【ホームページを閉じるにあたり、2011年3月4日に掲載したものを転載した】
【続き】
道はどんどん下り、途中公営住宅らしい同じ造りの木造の人家を見ながら進むと、登米小学校の北東端に出る。つまり、この道は「遠山之里」駐車場脇の道につながるのである。
Photo J Photo G からの坂道を下り、登米小学校東を通る。
Photo K Photo J の道から左、登米懐古館のある寺池城趾へ上る。
登米小学校脇を歩いて、「遠山之里」駐車場が見え出すころ、左、寺池城趾に上る道がある。ケヤキやツバキの坂道を上がり、広場(Photo K)を過ぎて階段を上がると見晴らしが開ける。
この城趾の高台は、Photo F の坂を上った尾根、高台院霊屋のある丘陵から南に延びた突端に相当する。そこには「登米懐古館」があるが、やはり犬連れのため、見学は遠慮した。この高台から見えるのは、まだ歩いていない北上川沿いの登米町東部である(Photo H のパノラマ)。
城趾を南に行くと下る道があって、この道が城趾に行く表の道らしい。屋根のある門を過ぎ、黒木の柱の門をくぐってふり返ると「寺池城址公園」の板が掛けられてあった。
Photo L 登米懐古館の高台から登米町東部の見晴らし。
Photo M 登米懐古館の高台から東に下りた場所。
左は簡易裁判所へ。右は登米診療所へ。右へ進む。
城址公園から東の道に下りると、北に向かう道は二つに分かれている。一方は、ふたたび坂を上る道で、「裁判所」「懐古館」の表示がある車道である。一方は、「公立病院」の案内表示があり、その道(Photo M の右の道は行き止まり、さらに右に下る道がある)を下ることにした。
道はすぐ右に曲がり、「登米市立登米診療所」と名前を変えた旧公立病院がある。
登米診療所の端は、南北に走る道に接している。その道に左折し、北に向かう。次第に人家がまばらになる道である。 道端の畑に大きなマサキがあり、赤い実をたくさんつけている。
Photo N 登米診療所前の道。診療所向こう端を左折。
地図に記載されていながら実際にはなかった道に相当する場所(Photo P)で左折して、北上川に向かう。
Photo O 国道342号の西隣を北進する道。
Photo Oa Photo O の道脇のマサキの実。
北上川には直接は行けなくて、いったん国道342号を北上する。国道は右にカーブしながら北上川の堤防の上を北上している。堤防道路と国道が一致する付近(Photo Q)から堤防を南下した。
Photo R は堤防からの北上川のパノラマである。写真は歪んでいるが、実際は、撮影地点付近が突き出しているような形の写真とは逆のカーブになっている。Photo S は下流、登米大橋の遠望である。
Photo P Photo G 付近で東に行く地図上の道が出るはずの道。行き止まり。
Photo Q 国道342号が北上川左岸に寄る付近。
Photo R Photo Q 付近で北上川左岸堤防に上がる。そこからのパノラマ、左が上流。
Photo S 北上川左岸堤防の道から下流、登米大橋を見る。
堤防から町を見ると、登米町が城下町であることがよく分かる。国道342号と堤防の間に民家の敷地割りが、京都の町屋に見られるように、道に面した間口は狭いものの堤防まで細長く区切られているのが判然と見てとることができる。現在では、それぞれの家の建て方、土地の利用の仕方はまちまちではあるけれども、区割りそのものは整然となされているのである。
まもなく登米大橋というところに、「芭蕉翁一宿之跡」という石碑があり、隣には板碑の説明がなされている。芭蕉が石巻から平泉に向かう途中で登米に 宿をとったという「おくのほそ道」の記述によるものである。
思ひかけず斯る所にも来れる哉と、宿からんとすれど、更に宿かす人なし。漸(やうやう)、まどしき小家に一夜をあかして、明れば又、しらぬ道まよひ行。袖のわたり・尾ぶちの牧・まのゝ萱はらなどよそめにみて、遥なる堤を行。心細き長沼にそふて、戸伊麻(といま)と云所に一宿して、平泉に到る。
松尾芭蕉「おくのほそ道」より [5]
