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テーマ:大東亜戦争(63)
カテゴリ:國防 軍事
長い地震だった。大きいがゆっくりした揺れなので恐怖は感じない。新幹線が運転を見合わせていると聞いた時もすぐに動き出すだろうと高を括っていたが運転再開まで六時間以上掛かる見通しと聞いて一転、今日はもう帰れないだろうと判断して最寄りの駅へ行き十七日の切符を手配する。 十七日もまともに運行するとは思えないので、新潟まわりで帰ることにする。新潟までの特急券と新潟東京間の新幹線指定席券を入手。 時間潰しに本でも読もうと、帰路本屋に立寄り「梅津政景日記読本」を入手。 今月は大東亜戦争特集、本日は週刊新潮平成十七年八月十一日十八日合併号から「戦後六十年に復刻した海軍雜誌」。 戦後六十年に復刻した「海軍雜誌」 福田和也 大学の講義で文学、思想方面を扱っているので、歴史的背景についても語らざるを得ないのですが、だんだんと学生諸君の前提とすべき知識が怪しくなってきた気がします。高校までの歴史関係科目の扱い方にもよるのでしょうが、それ以前の、過去との距離感がだいぶ変ったのではないか。教壇に立ったころは、学生の主流は団塊ジュニアだったわけですが、数年前から全共闘世代の子どもたち、そしてそろそろ新人類世代のジュニアが教室に現れるようになってきました。 戦後六十年というのは、そういうことなのでしょうが。 このほど日本出版社から復刻になった『戦線文庫』は、昭和十三年から二十年まで海軍省の監修により発行され、戦地を中心に海軍の将兵すべてに一部ずつ配布されていた雑誌です。昭和十七年には二百万部を超えていたといいますから、当時最大の雑誌の一つでもありました。講談社が出していた陸軍の『陣中倶楽部』が数万部にすぎなかったといいますから、海軍はかなり熱心に『戦線文庫』を配布していたことになるでしょう。配布の目的は、一に前線将兵の慰問であり、二に戦意高揚でした。そのため、発行には海軍省の恤兵金が充てられています。 『戦線文庫』を刊行していた興亜日本社─復刻を手がけた日本出版社の前身─は、文藝春秋社から独立したモダン日本社の流れをくんだ出版社です。 復刻版の解説を執筆している橋本健午氏は、『戦線文庫』の発刊に菊池寛が深く関わっていると推測していますが、菊池寛は、昭和十三年に海軍の武漢作戦に、小島政二郎、吉川英治と従軍しています。 この度復刻されたのは、昭和十三年十一月発行の第三号と、昭和十八年三月発行の第五十三号の二冊で、ほかに五百ページ弱の解説篇がつき、主要な号の目次、記事、グラビアが収録されていて、つまりは支那事変序盤から、大戦の終盤までの世相の変遷がダイジェストされていて、かなり充実した戦時下の文化資料といえると思います。 とはいえ、その「世相」は、あくまで海軍省が前線兵士を慰問するという目的のもとで再構成されたものですから、だいぶ実相とは違うのでしょう。何といっても、一番印象に残ったのは艶っぽさでした。 第三号のグラビアでは、巻頭こそ、白馬にまたがり二重橋を渡る天皇陛下ですが、そのあとは女優のブロマイドばかり。李香蘭、高杉早苗、桑野通子、山田五十鈴、高峰三枝子などのグラビアが十五ページも続いています。写真には一人一人の女優の言葉が添えられていて、芝生に膝を抱えて腰を下ろした桑野通子は「文かけば涙流るゝと申します。私には筆もふるへる思ひがいたします。つい先日も、菊池寛先生が、長江遡江部隊に従軍してと、ラヂオで御感想をお話しになりました。お話をきゝながら、みなさまの御労苦につい、泣けてく仕方がございませんでした」と濡れる瞳でレンズを見つめます。割烹着を着て大日本国防婦人会のたすきをかけた深水藤子 ─『丹下左膳 百万両の壷』のお久 ─ は、 「御覧下さい。この姿! 私とても銃後女性の一人として、みなさま御奮闘のお留守を、心からお見舞ひ申し上げてをりますの」 と日の丸をかたげる。 グラビアのあとは軍国歌謡の「皇国の母」「軍港の乙女」の歌詞とイラストが並んでいますが、絵は写真より一層艶めかしい。「解説」に、一般誌では描けない服や美人も『戦線文庫』には描けたという杉浦幸雄の証言が引用されています。 こうした誌面を見ていると、爆撃機や戦闘機に、グラマーな女性を描いた米軍のパイロットたちと、日本の海軍軍人もそんなに変らないメンタリティをもっていたのか、という気もしますし、さらにいうと、『戦線文庫』のデザイン、写真、雰囲気は『りぺらる』や『猟奇』といったカストリ雑誌から『風俗科学』、『奇譚クラブ』に流れるエロス系雑誌の淵源にあたるのではないか、とも思いました。内地では禁じられていた「新婚箱根の一夜」を、慰問では毎日やったという柳家三亀松の話、これもまた発禁に処された『腕くらべ』を、陸軍が大量に刷って戦地に送ったという永井荷風の回想を彷彿とさせます。 エロと笑いとご高説 今一つ目立つのは、演芸記事で、毎号のように落語、講談、浪曲、漫才の筆記記事に多くのページが割かれています。昭和十八年の第五十三号には一龍斎貞山、篠田実、桂右女助、ヱンタツ・ヱノスケの演目が掲載されていますが、記事には実用的な意味があったとか。つまりは兵隊さんたちが、戦地で演芸大会をやるときに、その台本、ネタとして使うのです。昭和十七年の第四十三号には、ダイマル・ラケットの台本作者として、漫才の近代化を進めた秋田実作の「ルーズヴュルトとチャーチル」が載っています。 ルーズベルト「しかし、考へると、君と会談する度に、だんだん心細うなつて行くな」 チャーチル「全たくや。第一回目が大西洋上」 ルーズベルト「君の自慢のプリンス・オヴ・ウェールズの艦上で」 チャーチル「あの虎の子の軍艦も沈んでしもうた」 ルーズベルト「会談が怪談咄になつてしもうた」 チャーチル「こんな筈や無かつたんやが」 ルーズベルト「同感や。艦の比率から言ふたら、君が五、ボク処が五」 チャーチル「さうや。五と五とで、日本の三に勝てんと言ふ道理がない」 ルーズベルト「だから、ボクは日本なんかひと潰しやと、五五したんや」 チャーチル 「成程、豪語か。・・・・・・」 もちろん、誌面はエロと笑いだけでなく、菊池寛、吉川英治、小栗虫太郎、海野十三、長谷川伸、尾崎士郎などの小説が毎号数本載っていますし、嶋田繁太郎海軍大臣をはじめ、大川周明、近衛文麿、大島浩などのご高説も掲載されています。 「軍港新開」と題して、横須賀、呉、佐世保、舞鶴の出来事をつづる欄や、海仁会病院訪問記、早春の銃後だよりといった、内地の情勢を伝えるコラムも充実していて、検閲等があったには違いありませんが、誌面から故国との結びつきを感じとれる。そこからも、読者の切実な要請に応えようとする、編集者の熱気が確実に伝わってきます。 雑誌好きの学生諸君が、この誌面にどのような反応をするか、是非手にとってもらいたいものです。 週刊新潮 平成十七年 八月十六日 ちあきなおみ「喝采」を聴きながら
最終更新日
2005年08月19日 21時01分38秒
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