のうみじまの・悠々・ライフ

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• 「空夢」

  「空夢」完結しました。今田=Equivalentから皆さんにメッセージをば。幕裏：あとがき ～Postscript～　ついかっとなって書いた。反省はしている。　というわけで『空夢』も無事――とは言い難いですが――終わりました。　ありきたりでありふれた言葉ですが、ここまでお付き合いいただけたことに　心よりの感謝を。　言いたいこと（言い訳）もたくさんあったのですが、見苦しいので止めておきます。　それでは、お疲れ様でした。　　　　　　　　　　　　　BGM：どう見てもマンボウです。(ALBATROSICKS)　　　　　　　　　　　　　２００８／３／２５　今田=Equivalent今回初の短編小説連載しましたが、来週末に今田・イクイバレントと反省会(とは言っても飲みたいだけ(笑)なのかも)をします。小説も一回書ききって編集していくのですが、連載方式にしたので修正も効かず、その点はごかんべんを。また機会あれば連載したいと思います。

  2008.04.06

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• 「空夢」～最終幕：空夢「　」

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント最終幕：空夢「　」　　外の世界に飛び出した少女は走り続けていた。　　どうしていいのか分からず、どこに行っていいのかさえ分からず、ただただ　足の進むままに走り続けていた。　　もしも止まってしまったら、二度とそこから動き出せないような気がした。　　走り続けることで、逃げ続けているのかもしれないと思った。　　結局自分が見たのは空っぽの夢で、手にした幻想を得られたものだと　錯覚してしまっていただけなのだと、思い知ってしまうことが怖かった。　「はぁ、はぁ、はぁ」　　息が上がる。　　冬の冷たい空気が肺を満たし、体の芯から凍りついてしまいそうだ。　　いっそそれもいいかも知れないと、少女は自嘲気味に笑う。　　このまま心さえも凍り付いてしまえば、きっと何も感じなくなるだろう。　そうなってしまえば、きっと楽になれると思った。　　あの人に出会う前の自分に戻れると思った。　　けれど、　「……無理……ですよ、分かってますよ…………それくらい」　　あの人に貰ったものは大きすぎて、温かすぎて、嬉しすぎて、捨てようと思っても　捨てられないほど、彼女の深い部分に根付いていた。　　温かさを知った今、わたしは冷たさを知りました。　　嬉しさを知った今、わたしは哀しさを知りました。　　願うということを、思い出してしまいました。　　けれど、大切なものを与えてくれたあの人はもう居ない。それがあまりにも辛かった。　　ただ、会いたかった。　　会ってどうするのか考え付かなかったけれど、とにかく会いたかった。　　走り続けているうちに景色は変わり、いつの間にかオフィス街へと風景は移っていた。　雑踏と喧騒に包まれるオフィス街を、彼女はそれでもただ走り続ける。　「あ、す、すみません。すみません。ちょっと、ごめんなさい……あ、わわ」　　ぶつかり、躓き、突き飛ばされ、倒れ、それでも彼女はただひたすらに走り続ける。　　そして――――　「あのー、ちょっとすみませ――はわわわっ！！」　　どんっ　　一際いい音がして、少女は自分が誰かを大きく突き飛ばしたことに気が付いた。　　当たり方が良かったのか、それなりに体格が良さそうな男がぐるぐると　三回転半しながら吹っ飛んでいった。そしてやがて街路樹にぶつかると、男は　ひっくり返ったままの格好で雪の中に突っ込んで止まる。　　男は自分自身に起きた出来事を認識していないのか、不思議そうな目でキョロキョロと　周囲を見回している。　　その姿が歪む。　　まるで水を入れすぎた水彩絵の具のように、景色が滲んで男の顔が見えない。　「あのー、み、みちを、道を、尋ね、たいのですが…………」　　声にならない言葉を、ようやくのことで紡ぎ出す。　「あのなあ、お嬢ちゃん」　「はい？」「君の生まれ育った場所では、人を突き飛ばして逆さまに転がしてから道を尋ねる　風習でもあるのか？」　　男の問いかけに、少女は精一杯の笑顔を浮かべて答える。　「あなたが来てくれないから、わたしから約束を果たしに来ました！」　　雪の降るあの日、交わされた約束があった。　　雪の止むこの日、果たされた約束があった。　　今なら言える。　　それはきっと、空っぽなんかじゃなかったのだと。　　いつの間にか空を覆いつくしていた灰色の雲は去り、晴れ間から青空がのぞいている。　　長い冬は終わりを告げ、溶け始めた雪は春の到来を祝すかのように輝いていた。

