2005年03月22日

台湾 - 独立自尊の気概

テーマ:台湾(37)
カテゴリ:政治 政治史 行政

支那は独裁国家であり、侵略国家でもある。

これまでチベットとウィグルを侵略しているし、ベトナムにも戦争を仕掛けた。

それらの国々や、董建華行政長官が失脚し独裁国家への組み入れが進む香港を見て、台湾の人々は何と思っているだろう。

座して死を待つ?

そんなことはないだろう。敗戦で徹底的に弱体化されてしまったこの日本でさえ支那・朝鮮勢力の排除とアメリカからの真の独立を訴える人々が少なからず居るのだ。

いまだに戦前の日本精神が息づくと云われる台湾が支那の一方的な侵略に対して無抵抗でいるわけがないだろうと思う。

かつての日本が存亡を懸けて露西亜に立ち向かったように。

【講演録】日本の鏡・台湾 - 独立自尊の意味するところ(2)
林 建良(りん けんりょう)

●台湾を見捨てた日本

 「日本の鏡・台湾」という今日のテーマには、一台湾人として非常に恐縮しています。しかし鏡というのは良い意味でもあれば悪い意味でもある。

 台湾と日本は、歴史の巡り合わせで少なくとも五十年間、共通の記憶を持ってきた間柄です。その事実は、いかに政治的な思惑や教育によって消そうとしても、事実として存在する。ただし、戦後の台湾は、まるで日本に忘れ去られたような存在になったわけです。

 日本人は一九五一年のサンフランシスコ条約によって、台湾を放棄しました。台湾人が最初に経験したまともな国家、まともな民族、台湾を近代国家としてまともに建設しようとしたのは、オランダでもなく鄭成功でもなく清朝でもない。それは日本だった。

 オランダの統治はせいぜい台湾南部の一カ所で、鄭成功も同じです。清朝の統治は目的がたった一つ、台湾が海賊の巣にならないようにできるだけ抑えこむことだった。だから、台湾をようやく一つの省にしたのは統治して二〇〇年も経った一八八五年で、まともに統治に取り組んだのはせいぜい十年間だけなんです。

 その十年後、日本がやってきた。日本は数万人の兵力を台湾に投入し、そのうち一六四名が戦死しましたが、マラリアに罹って亡くなった人の数が四千人以上にのぼった。それでまず、衛生環境の改善に手を付けた。

 日本政府が統治の象徴として建てた総督府は二五〇万円かかってますが、台湾の医科学校建設のためには二八〇万を投じます。自分の領土として真剣に統治しようと思ったネイション・ステイツとして台湾人が初めて経験したのが、日本だったんです。

 それでも、台湾を平定するまでに二十年も掛かったのはなぜか。台湾人は十七、十八世紀には、国家だの民族だのという概念を知る由もなかった。清朝のときまで国家という概念が、国家らしい体制が、まるっきりなかったからです。盗賊・山賊があちこちにいたのが当時の台湾の状態でした。

 その台湾をちゃんと教育しようとする初めての国家体制、西側文明、これはどこでもなく日本だったんです。

 日本は五十年間、台湾人を我が子のように教育した。インフラ整備については、東京にすらなかった下水道を台北でつくり、李登輝さんの講演によって有名になった八田與一の烏山頭ダムをはじめ、道路・港湾・鉄道や灌漑用水なども全部、日本人がつくって未だに台湾はその恩恵を受けている。

 しかし一九四五年以降の台湾がどうなっているか。日本は八月十五日に敗戦になったわけですが、中華民国政府がマッカーサーの命令によって台湾を接収したのは二カ月後の十月です。二カ月のあいだ、いわば無政府状態といってもいい状態だった。

 当時の日本国内では、一夜のうちに日本国民から戦勝国の人間になった朝鮮人が非常に威張って、汽車のなかでも席を取ったりと日本人を苛めていた。しかし台湾ではその二カ月間、日本人を苛めたり財産を略奪したりということはほとんどなく、むしろこれから別れることを悲しんだ。

