テーマ:皇室(560)
カテゴリ:歴史 傳統 文化
平成十七年五月三十一日(火)午後四時~ 於三田共用会議所大会議室 (続き)そこで、三案ほど示してみました。 旧宮家の男系男子が皇籍に戻る、宮家復活案ということでございます。臣籍降下後、皇籍復帰の例は過去に多数あります。下の参考というところをごらんいただきたいと思いますが、(一)から(五)までのパターンがございます。 一般に臣籍降下後、皇籍に復帰した例として専ら取り上げられるのは、第五十九代の宇多天皇でございますが、それ以外にも多くの例があるということが『皇室制度史料』の中で確認できます。こちらの事務局がお作りになったものだと思われますが、そこにこれらの例が出ておりませんので、あえてこれをここで提示させていただきたいと存じます。 中でも注目すべきは、(四)の「皇孫以下が復帰した例」といたしまして、その中のBの忠房親王でございます。 この方は、父も臣籍、臣下の子として皇籍に復帰した唯一の例でございます。先例として注目に値すると思います。 第一案にもう一度戻っていただきますと、旧十一宮家は、現在、七家が存続し、五家に次世代の男系男子がいらっしゃることが『文藝春秋』の今年の三月号で確認されております。 ただ、この文春の調査も直系を重視した調査でありますので、さらにほかにも男系の男子がいらっしゃると思われます。 その中から、御本人の意思を尊重しつつ、これは多ければ多いほど私はいいと思いますけれども、三人から七人が復帰をなさるという案はいかがでしょうかということでございます。 第二案は、皇族の養子を認め、その際には、皇室典範第九条の改正の必要がありますが、旧宮家の男系男子を皇族とする。 養子による宮家存続案ということであります。できればここに内親王・女王が妃殿下として嫁がれることが望ましいと存じます。傍系と直系との血を近づける措置であります。 第三案は、過去には例はありませんので、できれば私はこれを避けたいと思いますけれども、女性宮家を立てる。ただし、内親王・女王が旧宮家の男系男子と婚姻された場合に限るとするということでございます。 四枚目をごらんいただきますと、このようにいずれにしても旧宮家の男系男子を活用した形での男系継承という道を探ってみたわけでありますが、旧宮家の復活は時代錯誤であるという指摘もございます。臣籍降下から約六十年経っているということでありますが、この六十年を長いと見るか、短いと見るかは主観的なことだと思います。皇統の歴史から見れば、六十年は短いとも言えます。 それに遠縁ではありますが、昭和二十二年十月まで皇族として存続されました。しかも世襲親王家として存続をしたわけです。 更に、皇籍離脱は占領下の特別の事情によるものです。そして、現在もさまざまな名誉職をなさっています。 それから、現在の皇室とは「菊栄親睦会」として交流もあります。 このように宮家を復活するということ、このことによって皇族方の御公務の軽減に一役買えるのではないか。 そして、何より、皇太子妃殿下のお世継ぎ御出産の御負担も軽減できるのではないかと存じます。 また、財政負担の問題を指摘する向きもありますが、一宮家維持に必要な経費は年間五千万であります。三宮家から七宮家といたしましても、大した金額ではございません。 結論でございますが、我々が今行うべきことといたしまして、実は皇位継承はそれほど差し迫った問題ではありません。皇太子殿下も秋篠宮殿下もまだお若くございます。恐らく二十年後か三十年後に本格的になります。 であれば、今、行うべきは女性に皇位継承権を認めたり、皇位継承順位を付けることではありません。概して四つの案が示されたようでありますが、どなたを皇位継承順位の上位に持っていくのかということにおいて、混乱や内紛が生じる懸念があります。 今、必要なのは、将来の皇位継承に備えて皇位継承の基盤を充実させることではないかと存じます。すなわち、神武天皇以来の男系の血筋を引いた宮家の数を増やしておくことということであります。このままでは皇族自体が絶滅いたします。 そこで、新井白石の事績に学ぶ必要があると存じます。「『平成の新井白石』出でよ!」ということでございます。帝王学の問題は先ほど触れました。 要は優先順位の問題ではないかと思います。男系継承の道をはたして探っているのかということでございます。また、男系継承の道は本当にふさがれているのかということであります。女性天皇、女系天皇の容認はその後でも十分ではないかと存じます。 「一系の天子」というものは、日本のかけがえのない文化であります。それを維持するのか、変えるのかという選択を迫られております。 しかしながら、問題は建国以来の国柄の変更にもつながります。前人未到の領域に足を踏み入れることにもなります。「荊の道の始まり」との指摘もあります。有識者会議の先生方の責任は極めて重いと言えます。それだけの覚悟がおありになるかどうかということでございます。慎重にも慎重を期すべきことをお願いいたしまして、私の意見陳述とさせていただきます。 なお、詳細は『本当に女帝を認めていいのか』(洋泉社新書y)という本を来週出版いたしますので、それを参照いただければと存じます。 ありがとうございました。 ○ 吉川座長 どうもありがとうございました。それでは、何か御質問がございますでしょうか。 ○ 園部委員 園部ですが、今日は大変貴重なお話を直接お聞きできてありがたく思います。短い時間で簡単に一言二言だけ申しますが、男系継承を護持するための具体的方策として一案から三案、これは既に私どもは拝見してよく存じ上げております。 理念としては望ましいし、ある程度の選択の余地があるという前提なんですが、皇室典範を改正して、このような選択をする、あるいは望ましいことを実現するためには、ある程度の強制的な措置が必要なんですが、具体的にはどういう形でだれがこの選択をして、あるいは典範の規定としてどういうものを置けばいいのか、その点の何かお考えがございますか。 ○ 八木助教授 第一案につきましては、典範の何か所かの改正が必要かと思いますが、第二案については第九条の改正、第三案については第十五条の改正で済むかと存じます。私といたしましては、実はここに優先順位が既にございまして、第一案は実際には難しいのではないかと思います。一番ソフトランディングできる案は第二案ではないかと思います。 それは、このまま放って置きますと、宮家自体が存続いたしません。すべて廃絶されることになります。今の宮家のサイズ、数でやはり残していくということが象徴天皇制度を憲法上維持しているということから考えても必要なことではないかと思います。 その際に、やはり旧宮家の男系の男子の方にお役に立っていただくということが一番国民としても受け入れやすいのではないかなと考えております。 ○ 園部委員 旧宮家には何人か適格者がいるとして、それを例えば皇室会議で決めるようにということですか。 ○ 八木助教授 そういう手続は必要かと思います。 ○ 吉川座長 ほかにございますか。 (八木高崎経済大学助教授退室) 配付資料 資料一「八木秀次 高崎経済大学助教授 説明資料」 平成十七年 十一月四日 チベットの仏教音楽「地獄の王、マハーカラへの荘厳」を聴きながら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年12月26日 13時08分23秒
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