  2008.04.06

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• 「空夢」～終幕：刹那に見た永久の夢

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント終幕：刹那に見た永久の夢　　彼女が目を醒ましたのは、真白で無機質な部屋の中だった。　　『夢喰らい』として恐れられた彼女が閉じ込められた部屋。何も無くて、　誰も居なくて、およそ命というものから程遠い場所に彼女は居た。　「終わっちゃった」　　ポツリと呟いて手を伸ばす。　　かすかに残っていた夢の記憶を手繰り寄せるように、虚空を抱き寄せる。　　一瞬、自分がどこに居て、どうするべきなのか分からず呆然としそうになる。　　けれど、　「早く、行かないと」　　それだけははっきりと分かっていた。　　まだ、あの約束は果たされていない。　　夢は終わってしまったけれど、交わされた約束は終わっていないのだから。　　夢喰らいの少女はベッドからのそのそと這い出すと、ここから出て行くための　支度を始めた。　　けれど、ここにはお気に入りの服も、帽子も、バッグも無くて、結局荷物なんて　これっぽっちも無いことに気が付いた。　「…………何だ、このままでいいのか」　　着の身着のまま出て行くことにする。きっとその方がいい。　　少女は足取りも軽く、ドアのノブに手を掛け、それを一気に開け放った。　　ちかちかと明滅する蛍光灯が眩しくて一瞬目を伏せたそのとき、目の前から　男の声が聞こえてきた。　「ダメじゃないか、勝手に部屋から出ては」　「――――っ！」　　顔を上げてみると、そこには白衣の男が立っていた。口元に蓄えた髭を神経質そうに　指で撫でながら、彼女の方を油断なく見据えている。　「キミはこの世界とは相容れない存在だ。だから、ここで大人しくしているのが、　　僕らにとってもキミにとっても一番良い。分かるね？」　「あ、う、あ……」　　男の声に威圧され、少女は一歩、また一歩後退る。　　ここから先に進みたいのに、果たされるべき約束を手にしたいのに、男の声を　聞いただけで心は縮み足が前に進まなくなる。　「さあ、部屋に戻りなさい」　　男に気圧され、部屋の中に足を戻しかけたそのときだった。　『そんな勝手なヤツはな、思いっきりグーでぶん殴ってやればいいんだよ』　　気が付いた次の瞬間には、少女は握り締めた拳を男の顔面めがけて叩き付けていた。　　ぱぐしゃ、と得体の知れない音がしたと思うと、次の瞬間には白目を剥いた　白衣の男が、糸の切れた操り人形のようにだらしない様で目の前に転がっているのが　見えた。　「あ、あ、あれ？」　　見事なナックルだった。グリズリーも真っ青なベアだった。　　それからの行動は素早かった。　　気絶した男を踏まないように飛び越えると、そのままの勢いで玄関に向かって　駆け出していた。　　きっとあの扉の向こうにはあの人がいる。　　交わされた約束を守るために、きっとあの扉の向こうで待っている。　　「わ、わたし、わたし――――」　　その約束が果たされたら、まだまだやりたいことがあった。　　夢の中で歩いたように街を行き、　　夢の中で遊んだように犬を連れ、　　夢の中で巡ったように遊園地を散策したい。　　今度はあんな寂れた場所ではなくて、もっと笑顔に溢れた場所に行きたい。　「伝えたいこともあったのです」　　文字通り夢の三日間はあっと言う間だったけれど、今までの真白な部屋に　閉じ込められていた日々では得られなかったものを得ることが出来た。　　アタリマエに生きて、アタリマエに過ごすことを教えてもらった。　　哀しい思い出も、辛い過去も、冷厳な現在も、何もかもを受け入れてそれでも　前に進むことの強さを教えてもらった。　　伝えきれないほどの感謝を。　　抱えきれないほどの感動を。　　だから、　「そこに居るのですよね？」　　玄関のドアはもう目の前。　　力強くドアのノブに手を掛け、外の世界に繋がるその扉を開け放つ――――！　　けれど、そこには彼女を迎えに来ているはずのあの人の姿は無く、ただ真っ白に　染め上げられた冬の日の景色が広がっていた。　　ちらちらと舞う雪の破片が、視界を一面の白に染めていた。　「どうして、ですか…………迎えに来てくれるって、言ったじゃないですか」　　紡がれた言葉に力は無く、伸ばされた指先に触れるものは無く、ただただ幻のような　面影だけが浮かんでは消えていった。　『こんな雪もいつかは止む。冬が終わり、雪が溶け、春が来たら――――迎えに行くよ』　　そして、この約束は永久に果たされる事は無かった。　　其れは雪の日の御伽噺。　　刹那に見た永久の夢の跡。

  2008.04.05

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• 「空夢」～幕間：ノイズ

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント幕間：ノイズ　　誰一人として観客の居ない場所、けれどテレビに映ったアナウンサーの　ノイズ交じり声が響く。　『三日前に発生した原因不明の集団昏睡事件ですが、本日未明に被害者の全てが　　目覚めたことが確認されました。昏睡回復者は皆一様に、長い夢を見ていたようだ、　　とコメントしており、警察では何らかの薬物による影響では無いか疑っているようです。　　何者かによる薬物の散布、あるいは誘眠性のガスが漏れ出したか、事件事故の　　両面からの捜査が進められており――――』

  2008.04.04

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• 「空夢」～第二十幕： 空転の車輪 ～Dreaming Wheel～（3）

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント第二十幕： 空転の車輪 ～Dreaming Wheel～（3）　　ガラガラと崩れていく。　　空を舞い散る雪と共に、粉となった空転の車輪が消えていく。　「ああ――――――」　　それは幻想的な眺めだった。　　これが夢であったということを差し引いたとしても、あまりに幻想的で現実的な　崩壊を前に言葉など無かった。　「わたしでも、帰っていいのですか？」　　崩れ落ちた空を背に、永和は不安そうにこちらを見つめて言った。　　だから俺は心配ないと力強く頷き、　「ああ」　　伸ばした手はそのままに、じっと彼女を見据えて答える。　　すると、永和はちらりと晴香さんの方を見て言った。　「ごめんなさい、お母さん。わたし――――、一緒には居られません」　「ええ、そうみたいね」　　晴香さんは小さく頷く。　　そして、彼女はそっと永和の頭を撫で、　「でも、安心しましたわ。私の子供は、こんなにも強い子に育ってくれたのですから」　　柔らかいお日様のような笑顔を浮かべた。　「お、おか、お母さん……」　「ほら、泣かないの。せっかくの可愛い顔が台無しよ？　それに、待つのは男の　　甲斐性とは言え、あまり待たせるものではないですよ？」　　どこからか取り出した桜色のハンカチで、晴香さんは永和の顔を拭った。　　まるで幼い我が子に接するような所作で。　　まるで太陽のように温かな笑顔で。　　そして、その笑顔が雪に溶け込むようにして消えていく。　「あ、お、お、お母さん……」　　夢が消えていく。　　永和が望んだからこそ、母親はそこに現れた。だが、それを彼女自身が夢だと　認めてしまった今、維持できなくなったのだろう。　　消えていく。　　さらさらと崩れ落ちる砂の城のように、風に流れて消えていく。　「ほら、私は一緒に居られないけれど、貴方ならきっと幸せになれるわ。だって――――」　「わたし、お母さんの子だから！」　「あら、分かってるじゃない。ふふふ、これなら安心……」　　そこまでだった。　　たったそれだけで、まるでそこには初めから誰も居なかったかのように、　空虚な白の背景だけが残されていた。　「…………永和……」　「だいじょうぶ、です。わたし、決めましたから」　　永和はゆっくりとこちらを振り返り、一歩ずつ歩みを進める。　　俺と、雪那――彼女自身――に向かって。　　彼女と彼女の間に横たわる十歩ほどの空間を、一歩ずつ確実に埋めていく。　「あまぎわだち」　「うん？」　　不意に聞こえてきた雪那の声に、俺は視線だけを向けた。　「ほんとうのわたしも、とわ、みたいにつよくなれる？」　　それはささやかな問いかけ。　　けれど、占星術者でもなければ答えられない問いかけ。　「どう、かな――――」　　俺は言葉を探す。膨大な宇宙の中から星を選ぶように、意識を巡らせる。　「どう、なの？」　「これだけ素敵な夢が見れるなら、後は現実を夢色に塗り替えれば良いだけだろう？」　　世界は残酷だ。願いは届かない。祈りは叶わない。それだからこそ、夢を貫く　意味があるのだろう。　　そして、彼女なら――彼女たちならそれをやれると信じられた。　「そう……あまぎわだちがいうなら、まちがいないね」　「ああ、そうだな。俺は嘘を吐かないからな」　　そこまで口にしたところで、永和が手の届く場所までやってきていた。　「天城さん……」　　笑顔のような、泣き顔のような、そんな顔で俺を見つめてくる永和に、俺は声を掛ける。　「お帰り」　　たった一言。けれど、最もこの場に相応しいと思われる言葉を。　「はい、今帰りました。ただいま、です」　　精一杯の笑顔で、永和は答える。　　そしてその笑顔を、俺の傍らに佇む幼い少女へと向けた。　「ごめんなさい、雪那。わたし――――」　「いいの、とわは、せつなのゆめだったから」　「……うん」　　たったそれだけ。　　そして、それだけで十分だった。　「さて、還るべき場所に還ったところで……俺の番かな？」　　俺が永和へと伸ばした手は、うっすらと雪の白を映す様に霞み始めていた。　　現実は現実に。幻想は幻想に。　「天城さん…………」　　永和が泣いていた。　「あまぎわだち……」　　雪那が泣いていた。　　けれど今となっては、彼女たちの涙を拭ってやることさえ出来ない。　「もしかすると、始めから分かっていたのかもしれない」　　俺には記憶が無かった。ただ、いつも泣いている少女の面影だけが頭に残っていた。　　それはきっと、天城轍という人間は、彼女の夢の中にだけしか存在しなかったという　ことに他ならないのではないか。　「天城さん……わたし、まだ約束を果たしてもらっていません」　　ぎゅっと掴もうと伸ばされた永和の手が、虚空をかく。　　夢を夢と認めた彼女の手では、もはや触れることさえ叶わない。　「約束なら、果たしただろう？」　　家に連れて行くというたった一つの約束は、ここに果たされたのだから。　「違います。もっ■昔■の約■――――」　　何か必死に口を動かしているのだけが見える。けれどそれももう辛い。　　何か、大切なことを伝えようとして、永和が言葉を発している。　「ごめん、もう聞こえないや」　　何か大切なことがあったような気がする。　　けれど、それももはや彼女にとっては必要の無いものではないだろうか。　　自分の足で外の世界に出るならば、きっとその大切なものは要らないものだ。　　『こんな雪もいつかは止む。冬が終わり、　　　誰かの言葉が響く。　　　いつかの少年の声が頭の中に響く。　　『こんな雪もいつかは止む。冬が終わり、雪が溶け、　　　真っ白な景色が脳裏に浮かぶ。　　　偽りの記憶だったはずなのに、どうしてこんな言葉が浮かぶ。　　『こんな雪もいつかは止む。冬が終わり、雪が溶け、春が来たら――――』　　ああ、俺はその先を知っている。　　彼が何と言ったのか、知っている。　『こんな雪もいつかは止む。冬が終わり、雪が溶け、春が来たら――――迎えに行くよ』　　あの日の少女の笑顔だけを思い出し、やがて俺の意識は微睡みの中に沈んでいった。　　そして、その昔に交わされた約束は――――

