2020.07.03

「7月3日 脱原発みやぎ金曜デモ」 原子力政策でも日本のガラパゴス化は進行中!

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テーマ:街歩き(518)
カテゴリ:街歩き

 フランスで一番古い原発を閉鎖・廃炉にするというニュース(​6月29日毎日新聞電子版​)があった。原発を廃炉にするというのだから喜ぶべきニュースには違いないが、それほどのことでもない。
 ただの電気を作るだけの原発一基の事故で何十万人の住民が故郷を放棄せざるを得ないことがフクシマで証明され、しかも時代はすでに原発はコストが嵩むだけの古臭い野蛮な工業技術に成り下がってしまったことを歴史的に証明しつつある現在、視野を世界に広げて原発のことを考えると、原発の廃炉というニュースは当たり前すぎて特別の感慨がわくようなことではない。
 フランスのフェッセンハイム原発は1977年から発電を開始したが、35年を経過した8年前に当時のオランド大統領が廃炉を決意したもののマクロン大統領や原発推進派の抵抗でペンディングとなっていた。しかし、新規の原発はトラブル続きで運転開始の見通しはなく、原発の発電コストはほかの技術に太刀打ちできなくなって、マクロンをはじめ原発業界や右派(なぜどこの国でも右派は原発推進なのだろう、原発に賛成する人間をすべて右翼と呼んでいいのか)が諦めたという構図である。世界的な金融投機筋が原発企業への投融資にしり込みを始めたということもあって、世界全体の流れから言えば安倍政権が目論んだ原発の輸出という企みがことごとく失敗したのも当然なのである。原発推進で経済に貢献できるといまだに考えているのは世界で日本ぐらいなものである(今しばらくは中国もそうかもしれない)。
 中国のような原発後発国が原発建設に邁進しているのは、炭酸ガス削減で世界が動き出そうとしているとき工業後進国は先進国ほど排出していないとして抵抗する動きと同じ現象で、時が経てばしだいに炭酸ガス削減、原発廃炉に向かうに決まっている。大気中に増えていく炭酸ガスや、大地、海、大気をことごとく汚染する放射能は工業先進国、後進国を区別することはない文字通りグローバルな現象だからである。あるとすれば、それぞれの国で責任の重さが異なるということぐらいに過ぎない。

 フランスの原発廃炉のニュースも、「泊原発 運転期間の延長検討」(​​6月26日付けNHK NEWS WEB​​)というニュースと並べてみるととても味わい(?)ぶかい。「北海道電力の藤井社長は、運転開始から30年前後がたっている泊原発の1号機と2号機について原則40年に制限されている運転期間の20年延長を検討する考えを示した」、というのである。
 その際、「原子力は二酸化炭素を出さない低炭素の電源として電力のネットワークを維持することができる。私はできるだけ長く、長期的な電源として位置づけたい」と述べたというのである。
 「原子力は炭酸ガスを出さない」などというメリット論はいつの時代の話だ。時代はもっと先に進んでいて、古い原発の廃炉を決めたフランスは原発大国と言われながらも再生可能エネルギーへの転換を標榜しており、原発廃炉が炭酸ガスを大量に排出する火力発電に切り替えることを意味するなどという話は世界のどこでも(特に先進国では)起きようがないのである。
 日本の原発推進の議論は、明らかに世界の新しい潮流とはかけ離れている。安倍自公政権の政策の例にもれず、原子力政策も極端なガラパゴス化が進んでいる。コロナウィルス対策もまったく同じで、世界全体との比較がまったくできないため、考えるのが嫌になるほどの無策にもかかわらず、世界に誇れる対策を行ったなどと吹聴して世界のジャーナリズムの嘲笑の的になっている。
 日本の政治家やマスコミ・ジャーナリズムのガラパゴス化はもう救いようのないほど進んでしまっているのではないか。

 ところで北電の泊原発は活断層の上に建設されていると原子力規制委員会が指摘しているので、再稼働そのものもできないまま廃炉になるのではないか。20年の運転延長など脳天気なことを話している場合ではないのである。規制委員会がインチキをやらない限り、廃炉しか残された道はないはずだ。









元鍛冶丁公園から一番町へ。(2020/7/3 18:18~18:35)


 梅雨寒の日である。元鍛冶丁公園に集まったのは30人である。
 集会のフリースピーチの話題は、やはり女川原発再稼働のことがメインとなる。宮城県は、有識者の女川原発の安全性検討会の結論がまだ出ていないにもかかわらず、8月1日から女川、石巻など7カ所で住民説明会を行うと発表し、村井知事が再稼働に前のめりになっていることを露骨に示した。
 県民投票条例案を否決して県民の意思を聞く姿勢がないままの住民説明会がどんな意味を持つのかという批判スピーチのあとで、原発立地自治体である女川町の町議会特別委員会の傍聴報告がなされた。
 特別委員会は再稼働の地元同意の是非を判断するためのもので、旧鹿島台町の元町長・鹿野文永さんと女川町の元町議・高野博さんの二人が福島事故の反省、避難計画の非現実性などから再稼働に反対する意見を述べたのだが、賛成派からはやはり「温暖化を防ぐために原発が必要」などという意見が出されたという。
 ここでも「炭酸ガス対策のための原発」という古典的な理屈が生き延びているのである。言ってしまえば、それぐらいしか理屈っぽく聞こえる賛成理由がないということである。科学的、合理的な理由はほとんどないので、地方自治体議会(町議会、市議会、県議会)では、数を頼んでの暴力的な採決に恃むしかないことをおそれる。なにしろ、そういう議論・議会の進め方には安倍自公政権という模範があって、そのやり方をそっくりそのまま倣えばいいので、かなり厄介なのである。















一番町。(2020/7/3 18:37~18:45)


 先週の金デモの帰り、中央通りを歩いた。仙台で一番通行人が多いうえにアーケードで天が閉じられているので、コロナウィルスのことを考えるとあまりいい気分の道ではないが、さすがに99.5パーセントぐらいの人はマスクをしている。マスクをしていない人はほんの数人だったが、「マスク警察」らしき人物も見受けられなかった。
 賑わっている商店街を歩いている老若男女のマスク人たちは、ふしぎなことにほぼ例外なく美男美女に見える。顔を全部隠してしまうと不気味だが、控えめに少し隠す美学というものがあるのだろう。
 しかし、醜いもの、悪辣なものを隠して「美しい日本」を演出する政治やマスコミの手法は犯罪的としか思えない。いまや、日本は安倍自公政府のもと「隠蔽の美学」が殷賑を極めている。もちろん、マスクをして中央通りを歩いている人たちには何の責任もない。そんな思いが誘発されただけである。







青葉通り。(2020/7/3 18:48~18:53)


 涼しくてデモには最適だったものの、デモの周りを急ぎ足で歩くとさすがに汗ばんでくる。この節は、汗ばんでも風邪をひく恐れはないので、汗ばんだ体を撫でていく微風を楽しみながら歩いた。
 今日のデモ帰りも中央通りを歩いて帰る、たくさんの美男美女とすれ違いながら………。

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Last updated  2020.07.05 07:15:40
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