戸伊麻は登米の当て字表現である。残念ながら句はない。石碑は、河東碧梧桐の筆であると記されていた。碧梧桐は虚子と並び、子規門下の双璧である。「碧梧桐は……登米とは深いゆかりがあったのである。」と説明がなされていた。これほどのゆかりがあっても、碧梧桐の句碑は登米にはないのである(「遠山之里」前の句碑案内によれば)。もちろん、句碑というものがどのような契機で建てられるものか、門外漢の私には分かろうはずもないのだが。
碧梧桐に敬意を表して、その2句を。
秀衡と芭蕉君にも寒さかな 河東碧梧桐 [6]
椀程な塚の上にも冬木かな 河東碧梧桐 [7]
Photo U 登米大橋西詰めから寺池方向へ進み、三日町を左折、郵便局方向へ。
登米大橋は国道342号の橋である。登米大橋は渡らず、右折して町中心へ向かう。歩き始めて4時間、そろそろ切り上げ時を考えはじめるのである。国道は橋からすぐの交差点で北へ向かって直角に曲り、先ほど北上川へ出るために少し歩いた道につながる。
その信号のある交差点の角には、造り酒屋のなまこ壁、藏造りの店舗が見える。ここのところ日本酒をほとんど飲まなくなったこともあるが、「洋々 きたかみ」という清酒は飲んだことがない。若い時は、日本酒ばかりで、ひたすら酔っぱらうだけの日々もあったというのに。
十字路を国道が進む反対、左に折れて、午前中に歩かなかった道を歩いてみることにする。この通りは商店街であるが、白壁、藏造りの建物が並ぶ。薬局(ガラス戸には白壁、総二階の藏造りである。この通りにもある「ヤマカノ」も大きな藏造りの店である。それに並ぶ七十七銀行は新しいが、白壁、瓦葺きで調和をはかろうとしている。郵便局もまた、白壁、スレート瓦葺きの新しい平屋である。
木造総二階、瓦葺きの商家なども見ながら進むとT字路である。その右角には、警察資料館の木造白ペンキ塗りの洋館、鉄骨製の火の見櫓がある。警察資料館は、昭和43年まで登米警察署として使われていたのである。つまり、私が成人になるころまで現役だったのである。そうなのだ。ここが「旧登米警察署」であるように、私もまた「旧○○○人」と呼ばれるだけの歳月は十分に経たのである。
Photo V 警察資料館と火の見櫓。
年甲斐もなく少し感傷的な気分で警察資料館前を西へ歩を進める。この道は、その途中を午前中に少し歩いた県道15号である。この道は、商店と普通の民家が並ぶ通りであるが、中には白壁塀、木造瓦葺きの門に囲まれた屋敷もある。スレート瓦葺きの商家には、飾り破風のある屋根付きの門があったりする。
Photo W 警察資料館野門を右折して西へ進み右折、養雲寺から北進してくる道に入る。
3ブロック歩くと、午前中に歩いた養雲寺の山門からまっすぐ北に進む道と交差する。ここを右折する。
道の途中には、太い梁を使った瓦葺き、白壁、黒腰板の立派な家がある。正面高みには「城下町」と墨書きされた自然木の大きな扁額がかかっている。日本料理店かそば屋の豪勢な店舗らしい造りの家であるが、格子ガラス戸に大きな赤字の「貸家」の張り紙があった。
右手の屋敷の門から覗くと、コンクリート歩道のうえに大きな黒猫が向こうを向いて坐っている。それを黙って見ている一人と1匹の気配を感じたのか、振り向いてくれた。そして、そのまま彫刻になってしまったかの如くなのである。一人と1匹の方が根負けして、お別れした。
直進すると県道36号に出て、右折すれば教育資料館、「遠山之里」で、登米町の町歩きは終了である。
Photo Wa Photo W の道沿いのお屋敷の庭の大黒猫の悠然とした挨拶。
Photo X Photo W の道を直進、通りを一本越えた付近。
[1] 『現代日本文學大系19 高浜虚子・河東碧梧桐集』(筑摩書房 昭和43年) p. 4。
[2] 『定本 種田山頭火句集』(彌生書房 昭和46年) p. 25。
[3] 『定本 種田山頭火句集』(彌生書房 昭和46年) p. 45。
[4] 『現代日本文學大系95 現代歌集』(筑摩書房 昭和48年) p. 437。
[5] 『日本の古典55 芭蕉文集 去来抄』(小学館 昭和60年) p. 68。
[6] 『現代日本文學大系19 高浜虚子・河東碧梧桐集』(筑摩書房 昭和43年) p. 354。
[7] 『現代日本文學大系19 高浜虚子・河東碧梧桐集』(筑摩書房 昭和43年) p. 359。