  2008.04.03

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• 「空夢」～第十九幕： 空転の車輪 ～Dreaming Wheel～（２）

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント第十九幕： 空転の車輪 ～Dreaming Wheel～（２）　　それはどれほどの時間だったのだろう。　　永和が言葉を紡ぎ出すまでの時間。それはたった一瞬の間だったとも思えるし、　永遠にも感じられた。　「天城さん。わたし、帰らないといけないのですか？」　　今にも泣き出しそうな表情で、虚空に伸ばされた俺の手を見つめて。　　家まで連れて行って欲しいと、迷い犬のように不安な貌で俺を見上げていた少女が居た。　　それが今、同じ顔で、同じ口で、同じ仕草で、全く逆の言葉を紡いでいる。　　けれど俺は、頷くしかなかった。　「……ああ」　　還らないといけない。　　終わらせないといけない。　　それはきっと、約束、だったから。　　何も分からなかった俺が、雪降るあの街で、たった一つだけ交わした約束だったから。　「わたし、全部思い出してしまったのです……ここがどこなのか、どうして　　こうなってしまったのか」　「………………」　　辛そうな永和の独白にも、俺は言葉を挟むことが出来ない。　　永和は大きな目に涙を溜め、続く言葉を白い息と共に吐き出した。　「これは『夢』だったのですね」　　そう、夢。　　ただ一人、あの白い部屋の中で膝を抱えて泣くことしか出来ない少女が見た、　幸福な夢だった。　　終わらない夢。　　刹那（せつな）に見た、永久（とわ）の夢。　　それがこの世界の成り立ちであり、この世界の成れの果てだった。　　偽りの世界。けれど幸福な夢。　　真実の世界。けれど冷厳な現。　　初めから分かって然るべきだった。　　俺のカバンから現れた札束だってそう。あのとき俺は、自分がカバンを　持っていることさえ気付いていなかった。　　永和がそう言った瞬間、それは手品のようにそこに現れたのだ。　「ああ、夢、だな」　　それは幸福な日々の欠片。けれどそれが夢である限り、幸福の欠片は手のひらで　掬い上げた砂のように指の隙間から零れ落ちていくしかない。　「夢を見ては、いけないのですか？」　　ポツリと目の前の少女が零した一言に、俺は言葉を失った。　　どうしてそれを強要することが出来るだろう。　　この幸せな夢を終え、あんなにも寂しい現実に戻れと、誰がこの少女に　告げることができるだろうか。　「わたし、怖いんです。誰も居なくて、一人で、あの部屋で――――っ！」　　震えている。　　自らを抱きかかえるような格好で、怯えた瞳を震わせている。　「……多分、誰にもこの夢を終わらせる権利は無いのだと思う。終わらせる権利が　　あるのは、初めた人だけなんだと思う」　「だったらっ！　わたし、天城さんとまだ一緒に居たい。お母さんとも一緒に居たい。　　ここで幸せに暮らしたいのっ！」　　現実では手に入らなかった全てのものが、この場所では手に入る。文字通り、　この世界は永和の手中にあるのだから。　「うん、確かにそれは魅力的な提案だ」　　それは幸いな光景だった。だがそれ故に哀しかった。　「本当のわたしは、こんな明るい子じゃないの！　暗くて、人としゃべれなくて、　　ただ独りでうずくまっていることしか出来ない子なの……」　　自分はこう在りたいと、彼女が願った夢のカタチ。　　それが永和だった。　　その夢を、彼女の夢を、俺は壊してしまおうとしている。　「ここに居れば、誰もキミを傷つけないし、誰かを傷つけることも無いだろう」　　いつか終わってしまうのが夢。　　いつか終わってしまうのが現。　　そこには絶対的な差異など無いのかもしれない。　　けれど――――　「どうしたの、ゆきちゃん。早くこっちに来て。一緒に観覧車に乗る約束でしょう？」　　永和の横に立っている晴香さんが永和の手を引き、空転を続ける車輪を見上げた。　「あ、うう」　　永和も晴香さんに合わせて空を見上げる。　　ただ虚しく同じ場所を巡ることしかできない車輪を。　　空回りする観覧車を睨みつけ、俺は血を吐くように言葉を紡ぐ。　「でも、きっとダメだ。夢を続けることは赦されない」　　幸いな光景はここでお終い。それはきっと幸い故に、終わらなければならない。　　だって――――　「永和自身が、還るべきだって思ってるじゃないか」　　その言葉を口にした瞬間、空転の車輪は音を立てて崩れ始めた。

