000000 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

山行・水行・書筺 (小野寺秀也)

PR

全42件 (42件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 >

山歩き

2020.03.01
XML
テーマ:山歩き(124)
カテゴリ:山歩き

​【ホームページを閉じるにあたり、20119年11月21日に掲載したものを転載した】​


​​【続き】​​


 ​福禄山から40分くらいで銭山山頂である。山頂で記念写真(Photo H)を撮るが、すぐ白森に向かう。​



Photo H 陽射しがまぶしい銭山山頂。(2009/9/18 9:22)


 銭山と白森のあいだはやせ尾根ではないが、いちおう緩やかな尾根道でである。眺望はよいが、道そのものには大きな変化はない。白森は遠くから見ても木々の背丈が低く、頂上からの眺めは良さそうである。
 結論からいえば、福禄山を出て少し経った付近から、銭山、白森、黒伏山の少し手前までは、ずっと眺望の良い尾根道が続き、1000m前後の山でこれだけのコースはめずらしいのではないかと思う。登る山に迷ったときは、このコースだな、と思わせる良さがある。



Photo I 白森の頂上標が見える。頂上近いのでイオは張り切って私を先導する。
(2009/9/18 9:53)


​ 白森の頂上標がけっこう遠くから見える。連れは急ぎ足になって、私を引っ張る。少し暑くなってきて、記念写真も体半分日陰になる場所を選んでいる。地図では「白森」であるが、山頂標には「白森山山頂」となっていた。​



Photo J 白森山頂で。日陰もこの程度。(2009/9/18 9:54)

​​
 いとしい者の上に風が吹き
 私の上にも風が吹いた
 愛しい者はたゞ無邪氣に笑つており

 世間はたゞ遙か彼方で荒くれてゐた 
          中原中也「山上のひととき)」部分 [2]​​



Photo K 白森から銭山をふり返る。(2009/9/18 9:56)


 白森山頂はなかなか離れがたいのであった。蔵王連峰には雲がかかっているが、東の方、歩いてきた福禄山、銭山はもちろん一番向こうの船形山まで重なる山々が青く霞んで広がっている風景に惹かれる。
 しかし、昼食の蕎麦に遅れるわけにはいかない、と思いなおして出発した。



Photo L 白森から黒伏山に向かう途中で白森をふり返る。 (2009/9/18 10:10)


 白森の頂上から黒伏山を目指して南に下っていく。黒伏山の北斜面に取りつくまでは、やはり気分のいい鞍部、稜線の道である。
 黒伏山の北斜面にかかるころ、直径1mほどの円盤形の石が道をほとんど遮るように突っ立っている。脇をすり抜けた連れが、心配そうに石の向こうでから覗いていた。
 その石を過ぎるころから、周囲の木々の背丈が高くなり、勾配がきつくなるあたりで、何となく荒れた雰囲気になる。北斜面で積雪が多いせいか、木々は押しつぶされたように斜めに伸び、それに下草や蔓が絡まっている。しかも地面はじめじめしている。里山でも北斜面の谷あいにこういう雰囲気の場所があって、突っ切って歩くのが憚られるようなことがある。

 黒伏山は頂上近くでも木々の樹高があって、見通しが悪い。頂上そのものも展望がないので、少し休んだだけであっさりとパスすることにした。



Photo M 逆光の中を黒伏山頂上へ。向こうに頂上標が見える。(2009/9/18 10:42)


 沢渡黒伏山の南壁の上にでると、急激に切れ落ちるキワに立つことになって、すばらしい眺望と恐怖とで気持がざわざわするのだった。黒伏山本峰の南斜面も急激に落ちているが、全面が樹木で覆われている(Photo N)。
 南、蔵王連峰や大東岳、面白山の方向は雲がかっている。東、船形山の方はずっと晴れて眺望がよかったが、ここにきて船形山にも雲がかかりはじめた(Photo O)。



Photo N 黒伏山本峰の南斜面。斜面の向こうに柴倉山。
さらにその向こう、青く霞むのは船形山。(2009/9/18 11:02)


Photo O 南壁の上(1185mの峰、沢渡黒伏山)からの黒伏山本峰、
中央、柴倉山の向こうに船形山が霞む。(2009/9/18 11:02)


 沢渡黒伏山の南壁からの眺めを堪能すると、今日の山歩きの楽しみはみんなこなしたような気になった。それで 沢渡黒伏山の西斜面の道を何となく急ぎ足で下った。
 遅沢林道と黒伏スキー場への道の分岐にあった円形の案内標識が洒落ていた。一瞬字が読めなくてそばに近づいたら、90度回転した状態で木に括りつけられていたのである。
 たぶん(そして、もちろん)はじめは真っ直ぐに架けられていたものの、その木が朽ちたか倒れたかしたのち、適当な新しい木がないため、方向を正しく指し示すために90度回したものだろう。目につくところに正しい表示を、と工夫されたのである。
 表示板によれば、黒伏スキー場までは5.5km もある。周回してきた尾根の分を黒伏山と村山野川にはさまれた麓の平坦部の林を引き返す感じなのである。分岐ですでに11時30分である。早めに昼食にして蕎麦はおやつ代わりとするか、遅めの昼食として蕎麦をがっちりと食べるか、少し悩んだが、このまま進むことにする。蕎麦の方が大事なのであった。
 しかし、黒伏山の麓の林は、急いで駆け抜けるのはもったいないような美しい林だった。強い陽の光の木漏れ日は、ハダラに光る残雪か、かたまって咲く白い花のようである(Photo P)。



Photo P 林の中に強い木漏れ日が差し込む。(2009/9/18 11:50)


 人消えて雑木かがやきすでに風  金子兜太 [3]​


​ まもなく林のなかの道は、大きな石が重なった上を走るようになる(Photo Q)。Photo Q' のような石組みが道なのである。連れの体はもちろん、私でも落っこちれば体半分は入りそうな空間が隙間を開けて待っているのである。大きな石だらけの川原を歩いた幼年の思い出にあるような、ちょっとした冒険心のようなものが湧いてくる気がする。​



Photo Q ずっと続くほぼ平坦な林の道。(2009/9/18 11:56)



Photo Q' 大石が重なる林の道。落っこちてしまいそうな大きな隙間もある。
(2009/9/18 11:58)


 ​岩が根のこごしき山に入りそめ山なつかしみ出でかてぬかも​
                読人知らず 「萬葉集 巻第七」 [4]​


 いくら早く蕎麦が食べたいからといって、駆け足で過ぎるのはもったいない林で、結局は、キノコも探しながらのゆっくりした歩きとなった。道沿いしか見ないキノコ狩りは獲物が少なく、2種類のイグチの仲間をいくつか見つけただけだった。4日前の白髪山から奥寒風山までの縦走往復では、ナラタケやヌメリスギタケなどそこそこの収穫があったのだが、林の性格が違うのでしょうがない。


Photo R 犬だって疲れるし、 バテるのである。基本的に暑さに弱い。
(2009/9/18 12:56)


 駐車場にたどり着いたのは午後1時くらいである。日影で涼をとる連れをせき立てて、蕎麦屋に走る。

 先日は私ひとりだけの客だったが、今日は2組6人ほど先客があったので、調理場から一番遠い座敷に席を取った。それにはそれなりの理由があるのである。
 先日、ひとりだけの客として、調理場に1番近い座卓に席を取って、おろしたてワサビがちょうど食べ頃になるまで待たされて、やおら食べ始めようとしたとき、「ワサビはつゆに溶かさないで蕎麦に直接つけて食べるとおいしいですよ」と教えられたのだ。
 確かにおいしい、ワサビの味が鮮烈なのだ。刺身もまた醤油にはワサビを溶かさず、刺身につけて食べるとおいしいのと同じ理屈だろう。でも、刺身の場合とは明らかに違うのである。もともと魚が苦手な私は、生臭さを消す効果を最大限にするために刺身に直接ワサビをつけ、そうしておいしく食べるのだ。
しかし、蕎麦はもともと好きなのである。そして、蕎麦に直接ワサビをつけて食べると、おいしいワサビを食べているのは間違いないが、蕎麦の味がワサビで霞んでしまうような気がするのである。
 先日食べたときから4日間考えた。「おいしい蕎麦においしいワサビの風味が添えられている」状態が望ましい、というのが結論である。蕎麦の味8~9に対してワサビの味1~2が理想的。ワサビを蕎麦に直接つけると、ワサビ5~8くらいになって、多すぎるうえにその時々で大きく変動するのである。つけるワサビの量や啜る蕎麦の量の加減に熟練すれば良いとは思うのだが、熟練するまで、味覚的に不都合な状態で食べ続けるのは、人生の大損である。
 結局、調理場から1番遠くの、奥の席に陣取って、つゆにワサビを溶かして「おいしい蕎麦においしいワサビの「風味」を添えて食べる」ことにしたのだ。せっかく親切に教えていただいたのに、むげに無視することになってしまうのは、どこか申し訳ない気分で遠慮だったのである。



[2] 「中原中也全集 2」(角川書店 1967年) p. 372。
[3] 「金子兜太集 第一巻」(筑摩書房 平成14年) p. 255。
[4] 「日本の古典 4 萬葉集 三」(小学館 昭和59年) p. 121。


​​

読書や絵画鑑賞のブログ
かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)






Last updated  2020.03.01 12:25:17
コメント(4) | コメントを書く


テーマ:山歩き(124)
カテゴリ:山歩き

ホームページを閉じるにあたり、20119年11月21日に掲載したものを転載した】



Photo A 駐車場から見た黒伏山(右)、左は沢渡黒伏山と言うらしい。
(2009/9/18 6:13)


 黒伏山に登るきっかけは、船形山登山である。あるとき、また船形山に登りたいと思った。仙台に住む私は、宮後県側の(夕日沢コースを除く)4つの登山口それぞれから登ったことがあり、違ったコースを歩きたいと思って決めたのが、山形県黒伏高原から登る観音寺コースだったのである。ここの登山口までは、国道48号線、関山峠を越えればあっという間であり、長い林道を走らなければならない県内の大滝キャンプ場登山口などよりは近いのである。

 国道48号線から黒伏高原に向かう道に入り、間木野(山形県東根市)という集落を通りかかると、蕎麦屋の看板を見かけた。下山後には是非寄ってみようと、蕎麦好きは考えたのだった。船形山から登山口に帰り着いたのは12時30分、昼食はざる蕎麦だ、と車を走らせたら定休日だったのである。
 リベンジはそれから3ヶ月後、同じ登山口から白髭山、前白髭山、戸立山を経て奥寒風山まで歩き、そこから引き返してきて、やっと果たされた。本山葵をすり下ろして、「辛みが出るまでもう少し待って」と言われつつ食べた蕎麦は、リベンジ戦という思い入れがあったにせよ、ほんとにおいしかったのだ。
 「あの蕎麦をもう一度」と思って決めたのが、4日後の黒伏山登山だったのである。蕎麦と登山をくっつけなくともよいようなものだが、蕎麦だけで県境を越えるのは何となく遠慮だったのである(もちろん、妻に)。「山登りの帰りに蕎麦屋さんがあったので寄ってきた」というのはごくごく自然で、感覚的にすんなりといくように思えた。
 もちろん、蕎麦だけが目的ではない。黒伏高原にせり出すように偉容をみせるこの山はそれだけで十分魅力的で、4日前には白髪山からもしみじみとその山容を眺めてきたのである。
 黒伏山のような絶壁がそそり立つ山の上には、異界に心引かれるのに似た魅力がある。宮城県の大東岳の麓、二口渓谷には磐司岩という絶壁があって、観光スポットになっている。若いころ、地元の人の案内で磐司岩の上に上がったことがある。磐司岩の東端近いところで木によじ登ってから岩に取りつくと、上には道があるのだった。「クマオトシ」とその人が言ったように記憶するが、太い木々と一抱えもあるいくつかの石でできたクマ捕獲用の罠の痕跡がいくつもあって、少し前まではこんな絶壁の上もまた山人の生活空間だったのだ、と感動したのだった。

 けっして蕎麦だけではない山の魅力に引かれての黒伏山山行は、2009年9月18日であった。



Map A  黒伏山周辺と2009年9月18日のコース。
地図のベースは、「プロアトラスSV4」、 歩行軌跡は、
「GARMIN GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータによる。



Map B Map A の拡大図。A~Sは写真撮影ポイント。



Photo B 村山野川にかかる橋。橋を渡って右へ。(2009/9/18 6:15)


