テーマ:大東亜戦争(216)
カテゴリ:國防 軍事
旧暦一月十二日。睦月、魚氷をいずる。 「国際派日本人養成講座」より 一、米軍がレポートする慰安婦の実態 米軍情報部は、北ビルマのミチナ慰安所で収容された慰安婦からの聞き取りをもとに、以下のような報告書を残している。 《女性たちはブローカー(および経営主)が、三百~千円の前借金を親に払って、その債務を慰安所での収入で返還している。経営者との収入配分比率は四十~六十%、女性たちの稼ぎは月に千~二千円、兵士の月給は十五日~二十五円。【一、二百七十頁】 慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿泊して、・・・・寝起きし、業を営んだ・・・・彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。 慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・・負債の弁済を終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された【一、二百七十五頁】》 また、ビルマのラングーンで慰安婦をしていた文玉珠さんの手記では、その生活ぶりを次のように語っており、米軍のレポートを裏付けている。 《支那マーケットにいって買物した。ワ二皮のハンドバッグと靴をわたしのために買った。母のためにもなにか買った。 の無事を祈って帰ってきた。【一、二百七十六頁】》 ちなみに文玉珠さんは、平成四年に日本の郵便局を訪れ、二万六千百四十五円の貯金返還の訴訟を起こして敗れている。千円もあれば故郷の大邱に小さな家が一軒買えると体験記で述べているが、現在の貨幣価値なら、四~五千万円程度の金額を、三年足らずで貯めたことになる。【二、三百一頁】 二、慰安婦問題の経緯 まず慰安婦問題の経緯を時系列的に見渡しておこう。 (一)昭和五十八(一九八三)年、吉田清治が、著書「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」の中で、昭和十八年に軍の命令で「挺身隊」として、韓国斉州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたという「体験」を発表。朝日新聞は、これを平成三(一九九一)年から翌年にかけ、四回にわたり、報道。 (二)同三年八月十一日、朝日新聞は、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」の一人が名乗り出た、と報道。 (三)同四年一月十一日、朝日新聞は、一面トップで「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監 督」と報道。この直後の十六日から訪韓した宮沢首相は首脳会談で八回も謝罪を繰り返し、「真相究明」を約束。 (四)同五年八月四日、河野官房長官談話、政府調査の結果、「甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこともあった」と発表。 この河野談話によって日本政府は、慰安婦が軍によって強制徴集されたことを公式に認めてしまったことになる。これを契機として、中学高校のほとんどの歴史教科書に、「従軍慰安婦」が記述されることになっていった。 三、吉田清治の慰安婦狩り まず(一)、吉田清治の「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」では、韓国斉州島での、慰安婦強制連行を次のように、描写している。 《若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。》 当時は、戦地での強 姦事件を防ぐために、公娼業者に戦地 で開業させていた。戦地であるから、業者の指名、戦地への移動、営業状態の監督などは、軍の関与が当然あった。これらは当時、合法であった公娼制度の戦地への延長で、特に問題はない。 「従軍慰安婦」問題とは、本人の意思に反した「強制連行を、軍が組織的に行ったか、どうか」の問題なのである。したがって、吉田の言うような強制連行が事実であったら、これは日本の国家的犯罪となる。 四、日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物 吉田の記述は済州島の城山浦にある貝ボタン工場という設定だが、この記事に疑問をもった済州新聞の許栄善記者が現地で調査し、以下のような記事を書いている。 《島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信想性に対して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オクタン(八十五歳の女性)は「二百五十余の家しかないこの村で、十五人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。 郷土史家の金奉玉は「一九八三年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している。》 現地調査を行った秦郁彦日大教授は、許栄善女史から、「何が目的でこんな作り話を書くのでしょうか」と聞かれ、答えに窮したという。【一、二百三十二頁】 に、四回も紙面に登場させたのだが、秦教授の調査の後は、ぷっつりと起用をやめた。今日では、慰安婦問題の中心的糾弾者である吉見義明中央大教授すら、吉田清治の著作は採用しなくなっている。 (続く) 平成廿年 二月十八日 リントンクエシションソン「お話」を聴きながら 愛子内親王殿下は男系女子なので、民間男子との間に設けられた御子様は「女系」でも「男系」でもない。 男┌女…雑系女子 ├┤ ┌女└男…雑系男子 男 ┌女…雑系女子 │ ├────┤ (神武天皇) 女│女┌女…男系女子=愛子内親王└男…雑系男子 ├┤├┤ 神倭伊波礼毘古命┌男└男└男…男系男子=悠仁親王 ┌女…男系女子 │ │ │ ├────┤ │ │ │┌男…双系男子 女 └男…男系男子 ├────┤ ├┤ │ │ │└女…双系女子 │ │ │ 多多良伊須気余理└女┌女┌女…女系女子 ├┤├┤ 男│男└男…女系男子 │ └男┌女…雑系女子 ├┤ 女└男…雑系男子 従って今次の皇室典範改正問題の論点は「女系天皇を容認するか否か」ではなく「男系天皇を放棄するか否か」である。 コメント・トラックバックは予告無しに削除する場合があります。あらかじめご了承下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年02月18日 22時57分46秒
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