  2008.04.02

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• 「空夢」～第十八幕： 空転の車輪 ～Dreaming Wheel～（１）

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント第十八幕： 空転の車輪 ～Dreaming Wheel～（１）　　ずっと、目の前に横たわっている違和感があった。　　何かがズレているのを感じていた。　　あるいは、何かが噛み合い過ぎているのを感じていた。　　それはきっと、『誰かが』でも『何かが』でも無くて、ただ起こり得た全ての事象が　違和感の原因であり正体だった。　　俺は小さな少女の手を引き、雪降る白の世界を歩きながら口を開いた。　「なあ、雪那。お前は初めから――――」　「つまらない」　「はあ？」　「つまらない。せっかく、『れでぃ』とてをつないで、でーとなのに、そんなはなし、　　つまらない」　　ワガママな自称淑女は、拗ねたように口を尖らせそっぽを向いた。　　今はそんなことを言っている場合では無いだろうにとも思ったが、もしかすると　今だからなのかもしれない、と思い直す。　　それに永和はどこにも行かない確信があった。ここに雪那が居る限り、永和は　どこかに行ったりしない。　「…………分かったよ、それで、俺はどんな話をすればいいんだ？」　「それは、おとこのひとがきめることでしょう」　「……う」　　そんなことも分からないのか、と言いたそうな顔でこちらを見上げる雪那。　　うめき声一つ、俺は言葉を詰まらせた。　　この年頃の女の子が喜びそうな話題なんて、一体何があるのか想像もつかない。　　この刹那の時。　　終わりへと歩みを進める、一瞬の波間に浮かぶ白砂の城にも似た時。　　相応しい話題なんて、あるはずが無かった。　　だったら、　「じゃあ、昔の話をしよう」　　たった一つだけ、覚えていたことがある。　　真っ白に塗りつぶされてしまった記憶の欠片の中で、たった一つだけ指先に　触れたものがある。　　雪那が何も反論しないことを確認してから、俺は言葉を続けた。　「ずっと昔、こんな雪の中を歩いている日のことだった。空気がものすごく冷たくて、　　風が身を切るような雪の日だった」　　それは遠い日の記憶。　「いつもなら、何の気なしに通り過ぎてしまうはずだったお屋敷の前。そこで俺は視線を　　感じて顔を上げたんだ」　　今なら分かる。夢に見たあの風景は、ただの夢なんかじゃなかったということが。　「お屋敷の窓、そこからこっちを見下ろす女の子の姿が見えた」　　俺の言葉に、雪那がぎゅっと体を堅くするのが分かった。　　それでも俺を遮ることなく、ただ続く言葉に耳を傾けている。　「そいつ、温かい部屋に居るくせにさ、すごく寒そうにしてるんだ。独りぼっちで　　寂しそうに、雪道を行く俺を見てるんだ」　　だから俺は、思わず手を振っていたんだ。　　そんな顔で世界を見つめることしか出来ないと小さくなっている少女に、　世界はそんなんじゃないと知って欲しくて。　　そこまで話したところで、雪那が唐突に口を挟んできた。　「――それで、そのこはどうしたの？」　「…………それが、よく覚えていないんだ」　「なにそれ？」　「でもさ、覚えていることもあるんだ」　　俺の記憶のフィルム、その最後のコマに映っていた少女の顔は、紛れも無く　笑顔なのだったと。　「そう」　　雪那はそれだけ言って、顔を伏せそれ以上先を聞こうとはしなかった。　　多分、そこから先は聞くまでも無いことだからだ。ここから先は、きっと俺よりも　雪那の方が良く知っている。　「俺の話はこれでおしまい」　「…………」　　雪那は何も答えない。　　良かったとも、悪かったとも。　　ただ一言だけ、ぼそりと呟くように、　「やくそくは、やぶったらだめ」　　悲しそうな顔でそう言ったのだ。　　雪那の言葉の意味を問おうとしたその時、俺に呼びかける声が聞こえてきた。　「天城さん。見つけてきたんですね」　　空を丸く切り取る観覧車をバックに立つのは、永和と晴香さんの二人だった。　　停止しているはずの観覧車、それが今ゆっくりと回転を続けている。誰一人として、　そこに客を乗せることなく、ただただ回り続けるだけの孤独な車輪。　　空転する円環。それはあまりにも皮肉な光景だった。　「やっと、見つけてきたよ。永和が還るべき場所を」　　終わらせるために。　　空転を続けるだけの永遠を断ち切るために。　　俺は永和たちと十歩ほどの距離を開けて立ち止まった。　　そしてゆっくりと、彼女に向かって手を伸ばす。　「だから、還ろう、永和」

  2008.04.01

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• 「空夢」～幕間：ゆめくらい

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント　幕間：ゆめくらい 　　彼女は望んではいけなかった。　　望めば手に入れてしまうから。　　　彼女は否定してはいけなかった。　　否定すれば破壊してしまうから。　　彼女は肯定してはいけなかった。　　肯定すれば創造してしまうから。　　彼女は憧れてはいけなかった。　　憧れれば成代ってしまうから。　　彼女は手を伸ばしてはいけなかった。　　手を伸ばせば其に届いてしまうから。　　希望も渇望も、否定も肯定も、憧憬も情景も、何もかもが彼女には許されなかった。　　飢餓にも似た起臥。苦痛の連鎖が生の証明であった。　「ごめんなさい。私には貴方を救えなかった……」　　暖かな声。それが今は悲しみに彩られている。　　いつも彼女を抱きしめてくれた腕も、絶え間なく彼女に降り注いでいた優しい眼差しも、　もはや二度と戻ってこないのだと知った。　　人間だったものが、ただのモノに成り下がってしまう。　　もう二度と抱きしめてもらえない、もう二度と微笑んでもらえない、もう二度と　優しい言葉をかけてもらえない、もう二度と――――　「あ、あ、あ、あああああぁぁぁぁぁぁあああああっ！！」　　ケダモノじみた慟哭が響く。　　誰も居なくなった、真っ白な部屋の中に。　　慟哭はすすり泣くような声に変わり、やがて何も聞こえなくなった。　　後に残るのは何もかもを失った、ただ一人の少女だった。　　そして彼女は夢を見てはいけなかった。　　其は自らの無い空っぽの夢だったから。　　けれど少女は夢を見る。　　空転し続ける空っぽの夢を。