 黒伏高原スキー場を右手に見ながら進むと、スキー場の東端の道向かいに、駐車場と登山口の案内看板(と入山届け箱)がある。車は村山野川のそばまで入れたが、駐車スペースが充分ではないので、スキー場向かいの駐車場に引き返して、そこから出発した。
J
 村山野川には鉄パイプ製の橋が架かっていた。工事中の仮橋だと思っていたが、工事前もやはり鉄パイプ製だったらしい。この橋を渡ってすぐ右の沢を越えて、「柴倉コース」に入る。稜線上の道は木の根と石が混じってしっかりしており、針葉樹の多い林の下をくぐってゆく。
 沢を渡ってから20数分で雑木だけの緩やかな尾根筋(Photo C)に出る。この道は適当に尾根からはずれ、左手にこれから周回する山々が見えたり、また尾根に戻ると、目のまえに当面の目標の福禄山が見えたり、右手が開けて柴倉山が見えたり、と変化がある。Photo D は右手が切れ落ちている尾根の部分である。Photo C の林のなかの道から、Photo D の細尾根への変化は数分でである。



Photo C 上りはじめの坂が終わると、緩やかな尾根筋の道が続く。
(2009/9/18 7:11)



Photo D 右が切れ落ちている道。(2009/9/18 7:15)


 Photo D の付近から右手には、白髪山から黒伏高原スキー場までの展望が開ける。道はまもなく柴倉山と福禄山のあいだの鞍部に向かってやや急な上りになる(Photo E)。比較的小さな山では、頂上手前ですこし傾斜がきつくなって、ひょいと頂上に出るということが多く、連れ(イオ)はそれが分かっていて、頂上近くでは私より必ず先行して急ぐのである。Photo E はまもなく頂上だと誤解したイオが張り切りはじめた瞬間である。
 実際は、それから20分ほどかかって鞍部尾根のやや下にある柴倉山と福禄山の分岐点に出るのである。



Photo E このやや急な道を上り、20分ほどで福禄山-柴倉山の分岐
に出る。(2009/9/18 7:45)


 柴倉山は、いずれ「南御所山縦走コース」を辿ってみたいと思っているので、左へ折れ、福禄山へ向かう。分岐標識板は小さいけれど、鮮明なブルーの地に赤い矢印で描かれたよく目立つ立派なものである。標識には「福禄山0.5m」と書いてあってちょっとクスッとした。
 福禄山の頂上はコースから少し入ったところである。コースからの眺望はあるが、頂上そのものは、灌木がちょうど目の高さくらいでそんなに眺望は良くない。ここで朝食とする。秋の朝の気持ちの良い陽ざしがあたる場所に座をつくって、一人と一匹は弁当を食べる。こういうときには登山者が来ないことを期待する。こういう食餌の場所に人が近づくと、イオは極端に怒るのである。仮設営のテリトリーを守ろうとするらしい。


Photo F 最初の頂上、福禄山。(2009/9/18 8:19)



上:マイヅルソウの実、中:ツバメオモトの実、
下:これはなに? ゴゼンタチバナと思って写真を撮ったが、
4枚葉に花は咲かないし、色も、咲く季節も違うし、その実
でもない。ヨツバムグラの仲間でもない。



Photo G 眺望の良い尾根道に出る。右、銭山、左、白森の頂きが見える。
(2009/9/18 9:00)


 福禄山から銭山に向かう。はじめは背丈以上の灌木の曲り道で、見通しが悪い。イオは見通しの良い道では、私の前を歩いて、私を先導するふりをする。見通しの悪い曲り道では、必ず私の後ろへ回ってしまう。
 私はイオを「熊よけ」と考えているのだが、イオは私を運転手で、弁当運びで、そして熊よけもするボディーガードだと考えているらしいのである。


 わが背後ひそとつけくるものあれば山の木の葉は色づきはじむ
                          永井陽子 [1]


 イオが不安そうに後を付いてくる見通しが悪い道も、その沿道は、木々の紅葉ばかりではなく、足もとのマイヅルソウの実の赤さ、ツバメオモトの実の青さに彩られていて飽きない。
 それもすぐに眺望の良い、どちらかといえば崖沿いの道と呼べるような、稜線となる。こういう道になると、イオは私の前にさっと出て、得意そうに私を引いていくのである(Photo G)。
 この道はアップダウンも少なく快適なコースだが、途中、崖の崩落が道の際まで進んでいるところがあり、雨の日や暗い時間帯にはだいぶ危険そうである。


[1] 「永井陽子全歌集」(青幻社 2005年) p. 140。


【続く】

読書や絵画鑑賞のブログ
かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)










Last updated  2020.03.01 12:10:48
コメント(2) | コメントを書く
2020.02.07
テーマ:山歩き(124)
カテゴリ:山歩き

【ホームページを閉じるにあたり、2011年11月18日に掲載したものを転載した】


​ 標高は1000m前後、行程はは5~6時間、というあたりが、今の私にはベストフィットの山歩きのように思う。​

  ​谷かげに苔むせりける仆れ木を息づき踰ゆる我老いにけり​
                              島木赤彦 [1]​


ということである。 
 三方倉山(971m)は、仙台の奥座敷と呼ばれる秋保温泉のさらに奥、二口地区にある。印象としていえば、大東岳(1366m)の南東の麓の山という感じである。実際には山形神室岳、(仙台)神室岳に連なる東端の山で、大東岳とは名取川本流、大行沢で隔てられている。登山口が大東岳登山口のすぐ近くにあるというだけである。
 若いときには大東岳に登るものの、三方倉山の名前も知らなかった。すぐそばの大行沢にイワナ釣りにも通いつめた。仕事が忙しくなって、休日に体力を消耗することを恐れて山登りを控えていた時代にも、大行沢沿いの大東岳登山道周辺の山菜採りや茸取りには通ったが、やはり三方倉山には目が向かなかった。連続して山に登ってみて、体力の程度をしっかり確認しないと大東岳には気楽に登れない年齢になって、やっと三方倉山が視界に入ってきたのである。

 2009年6月8日の山歩きである。晴天ではないが、雨は降らないという天気予報を信じて家を出た。
 二口街道を、大東岳登山口である本小屋を過ぎて少し行くと、道は名取川の支流、大行沢を渡り、二口キャンプ場前の駐車場に着く(5:51)。駐車場は名取川本流(といっても源流域で、沢である)の傍にあって、登山道はコンクリート橋を渡った対岸から始まる。
 名取川の左岸には車道が、右岸には遊歩道(「二口遊歩道」)が整備されている。三方倉山の周回コースは、この遊歩道の一部が組み込まれる。


Photo A 登山道に入ると、ギンリョウソウが次々に現れる。(2009/6/8 6:23)


 遊歩道からすぐに分かれ、標識にしたがって「三方倉山 ブナ平コース」に入る。倒木に群生するニガクリタケを踏み越えて進む。この茸は春にも秋にも発生するようだ。
 次第に太く高い林になってくる。ガスがかかり、暗い林の地面に真っ白なギンリョウソウが浮かびあがる。しかもあちこちに生えている。歩を進めると、次々にギンリョウソウが現れてくるのである。ギンリョウソウはめずらしい花ではない。5、6本が簇生することはあるが群生するのを見たことはない。ぽつぽつと、しかしこんなにたくさん生えているのは初めて見た。
 葉緑素を持たない植物とその花というのは、やはり少し異和がある。木の栄養を茸の菌が取り込み、その菌にギンリョウソウが寄生して木の栄養をもらう。木の栄養を、茸の菌を媒介にしてギンリョウソウが利用するという高度なシステム、葉緑素を必要としないシステムが成立しているのである。





Photo B 上:リードをはずして霧の林でイオの記念写真。下:撮影後、張り切って
登ろうと して、「リードなしではだめ」と呼び止められたところ。 (2009/6/8 6:30)


  ​万緑や霧の峠の山毛欅雫​   秋本不死男 [2]​


 道はガスのなかである。ガスが濃くなって体が濡れるようなことにならなければ、「霧に包まれた林」というのはそれなりの風情をかもし出す。霧の林の中で思慮深げに遠くを見る犬は、それなりに賢そうにさえ見えるのである(基本的にはわがままで、家では「アホイオ」となにかのかけ声のように呼ばれている犬なのだが)。

 登山道の脇には、サラサドウダンやヤマツツジが適当の頻度で出現する。よく案配された山だ、などという感想が湧き出たりする。ガスで視界が狭められているときには、道端の花々はほんとうに救いである。



Photo C サラサドウダン。



Photo D 上:ヤマツツジ、下:シロヤシオの落花。


 途中、手袋をしていないことに気づいた。最近の山歩きでは、真っ赤な園芸用手袋を愛用している。手にぴったりとフィットし、何をつかんでも滑らない。それにアイコ(ミヤマイラクサ)を摘んでも、手に棘が刺さらないのである。
 ザックから手袋を取り出してはめようとすると、手に黒いものが二つ付いている。ヤマヒル(ヤマビル、山蛭)である。慌てて1匹をすぐに引き剥がして投げ捨てたが、これが初めてのヤマヒル体験であることに気づいて、記念写真を撮ることにしたのが Photo E である。最初に捨てた1匹はとても細かったが、これはだいぶ血を吸ったらしくおなかが膨らんでいる。しばらくのあいだ、私の手にゆられて山道を登ってきたにちがいない。



Photo E 左手に食いついたヤマヒル。吸い口から体が半回転ひねられている。
(2009/6/8 7:37)


 ヤマヒルが分布を広げているという話を聞いたことはあったが、経験的には宮城県にはいないものとずっと思っていた。この初めての経験は、ちょっと驚き、ちょっと嬉しいような変な感じである。
 ヤマヒルは初めてだが、ヌマビルと言うのだろうか、子供のころ水中に住むヒルにはよく食いつかれた。夏、私と仲間たちは、水があれば飛び込み、「アゼサグリ(畦探り)」といって手づかみで魚を捕まえるのがふつうの遊びであった。そしてだれかの足や尻にヒルが食いつくこともふつうであった。誰も怖がったりはしない。年寄りは、病気によっては蛭に血を吸わせると直るのだ、ということを言ってもいた。
 ヒルは何でもないとはいうものの、引き剥がした後は血がなかなか止まらないのである。このヤマヒルも同じだった。だいぶ長い間、右手の指で左手の吸い口をぎゅっと押さえつけながら歩く破目となった。
寄生虫といえば、山にはヤマダニがいる。人間には寄生しないが、犬にはよく付くので、イオのための対策は慎重に行っている。ところが、人間には付かないヤマダニに、一度、取りつかれたことがある。近くの大行沢でイワナ釣りをした4日後に、血で肥え肥えと太ったダニが目の下に付いているのを発見したのだ。ずっと気がつかなかったのは、ちょうど眼鏡の下の縁に重なっていたためである。鏡を見る私も、私の顔を直接見ていたであろう家族も気がつかなかったのだ。
 人に付かないはずのダニが寄生したたった一度の経験である。犬なみだったのである。
ほんのわずかな出血なのだが、血が止まらないというのは気になるもので、抑え方を変えてみたりしながら歩いていくと、下山に利用する予定の「シロヤシオコース」の分岐標の前に出た。そこからもう2,3分で頂上である。
 頂上から西へ少し進むと、蔵王がよく見える場所があるということだが、まったくの曇り空なので、頂上で朝食をとってそのまま下ることにした。



Photo F 三方倉山頂上。 (2009/6/8 7:57)


 定年退職後は、毎日にように遊び回ろうと思っていた。そのためには、弁当を自分で作って出かけるのが、妻とのフリクションを軽減する方法だと考えて、ずっとそうしている。
 その手製の「私の」弁当を連れと分け合いながら食べる。もちろんイオの弁当も用意してきたのだが、ドッグフード製の弁当はどちらかと言えば遠慮したいらしいのである。
 20分ほどで朝食を終え、下りはじめた。「シロヤシロコース」に入ると、 登山道に白い花が点々と落ちている。文字どおり、シロヤシオの花だ(Photo D 下)。てっきり頭上にはシロヤシオが満開になっているのだと思って見上げると、何にもなくてがっかりする。花が少ない木の、その花が落ちてしまったのだろう。その後はシロヤシオを探しながら歩いたのだが、それっきりであった。
頂上から20分ほどのところに、すばらしいオブジェがあった(Photo G)。枯れ木と石が絶妙に組み合わされている。どうすれば、こういう形状が完成するのか、しばし、考えさせられた。人工的な感じがしないでもないが、この石と木の組み込み方を人手でおこなうのは無理だろう。



Photo G 枯れ木が石を抱え上げている。(2009/6/8 8:40)


 おそらく、こういうことではないか。
 石の多い地面に芽を出した(おそらく針葉樹の)木は、その根にいくつかの大石を抱え込んで生長した。そのような木はよく見かける。その木が立ち枯れとなる。幹は朽ちつつ、折れたのではないかと思う。さらに根の先端も朽ち、石を抱えた根元部分が残った。
しかし、これだけではこのオブジェは完成しない。根の支えを失っていたため、大雨か地震か分からないが、なんらかの形で斜面を転がったにちがいない。こうして、下に抱えていた石が、上方に抱え上げられているような形が完成したのだ、と思う。
 制作期間30~50年(もっとか?)のオブジェというわけである。



Photo H 緑の海に沈みこんでいくような下り道。 (2009/6/8 8:54)


