りは大きな欅の並木になっているが、けっしてこんなに降り積もってはいない。どんなシステムかは分からないが、定期的に掃除をする人がいるのだろう。
 元鍛冶丁公園のこの落ち葉の堆積はどうなるのだろう。昨年も一昨年もこの時期は落ち葉が堆積していた。常識的に判断すれば、市の公園課あたりが掃除をするのだろうが、青葉通りや定禅寺通りは道路課の管理ということでこんな違いになっているのだろう。
 相変わらず集会には遅刻して、東京電力の責任を問う裁判に出頭した旧経営陣の無責任な発言への怒りのスピーチだけを聞くことができた。原発はすべて現場の責任で私はあずかり知らぬと言明する最高責任者の責任逃れは許しがたいが、このような無責任こそ原発事故がおきたもともとの原因だったと言える。「無責任だったいう責任」こそ問われるべきだろう。






一番町(1)。(2018/11/16 18:38~18:40)

 45人のデモが一番町を行くと、足を止めてデモを熱心に見ている夫婦連れの通行人がいる。デモ人の一人が、デモが通るときに必ず店先に出て来て眺めている人の存在も教えてくれた。
 どちらも、手を振るわけでもないので、応援してくれているのか、苦々しく思っているのか判断できないけれど、少なくとも原発のことを考えてくれてはいるのだろう。デモが原発のことを考える契機になってくれれば、それはとてもいいことだ。どんな結論になるにせよ、何も考えないこととは雲泥の差がある。

 



一番町(2)。(2018/11/16 18:41~18:46) ​


 スペインが原発を止めるという未確認情報に結構時間を費やしてしまったが、「東芝、英国の原発建設事業から撤退へ」というBBC発の確かなニュースが​11月8日付のNEWS JAPAN​に掲載されていた。
 東芝は11月7日、イギリスのムーアサイド原発プロジェクトで開発業務を担っていた子会社NuGen社を解散し、イギリスでの原発新規事業から撤退すると発表した。この事業撤退やNuGen社の解散に絡んで150億円の損失が見込まれるという。
 世界が原子力事業から撤退する際のババを引き続けたきた東芝は、ここでもババを引いているのである。東芝は当初、NuGen社を売却しようとしていたのだが、買い手が現れなかった。東芝のように進んでババを引く会社は世界にはそうそうないのだ。
 記事中に次のような一文が差し込まれていた。


​​英国の最大労組GMBは、ムーアサイド原発計画の「迫り来る崩壊」は「気が滅入るほど予測できたことだ」と述べている。​​


​ 「気が滅入るほど予測できたことだ」というのは、不幸な予測があまりにも現実的、あまりにも確実な未来だったということだろう。東芝という企業の時間発展(「時間発展」は物理学用語で、物理法則によって確実に生起する時間変化を指す)の惨めさ、哀れさをみごとに表現しているではないか。​






青葉通り。(2018/11/16 18:50~18:59)


​ 先週のデモは、出張で横浜にいて参加できなかった。その出張の切符を買いに仙台駅まで出たとき、ついでに行きかえりの電車の中やホテルで読む本を買ってきた。マルクス・ガブリエルの『なぜ世界は存在しないのか』[1] という哲学書である。​
 マルクス・ガブリエルという名前は初めてである。ドイツの哲学者で1980年生まれというから、私より34歳も若い。ポストモダン以降の新しい哲学、「新しい実在論」の若き旗手ということらしい。
 哲学書には珍しく、語り口は平明で読みやすい。形而上学を批判し、構築主義の誤りを指摘し、唯物論をやり玉にあげる。快適に読み進めるのだが、正直なところ、さほど面白くはない。
 存在論というのは、人間の思念としてとても重要だと思うのだが、読書の対象としてはさほど楽しいものではない。ずっと若いころ、ハイデッガーの『存在と時間』を読んだときの感覚に少し似ている。サルトルの『存在と無』も同様だった。読まなければ、そう思いながら読むのだが、さほど面白くないのである。私は「哲学の徒たりえない」と実感した瞬間の一つだった。思い出せば、なんどもなんども「哲学の徒たりえない」と身にしみるばっかりだったが、あの頃から50年、いまだに哲学書に手を出している。
 三分の二ほど読み進んだ。微妙に納得できないところもあるが、易しい言葉で説得的に語られる哲学というのは評価されるべきだろう。きちんともう少し読み込めば、「面白くない」から「面白い」へ質的転換を遂げるのではないかという予感がする。ジジェクとの共著もあるらしいので探して見ることにする。
 デモから帰る夜道、読んでいる本、読むべき本のことを考える。私は歩くのが好きだが、そんなことを考える時間が好きなのだ。現実は必ずしもそうではないが、楽しく面白く読めるだろうとあれこれ思いめぐらすだけの時間が好きなのだと思う。


[1] マルクス・ガブリエル(清水一浩訳)『なぜ世界は存在しないのか』(講談社、2018年)。

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かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)
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Last updated  2018.11.19 17:27:46
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