テーマ:教育(24)
カテゴリ:教育
旧暦十二月卅日、掛け取り。師走、東風氷を解く。 偏向教師は自分の考えに従わない女子中学生を登校拒否にまで追いつめた。 一、「アサハカな思い上がり」 《あなた達の親の一人が「増田先生は、けしからん教育をしている」というような内容の電話を教育委員会にしたそうです。・・・教育委員会に密告(若者スラングで言う『チクリ』)電話や密告ファックスを送るというクラーイ情熱やエネルギーには敬意を覚えますが、私はこの親の要望に添うわけにはいきません。・・・ いからと、教師の教育内容に介入しようなどと笑止千万な、あまりにも「アサハカな思い上がり」と言うべきです。(一、六十二頁)》 足立区立第十六中学校の増田都子・教諭が平成九年七月十六日、二年生の三つのクラスで配布したプリントの一節である。 《頭の中が真っ白という感じで、怒りと恐ろしさが入り交じった状態で、ことばがでなかった。読んですごくつらかった。米軍基地ということで、私とつながりがあるということがすぐ分かった。友達もあなたのお母さんのことだと思う。クラスで も、K子さんのお母さんの事だと言っていた。(一、六十六頁)》 K子さんが登校拒否に陥り、ついには転校まで余儀なくされたつらい日々が、こうして始まった。 二、やってきた増田都子教諭 K子さんのお父さんはアメリカ人で英語教師をしている。お母さんはごく普通の主婦だ。二人姉妹で、日本とアメリカとの両方の国籍を持つ。お母さんは日頃から「ふたつの文化を持てることに誇りを持ちなさい」と教えていた。 その十六中に増田都子教諭が転任してきた事で、すべてが一変してしまった。六月にPTAの集まりがあり、K子さんのお母さんも出席した。そこに同席した父兄が「これどう思う」と、増田教諭が配布したプリントを見せてくれた。 そのプリントは、「沖縄の米軍基地 普天間第二小の場合」というビデオを見せて生徒に書かせた感想文、および沖縄の反戦地主のインタビュー記事の抜粋をまとめ、それに増田教諭自身のコメントをつけたものだった。コメントの中には次のようなものもあった。 《・アメリカ政府はアメリカの国益をおびやかす国があればいつでも戦争をすると明言しています。そのために沖縄=日本の米軍基地は絶対に必要とアメリカ政府は言っていますよ。 軍は暴力(銃剣とブルドーザー)でむりやり土地を取り上げて基地を作ったというのが歴史的事実です。》 中国の軍事力増強や北朝鮮の核ミサイル開発などは伏せておいて、一方的に米軍基地の問題のみを取り上げれば、生徒たちが次のような感想を持つのも当然だろう。 《・アメリカ軍は日本を守ってくれるといっても今まで本当に日本のために何とかしてくれたのか? 三、「アサハカ」「ド厚かましい」「恥知らず」「馬鹿」 もちろん、こうした授業に反発した生徒もいた。「先生はしつこい。なんで米軍にこだわるのか」という感想を書いた生徒 には、増田教諭はこんなコメントを書いた。 《アサハカに満足しているという態度を選ぶのは君の問題であって、先生の感知するところではありません。》 別の生徒が「先生の言葉遣いが気になります。『ド厚かましい』『恥知らず』とかの言葉は、もっと他の言葉は使えないのですか」と質すと、 《私はいつも「馬」は「馬」といい、「鹿」は「鹿」といい、「馬」を「鹿」というものには「馬鹿」ということをためらったことのない人間です。「恥知らず」であるという事実をそれを知らない人に教えてあげるのは「先生」の仕事だと思っています。》 思想うんぬんの前に、こういう事を平気で言う精神に何か異 様なものが感じられないだろうか。 四、「それは十六中ですね」 帰宅したK子さんも米軍基地に関するプリントを母親に見せた。母親は「余りにもひどい反米攻撃に震えを覚え」、アメリカ人の父親を持つ娘の気持ちを考えたら、思いやりに欠けているのではないかと思って、教頭に電話した。教頭は「まったくおっしゃるとおり」と言った。 母親は足立区教育委員会指導室に電話した。学校名も伏せたのに、相手は「それは十六中ですね」と答えた。増田教諭の前任校である十二中の保護者からも「困る」という電話をよく受けていた、という。 カ国籍の生徒もいるので配慮すること」と注意すると、教諭は母親宅に直接電話をかけてきて、校長の指導に反論し、今後は自分に直接話をするように、と言ってきた。