 ガスと万緑が溶け合い、まるで湖かなにかの底へ潜って行くようにジグザグの道を下るのである。(Photo H)。下草の丈が高く、犬の視線を遮っているので、イオは緊張しつつ立ち止まり、じっと底の方の様子を窺っている。
 Photo H の場所からすぐ下で、生きた大木の幹にあいている穴で、蜂が出入りしているのを見つけた。日本蜜蜂(西洋蜜蜂との区別を私はできないが、状況的にたぶん)である。この大木の中心に洞があるのであろう。自然木で作った養蜂箱で日本蜜蜂を育てている養蜂家のことはなにかのテレビ番組で見たことはあるが、自然そのもののなかで自然木に蜜蜂が巣を営んでいるのを見るのは初めてである。
 出入りする蜂の数はそんなに多くはない。天候のせいかもしれない。草や花はまだ湿っぽくて蜜の採取に適していないのではないかと、想像したりしながらしばらく眺めていた。



Photo I 自然木の洞の蜜蜂の巣の出入り口。(2009/6/8 8:56)


 こんなふうに蜂の巣をじっと見ている自分、ということに気づいたとき、8才か9才のとき、雑木林の縁の地面に作られた巣に出入りするスズメバチを小1時間ほど眺めていて、遊び仲間にからかわれたことを思い出した。ここでは、イオが鼻を鳴らして促すので、その場を離れたのである。
 蜜蜂の巣から15分ほどで杉の植林地に出る。。そこから二口遊歩道まではあっという間である。道端のトリアシショウマの花や、地味なフタリシズカの花を眺めながら、手すりなどの整備された谷沿いの遊歩道を歩いて、山歩きは終わりである。



Photo J 〔左〕トリアシショウマ、〔右〕フタリシズカ。


 駐車場を5時50分に出て、9時40分に帰り着いた。

 この山の印象は、「ギンリョウソウ」と「ヤマヒル」と「ニホンミツバチ」につきる。初めての大量のギンリョウソウ、初めてのヤマヒルの実体験、初めてのニホンミツバチの営巣。こんな年になっても、まだまだ「初めてのこと」がたくさんあるということなのである。

 

[1] 島木赤彦「赤彦歌集」斎藤茂吉・久保田不二子撰(岩波文庫 2003年、ebookjapan電子書籍版) p. 233。
[2] 「季語別 秋本不死男全句集」鷹羽狩行編(角川書店 平成13年) p. 102




読書や絵画鑑賞のブログ
かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)






Last updated  2020.02.07 16:07:00
コメント(2) | コメントを書く
2020.01.30
テーマ:山歩き(124)
カテゴリ:山歩き
【ホームページを閉じるにあたり、2011年10月8日に掲載したものを転載した】


 ​笹倉の秀嶺たまゆら明らみて時雨来たれば空に虹見ゆ​
                           原阿佐緒 [1]



笹倉山(大森山) 七ツ森湖(南川ダム)から七ツ森大橋越しの眺望。
Mapのコースは、右(北)麓から登り、東(左手前)麓に下り、
手前の車道を戻った時のもの。


 仙台に住んでいると、北の方に低いけれども印象的な山々にすぐ気づく。ビルや丘の上からよく見える。国道4号線を北上し、仙台市を抜けた頃に左手にはっきりと見えてくる。「七つ森」と呼ばれる低い山群である。
 笹倉山は、この七ツ森のうちのひとつとされているが、もともとは含まれていなかった。七ツ森は、七ツ森湖(南川ダム)の東側に連なっている300m前後の山群である。そのうちの一つ、一番低い「だがら森」をはずして、七ツ森から少し離れて(七ツ森湖と宮床ダムの中間)にある507mの独立した笹倉山を加えて、現在の七ツ森となっているということだ。
 古い「七ツ森」は、鎌倉山、遂倉山、蜂倉山、大倉山、撫倉山、松倉山、そして「だがら森」で、たった一つだけ「山」の名辞をさずけられていない。山名が確定したのが、「七ツ森」構成の新旧交代の前か後なのかはわからない。
 七ツ森は人里に近い山のならいで信仰の山でもある。七山それぞれに薬師如来が祀られていて、一日で七山すべてを登頂し、すべての薬師如来に参ると願うがかなうという信仰があった(今もある)ということだが、ある頃から、笹倉山一山でそれを代表できるということになったらしい。そのあたりが、「七ツ森」構成変化の理由ではないかと推測したりする。チベット仏教のマニ車のように、簡便だけれども深い信仰心が表明できればそれにこしたことはないということのようだ。

 仙台に長いこと住んでいるが、七ツ森に足を運んだのはごく最近のことである。山歩きが好きだといっても、冬山、沢登り(イワナ釣りで少し似たことはやったが)、ロッククライミングのようなことは一切やらず、いわゆる夏山トレッキングしかやらない私の活動は春からということになる。
​ 低い山で体を慣らしながらシーズンを始める。若いときは、一番近い1000mクラスの泉ヶ岳が最初の山と決めていたが、最近は300~500mくらいの里山 [2] から始めるようになった。冬を越した老体に自信がなくて心配なのである。その代わり、2月や3月で雪があっても歩けるので、長い体力回復期間がとれるというというメリットもある。​

 笹倉山に初めて登ったのは、2008年4月5日であった。若いころ、この辺は4,5回ほど来たことがある。七ツ森ダム(南川ダム)がまだ工事中のころ、ダムの上流側に2度ほどヤマメ釣りで入ったことがあるし、宮床地区の山林を日本春蘭の変異種を探して何度か歩きまわった(成果はなかったが)。
  しかし、すっかり土地勘は失われていた。国道457号から七ツ森湖に向かう道に入ってすぐ道を間違えてしまった。



Map A  笹倉山周辺と2010年4月9日のコース。地図のベースは、
「プロアトラスSV4」、 歩行軌跡は、 「GARMIN GPSMAP60CSx」
によるGPSトラックデータによる。

​​​
 道を間違えてうろうろしているときに、原阿佐緒の生地の看板を見つけた。そうだったのだ。情熱の歌人、原阿佐緒は宮床の生まれなのであった。冒頭の歌のほかに、もう一首、笹倉山を歌ったものがある。

 ​笹倉の高嶺の霧の明りつつ晴れゆくなべに淋しあさあけ​
                         原阿佐緒 [3]

 原阿佐緒はアララギ派の歌人だが、同じアララギ派の石原純との恋愛スキャンダルの方が、彼らの短歌よりよく知られているようだ。石原純は理論物理学者で東北帝国大学理学部物理学科の教授であったが、この不倫スキャンダルで1921年に大学を辞した。
 それから80年ののちに、同じ大学、同じ学部、同じ学科で、同じ職に就いた私から見れば、石原純は恐懼すべき大先達ではある。だからといって、実際のところ、特別な感情や思い入れがあるわけではない(理論物理学者として尊敬はしている)。情熱的な恋愛スキャンダルというのは、私の人生のカテゴリーには含まれないものである。
 私と同年代の歌人は、

 ​美しく生まれしゆえのおみなごの不幸語れば雪蛍舞う​
                        道浦母都子 [4]

と、原阿佐緒を偲んでいる。彼女もまた、美しく、激しく生きてきた歌人である、と思う。

 さて、笹倉山である。初めてのときは、御門杉登山口(Map B のJ ポイント)から難波御門口に下る予定であった。ところが、頂上の薬師如来堂の裏手に回り、下り道を探したのだが、簡単には見つからない。そこにはカタクリが一面に咲いていて、うろうろ道を探すとカタクリを踏んでしまいそうになる。
 カタクリの花を踏みつぶしてまで、下り道を探すのはどうしても躊躇してしまい、結局、もと来た道を引き返したのであった。​​



Map B Map A の拡大図。Aの「難波御門登り口」から登り、
Jの「御門杉登山口」へおりた時のコース。A~Jは写真撮影ポイント。


 カタクリの群落に道を阻まれたのである。カタクリはけっしてめずらしい花というわけではないが、初春の山で見るのはいつでも楽しいし、美しい。好きな花のひとつである。インターネットで球根を購入し、我が家の庭でも毎年、春先に数輪は咲く。原阿佐緒にもカタクリの歌があった。

​​
 ​汗ばみてわがのぼりゆく墓地下の土手に咲きつづくかたくりの花​ [5]

 ​児の手とりかたくりの花今日も摘むみちのくの山は春日かなしき​ [6] 

 この「児」は、テレビドラマ「7人の刑事」などに出演していた俳優、原保美であろう。渋くて良い俳優さんであった。
 また道を外れてしまった。

 反対の難波御門口から登れば、道に迷うことはないと考えて、2回目の笹倉山は2010年4月9日であった。2時間くらいの行程なので、ゆっくりと家を出た。家で朝食を食べてから山に出かけるというのは、たぶん初めてではないか、記憶にない。近郊の山であれば、明るくなるころに登り始め、朝食を食べて降りてくるというのがほとんどいつものケースである。最初の笹倉山は、朝食前に歩き終わってしまい、家に帰って朝食弁当を食べたのである。

 「難波御門登口」からしばらくは杉林である。道に迷わないようにと、こちらからチャレンジしたのに杉林に入ってすぐ迷ってしまった。冬のあいだの杉林の手入れのためか、作業用の道が何本か造られていた。登山道と較べれば、小型ブルで均した作業道は立派(?)なのである。しかも切り払った杉の枝が敷き詰められていて小さな登山道は簡単に見落としてしまうのであった。2回ほど行きつ戻りつして、20分ほどで杉林を抜けた。​



Photo A 登山口、しばらくは杉林である。(2010/4/9 8:40)


 杉林を出れば快適な雑木林である。まだ葉が出ていないので、見通しが良くて気分がよい。早春や晩秋の山歩きで、見通しの良くなった林を歩いているとき、必ず思い出すことがある。
 ずっと若かったころ、季節季節には山菜や茸取りを生業としている人に、山を案内してもらって茸取りをしたことがある。その人が、「山を覚えるには、冬が一番だ。」と教えてくれた。葉が落ち、見通しがよいときに山の地形を、その細部をたたき込んでおけ、ということだ。
 その後の私は、山菜も茸も採るものの、山道の脇で少し採れれば十分なので、真剣に山を覚えようという気にはならなかった。冬は冬でやりたいことがあり、雪山を歩かないのである。それでいて、明るい林の中では、ずいぶん前に亡くなったあの山人を思い出し、申し訳ないような切ない気分になる。



Photo B 杉林を抜けると、明るい雑木林。まだ花は少ない。
(2010/4/9 9:07)


 林の中は、まだ下草もほとんど生えておらず、すっきりとしている。Photo B のポイントを少し行くと、小さな尾根になって、笹倉山の頂上部が眺められる。写真も撮ったが、杉の混じる雑木林越しで、良い写真にはならなかった。新緑が萌え出すと、頂上は見えなくなるだろう。
 10分ほどのクマザサの道を抜けると、小さな花が見えた。オウレンである。下草がない早春の林に中では、こんな小さい花でもよく目立っている。造りが繊細で可憐な花であるが、もう少し季節が進み花々が多くなれば、私なんかの注意力ではきっと見過ごすような気がする。



Photo B' オウレン(黄連)。(2010/4/9)


 頂上近くになり、カタクリが一面に咲いているのではないかと期待したが、葉ばかりで花はほとんどなかった。前の時は、歩くのが憚れるくらい咲いていたのに。
 頂上の薬師如来のお堂に着いた(Photo C)。このお堂の後ろから登ってきたのである。お堂の後ろは開けた感じの林で、まえの時にはカタクリの花がたくさん咲いていたところである。
 記念写真を撮ろうと、連れ(犬のイオ)のリードをはずしたが、何か気になるのがあるらしく、こちらを向いてくれない(いつもはカメラを向ければポーズをとるのだが)。



Photo C 頂上の薬師如来堂。(2010/4/9 9:36)


 頂上には「大森薬師瑠璃光如来」と大書された紫地の旗が立っていた。笹倉山は大森山とも呼ばれる。たぶん、旧名称であろう。もしかしたら、七ツ森に加えられたときに、名称の整合性(7山すべてに倉をつける)のために変えられたのではなかろうか(根拠のない推測だけれど)。
 周囲には、輪郭が崩れた石仏が数体あり、それぞれにお供えがされている。風化している石仏には、長い長い時間の人々の信仰心が積み重ねられてきているようなふしぎな雰囲気がある。欠けてしまった部分のその欠如こそ、信仰の証であるかのように。仙台産の昔の石は風化しやすいのだと、墓石屋さんに聞いたことがある。神社の狛犬にも同じように風化してしまったものを見かけることがあるが、風化仏のような敬虔な感覚は生じない。



Photo D 頂上から四阿に下る道。四阿の先は「国見ヶ崎」見晴台である。
(2010/4/9 9:40)



Photo E 少し下ってから四阿をふり返る。(2010/4/9 9:40)