 日本人が引き揚げた後は悲劇でした。蒋介石の軍隊がやって来て、強姦・略奪……ありとあらゆることをやった。これはなぜか。理由は簡単です。民度の低い国が民度の高い国を統治しようとすればそうなってしまう。

 しかも中国は現代化した軍隊は持っておらず、実際、台湾の軍は、戦後に旧日本軍の軍人が白団という顧問団を組織して指導したものです。現在の台湾軍をつくったのは旧日本軍だったんです。

 中国の軍人はほとんどが強制的に軍に入れられていて、その給料は、戦いに勝ったら征服した村の財産をすべてやる、ということなんです。上の人間がたくさん取って、下の人間はそのこぼした分を取る。男はすべて兵隊に入れて、女はぜんぶ自分のものにする。それが中国式の給料なんです。

 当然、彼らが台湾を取った以上は、台湾のものは俺のものだということになる。今の台湾の国民党が世界一金持ちの政党と言われているのは、取れるものは全部取ったからなんです。

 そして日本の教育を受けた者は、一夜にしてその知識が無用になった。北京語が分からなければ、どんな知識のある人間、どんな腕の良い医者、どんな腕の良い弁護士、どんな見識のある教育者でも、役に立たないものになってしまう。

 一九四五年から四七年までの台湾のインフレ率は実に四万倍です。戦争中、日本に米のなかった時代でさえ、台湾人は飢えた経験は一度もなかった。戦争の末期、日本に物質が足らない状態であっても、台湾にはまだ輸出する力があった。

 その後たった二年間で四万倍に物価が上がって、人民は食べ物もなく、飢え苦しんでいるんです。

 そして一九四七年の二月二十八日に、いわゆる二・二八事件が起こった。これは中国人官僚の凶暴な圧政にたいする反抗で、一カ月のうちに二万八〇〇〇人が殺されました。

 それからいわゆる白色テロが二十年、三十年も続くわけです。そのあいだ日本人もしくは日本政府は、かつて自分の同胞であった台湾を見ようともしなかった。

 日本人はよく「昔は台湾と国交があった」と言う。つまり七二年までは蒋介石政権と国交があり、その後あと国交断絶したことを指しているわけですが、これは我々台湾人からみれば、非常に皮肉な現象です。

 というのも日本政府は七二年まで、台湾の中華民国政府がいう「我々こそ中国の正式の代表である」という主張--台湾が全中国を代表しているという神話を認めていただけで、そこに台湾人の存在はなかった。中国の代表という一点が重要だったわけです。

 そして七二年以降、日本政府は一転してもう一つの神話に乗り換えた。「台湾は中国の一部である」という中国政府の言い分を理解し、それを尊重する--日中共同声明のなかにそう謳っている。

 五十年にわたって台湾を我が子のように教育しながら、四五年以降の戦後の日本は一転して台湾を無視し続けた。国交があったかどうかは関係なく、台湾の存在を無視し続けた。

 私がこれを言うのは、何も日本を批判するわけではありません。我々台湾人は現実として、そういうふうに経験してきた。

 だから台湾人の作家である呉濁流は、「台湾人はアジアの孤児」と表現しています。まさにその通りなんです。台湾は常にどこかの統治下にあって、独立した一つの国であった試しが一度もない。

 その何らかの権力のなかでいちばんまともな権力は日本政府だった。だから戦後六十年が経っても熱い眼差しを日本に向けているけれども、それでも無視され続けている、これが我々の現状です。

 しかし、それを日本や中国やアメリカのせいにしては、台湾人は永遠に国をつくれません。現実は現実として我々は直視する必要があります。

(続く)

国際派日本人の情報ファイル
平成十七年三月二十一日 九百五十七号より





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最終更新日  2005年03月23日 04時12分58秒
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