  2008.03.30

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• 「空夢」～第十七幕：在りし日の雪（５）

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント第十七幕：在りし日の雪（５）　「んじゃ、俺はこっちの方を探すから、土岐さんは永和を連れてそっちの方を頼みます」　　閉鎖された遊園地の中を歩くことしばし、大きな道が三つ集まった広場に来た俺たちは、　土岐さんの娘を手分けして探すことにした。　　せっかく三人もいるのだから、一緒に居ては意味が薄れる。ここは手分けして　探したほうが効率的だと判断したのだ。　「わ、わたしも独りで探せます」　　と永和が異論を挟んできたものの、即却下（一秒）。　　これ以上迷子を増やして、話をややこしくしたくない。　　永和自身にも多少の自覚はあるのか、ぶつぶつ文句を言いながらもこの案に　従ってくれた。まあ、土岐さんにも懐いているようだから結果的には悪くないと思われる。　　それに、もしかしたら、という直感があった。　　土岐さんが探している子供と、俺が見た遊園地の中に駆け込む後姿、そして　雪那と名乗る冷たい笑みを浮かべる少女。　　それは果たして偶然なのか。　　不安にも似た思いを抱きながら、俺は一人新雪を踏みしめながら歩く。　「……考えすぎか…………？」　　今俺は一人で歩いているのだから、誰かの返事を期待してのことではない。　　そうであって欲しいと願いを込めた呟きだった。　　けれど、　「かんがえすぎはよくないよ、わだちおにいちゃん」　　ひんやりとした冷気が背筋を撫でた。　　突然の声。突然の声音。　　それなのにもかかわらず、俺の頭は至って冷静だった。彼女の出現に驚くと同時に、　半ば予想できていたという思いもある。　「……また、お前か」　　振り返ったその先に居たのは、初めて見たときと同じように冷たい微笑を浮かべる　少女――雪那――だった。　「こんにちは。またあえて、うれしいよ」　　言葉とは裏腹に、彼女の声音からは全く嬉しそうな気配は伝わってこない。　　ただ、辛そうに。　　痛みにも似た想いが伝わってくる。　「どうした、嬉しいとか言う割には、表情が冴えないな。俺には会いたくなかったのか？」　「…………ううん」　　俺の問いかけに対し、雪那は首を振った。　「じゃあ、何でそんなに辛そうな顔してるんだよ。雪那にとっては、それが　　当たり前なのか？」　「え……どうして、なまえ…………」　「昨日、お前が去り際に名乗ったんだろうが」　　丸一日も経たないうちに人の名前を忘れてしまうほど、俺の記憶力は錆びちゃいない。　　……自分の事も思い出せない俺が言うと、笑うに笑えないが。　「おぼえててくれたんだ…………」　　だが、俺が名前を覚えていたことが嬉しかったのか、雪那はその瞬間だけ素直な　笑顔を浮かべた。　　初めて見る彼女の子供らしい笑顔。　　その笑顔が一瞬、永和の浮かべるそれに重なって見え――――た次の瞬間には、　いつもの冷たい表情に戻っていた。　「ほんとうに、おわらせることができるかもしれない」　　雪那は呟くようにボソリと言った。　「また、終わり、か。前にもそんなことを言ってたが、どういう意味なんだ？」　「おわりはおわり。めざめのとき。せつなのげんじつと、とわのゆめ。いつかは　　さめてしまうのが、ゆめ。でも、ここはおわらないゆめ」　　まるで託宣を受けた神官のように、雪那は厳かに言葉を紡ぐ。　　まるで歌う様に、まるで謳う様に。　「解らないな……」　「おわりたいとねがっている。けれど、それとおなじくらい、おわりたくないと、　いのっている…………だから、おしえられない」　　饒舌に言葉を発していた雪那はそこまで言って口を閉ざし、それ以上何かを　言おうとする気配は無かった。　　終わりだとか、夢だとか、気にならない事は無いフレーズだが、今これ以上のことを　雪那から聞き出すのは無理そうだ。ここは他に気になっている事をぶつけることにする。　「さっき、ここで女の人に会ったぜ」　「…………」　「いや、もう知っているんだろうな。どこからかは知らないが、俺たちの事を　　見ていたんだろう？」　　根拠は無いが確信はある。雪那は何らかの手段で以って、俺たちの事を監視していた　はずだ。そうでなければ、今このタイミングで現れるはずが無い。　「みんなしってるよ。せつなはなんでもしってる。しらないのは、おにいちゃんだけ」　「……あれは、お前の母親じゃないのか？」　　目の前にいる少女と、迷子を捜す母親。こんな閉鎖されて誰も来ないような遊園地で、　両者に全く関係が無いと考える方が難しい。　　冷静沈着に見えた黒髪の少女に、一瞬の動揺が走る。　「あれは、ちがう。あれは、せつなのおかあさんじゃない」　「……その割には、随分焦ってるな」　「あせってなんかない。あれは、あんなのは、せつなのおかあさんじゃないから」　まるで子供だった。いや、そもそも雪那は子供だった。年相応の子供のような　振る舞いで、　　少女は首を振る。　「……じゃあ、お前のお母さんは、どこにいるんだ？」　　その言葉が引き金となった。　　雪那という名の少女はその場から大きく跳び退り、キッとこちらを睨みつけてきた。　　見るもの全てを凍てつかせるような視線に、穏やかな空気がたちまち凍り付いていく。　「もう、いないから。せつなのおかあさんは、もういない」　「居ない？　だったら、あの人は……」　「あれはただのゆめ。とわのゆめ。ねがいがかたちとなった、うつろのゆめ」　「……それは、つまり――――」　　頭の中で、何か確信めいたものが生まれる。　　一度形になりかけた違和感、その正体の手触り。　「はやく、いったほうがいい。ゆめは、ゆめをくらうから」　　俺の問いかけは無視し、雪那は一方的に言い放った。そして、それ以上は何も　語るつもりは無いということか、クルリとこちらに背を向ける。　「おい、またお前は――――」　「これでさいご。もう、あうこともない。あわないほうがいい」　　悲しそうな目をした少女は肩越しに言い放ち、駆け出そうと――――　「雪那っ！」　「――――っ！？」　　駆け出そうとした雪那の手を、はし、と掴んだ。　　まさか掴まれるとは思っていなかったのか、驚いたような表情でこちらを見上げる雪那。　　その顔を見て、俺は思い出す。　　その寂しそうな眼差しが、その決意に満ちた口元が、いつか見た夢の中の少女と　同じであると言うことを。　「…………もしかすると、俺、分かっちまったかもしれない」　　何もかもが分かったわけでは無いけれど、俺が知っておくべき事は。　　その答えは最初から、分かっていたじゃないか。　「だから、さ、一緒に行こう。永遠はここで終わりにしよう」　「…………」　　雪那は頷くことも否定することも無かった。　　ただ、俺が手を引いて歩くと、それに続いて歩き出す。　　一歩一歩、確かめるように。まだこの世界が存在していることを、記憶に　刻み込もうとしているかのように。　「――――さあ、終幕だ」　振り続ける雪はどこまでも白く、かつて見た冬の日を思い出す。