【左】Photo C' カタクリ。【右】Photo F' イワウチワ。


 頂上をすぎて少し下ると、四阿(あずまや)が見えてくる。とても短いけれど、快適な尾根道である。平成5年に立てられたことを示す立派な扁額が、四阿につり下げられている。
 四阿の先は、「国見ヶ崎」という展望の良い突端になっている。東南に開けた展望は、大和町、富谷町から仙台市へと広がっているのだが、前回も今回も晴天の春霞で遠くは霞んでしまっている。眼下の宮床ダムはよく見える。  
 雑木林を下っていくと、「亀の子岩」と呼ばれる大石がある。半分朽ちかけた説明板があり、「祈願の甲斐あって戊辰戦争から無事に生還した人が……」ここで何かをしたらしいのだが、それが何かは朽ちた部分に書いてあったようだ。まさかいくら何でも、この大きな岩を担ぎ上げて薬師如来に奉納したということはあるまいと思うが、信仰心の薄い私には、こういう領野での想像がうまく働かないのである。

 道は、葛籠(九十九)折りの急坂(姥坂)にさしかかる手前で分岐し、北の小高い峰(眺子ノ石展望台)に続いている。その坂道にはイワウチワが一面に咲いていて、少し心が浮き立つような道である。
 低山のイワウチワ、高山のイワカガミはどちらも目を引く花である。中間にはオオイワカガミが生えていることがある。オオイワカガミは「秋田から新潟の日本海側の山地に生えている」とされているが、宮城の山にも生えている。
 若いころ、日本春蘭の変異種を探して里山を歩きまわっていたとき、小山の尾根伝い前面にイワウチワが群生しているのを見て感動したことがある。ここよりずっと仙台に近い里山である。しかも、その小山を下り、谷あいに出たところで、斜面いっぱいに咲いているヤマブキソウ(山吹草)を見つけて驚いた。イワウチワと山吹草の大群落が小山の尾根と裾にあったのである。
 10年ほど後に感動の再現とばかりに見に出かけたのだが、住宅地に開発されてしまって、小山の位置さえ確認できないのであった。そういえば、イワウチワもヤマブキソウも、自治体によっては絶滅危惧種、危急種に指定されているのである。



Photo F 北の峰(眺子ノ石展望台)に続く道にはイワウチワの群生。
(2010/4/9 8:40)


Photo G 北に突き出た峰(眺子ノ石展望台)からの眺望。
七ツ森の山々と七ツ森湖(南川ダム)が一望できる。
(2010/4/9 10:16)


 北に突き出た眺子ノ石展望台はごつごつとした岩山で、松が生えている。岩山に松、というのは水墨画に典型的な景色で、盆栽好きなどには耐えられない風景ではある。
 その峰から七ツ森湖(南川ダム)とその東に展開する七ツ森を一望で眺められる(Photo G)。春霞で煙って見えるが、七ツ森の配置がよくわかる。
 七ツ森もつい最近登ったのだが、じつは、写真まん中手前の蜂倉山だけはまだ登っていないのである。3山程度を組み合わせて一日の歩きとしたいのだが、蜂倉山はコースの都合上、はじかれてしまうのである。(これは余分なことだが、七ツ森には私の好きな山菜はそんなに多くないようだ。)

 眺子ノ石展望台から引き返し、九十九(つづら)折りの姥坂の急坂を下るのであるが、坂の上に「姥坂の石」という大石がある。道の脇に誰かがポンとおいたような風情の石である。
 姥坂は急坂であるが、手すりがあって歩きやすい。



Photo H 九十九(つづら)折りの姥坂をふり返る。しかし、連れ(イオ)は
坂道をふり返っているわけではない。ポーズをとった姿勢からなにかの音が
した斜面を見上げたところ。(2010/4/9 10:23)


 姥坂を下ると、すぐに麓に広がる杉林に入る。緩やかで、静かで申し分のない坂道だが、やはり山歩きでは杉林は少し気が滅入る。むかし、斜度は小さいものの、眺望も変化もないブナの原生林を4~5時間歩きつづけたときとは別の種類の気落ちがある。
 山菜の時期の杉林には、アイコ(ミヤマイラクサ)、シドケ(モミジガサ)やウルイ(オオバギボウシ)が生えていたりするし、秋にはスギエダタケやスギヒラタケが確実に採取できる場所であって、それなりに楽しい。雑木林の茸狩りが不調の時には、わざわざ杉林を探して帳尻合わせをするほどのものではある。
 しかし、単純に歩くことだけという楽しみでは、シチュエーション設定に幾分わがままが出てきてしまうのである。



Photo I 麓の杉林。手入れもされ、道も申し分ないのだが。
(2010/4/9 10:32)


 杉林のなかに「日本刀「葉山丸」作刀の地 七ツ森観光協会」という白木、墨書きの表示が立っている。ということは、このあたりにはかつて人家があったということか。少なくとも刀工一族の家はあったのではないか。
 いや、問題はそういうことではない。日本刀「葉山丸」がまったくわからないのである。日本刀の知識が全然ない。「葉山丸」がどれほどの名刀なのか、あるいはまた歴史的遺物なのかも皆目見当がつかないので、「ほぉー、すごい」と反応したものか、「どうってことはない」と無視するのか、悩むのである。街中なら、ふつうに無視するのだが。ネットで検索しても、「ネットで検索してもよくわからない……」というブログが見つかるばかりなのだった。



Photo J 終点、御門杉登山口。これから車道を歩いて難波御門口まで戻る。
(2010/4/9 10:38)


 8時40分に難波御門登り口を出発して、10時38分に御門杉登山口に到着。犬との朝の散歩時間のちょうど2倍、快適な散歩というところか。十分な年なので、このような山歩きで満足できたら、平穏で健康的な人生になるとは思うのだが。

 さて、これから車道を難波御門口まで戻るのである。アスファルトの硬い反作用を気にしながら、それでも途中でバッケ(フキノトウ、蕗の薹)を五つほど摘んだ。
 幼いころ母が作ってくれた「バッケ味噌」は、じつはあんまり好きではない。天ぷらはそれなりにおいしいが、朝の味噌汁に細かく刻んだバッケをほんの少し放したのがじつに良い。もうひとつ、「バッケの漬物」は抜群である。ただし、自分では作れない。ときどき、京都から取り寄せている。
 何たることか。山歩きは漬物の話で終わるのである。



[1] 「原阿佐緒全歌集」(至芸出版社 昭和53年) p. 106。
[2] 宮城県の里山は、「​みやぎ里山文庫​」というたいへん有用なHPがあり、利用させていただいている。また、宮城の山全般は、「マルゴ」さんという方が作っているHP「​あの山に登ろう​」が山の様子がよく分かってとても参考になる。
[3] 「原阿佐緒全歌集」(至芸出版社 昭和53年) p. 54。
[4] 道浦母都子歌集「花眼の記」(本阿弥書店 2004年) p. 155。
[5] 「原阿佐緒全歌集」(至芸出版社 昭和53年) p. 201。
[6] 「原阿佐緒全歌集」(至芸出版社 昭和53年) p. 59。




読書や絵画鑑賞のブログ
かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)










Last updated  2020.02.04 09:03:55
コメント(6) | コメントを書く
2019.11.03
テーマ:山歩き(124)
カテゴリ:山歩き
【ホームページを閉じるにあたり、2011年10月17日に掲載したものを転載した】

​【続き】


 頂上標を過ぎると、やや複雑な地形に残雪が広がっていて、道を間違えた。道は真っ直ぐに薮道へと続いていたのだが、笹が雪で倒されていたうえに左手に下っていく細い残雪の下に道があると思って下ってしまった。頂上を過ぎたので少し下っても不思議はないと思い込んでいたのである。下りながら右上の斜面を見ると道がはっきりと見えて、15mほどで引き返すことができた。



Photo G 残雪の向こうの道に頂上標が見える。 (2010/5/31 9:49)


 道は尾根のやや南側を走る。頂上標から10分ほどのところでPhoto H のようなダケカンバを見た。根本から分枝するダケカンバもないわけではないが、これだけきっちりと根元で分かれて、空を受け止めるように広がっている木は珍しいと思う。
 船形連山の北泉が岳から泉ヶ岳西麓の水神に下って来る道にダケカンバの林があるが、ほとんどは直立する太い一本の幹を持っている。尾根とはいえ、形からは風の影響とは考えにくい。積雪のせいでもあろうか。



Photo H 頂上標を過ぎた尾根道で見たダケカンバ。(2010/5/31 10:01)

​​
空の奥から
こぼれ墜ちてくる小鳥を
そのつど灌木は
たなごごろに享けとめるが
鳥や樹木にそうやって
形を与えてやまないのは
背後の空間の優しさだ
鳥や樹木に形をわけ与えた
そのぶんだけ
空は欠落し
誰も知らないところで
血を流しながら
空は途方にくれるのだ
       鈴木漠「拾遺」部分 [2]​​



Photo I 頂上標を過ぎてから見る地図上の須金岳の眺望。(2010/5/31 10:02)


​ 道はすぐ下が急斜面のところをトラバースして尾根筋に戻るのだが、その手前から、尾根筋にそって残雪が続いているのが見える(Photo I)。ここから見るかぎり、残雪の端には灌木が茂り、危険な雪庇はないように思える。​


​見つゝ来しごとく残雪峰に寄る​   山口誓子 [3]​


 麓でも確かに残雪があるのを見てはいたが、尾根にこんなに残っているとは。しかし、どうして、この句のように、残雪は「峰に寄る」のだろう。たんに標高差という理由ではないだろう。風が吹き通る尾根ではとくに積雪量が多くなるとも思えない。
 尾根から下る斜面の斜度が問題なのかもしれない。良く見ると写真の中央付近の斜面に下に伸びる何本もの筋が見える。雪崩が雪を落としたために、斜面の雪が早く消え、相対的に遅くまで尾根に雪が残ったということかもしれない。
  
 道が尾根に直角にぶつかろところには、3mほどの雪の壁であった。オーバーハングはしていないので、危険はないとおもうのだが、足がかりがない。道はこの残雪を右に折れていくはずなのだが、その方向には這い上れそうな斜面はない。
 遠回りだが左手に回ってみると少し傾斜の緩やかな斜面があったので、そこを上がることにする。連れと私をつなぐリードをつけたままでは無理なので、連れのリードをはずすと、そのまま雪面を駆けあがり、早く来いと急かすのである。私は、山靴で削って足場を堅めながらなので、早くはあがれない。連れは上から覗きこんで、じっと待っていてくれた。



Photo J 荒雄岳(次に登る予定)。 (2010/5/31 10:02)



Photo K 残雪の上にもなにかの痕跡があるようだ。(2010/5/31 10:09)


 残雪の稜線は、灌木にも邪魔されず、きわめて展望がよい。上ってきた道の方向をふり返れば、向こうに禿岳が見える。あの山は、三回目のチャレンジでやっと登れたのである。一回目は、大雨になってしまい、連れの散歩代わりにと、30分登って引き返し、毎朝の1時間相当の散歩とした。二回目は台風の後で、花立峠登り口への道が閉鎖されていたのである。
 南には、やや低い荒雄岳が意外に複雑な山容を見せているし、北には虎毛山がゆったりとしたふくよかな印象の姿を見せている。いずれも5月の清新な青空と白雲を背景として、映えている。

 私が山に登るときはいつもこんなふうに良い天気である。当たり前である。こんな良い天気にしか登らないのだ。雨具はもちろん持ち歩いているが、ここ7、8年で使用したのは、先の禿山と、天気予報になかった急な低温におそわれた蔵王連峰、熊野岳山頂で防寒着代わりに着た、その2回だけである。



Photo L 北方には虎毛山(1433m)。 (2010/5/31 10:10)

​​
​嶺々の雲ばなれよき五月かな​     鷹羽狩行 [4]​​


​ これは麓で読んだ句だろうが、鮮明なきっかりとしたイメージがとても良い。でも、次のような句が、私は好きだ。子規、虚子から続く俳句の王道たる写生句から少しはずれた句が好きなのである。​


​峰雲や生きてひとりの強さ弱さ​     秋本不死男 [5]​


 残雪の上を、地図上の須金岳の峰の方向に歩き始めたが、実はあんまり期待したほど楽しくない。安全を期して残雪のまん中を歩く。ごく緩やかな傾斜で、単調に続く。もういいか、と思ったのである。臆病なので、事故が起きないうちに、とも思ったのだ。
 引き返すことにした。



Photo M 残雪の上から望む禿岳。右手前に来た道が見える。(2010/5/31 10:28)


