ほぼ一か月ぶりの金デモ参加となった。4月12日の金デモの二日後、義母が誤嚥性肺炎で救急搬送されて入院した。この二年ほど、健康に過ごしていたので少し油断があったようで、以前の誤嚥性肺炎より症状が重いとの判断でかなりあたふたして、その週の金デモ(4月19日)のことは頭からまるっきり消えてしまっていた。
連休に入った4月28日には月一回の日曜昼デモがあったのだが、そのことに気づいたのは義母のベッドの脇でひと休みしていたときで、もうデモの終わりかけの時刻だった。義母の入院中には、いつものように妻が病院泊まり込みで付き添いをする。妻の食事を病院まで運ぶのが日課になっていて、その時間帯が日曜昼デモの時間帯に重なっていた。気分は「非常事態」なので、デモのことは思い浮かべる余裕がなかったのである。
以前の誤嚥性肺炎のときの倍ほどの入院を終えて、義母が退院したのは4月30日だった。その三日後くらいから発熱が始まった私は、一週間近く横になっている時間が多い日々だった。仕事をしていたころからよくある発熱で、疲労が重なって微熱と体がだるいのが続くのである。人生で一番忙しかった60歳のころには一ヶ月ほど微熱が続いたこともあった。
微熱も体のだるさもほぼ完全に回復したものの、何となく体がふわふわとしているようで、心もとない足取りながら錦町公園の金デモ集会に向かった。
錦町公園から定禅寺通りを。(2019/5/10 18:20~18:34)
5月10日の午後6時過ぎはまだ十分に明るく、錦町公園の若葉は輝いているようにすら見える。そう思えたのは、たぶん脱原発デモの集会に一か月ぶりに参加したためだろう。暮れ残ってはいるが十分に夕暮れそのものだった一か月前の集会と比べれば格段の明るさなのである。
いつものようにいくぶん遅刻して錦町公園に着くと、廃炉作業が続く福島第1原発などの現場作業に外国人労働者を受けいれるとした東京電力を批判するスピーチが行われていた。現在ですら放射線作業に従事する労働者の安全管理を十分に行えていない東電が外国人労働者の放射線被曝防止ができるはずがないという厳しい批判である。
放射線を被曝しながら原発で働く労働者の実態は、東電1F事故のずっと前から「原発ジプシー」として語られてきた。事故後には、急遽集められた下請け労働者の過酷な作業のこともしばしば報告されている。
実習に名を借りた安易な外国人労働者の受け入れが、過酷な強制労働まがいの実態だったことが明らかになった現在、4月から新制度になったとはいえ、日本の最も過酷な労働現場である福島1Fで外国人労働者がその人権が守られつつ放射能汚染環境下で働けると想像するのはとても難しい。
集会が終わるころにはすっかり夕暮れらしくなった。30人のデモは錦町公園を出発して、定禅寺通りを西進して一番町に向かう。
一番町(1)。(2019/5/10 18:43~18:45)
新学期が始まって一ヶ月、一番町の広瀬通り角は黒山の人だかりである。おそらくは新入生の歓迎会などの待ち合わせだろう。みんな、珍しそうに30人の脱原発デモを見ている。
彼らのほとんどが新入生だとしたら、かなりの若者が初めて脱原発デモを見た可能性が高い。その評価や感想はどうであれ、たった30人のデモにしては、今日は格段に効果的なデモンストレーションになったに違いない。
一番町(2)。(2019/5/10 18:46~18:52)
原発の新規制基準でテロ対策拠点として義務づけられている「特定重大事故等対処施設」(特定施設)を巡り、原子力規制委員会は24日、「原子炉の工事計画の認可から5年」とした設置期限の延長を認めないことを決めた。関西電力、四国電力、九州電力の計6原発12基は期限を1~3年ほど超過する見通しで、再稼働済みの5原発9基については施設が完成しなければ運転停止となる。
こんなニュース(4月24日付け毎日新聞電子版)が流れた。「特定重大事故等対処施設」(特定施設)とはテロなどで原子炉が冷却不能になった場合に遠隔操作で冷却を維持できる施設で、原子炉建屋から100メートル以上離れた場所に建てられる、飛行機の衝突にも耐えられる堅牢な建物を意味する。
再稼働した原発が運転停止を命じられる可能性が出てきたということだが、ニュースには次のような記述もある。
特定施設はテロなどで原子炉が冷却不能になった場合、遠隔操作で冷却を継続する施設。東京電力福島第1原発事故を踏まえ、当初は2013年の新規制基準施行から一律で5年以内を期限としていた。
しかし審査の長期化で規制委が15年、期限を変更。原発ごとに「工事計画の認可から5年」に先延ばしされていた。
つまり、規制委員会が新規制基準を勝手に緩和して、基準を満たさなくても再稼働を認めてきた経緯から考えて、規制委員会が基準を厳密に守るポーズを示しただけという可能性もあって、単純に喜べるニュースかどうかは疑わしい。
トレンドかメジャーか知らないが、最近は「やってる感」だけで日本の政治や社会を回すということが流行っているが、規制委員会も「やってる感」的な運営を行っているだけもしれないのだ。9原発の特定施設(またはそれだと言い募ることのできる施設)建設の目途が立って、内々で打合せ済みなのかもしれない。そういうことが一切なくても、「お約束とは異なる新しい方針」などと言い募ってそのまま再稼働を容認するということは、今の自公政権(とその管轄下にある規制委員会)なら何の不思議もない。
青葉通り。(2019/5/10 18:56~19:05)
まだ十分に明るい時間からすっかり暗くなる時間帯に街を歩くというのは、なぜか気分がいい。いつかブログに「そんな時間帯のデモがいい」というようなことを書いた記憶がある。
問題は、そんな素敵な時間帯の雰囲気を切り出すだけのカメラの腕が私にはないということである。デモの写真をフェイスブックやツィッター、そしてこのブログに投稿しているが、そんな空気感を伝えられないのが残念である。それをきちんと伝えられたら、「素敵な夕暮れの街の素敵なデモにどうぞ!」と言ってみたいと思っているのだが、可能性はほとんどないようだ。
さて、発熱の後遺症でふらふらしていた体もデモが終わるころにはすっかり治まって、帰り足はとても軽快である。これもデモの効用である(と思いたい)。
小野寺秀也のホームページ