  2008.03.29

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• 「空夢」～第十六幕：在りし日の雪（４）

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント第十六幕：在りし日の雪（４）　「あらあら、私、大変な勘違いをしていたみたいで。ご迷惑をおかけしました」　　俺も永和も彼女の子供でないことを理解してもらい、自己紹介を終えるまでに掛かった　時間は三〇分。これを長いと思うか短いと思うかは人それぞれだが、俺としては十分　頑張ったと思う。　　全身に行き渡る虚脱感と僅かの達成感を胸に、俺はベンチに我が身を投げ出した。　　娘を探しているという女性の名は土岐晴香（とき・はるか）。その名前に一瞬　永和の顔を見やるが、彼女には何の反応も無かった。どうやら思い過ごしらしい。　　まあ、名前のことはともかく、土岐さんはこの遊園地ではぐれた娘――ゆきちゃん　というらしい――を探しているそうだ。　「ところで土岐さんは、この辺りの人なのですか？」　　黙っていても仕方ないので、当たり障りの無さそうなところから　話をしてみることにする。　「いえいえ、住まいは北区です。ここ南区には、昔を懐かしみに来たのです」　「昔を？」　「はい、まだこの遊園地が閉鎖されてなかったころ、一度娘と来たことがあるので」　　結構な賑わいだったのですよ、と土岐さんは笑う。　「はあ、そうですか」　　土岐さんが娘と来たことがあると言うならば、ここが閉鎖されたのもわりと　最近のことなのかもしれない。　　ざっと周りを見渡した感じ、建物やアトラクションの荒れ具合から閉鎖されて　久しいと思っていたのだが……手を加えられなくなった設備の老朽化は、思ったよりも　早いということか。　「あ、わたしも遊園地には一度行ったことがあります。まだ小さかったから、　　ここだったかどうかは良く覚えていないのですけど」　　　今まで人見知りをして黙っていた永和が、遊園地の話題になり会話に割り込んできた。　「まあ、それはそれは……ご家族の方と一緒に、ですか？」　「はい、お母さんと二人で」　　永和ニコニコと答える。　　母と二人で積み上げた思い出の断片を。　「永和……お前、思い出したのか――――」　「はい、土岐さんと話していたら少しだけ……でも、家のことはさっぱりです」　　母親の思い出が目の前の女性と重なり刺激となり、永和の中で眠っていたものが　目覚めつつあるのかもしれない。　　永和が家のことを思い出し、帰ることができたなら――――　　――――この旅は終わる。そう思った瞬間、ずくん、と胸が痛んだ。　　それを目指してきたはずなのに、俺は何を迷っている？　　――――ああ、それはきっと、自分だけが何も思い出せないまま、　置いてきぼりおいてきぼりにされた気分。　其れが無意識のうちに胸を締め付ける。　其れが無意識のうちに心を締め上げる。　　きっと、焦燥感にも似た思い。それを感じているのだ。俺は――――　「天城さん……お顔の色が優れないようですが、どうかされましたか？」　「――――え？」　　不意に意識を現実に戻されると、心配そうな顔で俺を覗き込む土岐さんの顔が　目に映った。　「先ほどからずっと黙っていらして、どこか調子でも悪くされたのかと……」　「……いや、なんでもない。ちょっと考え事をしていただけです。体を動かせばすぐに　　元通りになりますよ」　　俺は頭に浮かんだ出口の無い問いを振り払うと、すっとベンチから立ち上がった。　　ほんの少しとは言え降り続ける雪に、いつの間にか体温を奪われていたのかもしれない。　「あ、私としたことが、随分と長い時間引き止めてしまいましたね」　「いや、俺たちのことは良いんですが、早く娘さんを探してやらないといけないのでは？」　　この寒空の下だ、何か無いとも限らない。　「……ええ、そうですね。それではお邪魔しました。じゃあ、またね、永和ちゃん」　　土岐さんはペコリと俺と永和に頭を下げると、クルリと背中を向けて歩き出した。　　そう言えば、俺たちはどうしてこんなところに来たのだったか。　　……まあいい。かくして俺たちは元通りに、永和の家を探すために出発を――――　「あ、あ、あの、あの、土岐さんっ！！」　　出発をと思った矢先に、急に永和が声を出して歩き出した土岐さんを引き止めた。　「はい、何でしょうか？」　　おっとりとした様子でこちらを――永和の方を振り向く土岐さんは、穏やかな笑みを　浮かべている。　　けれど、その笑顔がどこか寂しそうに見えるのは、果たして俺の気のせいか。　「あの、あのですね、わたし……」　「永和ちゃん、ゆっくり落ち着いて話してくださいな」　　知っている。　　俺は永和が何を言い出そうとしているのか。　　だって、彼女はそういう人間だから。　　困っている人を目の前にして、そのままにしておけない人間だから。　「あの、わたしたちも、土岐さんと一緒に探してもいいですか？」　『わたし』ではなく『わたしたち』。土岐さんの娘を探す手伝いを、　俺も当然するものだと永和は信じて疑わない。　　その信頼が嬉しくて、照れくさくて――――俺はわざとめんどうくさそうに、　いかにも仕方がないと言いたそうに顔をしかめて言った。　「ま、一人よりも三人の方が見つけやすいだろうし」　　まったく、いつも永和のペースに引き込まれているじゃないか。　　――――けれど、それも悪い気はしなかった。