 あまり急斜面のない山の下りは快適である。老骨の膝へのダメージの心配もあまりない。気休めかもしれないが、急な下りの山では、膝保護のサポーターを両膝に着用することもあるし、トレッキングポールを使うこともある。持参してはいるが、この山ではどちらもその必要を感じなかった。
 頂上標の手前の道脇には、イワカガミが群生している。もちろん花はまだだが、葉が照り輝いていて、植木の下草に使えたらすてきだろうなと思うが、まったく無理な話である。
 林の中に入ると、マイヅルソウの道である(Photo N)。これも花はまだである。マイヅルソウは丈夫な山草としての園芸的な人気もある。山草趣味は30年も以前に止めてしまったが、わたしもかつて大きな平鉢に満杯に咲かせたことがある。それくらい、丈夫でよく増えるのである。



Photo N マイズルソウの道。(2010/5/31 11:06)



上:ムラサキヤシオ、下:ヤブデマリ


 行程の中で一番目を引いたのはムラサキヤシオの花である。この花が好きで、2mほどに成長したものを買って庭に植えたことがある。6年ほど花を見せてくれたが、突然枯れてしまった。草も木もいったん枯らしてしまうと、二度目はなかなか手が出ない。また殺すのか、という感じが離れないのである。
 
 登っていくときには気づかなかったのだが、登山口近くで不思議なものを見た。太い立ち枯れの木の、朽ちた中心部に一本の木が生えているのである(Photo O1)。朽ちた木の上に実生で生える木があっても不思議はないが、少なくとも10年以上成長したような太さなのである。その間、朽ちた木が立ち枯れのままでいるというのは想像しにくいのである。



Photo O1 枯れ木の空洞のなかの一本の樹?(2010/5/31 12:22)



Photo O2 細い命脈が上の太枝の命を支える。(2010/5/31 12:22)

​​
そのとき
一本の樹が、
さらに大きい自分のなかに沈みこみ、
そのたっぷりした容量だけで
やさしく自負している。
      菅原克己 「野」 部分 [6]​​


​ 生き抜く命のすごさ、生命体のこの極端な可塑性に、少しのあいだ呆然としていた。ハルゼミの鳴き声に促されるようにして正気に戻ったような気がする。その寸時の間、ハルゼミは鳴きやんでいたわけではない、ずっとうるさく鳴き続けていたはずなのに。​


​けふはけふの山川をゆく虫しぐれ​       飴山實 [7]​


 そのハルゼミを見つけた。この蝉を間近に見るのは初めてである。弱っていて、クマザサの葉に止まっている。持って帰って子どもに見せてやろう、と一瞬思い、それからゆっくりと、二人の子供はとうの昔に大きくなって家を出ていることを思い出すのであった。
 いや、それでも我が家にはハルゼミの声を聞いたことのない人間がいる。106才の義母(妻の母)である。たぶん、義母にはハルゼミとヒグラシの区別はつかないだろうから、持って帰って見せてもどうにもならないだろう。ただ、この強烈なハルゼミならではの大合唱だけはめずらしいと思う。デジカメには録音機能のオプションがあること思い出し、何度か録音して見た。義母に聞かせてみようと思ったのだ。
 家に帰り、録音したはずのハルゼミの大合唱を再生してみた。まったくだめなのである。大合唱どころか、たしかになにかの音がするという程度なのである。「何でもできる装置は、どれもろくにできない装置である」ということは、実験物理屋の常識であるのに、こんな失敗をいつもするのである。



ハルゼミ


 ​旧仙秋ラインのゲートを6時13分に抜けて入り、抜け出たのは12時50分の山歩きであった。​


[2] 「現代詩文庫162 鈴木漠」(思潮社 2001年) p. 66。
[3] 「季題別 山口誓子全句集」(本阿弥書店 1998年) p. 22。
[4] 鷹羽狩行「句集 十二紅」(富士見書房 平成10年) p. 26。
[5] 「季語別 秋本不死男全句集」鷹羽狩行編(角川書店 平成13年) p. 78。
[6] 「菅原克己全詩集」(西田書店 2003年) p. 64。
[7] 「飴山實全句集」(花神社 平成15年) p. 164。


​​

読書や絵画鑑賞のブログ
かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)






Last updated  2019.11.03 10:40:56
コメント(2) | コメントを書く
カテゴリ:山歩き
【ホームページを閉じるにあたり、2011年10月17日に掲載したものを転載した】




須金岳全景 108号線を鬼首温泉郷を抜けた付近から。(2010/5/31 5:52)


 宮城県の北部の小さな農村で生まれた私にとって、幼いころの山といえば栗駒山であった。小学校の校歌にも、「あおげ自由の栗駒を」という一節があった。(「自由の栗駒」というのは、小さいころは何となくそうかと思っていたものの、どんなことをイメージすればよいのか、いまだに解らないのである。中学校でも高校でも、校歌は一見簡単そうで、じつはその実質を理解するのは難しいもののようだ。)
 高校時代の登山で、雫石(岩手県)から秋田駒ヶ岳を越えて、帰りは小安温泉(秋田県)から栗駒山に登り、駒の湯温泉に下りたことがある。台風の日で強引な登山であった。お金が底をついて宿泊できなくなって、友人と二人でそんな無茶をしたのである。
 登山のことなど考えられなかった大学、大学院時代が過ぎ、また山歩きを始め、子供をはじめて連れていった山も栗駒山だった。その時は、私の母と妻の母は駒の湯温泉での湯治をしながら、まだ小さすぎた娘のお守りをしていてくれた。
 駒の湯温泉は宮城県のもっとも主要な栗駒山登山基地であったが、その私の記憶する宿は、2008年6月14日の岩手・宮城内陸地震で壊滅してしまった。

 仙台に住んで山歩きをしようとすると、船形山を中心とする連山、大東岳とその周辺、蔵王連山に目が行ってしまい、船形山と栗駒山の間の地域にある山々はすっぽりと意識から抜け落ちてしまっていた。
 日帰りができて体に無理のない山行を、というのが最近のスタイルで、それに適した山を探していて、翁峠や禿岳、荒雄岳などとともに須金岳もやっと候補となった。翁峠、禿岳と北上して、やっと須金岳というわけである。雪の多い冬だったので、半月ほど延ばしての2010年5月31日の山歩きである。


Map A 須金岳周辺と2010年5月31日のコース。地図のベースは、「プロアトラスSV4」、

歩行軌跡は、 「GARMIN GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータによる。



Map B 須金岳。A~Oは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV4」、
歩行軌跡は、 「GARMIN GPSMAP60CSx」
によるGPSトラックデータによる。


​ 旧仙秋ラインのゲートが開いていることを期待していたが、だめだった。仙北沢林道を歩くことになったが、林道でのゆったりした歩き始めは良いことなのだ、と言い聞かせながらの歩き出しである。ついつい急いでしまわないように、花を探しながら歩くのである。歩行軌跡が林道から外れているのは、花を見に沢へ下ってみたためである。​



左:ラショウモンカズラ、右:カタクリ



Photo A 仙北沢林道、仙北橋から仙北沢上流を見010/5/31 6:34)


 旧仙秋ラインのゲートから20分ほどで仙北沢にかかる仙北橋に出る。若いころの一時期、イワナ釣りに夢中になったことがあったが、荒雄川流域に入川したことはない。
 この沢かどうかはわからないが、荒雄川のいくつかの支流の奥には、純系のイワナが生存していることが最近明らかになった。種苗に気を配ることのなかったかつて(現在もか?)の放流事業で、多くの河川のイワナ、ヤマメは混血となってしまった。山奥に孤立するイワナは、地域変異が大きく、その保存は重要である。
 施設や資金にやや困難がつきまとうものの、いまこの原種系のイワナを増やそうとする一部の人たちの努力が進行しつつある。期待している。

 橋を越えるとすぐ右手に、棒杭に記された「須金岳登山道入口」の道標が見つかる。細い登山道に上がると、林道から離れることができて、少し気分が上がる。
 登山道は杉林から始まるが、数分で明るい雑木の林となってすぐに分岐道が出てくる。案内標識があって、道はほぼ直角に折れ、斜面に取りつく。といっても、すぐにPhoto B のようなおだやかな道になる。
 道はちょっとした尾根道のようになり、大木が次々に現れる。三合目の標識は、ちょっとした峰になったところである(Photo C)。



Photo B 緩やかで快適な林間の上り道。(2010/5/31 6:59)



Photo C 3合目のちょっとした峰。(2010/5/31 7:15)


 針葉樹の大木もある。たぶん、サワラ(椹)ではないかと思うが、じつはよく分からない。私には、ヒノキ、アスナロ、サワラの区別がつかないのである。他にもヒムロというのがあるらしい。枝がまばらなこと、葉がおおぶりで粗い感じがすることからサワラではないかと思ったのであるが、当てずっぽうである。
 花が美しいとか、実が食べられるとか、そんなことがないとなかなか覚えられないのである。クヌギとコナラの違いも判然としない。何回も調べてみるものの、すぐに忘れて、現物を前にして何の役にも立たないのである。「どんぐり」がおいしく食べられたら、問題はなかったのである。私は、モミとカヤの区別が直感的にできる。子供のころ、カヤの実を拾い、煎っておやつとして食べていたからである。

 木々の切れ目から、これから行く峰が見える(Photo D)。尾根筋に白く残雪が光っていて、少し心配になる。数年前の春先、たしか寒風山から白髪山の尾根筋の登山道でだったと思うが、尾根の雪庇が崩れて、比較的年配の人が遭難死したニュースを聞いていた。
 私は冬山には登らない。残雪の時期には、アイゼンなどの装備があればよいと思うときがあるが、購入はしない。へたに装備を持ってしまうと、雪山に出かけてしまうのではないかと心配してしまう。基本的に臆病なので、危険には近づきたくないのである。それに、山ばっかりの生活というわけにもいかない。冬は冬でやりたいことがある、ということもあるのだ。
 かつて釣り全般に夢中になって、一年中釣り三昧になって、支障が出たことがある。そのときは、海釣りの道具一切を処分し、アユとヤマメだけに限定することで切り抜けた。夢中になると、崖から飛び出すように走ってしまう自分がおそろしいのである。「なにごとも適当に、いいかげんに」というのが今の目標である。

​​
平らな野原に立っていてはならぬ!
あまりに高く登りすぎてもならぬ!
世界がもっともすばらしく見えるのは
中庸を得た高みからである。
         フリードリッヒ・ニーチェ「処世術」 [1]​​


Photo D 3合目を過ぎた尾根筋からみる山頂。(2010/5/31 7:20)



上:タムシバ、下:アオダモ



左:オオバキスミレ、右:シラネアオイ



キクザキイチゲ(上:紫花、下:白花)


 いつかサワラの大木の道から雑木林の道になり、タムシバの花が咲いていた。コブシは仙台市内でもよく見かけるが、タムシバをそれとして認識したのも最近である。
 加美町小野田の鍋越峠から商人沼、吹越山(939m)を経由して翁峠(1075m)まで歩いたときの山中で、しみじみとタムシバを眺めたのである。その頃にやっと、コブシとタムシバの区別がつくようになった、ということである。

 水沢森の頂上付近まで来ると、結構な量の雪が残っているが、危険というほどのことはない(Photo E)。

 雪のない陽当たりを探して、朝食をとる。 連れ(イオ)の朝食を先に準備して、次に私の分を開く。どちらも弁当である。もちろん、連れのは、2種類のドッグフードでできたものである。少しだけ食べて、私の弁当が開くのを待っている。肉が入っているのを期待しているのだ。家では食べない果物も、山で私からもらうといくらか食べるのである。犬だって、山での食事は、それなりに別格なのであろう。



Photo E 水沢森頂上付近。(2010/5/31 8:37)


 水沢森から先は、鞍部の尾根筋の道で歩きやすい。林のなかの道だったり、眺望が開けたり、足もとにはオオバキスミレやシラネアオイが咲いている。
 シラネアオイは低山から1000mあたりまで分布していて、山菜採りで山を歩いてもたくさん見ることができる。我が家の庭にも20年生くらいのシラネアオイの大株があって、毎年たくさんの花をつける。庭のシラネアオイが咲くのは、山菜採りに出かける時期の知らせでもある。

 七合目、八合目、九合目とじつに順調な道である。この時期に典型的な、よく見かけるキクザキイチゲはやはり白花も紫花も咲いている。むかし、紫花がキクザキイチゲで、白花がアズマイチゲだと思い込んでいた。これも最近区別できるようになったものの一つである。



Photo F 九合目付近の道。(2010/5/31 9:41)


 道が間ノ岳近くになるとまた残雪である。道は間ノ岳のすぐ北を通るのであるが、そこに「須金岳山頂」の道標が立っている。実際の須金岳の山頂はそれより1.5kmも先である。道標の標高部分は消えてしまっているが、すぐ傍の薮に「1.253M]という別の金属表示板が落ちていた。これは、地図表記の標高と同じである。たまたま同じ標高なのか、頂上というからには地図表記と同じ標高にしなければならないとしたのか、謎である。どんな事情があって、こんなことになったのだろうか、不思議な話ではある。
 南雁戸山のツインピークも、GPSデータで確認すると、国土地理院の地図に「1486」と記されたピークのもう一方のピークに1486mと記した山頂標があった。この場合は、ごく近いピークだし、もし標高が同じであれば、とくに矛盾があるというわけではない。しかし、須金岳のこの違いは、よほどの事情があるのではないかと思う。



