「複合汚染国家」中国(二)
旧暦十月十日、十日夜とうかんや。神無月かんなづき、北風木の葉を払う。「複合汚染国家」中国 黄文雄旧版まえがき 最近、中国の「平和崛起」論が日本にも売り込まれている。それに呼応して踊らされる中国問題専門家やチャイナ・ウォッチャー、ジャーナリストはかなり多い。 平和崛起とは、「平和」の字義の通り、暴力や武力によってではなく平和的な手段で中国が台頭し、世界の前列に立つ(崛起する)という意味のことである。アメリカのような「独覇」(覇権主義、パックス・アメリカーナ)は絶対しないというのだ。 今まで、ことに文革収拾後、従来の自力更生路線から改革開放に急転換した中国は、社会主義市場経済を標榜して世界に売り出してきた。「二十一世紀は中国人の時代」論や「大中華経済共栄圏」論、「最大にして最後の巨大市場」やら「世界の生産工場」やらと売り込みながら、「日本は呑み込まれる」論までがまことしやかに伝えられ、各国の中国論に花を咲かせてきた。 しかし、最近の平和崛起論については、中国のプロパガンダを代行する日本のエージェントたちを除けば、違和感を持たないものはあるまい。 その違和感のもととなっているのは、ほかならぬ中国の、東西冷戦終結後の軍備拡張と対外的な武力恫喝である。 もしこの軍拡と恫喝がなければ、あるいは徐々にでもそれを緩和していれば、平和崛起論もある程度の現実性と可能性をもち、信じるものも出るかもしれない。だが、現実には不信感はより強くなる一方だ。 もちろん、平和といっても様々な平和がある。「支配する平和」「支配される平和」「バランス・オブ・パワーによる平和」もあれば、戦後日本のような「空想的・念仏的平和主義」もあろう。もし中国の平和崛起が、そもそもパックス・アメリカーナに代わってパックス・シニカを目指すものだというならば、それは誰の目からみても、夢のまた夢だろう。彼らがそんな夢を見るのは、もちろん、そこにチャイナ・ドリームがあるからなのだろう。 しかし、これを単なる夢であると一笑に付してはいられない。ここで注意を喚起していただきたいのは、この平和崛起論の背後にいったい何があり、そしてどんな狙いが隠されているのかという中国事情である。 たしかに、江沢民時代の十数年間、軍拡に恫喝、あるいは愛国主義・民族主義教育による反日・仇日政策はあまりにも露骨に過ぎたから、世界を支配したいと野望を燃やす中華帝国の復活は丸見えになっていた。第四世代指導者の胡錦濤・温家宝の代になって、軍拡と恫喝色をある程度払拭して、イメージを転換する必要があったというのが表面的な事情ではないだろうか。一見したところ、その野望は多少なりとも影を潜めたかに思える。だが、本質は決して変わっていない。 では、平和崛起論にはいったいどんな深層の事情があるかというと、それは決して単一ではない。ここで一つだけ指摘しておかなければならないのは、中国脅威論が軍事的な面だけに止まらず、あらゆる面で現実問題となってきているからだ。ここから平和崛起論の売込みの必要性が浮かび上がってくるのではないだろうか。 では、「現実問題となってきた中国脅威論」とは何かといえば、もちろん、先に触れたような、中国は「世界の工場」「最大の市場」やら「やがて日本は中国に呑み込まれる」「日本経済は中国の十分の一になる」という中国経済の脅威論ではない。ずばり、一言で言わせていただこう。現在の日本ではほとんど取り上げられたことのない「華禍」である。中国の軍事的脅威も含めた複合的な中国の脅威である。それを総称して、私は「華禍」と呼ぶのだ。 かつて、日本の開国維新から、ことに日清・日露戦争をピークに、世界で、とりわけ欧米で「黄禍論」が大々的にとりあげられた時代があった。それに対抗したのは、日本が主唱する「白禍論」であった。「黄禍」はただの幻想であって、「白禍」つまり白色人種の有色人種に対する植民地支配こそが現実の禍いであるという見解は、私も理解できる。そしてもちろん、すでに冷戦が終結した二一世紀の今日にあっては、過去の「黄禍」も、「新黄禍」も、あるいは「白禍」でさえ過去のものとなっている。一時、「世界革命・人類解放」をめざして世界地図を二分にしていた「赤禍」も、今ではすでに幻想となり、過去のものになろうとしている。 これに対して、幻想ではなく、ただの杞憂でもない、もっとも現実的な脅威が、ほかならぬ「華禍」なのだ。 「華禍」などといえば、あまりにも反中国的ではないかとのそしりがあるかもしれない。だが私は、それは無知からくるものだと言わざるをえない。 「華禍」とは、決してじわじわとしのびよるような中国の脅威ではない。実際には、すでに日本だけではなく、全地球的な規模の危機をもたらしつつあるのである。それが人びとの視線に入ってこないのは、日本人、あるいは日本のマスメディアがみずから目を覆って、この現実を凝視しようとしないだけのことだ。本来なら、私がここで警鐘を鳴らすまでもないほどの事実なのである。 ではいったい「華禍」はどこまで世界に蔓延し、文明の危機、さらに人類の生存の危機を脅かしているのか。これについて本書では次の如く八草にわたって、世界が腐蝕されている「華禍」の脅威と恐怖を明らかにしたい。 「華禍」の恐怖は「黄禍」を超える 原理主義より中華主義が怖い 流民と植民で膨張を続ける中華帝国 中国の「平和浸透力」はやがて世界を埋め尽くす 世界にはびこる中国国際流民の凶悪犯罪 世界を脅かすニセモノと仮面の中国 世界を襲う中国発の疫病と地球汚染 軍国主義へ狂奔する中国の行方 以上が、すでに、しかも深刻に人類を脅かす「華禍」の具体的な内容である。これを見るだけでも、日本をはじめ世界を急襲、拡散する「華禍」の脅威が、今までいわれている個別的な様々な中国脅威論を超えて現実的で多岐にわたり、しかもその深刻の度を日々深めているということがおわかりいただけると思う。 本初が、日本の有識者の方々の注意を喚起する事につながれば、幸甚である。平成十六年八月吉日 黄文雄平成十八年 十一月卅日 石川セリ「背の高い子供」を聴きながら女性天皇と女系天皇の違い 愛子内親王殿下は男系女子なので、民間男子との間に設けられた御子様は「女系」でも「男系」でもない。 男┌女…雑系女子 ├┤ ┌女└男…雑系男子 男 ┌女…雑系女子 │ ├────┤(神武天皇) 女│女┌女…男系女子=愛子内親王└男…雑系男子 ├┤├┤神倭伊波礼毘古命┌男└男└男…男系男子=悠仁親王 ┌女…男系女子 │ │ │ ├────┤ │ │ │┌男…双系男子 女 └男…男系男子 ├────┤ ├┤ │ │ │└女…双系女子 │ │ │多多良伊須気余理└女┌女┌女…女系女子 ├┤├┤ 男│男└男…女系男子 │ └男┌女…雑系女子 ├┤ 女└男…雑系男子 従って今次の皇室典範改正問題の論点は「女系天皇を容認するか否か」ではなく「男系天皇を放棄するか否か」である。 コメント・トラックバックは予告無しに削除する場合があります。あらかじめご了承下さい。