恋ふれども (4)最後から2番目の恋?
『最後から二番目の恋』というテレビドラマがあった。ちらっとしか見たことはないが、いいタイトルだと思った。老いたひとりが恋をしたとして、それを最後の恋と考えるよりも、最後から2番目の恋として未来にある余地、ある場所を残しておく方がずっと良い。 昨年の9月、イオは12才になった。十分な年齢である。富岡多恵子の詩にこういうのがある。犬の一年はヒトの七年とか八年とか言われています茶色の犬は生まれて二年の間にわたしの十五,六年を行きましたわたしはハタチすぎから今日まで茶色の犬の二年分ぐらいしか生きなかったのです 富岡多恵子「年齢」部分 [1] 7年としたら、イオは84才相当ということになる。犬に関する本では犬の1年が人間の4年ほどに相当するという説があって、そうであれば、ほぼ50才相当である。上の詩にはもちろん文学的誇張があるのだが、いずれにしても犬は駆け足で生を過ぎてゆく。 だが、現在のイオは若い牡犬に夢中である。昨年あたりから見かけるようになったバロンという名の8才も年下のボーダーコリーである。 イオにも私にもボーダーコリー経験はほとんどない。唯一の例は、ボーダーコリー2匹とミニチュアダックスを連れ歩いているご夫婦と出会うことである。この3匹はイオを見つけると遠くから吠えまくるので、たぶんイオも私もボーダーコリーの性格をそんなものと考えていた(たぶん、誤解なのだが)。後でバロンの飼い主さんに聞いた話では、そのボーダーコリーはしつけの学校でバロンと一緒だったのだが、バロンとも「天敵同士」のように仲が悪いのだという。 飼い主さんに気を遣いながらバロンに駆け寄るイオ。 (2012/3/11) 昨年くらいからバロンと出会うようになり、そのたびにイオが落ち着かなくなるのだった。ボーダーコリーのイメージが良くなかったこともあって、イオは嫌がっているのではないかと思って避けるようにしていたのだが、どうも様子がおかしい。イオがしきりに鼻を鳴らすのである。そばに行きたいということらしいので、おそるおそる近づいて挨拶をすると、イオは大はしゃぎでバロンに絡みつくのだった。 イオは、遠くからバロンを眺めては恋い焦がれていたらしい。その年でそんなにはしゃぐのか、と飼い主が恥ずかしくなるほどの興奮ぶりなのだ。バロンの飼い主さんが、イオの年齢を聞いて「げんきですねぇ」と驚いて(たぶん、あきれて)いた。年々に滅びて且つは鮮しき花の原型はわがうちにあり 中条ふみ子 [2] 誰かを恋するに年齢は関係ないか、咲くべき花の原型はずっとイオの心の内にあったのだ、などと思い直した。それからはせめてもの飼い主のつとめとして、バロンと出会える確率の高い散歩コースと時間帯を選ぶようにしているのである。 ゆったりとした態度でバロンも相手をしてくれる。 (2012/3/11) バロンという犬は、イオと私のなかにあったボーダーコリー観を一変させた。じつに穏やかな性格の犬で、はじめはまとわりつくイオにずいぶんと戸惑っていたが、静かに相手をしてくれるようになった。どっちが年上か分からないのである。 まだ1才にもならないキャバリアや黒シバの子犬とも出会うのだが、バロンは丁寧に相手をしているのである。イオといえば、若いときのように子犬とじゃれ合うということはなくなって、まとわりつく子犬から逃げ回るばかりなのだ。恋をするほど若いのか、子犬の相手が面倒になるほど老いたのか、よくわからない。 イオは、リードを離せる場所ではスィッチが入ったように駆け回ることもあるのだが、散歩の途中で歩きたくないという素振りを見せることが多くなった。飼い主としてはどの程度の運動量が適切なのか、迷っている状態である。 立ち止まって、もう嫌だね、という表情をしたときは、遠くを見て「おっ、バロンだ」と言うととたんに張り切って歩き出す。もちろん、バロンと会った後、しばらくの間は溌溂として元気に歩くのだが、長くは続かない。 2、3才の頃、サブちゃんという牡犬と激しく興奮して転げ回ったが、バロンとも同じように遊びたいと思っているらしい。夢中になりすぎてサブちゃんに激突してしまい、ふられてしまったことを忘れたのか。イオよりも年老いた飼い主は、12才になったのだから静かな大人の恋はどうですか、などと余計なことを考えてしまう。交りは淡く淡くと思へども火腫れ戻りてくたりと坐る 河野裕子 [3] [1]『富岡多恵子集1』(筑摩書房 1999年)p.414。[1]『現代歌人文庫4 中条ふみ子歌集』(国文社 1981年)p. 38。[2] 河野裕子『歌集 家』(短歌研究社 2000年)p.39。