[1] フリードリッヒ・ニーチェ(秋山英夫・富岡近雄訳)「ニーチェ全詩集」(人文書院2011年) p. 154。

​​
​【続く】

 

読書や絵画鑑賞のブログ
かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)







Last updated  2019.11.03 10:15:12
コメント(2) | コメントを書く
2018.07.31
テーマ:山歩き(124)
カテゴリ:山歩き

 泉ヶ岳に登ることにしたのは、今の私の体力がどれほどのものか、早く知りたかったからである。440m(傾城森)、621.3m(寒成山)、994.2m(龍ガ岳)とリハビリ登山は進んできたが、龍ガ岳は途中で登山道を失ってほとんどリハビリに寄与していない。
 かといって、龍ガ岳に代わる手ごろな山というのも思いつかない。それなら、少し無理目かもしれないが泉ヶ岳に行こうと思ったのである。泉ヶ岳に上れば、これからの山行がどれほどのものになるか、想像できるだろうと踏んだのである。
 何度も登っている泉ヶ岳はとても手軽で、冬山をやらない私にとってシーズン初めには必ず登る山で、いわば年々衰える体力を確かめる基準になる山である。このブログにも、​2012年5月7日​、​2013年5月18日​、​2015年5月18日​と山の雪が消えかかるころに昇った泉ヶ岳の記事を掲載している。

 全天雲に覆われた暑い日になった。 車で山麓に近づいて行っても、どの山も雲のなかである。泉ヶ岳スキー場の大駐車場はほぼ満杯になっていた。こんなことは初めてだが、夏休みの時期の午前9時半ごろに泉ヶ岳の登山を始めるのも初めての経験で。季節も時間帯も違うので何とも判断しがたい。



Photo A 「オーエンス泉岳 自然ふれあい館」。 (2018/7/31 9:46)


Photo B1,B2 コバギボウシとその白花(?)。


Photo C シシウド。

Photo D ガクアジサイ。


 登山口から一番遠いところに車を止めて、歩き出した。昨夜、雨が降ったらしく地面が濡れていて、やたらと蒸し暑い。駐車場の西端近くに「オーエンス泉岳 自然ふれあい館」という施設があって、15人ほどが玄関に入って行った。駐車場が満杯なのはこの施設の利用者が多いということもあるのだろう。
 施設横の舗装道路を通って登山口に向かう。前に私と同年配の先行者がいる。道端のコバギボウシやガクアジサイの写真を撮っている間に、その人は林のなかに見えなくなっていた。
 舗装路が終わり、いよいよ登山道というところで女性二人の登山者が休憩している。私ももうすでに大量の汗をかいている。いくら夏とはいえ、ここの標高(580mくらい)で、この湿度、気温の高さは異常としか思えない。私は、汗の処理もせず、挨拶をして通り過ぎた。


Photo E 先行者。(2018/7/31 10:23)
 
Photo F 分岐。(2018/7/31 10:30)

Photo G 水神。(2018/7/31 10:41)

 泉ヶ岳の水神コースを上りに選んだが、このコースは水神までは傾斜が緩やかで体が慣れるまでの歩き出しとしてはいいコースである。振り返れば、林のなかにちらちら見えていた先ほどの女性二人の姿もしだいに見えなくなった。
 できるだけゆっくりと歩くように心がけていたが、上の方に先行者が見え出した。私と同年配のご夫婦らしいカップルで、「どうぞお先に」と挨拶されて追い越した。今日は追い越されることはあっても追い越したりしないようにしよう、そんなふうに思っていたが、もう計画倒れである。
 どんなゆっくりでも登り切って帰ろうと思っていたのだが、歩きながら「登り切れずに引き返すことになったらどうなるのだろう、ということに思い至った。ちゃんと登り切って帰ることばかり考えていたが、もしダメだったら私のこれからの登山はどうなってしまうのだろう。潔く諦めるのか、もっとしつこく体を鍛えることに向かうのか、この年齢で体力は回復するのか、などと考え出していたのだが、水神に到着し、そこから始まるごろごろ石の急坂に取りかかると、みんな吹っ飛んでしまった。とにかく登らなくては、そればかりになった。


Photo H オヤマボクチ。


Photo I1,I2 キンレイカ。

Photo J 賽の河原。 (2018/7/31 11:44)


 足は予想以上に動くのだが、息が切れて長続きしない。花の写真を撮っては一休み、大汗を書くので意識的に水分補給回数を増やしてひと休み、そんなペースになった。
 途中、下ってくる2人連れ、2組に出合った。最初の二人ずれは、私を待っていてくれたので、礼を言って通り過ぎた。次の二人組のときは、私が先に止まって待っていた。そうやって休んだのだ。
 「さいの河原」の道標がみえてほっとしたのだが、疲れた身にはその道標が賽の河原からかなり下の方に設置しているとしか思えないのだった。なんとか眺望がいいはずの賽の河原にたどり着いても、何にも見えない。賽の河原の上をガスが通り過ぎてゆくだけだった。


Photo K フジバカマ。

Photo L ヤマハハコ。

Photo M 泉ヶ岳山頂。(2018/7/31 12:04)

Photo N ノアザミ。


 賽の河原を過ぎれば傾斜は緩やかになり、頂上はもうすぐだ。ヤマハハコの写真を撮るためにしゃがみこんでいる私に声をかけて登ってゆく人がいた。私がついた頂上にはその人が休んでいるだけだった。大駐車場を満杯にした人たちのほとんどはやはり下の施設の利用者ということらしい。
 頂上尾根を北に向かい、いつも休憩をとる船形連山の眺望がある(はずの)場所で昼食とした。ここも眺望はまったくない。灰色の雲に覆い尽くされているだけである。
 ここは、ずっと私の相棒だったイオと登った時に、いつも朝食をとりながら休んだ場所だ。泉ヶ岳に登ると決めたとき、イオのことを思い出して感傷的になるだろうとも思ったのだが、そんなことはなかった。たぶん、疲労が感傷を追い出してしまったのだろう。

 20分ほどの昼食休憩で頂上に戻ったら、頂上広場は人で満杯だった。次々登ってくる二十歳前後の若い人たちで賑わっていて、かき分けて下山口に向かうのに苦労するほどだった。登り切った人々は、喜びからか、疲れからか、私など眼中にないのである。
 下山路に入っても、次々登ってくる。集団の切れ目を見つけは下り、一グループをやり過ごしてから下り、ときにはリーダーらしい人が声をかけて待ってくれていたりして、ゆっくりと急坂を下って行った。最後の集団とすれ違う頃には、急坂の半分以上を下っていた。

 
Photo O オミナエシ。

Photo P ヤマユリ、コバギボウシ、ヤマドリショウマ。


Photo Q1,Q2 ソバナ。


 集団とすれ違う時にも、花を見つけては写真を撮っていたが、若い登山者のなかには写真を撮っていることに興味を示す人が結構いた。たしかに大集団の彼らのなかには一眼レフをぶら下げて登っている人は一人もいなかったので、珍しかったのだろう。
 さて、その花の写真だが、オミナエシは写真のたった一本だけを見つけただけだった。上りの頂上近くで見つけたキンレイカは、はじめアキノキリンソウだと思ったのだが、澄んだ明るい黄色はアキノキリンソウのものではない。帰宅して写真を拡大してはじめてキンレイカということが分かった。オヤマボクチはまだまだ若くて、威厳ある風姿というわけにはいかなかった。
 私には、頂上の尾根道にあったノアザミの色が見慣れているとはいえ、一番好もしかった。アザミは種類が多くて判別が難しいが、ノアザミだけは容易に見分けがつく。正確に言えば、私に見分けられるアザミはノアザミだけということだが………。


Photo R 大壁。 (2018/7/31 12:57)

Photo S 見返平。 (2018/7/31 12:57)

Photo T お別れ峠。 (2018/7/31 12:57)


 大集団と別れてからはもう新たな登山者とは行き会わなかった。「大壁」の」急斜面を下れば、ほどなく「見返平」に着く。上り道で振り返れば、遠く仙台平野が望め、下り道で振り返れば泉ヶ岳の山容が望める場所で、泉ヶ岳のコースの中で私がいちばん好きなところだ。
 だが、今日は何も見えない。びっしり張りつめた雲で遠望はまったく効かない。泉ヶ岳は頂上がすっかり隠れている。

 見返平からは緩やかな道になる。「お別れ峠」というのは私が下って来た「滑降コース」から「カモシカコース」や「水神コース」へ向かう道が交差している場所である。ここを過ぎれば、駆け出したくなるような快適な林の道になる。以前なら速足になるのだったが、今日はそうならない。
 緩やかな下り道で、足の負担もさほど感じないし、息切れもしない。それなのに体全体がゆっくり歩くことを強要している。そんな感じだ。自覚はないが、とても疲れているのだろう。

 大駐車場に着くと、出発する時にはなかった大型バスが3台駐車していた。あの大集団のグループが乗って来たものだろう。「いじめ○○リーダー研修会」という団体名が貼ってあった。○○がなんだったか思い出せない。バスの定員50人とすれば150人の集団で、すれ違ったときの実感とよく合う。

 何とか登って降りてくることができた。疲れをさほど感じていないことが恐ろしいが、結果が判るのは二日後か、三日後か。それでも、少しは希望が繋げたということだ、そう結論した(心細いが、いちおう)。


​​

読書や絵画鑑賞のブログ
かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)
小野寺秀也のホームページ






Last updated  2018.08.03 07:43:54
コメント(4) | コメントを書く
2018.07.17
テーマ:山歩き(124)
カテゴリ:山歩き

 440m(傾城森)、621.3m(寒成山)と続いた5年間の空白を埋めるリハビリ登山の3回目は、994.3mの龍ガ岳である。
 福島県の西北端で山形県へ越えてゆく国道399号の鳩峰峠から登る龍ガ岳は、楽しい山歩きができそうな匂いがした。奥羽山地を越える峠から登る山は、いつも強風が通り抜ける風衝地である可能性が高く、草地か低木だけの見晴らしの良い尾根歩きが最初から楽しめることが多い。峠そのものが尾根を越える地点なのだから、標高もだいぶ稼いでいるということもある。

 東北道を白石ICでおり、国道4号から国道113号(七ヶ宿街道)に入り、田中という集落で左折して稲子峠を越える道で福島県を走る国道399号に行く。稲子峠への道の入り口に「国道399号は山形県側の工事のため鳩峰峠は全面通行止め」の表示があった。
 ガイド本にも、国道399号は工事でしばしば通行止めになると書いてあった。曲がりくねる山道を延々と走ってから諦めるか、ここで諦めるか、悩みどころだった。もっと手前の峠田宿から入る峠田岳に変更することも考えたが、峠田岳の詳細地図(国土地理院)の準備をしていなかった。いつも携行するGARMINNのGPSmapは1mほどの精度で緯度、経度を確定することができるが、詳細な緯度、経度を記した地図がなければ役に立たないのだ。
 山形県側の工事ということは県境にある鳩峰峠(またはそのごく近く)までたどり着ける可能性がある。それに期待して行くことにした。


Photo A 国道399号鳩峰峠から見る龍ガ岳。 (2018/7/17 9:55)

Photo B 放牧場から森林への再生を記念する石碑。 (2018/7/17 10:00)

Photo C クマザサで覆われた登山道。 (2018/7/17 10:00)

Photo D 放牧場跡の草原。(2018/7/17 10:03)


 稲子峠の道から国道399号に出て右折すると、道の半分に車止めの柵が建てられ、通行止めの案内があった。半分は開いているのでここで全面通行止めというわけではないと判断して通り過ぎた。
 集落近くの国道は車のすれ違いも難しいほどの狭さだったが、曲がりくねった道で標高を稼ぐとしだいに道幅は広がり、中央線がひかれているところもあった。
 鳩峰峠に着き、駐車場(道脇のただの広場)に車を止めたその先、山形県側に入って100mほどのところに全面通行止めの関が設けられていた。
 登山道の案内はなかったが、大きな道路標識のところに道がついているのが見えたので、さっそく身支度をした。
 9山道に入って数歩のところの藪の中に石碑があった。登山道からは裏面しか見えず、そこには昭和26年から平成6年まで放牧地として利用されてきたこの地を休牧後に福島森林管理署に返還する際に森林復活を目指して植栽をしたときの記念の碑で、平成16年に建てられたことが記されていた。