  2008.03.28

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• 「空夢」～第十五幕：在りし日の雪（３）

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント第十五幕：在りし日の雪（３）　　あの乗り物は何なのかと訊ねる永和に、説明をしながら歩くことしばし、　いい加減しゃべり疲れ歩き疲れた俺は、広場のベンチにどっかりと腰を下ろした。　　アトラクションの説明をするたびに、まるでその乗り物に乗ったかのように驚き、　喜び、楽しそうにする永和を見ているうちに、思いの外真剣に説明をしている自分が居た。　　何を見ても、何を聞いても嬉しそうにするものだから、こっちまで楽しくなって　いたらしい。いつの間にかこんなにクタクタになるまで気が付かなかった。　「意外とだらしないですね、まだ半分も見て回ってませんよ？」　　ベンチに体を投げ出した俺を、永和は得意気な表情で見下ろして言った。　「う、うるさい。お前が、元気、すぎるんだ、よ……」　　息も絶え絶えに言葉を吐くのが精一杯。　　しゃべりながら歩くという行為は、相当に体力を消耗するらしい。　「子供はツチノコですから」　「…………それは随分困った少子化社会だな」　　彼女の頭を早急に構造改革しなければならない気がした。　「それにしても――遊園地とは楽しい場所ですね。わたし、気に入っちゃいました」　「開園していれば、もっと比べ物にならないほど楽しいぞ」　　大勢の人が居て、どこもかしこも笑顔と笑い声に溢れていて、その中にいるだけで　幸せの一部を享受できる。　　ふと、永和はくるりと体を翻すと、俺の隣に腰を下ろした。　「だったら――――わたしを連れて行ってくれますか？」　「…………え？」　「遊園地。ここではなくて、どこか開園している遊園地に連れて行ってください」　　その声音があまりに真剣だったからか、彼女の姿は祈りにも似ているように見えた。　　遊園地に行くというたったそれだけのこと。それなのに、どうして永和はそれが　叶わないと知っているかのように、寂しそうに笑うのか。　　だから俺は、そんなのは大したことではないと笑い飛ばす。　「いいぜ。永和の家が見つかって、俺もきちんと自分の事を思い出したら、いつか　　きっと連れて行ってやるよ」　「約束、ですよ？」　「ああ、いつかきっと――――」　　そこまで言いかけたそのとき、背後に人の気配を感じた俺は口を噤んだ。　　まさか、あの雪那とかいう女の子が――――と思った次の瞬間、　「あーっ！　こんなところに居たのね、ゆきちゃん！」　　聞き覚えのない声が真冬の空気を震わせた。　　振り返ってみてみると、そこには薄い茶色のロングコートにマフラーを着込み、　それでも寒いのか頬を紅潮させている女性が喜色満面の様子で立っていた。年の頃は　俺より少し上といったところか、女性は軽くウェーブがかかった髪を手で払いのけると、　明らかに永和の事を見ながら口を開いた。　「もう、探したんだからね……あれほどはぐれちゃダメって言ったでしょう？」　「はあ、わたしのことですか？」　　永和はきょとんとした様子で、自分自身を指差した。状況が良く掴めていないのか、　しきりに目を瞬かせている。　　そんな永和を眺めるのもまた一興ではあったが、あまり困らせるのも可哀想と思い直し、　助け舟を出してやることにする。　「なあ……誰か探しているのか？」　「ええ、でももう見つかったから大丈夫！」　　女は胸を張って言った。その表情は得意げだ。　「いや、人間違いじゃないのかと、遠まわしに言ったんだが……」　「何よぉ、キミは私が自分の子を見間違えると思ってるの？」　「子供？」　　俺は永和の方をちらりと横目で見た。　「びっくりです、天城さん。わたしのお母さんです……初対面ですが」　「天然ボケはちょっと黙ってろ」　　これ以上、話をややこしくしないでほしい。　　しかし、目の前の女性はどう見積もっても二十代後半。とても高校三年生の娘が　いるとは思えない。　「あんたの子供って、一体どれくらいの年なんだよ」　「どれくらいって……去年小学校に入ったばかりよ――――って、あら。ちょっと目を　　離した隙に随分大きくなったわね？」　「大きくなるわけないだろう、別人なんだよっ！」　　頭が痛くなりそうだった。　　女性はしばらく永和のことをじっと眺めると、やがてカラカラと笑い出した。　「あら、ごめんなさい。あまりに娘に似ていたものだから、つい間違えたわ」　　いやいや、永和は確かに小さいが、それは同年代に比べてのこと。いくらなんでも、　小学校に入ったばかりの子と見間違えるのはどうかと思う。　「やっぱそうだろう？　しっかりしてくれよ、お母さん」　　俺の軽口に対して、女性は目を丸くすると、　「私の事をお母さんと呼ぶキミは、もしかして――――」　「いや、絶対違うから。その方がもっとありえないからっ！」　　頭が痛くなった。　そんな俺の言葉を聞いているのかいないのか、永和は驚いた表情で口を開く。　「びっくりです、天城さん。親子感動の再会です」　「だから違うって言ってるだろ！？　俺の話聞いて！？」　　痛む頭を押さえながら叫んだ声は、振り続ける雪の中に吸い込まれるようにして　消えていったのだった。