母親は、再度、こうした電話があったことを校長に伝えた。 冒頭の「アサハカな思い上がり」というプリントは、この後で増田教諭が三つのクラスに配布したものだ。学校からの報告を受けた指導室は適切な指導を要請。PTA会長も来校して、個人攻撃であり、不適切だと教頭に伝えた。校長は増田教諭に、「プリントが個人攻撃になっている」「今後、授業に使う印刷物は事前に管理職に見せること」と再度、注意した。それを真っ向から否定するかのように、増田教諭は残る二つのクラスにも、同じプリントを配布した。 五、「間違った者に奉仕する必要はない」 校長も手を拱いていたわけではない。直接、増田教諭に指導を行った。(一、百二十一頁) 校長 校長の責任の持てない資料の配布は認めません。この文書は個人攻撃であり、人権問題である。釈明し、責任をとってもらう。 こんな押し問答が何度も繰り返された。 校長 謝罪するようにお願いするということは職務命令です。 校長 先生は公務員ですから国民に奉仕しなければならない。 六、「もう人間でいることがイヤになった」 校長はK子さんの自宅を訪ね、「このたびは大変なご迷惑をお掛けして本当に申しわけありませんでした」と謝罪したが、加害者である増田教諭は「自分には非がない」と、かえってK子さんを冷たい視線で眺めるだけだった。 《病院にも週二回通い始めました。娘はげっそり痩せ、目は虚 ろな毎日でした。夜は眠れず、何をするにも気力が湧いてこない日が続きました。(一、七十九頁) 娘は、九日より学校に行けなくなっております。思春期の真っ只中、死ととなり合わせの苦悩の中にいる娘を救ってあげたいと思っても、親でも救ってあげられない無力さを感じている毎日です。「・・・このままだと自分は水をもらえなくて育たなくなってしまう雑草のようになってしまう。もう人間でいることがイヤになった・・・・」(一、百十二頁) 翌平成十年三月、K子さんは転校を決意した。大好きだった十六中の友達と別れなければならなかった。 七、教育委員会の無為無策 K子さんの母親は、足立区の教育委員会指導室に電話をした が、「直接、担当の者から電話連絡します」という返事だけで、その後はなしのつぶてだった。東京都の教育委員会に手紙を出し、直接出向いて訴えもしたが、区の教育委員会のほうに「適切に処理するよう」指示したのみだった。 校長からも平成九年十一月に足立区教育委員会あてに「教員の職務命令違反及び信用失墜行為違反について(報告)」が提出されていた。この頃、K子さんはなんとか学校には通っていたが、増田教諭の授業を受けられず、図書館で自習をしていたのだが、具体的措置は何もとられないままだった。 それどころか、増田教諭は教員組合の十六中分会長の立場で、校長に「良心の存在証明をする機会を与え」たが、校長が拒否したので、東京都人事委員会あてに校長の解職・更迭の措置要求書を出す始末だった。やりたい放題である。 実は今回の事件は足立区教育委員会にとっては初めてのもの ではなかった。増田教諭が前任校の十二中にいた平成八年六月、保護者から「指導に偏りがある」との訴えがあり、校長を通じて、注意をさせていた。こういう訴えは何度もあったが、増田教諭は逆に、そのような親を密告者と攻撃している有様である。 平成九年三月の卒業式では国歌斉唱の際に、五、六十人の子供たちが一斉に座ってしまう、という事件が起きた。区議会議員が文教委員会でこの問題を指摘したが、区の教育委員会は増田教諭に「今後誤解を招く指導」を行わないように指導しただけで、うやむやに済ましてしまった。 K子さんのお母さんが、教育委員会に電話した時に、即座に「十六中ですね」と言ったのは、増田教諭がすでにこれだけの前科を犯していたからである。それにも関わらず、口頭注意だけで済ませてきた結果、遂にK子さんのような犠牲者を生んだ のである。 (続く) 平成廿年 二月六日 トムウェイツ「目を覚まさせて」を聴きながら コメント・トラックバックは予告無しに削除する場合があります。あらかじめご了承下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年02月06日 22時04分06秒
コメント(0) | コメントを書く
[教育] カテゴリの最新記事
|
|