 藪を漕いで表側にまわると、「共生の碑」と題して次のような碑文が刻まれていた。

​​
小川流れど山は荒れ
冬来たれば糧はなし
ひとの社会の領域荒れど
食なければ徳も危うし
いま森の復活を喜び
永遠の共生を
この碑に刻む


 碑文を読み終えて、あらためて登山道を歩き始めたが、30㎝ほどの熊笹が一面に生えていて登山道が見えない。矯めつ眇めつ眺めているとなんとなく筋のようなものが見える。
 短い斜面を登りきると放牧地跡の草原が広がっている。登山道はこの尾根筋を辿っていくとガイド本に書いてあった(国土地理院の地図には東斜面を大きく迂回する道が描かれている)ので、とにかく前へ進むのだが、いつの間にかただの草地を歩いている。うろうろと登山道を探すと5mほど外れていたりする。そんなことの繰り返しで草原を渡っていく。


Photo E1 ミヤマナデシコ。 (2018/7/17 10:10)

Photo E1 イワオトギリ。 (2018/7/17 10:11)

Photo E1 オカトラノオ。 (2018/7/17 10:12)

Photo E1 ノアザミ。 (2018/7/17 11:00)

Photo F 952mピークに向かう登山道(?)。 (2018/7/17 10:22)


 傾城森や寒成山ではほとんど花を見なかったが、ここではミヤマナデシコやオカトラノオが道を見失わないように下ばかり見て歩いている目に飛び込んでくる。
 草原が終わり、952mピークへの斜面に取りつく段になって、戸惑いは大きくなった。登山道は分かるのだが、小灌木にすっかりと覆われているのだ。草原は30㎝ほどの草やクマザサばかりなので、道を歩いても道から外れても大差ないのだが、私の背丈以上ある灌木では道を外れたら消耗は激しいだろう。
 ため息が出たが、とにかくブッシュ道に突っ込むことにした。私としては滅多にないのだが、快適な尾根歩きを想定して、ストックを出してトレッキング気分で歩き出したのだったが、灌木の枝を押し分けて歩くのにこのストックは邪魔になるばかりだった。畳んでザックに縛り付けたが、次は首からぶら下げている一眼レフが枝に引っかかって邪魔になり、これもザックに収めた。



Photo G1 トリアシショウマ。(2018/7/17 10:32)


Photo G2 ミヤマウツボグサ。(2018/7/17 10:34)


​ 急斜面では枝を押しのけると下に登山道が確認できるので、いちおうは安心して前に進める。952mピーク直下の急斜面の灌木を潜るよう(這うよう)に進むと急に開けて、目の前にミヤマウツボグサが叢生していた。​


Photo H 952mピークから見下ろす鳩峰峠。(2018/7/17 10:36)

Photo I 952mピークから遠望する山形県高畠町方向。(2018/7/17 10:48)


 952mピークについて振り返って見下ろすと、鳩峰峠がはっきりと見え、駐車場のたった1台の私の車が小さく光っていた。
 952mピークを出発していよいよ龍ガ岳に向かおうとしたが、道は完全に灌木に塞がれている。道を間違えたと思って頂上台地を歩きまわっても、道らしいものが見つからない。唯一はっきりした道が峰の西端に向かっていたが、それは山形県方向の遠望を楽しむ場所までの道で、急斜面で切れていた。
 結局、最初の場所が登山道らしいという結論に達して、1mほど入り込んだが、灌木に阻まれて前に進めない。これまでのように枝を手で払ったくらいではとても歩けないのである。もう一度周囲を歩き回って登山道を探したが、どうしてもほかの道を見つけることができない。
 尾根筋の登山道と分かっているので、コースを誤る可能性はないが、背丈ほどの灌木のなかを押し切って進むほどの体力に自信はない。諦めて引き返すことにした。

 「鳩峰峠から龍ガ岳へ」。地名だけを見れば、なにか素晴らしい山旅が起きそうなイメージだったのだが、なんとも言いようのない結末となった。ふたたび、激しく屈曲する山道(国道399号)を下り、稲子峠を越えて七ヶ宿街道(国道113号)に戻った。
 予定時間よりずっと早いため、七ヶ宿街道を山形方面に左折してみた。湯原という(たぶん、七ヶ宿街道の最後の)集落で一軒の蕎麦屋さんを見つけた。メニューには「全そばもり」と「二八そばもり」というのがあった。全そばとは十割ソバということである。メニューにはほかにもおいしそうな名前が並んでいたが、もうここは「全そば大もり」しかない。途中で引き返した山行の埋め合わせとしては十分であった。

​​

読書や絵画鑑賞のブログ
かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)
小野寺秀也のホームページ






Last updated  2018.08.16 16:42:59
コメント(4) | コメントを書く
2018.06.26
テーマ:山歩き(124)
カテゴリ:山歩き

 2週間前の火曜日、恐る恐る小さな山登りを敢行した。4、5年もまともな登山を止めていたし、この年齢の数年の空白は大きいと考えて、山ならぬ森を歩いてきたのである。
 山行再開のリハビリのような山歩きだったが、日々のリハビリも大切だろうと思って神社の階段や仙台城址までの上り下りを朝の散歩に加えて、一週間後の山行を計画していたのだが、月曜日に発熱し、計画当日の火曜日を含め二日間寝込んだ。水曜日からは連日の会議と宴会、地域合同避難訓練とその前準備、地域清掃と日曜日まで暇なしだった。
 前回は、標高440mの傾城森だったので、今回は少し標高を上げて621.3mの寒成山である。じつは、熱を出して取りやめにした山行は、1200mクラスの山に行こうと思っていた。じわじわ体を慣らしていくというやり方にもう不満が湧いてきて、駄目なら駄目で体力の限界をさっさと知ってしまおうと思ったのだった。短気というか、こらえ性がないのである。
 いくら気持ちが急いても、体がついて行ってないのだ。それで熱が出たのだろう。そう思うことにして、候補地を探したら、先日の傾城森の近くに手ごろな高さの山があった。 621.3mの寒成山である。

 
Photo A 大熊大橋から望む寒成山。 (2018/6/26 14:29)


 東北道を白石ICでおり、国道4号を少し南下して国道113号に入るコースは傾城森へ行った時と同じである。小原温泉郷を過ぎ、七ヶ宿湖の手前で飛不動尊への案内看板に従って左折する。
 道は、大熊大橋で白石川を渡り旧道に出る。大熊大橋から寒成山を望むことができる。北と南が切り立って、尾根は東西に伸びているのだが、写真はその山容を東から見ている。
 この写真は帰り道でもう一度立ち寄って撮ったもので、朝からの晴天がすっかり雲に覆われてしまっている(写真は往復で撮っているが、時系列ではなく、麓から頂上へのコース順に掲載している)。



Photo B1 飛不動尊の夫婦杉。 (2018/6/26 9:42)


Photo B2 飛不動尊の本堂。 (2018/6/26 9:43)


 大熊大橋を渡ってすぐ旧道を右に折れて西進する。この道は、先日立ち寄った材木岩への道でもあるが、材木岩への分岐の手前で、飛不動尊への案内看板があって、狭い林道に左折する。
 「もう少しで飛不動」などという看板があるうねうねとした林道を進めば難なく飛不動尊の前に出る。道向かいに広い駐車場があり、木陰になりそうな場所を選んで駐車した。

 飛不動に着くと、まず杉の古木が目に入ってくる。享保16(1731)年の大地震のとき材木岩近辺にあった飛不動尊を落石から守った大杉があったという。その3年後に飛不動尊が現在地(旧七ヶ宿街道の江志峠)に遷座した時、集落の若夫婦が加護を願ってそれぞれ杉の苗木を植えたものが、現在の夫婦杉になったのだという。樹齢284年ということになる。
 伊達政宗が天正19(1591)年に現在の国道113号に近くに建立した不動堂は、文禄3(1594)年に火災に遭ったが、そのとき本尊自ら岩窟に避難したことから「飛不動」と呼ばれるようになったという。
 敷地内には、不動堂のほか六地蔵尊や観音菩薩が祀られているほか、お守り売り場などもあったが、まったくの無人だった。



Photo C 登山口へ向かう林道。 (2018/6/26 11:34)


Photo D 車止めパイプ脇で咲いていたウツボグサ。(2018/6/26 11:32)


Photo E 杉林の中を行く林道。 (2018/6/26 10:21)


Photo F ホタルブクロ。(2018/6/26 11:23、10:05)


 飛不動尊近辺には寒成山に関する案内はまったくない。飛不動まで車で来た林道を少しばかり引き返して、南に向かう林道に入る。林道を少し入ったところの看板には「一般車通行禁止」として「下戸沢牧野農業協同組合」の看板が立てられているが、ここにも「寒成山」の名前はない。じつは、国土地理院の地図にも「621.3m」の表記はあるが、寒成山という山名は記されていないのである。
 林道入り口は舗装されていたが、すぐ車止めがあってその先は舗装されていない。杉林の中をうねって進む林道の陽当たりのよさそうなところに白のホタルブクロが群生していた。

 林道の急なカーブを曲がると、上から原付バイクで降りてくる人がいた。挨拶をすると停まってくれたので、寒成山に行きたたいのだ話してみた。「寒成山、奥寒成山、どっち?」というのである。この地元の人は牧野に近い山を寒成山、その背後の山を奥寒成山と呼んでいるらしい。
 地図を見せて話をすると、私が目指す寒成山は、その人の言う奥寒成山らしい。そこへ上る登山道が「あったような、なかったような」という感じで話されて、心細いことこの上ない。「道が見つからなかったら、諦めて戻ります」といって別れ、林道を歩き出すと、林道を横切って行くニホンザルの群れに出会った。杉林を行くサルにカメラを向けて数枚撮ったが、どれにも写っていなかった。偶然なのか意図的なのか、シャッターを押す瞬間には幹の陰になってしまっていた。



Photo G1 右手に登山口。(2018/6/26 10:13)


Photo G2 登山口。(2018/6/26 10:13)


​ 「右に別れる林道には入るな」というバイクの人の注意に従って、二つの分岐を過ぎると、東西に伸びる寒成山の尾根裾を林道が割っているような地形のところに出る(Photo G1)。右手に細い登山道らしい踏み跡がある。1メートルほどの棒に赤い布が巻き付けてあったので、それまでの不安はほぼ解消されて、その踏み跡に入ったのである。​


Photo H 杉の木のてっぺんで繁茂するハンゲショウ。(2018/6/26 10:44)



Photo I 杉林から雑木林に。(2018/6/26 10:19)


Photo J  大石があちこちに。(2018/6/26 10:25)


 登山道は文字通り東西にのびる尾根筋のその尾根を辿って行く。南面と北面は大きな崖のある急斜面なので登山道の選択肢はほとんどないのだろう。尾根筋とはいえ、けっこうな斜度の道が続く。
 杉林の中に陽を浴びて輝いている木がある。一本の杉の木のてっぺん付近に葉を広げたハンゲショウである。杉の木が少し疎らになっていて比較的日が当たる場所と思われるのだが、下部の方にはハンゲショウの葉はほとんど見えない。その杉の木に当たる太陽光を独占するかのように繁茂するハンゲショウなのである。

 杉林から雑木林に変わっても斜度は相変わらずである。高度を上げると少しずつ大石が散在するようになった。


Photo K 傾斜が緩むあたり石祠が。(2018/6/26 10:56)

Photo L また急坂が(ここで道を間違えた)。(2018/6/26 11:09)


 一休みしたいと思いはじめたあたりで、傾斜が緩む。ちょっとした棚道なのだが、その道が始まるところに中には何もない小さな石祠があった。
 ゆるい傾斜の山道を楽しんで歩いていると、頂上直下の急斜面にぶつかる。大岩が点在する急斜面に、はっきりを確認できる道は見えない。急斜面の手前から南の斜面をトラバースするような踏み跡らしきものが見えたので、そこに入った。
 急斜面を行く踏み跡は滑りやすく、握れるほどの木の枝を手繰りながら進むが、しだいに踏み跡らしいものは薄れていく。それに地図によればこの先には断崖があるらしい。
 諦めて引き返すことにした。滑る斜面に苦労しながら、それなりに急いで戻り、急斜度が始まる尾根筋を探して何とか登山道を見つけた。一か所だけ大岩が点在するあたりで道がわかりにくくなっていたのだが、とにかく尾根筋から離れてはいけなかったのである。たぶん、急斜面を忌避したい疲れた体と精神が、道を誤らせる原因だったのである。



Photo M1 頂上。(2018/6/26 10:59)


Photo M1 頂上の標識。(2018/6/26 11:02)


Photo M1 七ヶ宿湖と霞む蔵王連山。(2018/6/26 11:00)


 短い急斜面を登りきると、細長い頂上尾根の東端である。尾根を西に歩けば、621.3mの狭い頂上の空がぽっかりと口を開けている。
 木製の頂上標もあったが、古びた板の文字はほぼ完全に消えていて、左上の隅に小さく「寒成山 621.3m」と彫り付けてあった。この山行で初めて見る「寒成山」の文字である。
 尾根の西端にある頂上からは七ヶ宿湖が望める。また、不忘山を南端とする蔵王連山も見えるはずだが、霞んでいてかすかに不忘山らしき影が確認できる程度である。

