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山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

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2020.11.13
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テーマ:街歩き(528)
カテゴリ:街歩き

 11月8日のまだ暗い時間、たぶん午前4時ごろだっただろうか。夢を見ていたか、夢から目覚めにいつ変わったのかよくわからないまま、何か悲嘆に暮れている感じでぼおーっとしていた。
 夢にしてはどんなイメージもなく、ただ「今日は12日だ」という確信のようなものが勃然と沸き起こった。夢と言えば、それがすべてである。その言葉で夢が始まり、気が付けば目覚めていたので、その言葉で夢は終わってもいる。
 夢か現か、定かではないけれども、その続きがある。「今日は12日、つまり昨日は11日ではないか。昨日は3月11日だった」、そう思ったのである。そして、3月11日を何も思わずやり過ごしてしまったことに愕然としたのである。
 3月11日だというのに何もしていなかった、どんな思いも抱かずに、どんな行動もできずに3月11日が終わっていた。そういう思いにとらわれて、いやな気分のまま、次第にはっきりと目覚めていったのだった。3月11日どころか、11月7日だったというのに………。
 あの3月11日から間もなく10年である。事故を起こした原発にまったく手が付けられない状態のまま、同じように被災した原発を再稼働させようと蠢き、画策している人々がいる。この10年、彼らは何を考えて生きてきたのだろうか。
 いや、私たちはいったい何をしていたのだろうか………。









肴町公園から一番町へ。(2020/11/13 18:22~18:33)


 今日のデモは肴町公園だということは当然ながら知っていた。それで、肴町公園は暗いのでフラッシュを持っていこうと決めていた。デモの写真を撮るためにフラッシュを使うのは初めてである。フラッシュ光の不自然さが嫌いで、暗ければ暗いなりになどと考えていたのだが、ろくな写真が撮れないのでなんとか使ってみようと決めて家を出た。
 フラッシュは集会のどこで使おうか、フリースピーチをする人の写真がきちんと撮れればいいことにしようか、などと考えながら道を急いで、着いたところは元鍛冶丁公園だった。デモ人は一人もいないことで間違えたことに気づいたのだった。家を出るときは肴町公園へ向かっていたのだが、いつ目的地を変更してしまったのだろう。あわてて肴町公園に急いだ。それほど遠くもないのに、もう集会は終わりかけていた。
 集会は、宮城県知事がいくつかの意味のない形式的な儀式(手続き)を終えて女川原発の再稼働に同意したことへの抗議と憤りに満ちたスピーチが続いた(はずである)。
 用意したフラッシュも役に立たず、ほとんどのスピーカーの写真はとれずじまいだった。カメラには収められなかったが、暗い肴町公園には憤りの気配が立ち込めていた。その気配を強く身にまといながら45人のデモ人は一番町の街中に向かった。















一番町。(2020/11/13 18:36~18:38)


​寒村ののるかそるかの原発に未来預けし福島の今​
      (福島県伊達市)佐藤茂  (11/8 佐々木幸綱選)​

​​​​
 上の短歌は11月8日の朝日新聞の短歌・俳句の投稿欄に掲載された一首である。自分たちの未来を「のるかそるか」の思いで原発に託し、そして故郷を喪失した現実を詠んでいる。国は貧しい農漁村を狙って原発を建設しようとし、貧しいがゆえに建設を受け入れた町(村)があった。原発安全神話の崩壊とともに、原発を受け入れた町ばかりか近隣の町(村)までもが、人の住めない地となった。
原発を受け入れた町(村)がどうなったか。東京電力福島第一発電所のある(今は大量の放射能を吐き出し続ける原発廃墟のある)大熊町に生きて、事故後に避難先のいわき市で亡くなった歌人、佐藤禎祐が原発を受け入れた立地の町を詠んでいる(佐藤禎祐歌集『青白き光』(いりの舎、平成23年))。

原発に縋りて無為の二十年ぢり貧の町増設もとむ

リポーターに面伏せ逃げ行く人多し反対を言へぬ原発の町

うからやから質に取られて原発に物言へぬ人増えてゆく町
 
 そして、東電福島第1原発の4基はメルトダウンし、爆発し、史上考えられる限りでの最悪の事故を起こした。原発の「安全神話」は微塵に粉砕されてしまったが、今、放射能に塗れた故郷を再生できるという新しい「神話」に福島の人々は惑わされ、苦しめられている。
 中村純の「男を守れ」という詩の中にその町(村)で生きようとする人々が描かれている(中村純詩集『はだかんぼ』(コールサック社、2013年))。

マイクロシーベルトの千倍が ミリシーベルト
人が不在の美しい村に 別世界の概念が広がる。
「特攻隊だから」そう話す夫のことばを反芻する妻がいる
「原発で食べてきたから、いまさら逃げられない」
「村が被災したから公共事業もない、仕事は原発しかない」
「娘と妻は避難させた
保障もないから自分は福島に戻らねば食べさせていかれない」

できるだけ従業員の被曝を抑えようと
線量の低い現場の仕事を取ってこようとする社長がいる
社員と家族を食べさせ
社員の被曝を少なくするために
日々いのちを削られ、お金に変えられていく
「百ミリシーベルト被曝したらもう仕事はできない
そのとき自分は使い捨てなのか」
三月十一日から 三十七シーベルト被曝しているという

 2011年3月11日の前、すべての国民は年間1ミリシーベルト以下に放射能被曝を抑えるよう法律で守られていた。その3月11日以降、原発を受けいれた町(村)の人々は20ミリシーベルトまで放射能を浴びていいと国が法律を変えてしまった。それが原発を容認してしまった町(村)の人々への残酷な「ご褒美」なのである

 朝日歌壇・俳壇に次のような短歌が選ばれていた。

​この夏に「棄民」って言葉二度聞きぬ残留孤児と福島の人​
      (和歌山県)石垣多鶴子  (9/27 馬場あき子選)

 福島事故後、世界は変わったのである。女川町に大熊町と同じ運命を託してはならない。新しい「棄民」を生み出してはならない。大多数の宮城県民はそう考えている。東電福島第1原発の事故が引き起こした福島の人々の過酷な運命を知ったうえで、女川原発の再稼働を望み、議決し、容認した人間たちがいる。彼らの確信犯的言動の有責性は極めて大きく、重い。誰が手をあげ、賛同したのかを私たちは記憶しておかなければならない。
 どんな苛烈な未来が待っていようとも、さらにその先の未来のために問うべき責任は問い続けなければならない。​​​









青葉通り。(2020/11/13 18:40~18:47)


 コロナ禍のために大きな声を上げられない。それでもデモ人は素直で真面目なのか、これまでは粛々とデモを歩いていた。今日のデモに参加した人はどうだったかよく分からないのだが、少なくとも私にはいくぶんかのフラストレーションが残った。
 ただ、私が遅刻したせいもあり、肴町公園から一番町に出てすぐに青葉通りに出るという最短のコースだったこともあって、カメラは極端に忙しかったので、それがフラストレーションへのいい対処法だったようではある。
 〈静かに〉かつ〈苛烈に〉抗議するということはどんなものだろう、などと答えが出そうもない「ぐだぐだ」を宥めながらの帰り道だった。

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読書や絵画鑑賞のブログ
かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)






Last updated  2020.11.29 18:42:15
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