テーマ:皇室(560)
カテゴリ:歴史 傳統 文化
「Voice」平成十六年九月号より。「月曜評論 平成十六年七月号」と論旨は重複しているが、こちらの方がより詳しい。また、皇室典範改正が急務でない理由として、今上天皇の直系の祖先である光格天皇の例を挙げている。 ところで僕は「雅子様おかわいそう」とは思わない。二千年続いた天皇家のお世継ぎを産むというのはおよそ日本女性としてこれ以上の大事業はなく、かわいそうという表現は不適切であろう。たとえばオリンピックで金メダルを目指して戦っている谷亮子選手を見て「かわいそう」と思う人はあまりいないだろう。あるのはひたすら応援する心だけであろう。 「かわいそう」と言うならば、三歳にして既に有史以来初の女系天皇の祖たるを求められようとしている愛子内親王殿下の方が余程おかわいそうである。 女性天皇容認論を排す 男系継承を守るため旧宮家から養子を迎えればよい 八木秀次 高崎経済大学助教授 皇位継承に関する基礎知識 皇太子妃殿下のご病気とそれにともなう皇太子殿下の「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあったことも事実です」とのご発言以来、再び女性天皇容認論が台頭している。 新しい憲法を構想するに当たって「地球市民的価値」を強調したり、靖国神社に代わる新しい国家追悼施設の建設・整備を進めると述べるなど(民主党憲法調査会『創憲に向けて、憲法提言 中間報告』六月二十二日)、わが国の歴史を軽視するこの政党が主張しそうなことではある。 しかし、このような「雅子様おかわいそう」「愛子ちゃん天皇歓迎」といった感情論や、歴史軽視の選挙向けパフォーマンスによってわが国の国柄の中心問題である皇位継承が左右されていいはずはない。後述するように皇太子妃殿下のお世継ぎ出産のプレッシャーを取り除く方法は女性天皇の容認以外にもあるのであり、民主党の提言に至っては十分な論議を経たうえでの結論ならまだしも、皇位継承に関する基本的な知識もない段階でのものであり、拙速も甚だしい。 ここで、いまさらとは思うが、皇位継承に関する基本的な事項をまとめておこう。 一「万世一系」とされる皇統は一貫して男系継承であ る。 二、過去八人十代の女性天皇は「男系の女子」である。 三、女性天皇は本命である「男系の男子」が成長する までの中継ぎ役であった。 四、女性天皇がお産みになったお子様が天皇になられ た例はない。 五、女性天皇がお産みになったお子様が天皇になられ れば皇統が女系に移ることになる。 六、過去の皇統断絶危機の際には男系の傍系から天皇 となられている。 七、皇位は直系による継承ではなく、あくまで男系に よる継承である。 女性天皇容認の理由として、過去にも八人十代の女性天皇がいらっしゃったということが語られる。政治家の容認論のほとんどはこれだが、過去の女性天皇はいずれも「男系の女子」であり、それは本命である「男系の男子」が成長するまでの「中継ぎ役」であった。 皇后であった方が「中継ぎ役」として天皇になられた例、生涯独身であった例の二つのパターンがあるが、女性天皇が結婚されてお産みになったお子様が天皇になられた例は一例としてなく、そのことは厳しく排除されている。それは、その場合には血筋が女系に移るからである。 今上天皇に至るまでの過去百二十五代の天皇は、このように一筋に男系で継承されており、この原則に外れたことは一例もない。このことは強調してもしすぎることはない。 皇統の歴史を振り返ってみれば、過去にも今日と同様、天皇の近親者に「男系の男子」が恵まれず、皇位継承の危機を迎えたことがある。その際、今日の女性天皇容認論者が主張するように、女性が皇位を継承することも可能だった。そのうえで、女性天皇が結婚され、そのお子様が次に皇位を継承するということでもよかった。 しかし、先人はそうはしなかった。皇統が女系に移ることを厳しく排斥し、男系で継承できる方法をとった。それが傍系による継承である。