2005年04月10日

樺太 四、「氷雪の門」を忘れるな

テーマ:ロシア(29)
カテゴリ:政治 政治史 行政

「自分を殺して生きる」とは、単に他人と妥協して生きると云うことを意味するものではない。

それは自己保身のためであってはならない。自己の存在よりも大切なもののために自分を殺す、それが人の生きる道である。

それに対して「自分らしく生きる」のは自己との妥協であり、本当に大切なことは何かと云うことが解っていないのだ。

夜空を見上げてみよう。

「本当に大切な何か」が解るまで我々は今の営みを続けるしかないのだ。


樺太にソ連が侵略してきたときに電話局に残って、通信維持の使命を全うした九人の電話交換手がいる。

九人は引き揚げの指示を断って、ソ連軍の砲撃開始後一時間半に渡って、市街の惨状を報告し続けた。今も詩吟「氷雪の門」で伝えられる最後の放送は次のようであった。
 内地の皆さん、稚内電話局のお友だちに申し上げます。只今ソ連軍がわが真岡電話局に侵入いたしました。これが樺太から日本に送る最後の通話となるでありましょう。私たち九人は最後まで、この交換台を守りました。そして間もなく、九人そろってあの世に旅立ちます。

 ソ連軍が近づいております。足音が近づいております。稚内の皆さん、さようなら、これが最後です。内地の皆さん、さようなら、さようなら、、、
元サハリン再開支援会代表 新井佐和子

「サヨナラ、サヨナラ」と言い残して全員自決した電話交換手の碑「氷雪の門」を忘れるな より

続き

「氷雪の門」と名をつけた理由は

--最後に、ぜひこれだけは、日本の若い人たちに伝えておきたいという思いがお有りでしたら…。

渡辺

 北海道の稚内に、氷雪の門という立派な碑が建っています。その脇に九人の乙女の像(終戦時、真岡郵便局の九人の電話交換手が、ソ連軍の迫りくる恐怖の中で、最後まで職務を全うし「サヨナラ、サヨナラ」の言葉を残して全員自決した。その殉難碑)があるわけです。

 氷雪の門の碑は、いつの日か樺太が日本に戻ってくるようにと、そして併せて樺太で亡くなった人の冥福を祈るための慰霊のためにということで作ったわけです。

 これは樺太連盟(戦後直ぐに、樺太出身者たちが中心となって、残された家族の帰還運動のために結成された。帰還実現後は、領土返還運動の母体となって活動し、「南樺太復帰同盟」ができてからは、会員の相互扶助、親睦をはかる役割を果たし、現在は、婚姻などによって内地に帰還できず、ロシア籍や朝鮮籍をとって現地に定住している日本人とその家族の里帰りの支援などをしている)が建てたんですよ。

 それがいまでは、ロシアと仲良くするためのお祭りに利用されていることが、いま一番私は情けないと思っている。

 これはね、氷雪とは、樺太が返ってくるまでは、氷の上でじっと我慢して待つという意味で、氷雪の門と名をつけたわけです。氷雪の門とはただ簡単につけたわけではないですよ。

 日露戦争の前、明治三十三年に三国干渉で、満州の遼東半島の利権を支那に返させられた時に、臥薪嘗胆、ご承知のように、薪を枕に苦い肝を嘗める、中国語の我慢するという言葉ですね、それと同じような意味が、あの氷雪の門にある。

 時代が変わると、人間というものは分からないものだ。地元でも九人の乙女のことだけが宣伝されて、氷雪の門は宣伝されなくなっている。その一番の大きな証拠が、日本の総領事館を樺太につくっている。これが一番情けないことだ。

 だから私の遺言は、どこまでも日本の政府はアメリカに対して、サンフランシスコ条約の精神を生かして樺太の問題をロシアと解決してほしいと要請し、アメリカがロシアと話をして、樺太と千島が戻ってくるようになるのが、私の大きな念願です。

 これはもうね、ロシアと折衝したって駄目なことです。英語のマンスフィールド宛のあれ(手紙)まで載せたのは(講演録に)そういう意味なんです。

--アメリカでも、もう分かる人がいないでしょうね。先生がいらした頃とは違って。

渡辺

 いや、あの頃でもだんだん分からなくなっていたんです。その理由はね。外務省でもそうですが、前のことよりこれから先のことをという考え方が非常に強いんです。先のことをやらなければ、自分らは出世できませんから。

 サンフランシスコ条約で、アメリカは、ソ連に領土をやったことではないと云ってくれている、といっていながら、外務省は、アメリカに樺太のことはなにも云わないで、結局樺太に総領事館をつくっちゃった。

 だから、やっぱり、いまね、鈴木宗男だけが悪者にされてるが、そうでなしに、日本人全体が、政治家全体が悪いんですよ。国益のことなんて考えてない。自分のことだけを考えている。だから、鈴木宗男をやり玉にあげればそれでいいと思っている。

 そりゃ、鈴木宗男は悪いことをしているんだし、私もいい感じは持っていません。四島(実際は二島)だけで樺太なんか相手にしないというグループの一人なんだから。

 だけど、それとこれとは別で、外務省が鈴木宗男に牛耳られて、樺太に領事館をつくったということは、私は死んでも死に切れない気持ちです。樺太が日本に戻ってこないように、こないように仕向けているんだ。

 ついでだが、樺太へ行ってみないかとよく誘ってくれる人があるが、ソ連の許可を得て樺太に行くなんて、そんな腰折れでないって、断りつづけてきた。

 まあ、これが私の最後の言葉ですね。

--長時間、ありがとうございました。


新井佐和子氏 昭和五年(一九三〇年)、神奈川県で生まれる。旧制都立第六高女卒。同五十二年からサハリン残留韓国人の帰国支援運動に携わってきた。本誌には「広辞苑が載せた朝鮮人強制連行のウソ」(平成十年五月号)などを執筆。(全国樺太復帰同盟の連絡先は電話〇三-三五八三-〇八二七、FAX〇三-三五八三-二〇五三)。





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最終更新日  2006年09月22日 22時42分21秒
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