 道を間違えて浪費した時間を差し引けば、ほぼ1時間の登りである。休憩もそこそこに下り始めた。下りはほぼ30分で飛不動尊に着いた。

 時間はたっぷりあるので、これからの登山候補の山、蛤山(981m)の登山口の確認に行くことにした。国道113号を西に進み、七ヶ宿湖を過ぎて白石川の支流、横川に架かる橋を渡って右折し、横川集落に向かう。
 道脇に蛤山登山道の入り口の案内がすぐに見つかったが、周辺に車を止めるスペースはない。ガイドに青少年旅行村の駐車場を利用するような案内があったが、その通りらしい。
 ここまでの道々、案内看板にあった横川渓谷に架かる「やまびこ吊り橋」を見に足を延ばした。強風のときは危険という案内があったが、渡っても少しも揺れないリジッドな吊り橋で、その高みから眺める横川の渓流は釣り好きにはいくぶん刺激的なのだった。
 ついでなので長老湖にも行ってみた。不忘山から眺めた湖とは違って、木々や岬に遮られて全部が見えない湖はさほどの感興がなかった。長老湖は、火山活動でできた古「長老沼」を発電所用の貯水池として拡張したものだと、古びて消えかかっている看板に書かれていた。

 七ヶ宿街道は、山形県の高畠町に続く「そば街道」という触れ込みなので、113号をさらに奥へ進み、湯原という集落にある蕎麦屋さんで昼食である。ソバのメニューは、「ざるそば」と「大ざるそば」の2品しかないなんとも潔い蕎麦屋さんだった。

 国道113号の帰り道、大熊大橋に立ち寄り寒成山を遠望する写真を撮って、本日の山行の行程はすべて終了である。


 

読書や絵画鑑賞のブログ
かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)
小野寺秀也のホームページ
​​








Last updated  2018.06.30 19:44:51
コメント(8) | コメントを書く
2018.06.12
テーマ:山歩き(124)
カテゴリ:山歩き

​ 私が山らしい山に最後に登ったのは、3年前の​2015年5月18日の泉ヶ岳​だった。その時のブログの出だしにこう書いていた。​


​​ 一昨年の8月に仙台神室岳の仙人沢ルートを往復して以来の山歩きだ。神室岳から下山したとき、一緒に登ったイオの後肢が弱っていることに気付いて、本人の承諾を得たわけではないが、登山からは引退させた。13年間ずっと山歩きの相棒だったイオが山に行けなくなると、私もその気が失せてしまって、昨年は一度も登山はしなかった。​​


 つまり、5年前の​2013年6月24日の仙台神室岳​が「13年間ずっと山歩きの相棒だったイオ」との最後の登山で、それから2年後、このままでは体力が減退するばかりだと思いなおして泉ヶ岳に上ったのだった。
 しかし、イオのいない山登りはまったくつまらなかったし、山登りが無理になっても家で普通に暮らしていたイオを置いて私だけが山に行くことが後ろめたくて、ふたたび山に行くことをやめてしまったのである。
 そのイオが今年の正月、2018年2月4日に老衰で生を終えた。それから4ヶ月が過ぎたころから、イオと一緒に上った山々の写真を見直し,整理することができるようになった。そして、思ったのだ。もうイオを家に残して山に行くことを気遣う必要はないのだ。私の日々の行動の理由にイオの存在を根拠とすることはもう一切ないのだ、と。
 「また、山登りを始めたい」と妻に言うと、「イオ離れだね」という言葉が返ってきた。いくら何でも、そろそろイオの存在、イオの死から自立しなさいよ、という意味らしい。
 山登りを再開すると思っても、そう容易には始められない。なによりも体力(足の筋力)が極端に衰えているだろう。それに当分のあいだは、イオの思い出が濃密に残る山は避けたい。
 『宮城県の山』(山と渓谷社、2004年)というガイド本で、七ヶ宿町にある傾城森という標高440mの山を見つけた。福島県と山形県の県境に位置する七ヶ宿町そのものに私は足を踏み入れたことがない。そこに一番近い山といったら蔵王連山の最南端の不忘山(1705.3m)にイオと一緒に上ったことがあるだけだ。
 七ヶ宿町近辺には、蛤山(1014m)、峠田岳(1081.7m)、龍ガ岳(994.2m)と、以前の私なら手ごろと思える山がいくつかあるのだが、無理をして最初から躓きたくはない。傾城森ならまったく問題ないだろう。往復で2時間ほどの歩きで済む。何よりも、ガイド本に「遊歩道が整備されおり」と書いてある。登山道ではなく、遊歩道なのである。少なくとも登山と呼ぶのが憚られるほどがちょうどよいだろうと考えた。


Photo A 山伏森(左)と傾城森(右)。 (2018/6/12 14:04)


 ヘルパーさんが来る日の日中は、義母の介護の手伝いが免除される。ヘルパーさんが来る火曜日に決行することにした。ずっと雨の天気予報が出ていたが、短い時間なのでレインウエアで強行しようと考えていた。ところが、前日の夕方頃に予報が曇りに変わった。
 東北道を白石ICで降り、国道4号を少し南下してから国道113号に入って七ヶ宿に向かう。この道は、小原温泉まで行ったことがあるだけだ。小原温泉入り口をあっという間に過ぎ、そこからの道のりは七ヶ宿町の奥深さを印象づけるに十分だった。
 白石川に造られたダム湖、七ヶ宿湖から下は白石市、そこから山形県境までが七ヶ宿町になる。傾城森は七ヶ宿湖の最上流部を過ぎたあたりにある。上の写真は、さらに奥にある七ヶ宿の中心集落である「関」地区で昼食をとった後、集落のはずれで写したものである。​

 
Photo B 逢瀬橋の向こうに山伏森。 (2018/6/12 10:08)


 国道113号から傾城森は見えるのだが、遊歩道入り口へ入る道を見過ごして通り過ぎてしまった。白石川の支流に架かる横川橋を渡って100mほどで左に入るように地図には記載されていたが、実際の道はほとんど橋の西詰から始まっていた。
 赤い吊り橋(逢瀬橋)が遊歩道の始まりである。橋の向こうに見えるのは山伏森で、傾城森はその陰になっている。逢瀬橋の前に傾城森の由来が書いてあった。そのまま書き写しておく。

​​
 横川と白石川の合流するこの地に女性の乳房を思わせる二つの岩山、北峰が「山伏森」(三九〇メートル)南峰を「傾城森」(四四六メートル)といい、総称して傾城森と呼んでいます。この二つの岩山には哀れな物語が伝えられています。

「今からおよそ三百年前の話です。
 冬のある日の夕暮れ時、修験者と気品のある尾錠がこの辺りにたどり着きました。男は仏道修行中の山伏、女は傾城の誉れ高い京都祇園の名妓。楼主に抱えられて自由のない芸妓と、厳しい掟に縛られた山伏との恋は世間に認められるはずもなく、二人は手を取って京都を逃げだし長旅の末この地にたどり着いたのです。
 二人はさっそく草庵を結んで住み、人目を忍びながらも楽しい日々を送りました。
 しかし、それもつかの間のこと。女は重い病気にかかってしまいました。修験者は、病気が回復するように一心に祈り、薬を求め一生懸命看病しました。そのかいあってか、女は少しずつ快方に向かいました。
 ところが、所持金も乏しくなってきて、生活に困るようになったので、二人は将来を危ぶみ世を儚んで、山下の地獄渕に身を投じて死んでしまったのです。
 一方京都からは、かつて名妓に仕えたことのある下女が、この二人を追いかけてきましたが、二人はすでに死んでしまっていたのでした。下女は、たいへん悲しみ、後を追って東方の山下(現在の下女森)で自らの命を絶ってしまったのでした。」

 この二つの岩山は、江戸時代から旅の人への観光説明の材料となっていて、富田伊之著の『奥州紀行』安永六年(一七六九)にもこの物語の概要が記されています。
      平成二十年十一月   七ヶ宿町教育委員会​​


Photo C 林のなかの遊歩道。 (2018/6/12 10:14)

Photo D 山伏森分岐。(2018/6/12 10:16)

Photo E 山伏森中腹の鳥居。 (2018/6/12 10:21)

Photo F 山伏森頂上から見る七ヶ宿湖。(2018/6/12 10:24)

Photo G 山伏森山頂の祠。(2018/6/12 10:25)


 歩くと少しばかり揺れる赤い吊り橋を渡ると、初めにコンクリート製の階段があり、その先は石だらけの道と階段道が林のなかに続いている。写真で見るように、低いが急峻な山容を反映して、ほとんどは階段状の勾配のきつい道になっている。
 橋から7分ほどで「山伏森」分岐に着く。ガイド本には帰り足で山伏森によるように書かれていたが、先に山伏森に向かう。
 階段道が続いて、息が切れることおびただしいが、中腹の鳥居を過ぎるとあっという間に頂上に着く。頂上の木々の間から七ヶ宿湖が望めるが、眺望はそれほどでもない。小さな祠が祀られていて、中に陶製のお稲荷様が納められていた。


Photo H 傾城森の分岐。(2018/6/12 10:44)

Photo I 傾城森頂上尾根。(2018/6/12 10:52)

Photo J  傾城森頂上から見る七ヶ宿湖。(2018/6/12 10:49)

Photo K 傾城森頂上から見る七ヶ宿関集落。(2018/6/12 10:49)


 山伏森を分岐まで下り、傾城森に向かう。道は傾城森の西斜面を南まで迂回し、遊歩道入り口の反対側から頂上に上がる。傾城森への道が北に向かうあたりにダム公園に向かう分岐標があった。その分岐から5分で頂上に着く。
 頂上は南北に伸びる尾根上になっていて南の部分からは東に七ヶ宿湖が望め、北端からは北西に七ヶ宿町の中心部である「関」の集落が一望できる。ここの頂上にも山伏森と同じような小さな祠が祀られていた。
 階段道の上りで大いに息が切れたのだが、短時間だったのであっというまに息切れもおさまる。
 下りはじめれば、何の造作もなく逢瀬橋に着く。10:05に逢瀬橋を渡り始め、帰りは11:16に逢瀬橋を渡り終えた。時間的には毎日の朝の散歩程度だが、標高差150mほどの階段道はそこそこ足にこたえた。​


Photo L 滑津大滝。(2018/6/12 12:27)


 山歩きの計画は早々に終わってしまったが、昼食にはまだ早いので、国道113号をさらに奥の方へ行ってみることにした。
 まず初めに、傾城森への入り口の直ぐ西で横川沿いに北の長老湖や蛤山登山口に向かう道を確認した。そこから関宿の集落を過ぎ、滑津大滝を見る。
 滑津大滝からさらに113号を西進して峠田集落で七ヶ宿スキー場への入り口を確認した。七ヶ宿スキー場には、峠田岳への登山口がある。
 龍ガ岳へはこの113号から稲子峠の道に入り、国道399号に出なければならない。稲子峠へ行く分岐を確認するために113号をさらに西に向かった。


Photo M 山伏森(左)と傾城森(右)。(2018/6/12 14:00)


 国道113号から分かれるいくつかの登山口への道を確認して、同じ道を引き返し、関宿の集落のなかの蕎麦屋さんで昼食をとった。いつもできるわけではないが、山登りの後に山麓の蕎麦屋さんで昼食とするのは、わたしのお気に入りのパターンである。
 昼食を終えて、関宿を出かかるあたりで傾城森と山伏森がよく見えるところがあった。初めに見つけた場所からは、傾城森と山伏森の高さの関係がよくわかた。もう少し、113号を東に進むと二つの山塊の様子がはっきりと見える場所があった(Photo A)。


Photo N 七ヶ宿湖と噴水。(2018/6/12 14:37)


​ 国道113号を戻り、傾城森の横を過ぎ、七ヶ宿湖に沿って下っていくとダム湖のなかで噴水が上がっているのが見えた。ダムサイトに入って写真を撮ったが、これは決められた時間に噴き上がるらしく、偶然のタイミングで通りかかったということらしい。​



Photo O 材木岩。 (2018/6/12 15:00)


 滑津大滝を見、ダム湖の噴水も見た。せっかくなので有名な材木岩を見ておこうとダムの下流で旧道に入った。この旧道からは材木岩に行く道ばかりではなく、寒成山(621.6m)の登山口である飛不動尊への道も分かれているので、その確認も兼ねていた。
 材木岩は写真で見るばかりだったが、崩落した岩もまたみごとな角柱が多くて、材木という名称が「まるっきりそのまんま」なのだった。

 あっという間に終わった傾城森歩きのおかげで、いくつかの山の登山口への道の確認もでき、いくつかの観光スポットにも立ち寄り、遊びとしては十分と思いなして帰途についた。
 問題は、これから継続的に山行ができるかどうかである。


 

読書や絵画鑑賞のブログ
かわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)
小野寺秀也のホームページ
​​






Last updated  2018.06.14 16:27:48
コメント(6) | コメントを書く

全42件 (42件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 >


Copyright (c) 1997-2020 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.