たとえ先代の天皇との血縁関係が希薄であっても、男系の傍系から皇位継承者を得たのである。これは皇統をその時々の天皇の直系の血筋だと理解している現代人には理解しづらいことだが、これが皇統というものなのである。 二重の安全装置 じつはこのようなことが過去に三例あった。 後花園天皇も先代の第百一代・称光天皇から見て九親等の隔たりのある遠縁である。称光天皇には皇子がなく、天皇の父である第百代・後小松天皇は伏見宮貞成親王の第一皇子彦仁親王を御所に迎え入れて猶子としたうえで、称光天皇崩御とともに践祚させた。この方が後花園天皇である。 江戸時代後期に即位された光格天皇も先代の第百十八代・後桃園天皇とは八親等の隔たりがある。後桃園天皇は安永八年(一七七九)、その年に生まれた幼い皇女一人を残して二十一歳の若さで崩御された。皇太子が決まっていなかったうえに、天皇の近親者に男子がなかったので、空位を避けるために崩御についてはしばらく黙されることになり、その間に閑院宮典仁親王の第六皇子でまだ満八歳の祐宮殿下を天皇の養子としたうえで世継ぎとする旨が決められた。天皇崩御が発表されたあと祐宮殿下が践祚した。光格天皇であるが、第百十三代・東山天皇の曾孫に当たる方である。 なおこの光格天皇以来、そのお子様が仁孝天皇、またそのお子様が孝明天皇という具合に、以下、明治天皇、大正天皇、昭和天皇、今上天皇と直系でつながっている。しかし、今上天皇の直系の祖先に当たる光格天皇が傍系のご出身であることは重要なポイントであろう。 このように過去には傍系から皇位に就かれた例がある。ただし、たとえば先代の天皇の皇女と結婚なさるという方法などを介して先代との血の隔たりを近づけようとしている。その間にお生まれになった男子が次に皇位に就かれることになれば、先代からの血統もそこに流れ込むというわけである。 前述の光格天皇の皇后は先代・後桃園天皇の遺児、欣子内親王である。わが国の歴史上最後の女性天皇である第百十七代・後桜町天皇は自分の弟(第百十六代・桃園天皇)の孫であるこの欣子内親王を光格天皇の皇后にするよう大いに尽力なさっている。ただし、次の第百二十代・仁孝天皇は欣子内親王とのあいだに生まれたお子様ではなく、側室とのあいだに生まれた方であったが。 現在、女性天皇容認論のなかに、これまでの男系継承は庶系によって支えられており、もっといえば、男系継承と側室制度とはワンセットであって側室制度のない今日では男系継承は不可能である、だから女性天皇も女系も不可避であるとの意見がある。しかし、それは直系による継承が困難な場合は傍系によって継承されてきたという皇位継承の厳然たる事実を見ていない発想だといわざるをえない。 これまで述べたように、側室制度のあった時代にも直系の男子は絶えることがあった。その際に傍系による継承が認められたのであれば、男系継承は側室制度と傍系継承の二段階の「安全装置」によって支えられていたというべきであろう。 今日、国民感情からして側室制度の復活が望めないのは事実であり、私とて現実的だとは思わない。その道が塞がれている以上、過去に倣って傍系継承という第二の安全装置を作動させる必要があるのではないか。私の主張はこれに尽きるが、その道を検討せずに一気に「皇統」の変質を意味する女性天皇や女系天皇へと移行させるというのは早計ではないかと思う。 以上をまとめていえば、皇后とのあいだにお生まれになったお子様が皇位に就かれるという嫡系優先の原理のうえに、それが不可能な場合には (一)側室とのあいだにお生まれになった庶系のお子様が皇位に就かれるが、それも不可能な場合には (二)男系の傍系から皇位に就かれるという、二重の安全装置を備えて一貫して男系で継承してきたのが皇統なのである。(続く) 平成十七年 十月九日 井上陽水「愛は君」を聴きながら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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