  2008.03.20

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• 「空夢」～第十四幕：在りし日の雪（２）

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント第十四幕：在りし日の雪（２）　　閉鎖された遊園地というものは、思った以上に物悲しい雰囲気を漂わせていた。　　レールの途中で止まってしまったジェットコースター、堅く入り口を鎖した　ゴーカート乗り場、もう二度と回る事はない観覧車。　　降り続ける雪の中、ただそこに空っぽの器だけが残されている。　　運営していた頃には笑顔と嬌声で溢れかえっていたことが想像できるからこそ、　余計に今の寂れた光景が寂しかった。　　まるで、流れていく世界の中に取り残されてしまったかのよう。　　遠く響く街の喧騒も遥か、自分たちが切り離されてしまったかのような錯覚を覚える。　「天城さん……ちょっと、寂しい場所ですね」　「そうだな」　　不安そうな表情を浮かべ見上げてくる永和に、俺はなるべく落ち着いた声で答えた。　　薄気味悪い雰囲気を跳ね除けようと、わざと声を大きくする。　「でもさ、ここがまだ開園していた頃にはきっと賑わっていたんだろうな」　「……先ほどの街みたいな感じでしょうか？」　「うーん、あれとはちょっと違うかな……」　　南区の街も賑わってはいたが、同じ賑わいとは言っても種類が違う気がする。　「みんなが笑える場所だよ。家族やカップルや友達同士が、現実を忘れて楽しむんだ。　　ここは外とは切り離された別世界で、みんなが幸せになる魔法が　　かけてあるらしいからな」　　その魔法の前には子供も大人も区別無く、みんな幸せになってしまう。　　もっとも、閉鎖された後ではその魔法も時間切れのようだが。　「あの、天城さん」　「何だ？」　「――――わたしも笑えるでしょうか？」　　ひどく自然な様子で、永和はそんな言葉を呟いた。　　だから俺もいつものように、自然に俺らしい言葉を返す。　「……馬鹿なことを言うなよ、お前はいつも笑ってるだろう？」　　つまらない冗談。　　笑えない軽口。　　其れは、永和が口にするいつものくだらない思いつきの言葉に過ぎない。　　そうだと思うのに、どうして彼女はそんなにも寂しそうな顔をして、　笑えるかなどと問いかけるのか。　　呼吸が停止しそうになる。　　閉鎖された世界の中に、いつの間にか閉じ込められてしまったかのよう。　「永和……お前…………」　　ようやくのこと、かすれた声を出すのが精一杯だった。が、　「――――ですよね。わたし、いつも笑ってますよね？」　　にへら、と永和がいつものように表情を崩した。　「……は？」　　あまりに突然の永和の変化に、俺は一瞬ついていけず間の抜けた声を出してしまった。　「ひっかかりましたね、天城さん。わたしだって、いつも馬鹿にされるだけでは　　無いのですよ？」　　くつくつと笑う永和の声を耳にし、俺はようやく自分がからかわれていることに　思い至った。　「お、お前な……人をからかって楽しむなんて――――」　「魔法」　　抗議の声を上げる俺を遮り、永和はくるりとその場で回りながら言葉を紡ぐ。　「みんなが幸せになる魔法に、わたしもかかってみたいです。それは、とても　　素晴らしい魔法なのでしょうね？」　　相変わらず自分勝手に話を進めるやつだ。　　俺は心の中だけで悪態を吐きながら、溜息と共に言葉を吐き出す。　「なんだ、永和は遊園地に来たことが無かったのか」　「いえ、昔一度だけ来たことがあると思うのですが…………よく思い出せません」　「そうか」　　それがどんな体験だったのか、俺には分からない。けれど遠くを想うような彼女の　表情から、それはきっと良いものだったのではないかと想像できる。　「なら、真似事だけでもしてみるか？　カ――――」　　　カップルのようにと言いかけて、俺は慌てて口を噤んだ。代わりに思いついた　言葉を口にする。　「まあ、兄と妹だろうな、この場合」　　俺と永和が並んだ場合、どうやっても彼女は子供に見えてしまう。　「……その発言にはどことなく悪意を感じます」　「――――気のせいだろ？」　　やけに鋭い永和であったが、俺はニヤリと笑いながら答えた。そしてさらに　永和が何か口にする前に、足早に歩き出す。　「あ、ちょ、ちょっと天城さん！？」　　永和の声を背中に聞きながら、俺は足取りも軽やかに進む。　　雪那と名乗る少女に似た人影を追いかけて入った遊園地跡地だったが、　その人影がどこに行ったのか皆目見当もつかない。　　当てもなく歩くのなら、彼女を探しがてら、永和を連れて歩き回るのもいいだろう。　「だから、待ってくださいってば、お兄ちゃん」　「――――っ！」　　コケた。あまりに不意打ちな永和の呼びかけに、俺は平衡を保っていられなかった。　「お、お前なあ……お兄ちゃんは無いだろう」　　世間がどうかは知らないが、少なくとも俺にはお兄ちゃんと呼ばれて喜ぶ趣味は無い。　「兄妹なのでしょう？　だったらお兄ちゃんって呼びます。いいでしょう、お兄ちゃん？」　「………………」　　どうやら俺が子供扱いした事を根に持っているようだ。　　お兄ちゃんコールは、俺が永和に謝るまで続いたのだが、それはまた別の話。

  2008.03.15

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• 「空夢」～第十三幕：在りし日の雪（１）

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント第十三幕：在りし日の雪（１）　　服の袖を無理やり伸ばして手袋の代わりにし、道に降り積もった雪をかき集めること　小一時間。その結果、大人の腰ほどの高さがある雪だるまが出来上がった。　　落ちている石ころで顔を作り、枯れ枝の腕を生やしてやればそれで完成。　　我ながら、なかなかの出来映えである。　　感嘆した様子の永和の横で、俺としたことが軽く達成感に浸ってしまった。　　……それはさておき、せっかく誕生した雪だるま君ではあったが、俺たちの旅には　連れて行けない。彼にはホテルの玄関先で留守番を頼むことにした。　　留守番の雪だるま君に手を振り、俺と永和は彼女の家を探すために出発した。　　――――目指したのは南区。　　地図の上ではごちゃごちゃと細かい道が走っていたが、実際の街の様子も全く　その通りであった。　「これは迷いそうだな……永和、はぐれるなよ？」　「失礼ですね、わたしが迷子になるはずがないでしょう」　「…………お前、自分が何言ってるのか分かっているか？」　　あまりに自信たっぷりな迷子だった。　　と言うか、俺も迷子だった。　　ちょっと悲しくなってきたので、この話題はここまでにしておく。　「ねぇ天城さん、ここはとても賑やかな街ですね」　「…………まあ、良く言えばそうかもな」　　俺は永和の意見に同意する。　　閑静な住宅地の雰囲気とは正反対の様相を呈した街が、そこにはあった。　　あちらこちらから聞こえてくる街の喧騒。　　道端に並ぶ違法駐車の車と自転車。　　悪趣味一歩手前な色をしたド派手な看板は、店の敷地からはみ出している。　　碁盤目状どころか、どの道がどこに繋がっているか分からないほどに　曲がりくねった路地の数々。　　どこをどう見ても、落ち着きからは程遠い。　　言葉を選ぶならば賑やかな街。選ばなければ小汚い街。　　こんな騒がしくもごみごみした街ではあったが、永和は興味津々といった様子で　辺りをキョロキョロと見回しながら歩いていた。　「あ、あの蛙は何でしょうか？」　「お店の看板だろう？」　「では、では、あのカラフルな象は――――」　「あれもお店の看板だ。まあ、大体の意味不明なオブジェは店の看板と思っていい」　　とまあ終始こんな様子で、俺たちは雑然とした街を進む。　　しばらくその調子で行き交う人の波を避けながら進んでいると、やがて　南区の中心と思われる場所まで来たところで視界が開けてきた。　「ん……ここは…………」　　錆付いた柵に囲まれたその空間は、外の世界と切り離されているかのようだった。　　西洋を思わせる円筒状の塔にレンガ造りの建物、二本の鉄柱で支えられた船を模した　乗り物、空高く聳え立つ鋼のレール――まるで現実感の無い街が柵の中には広がっている。　「あのー、ここは何のための場所なのでしょうか？」　　柵の中の世界をしげしげと眺める永和に訊かれた俺は、答える代わりに一枚の看板を　指差した。　『レジャーワールド』　　いわゆる遊園地である。　　しかし、その世界を囲む看板も柵も色褪せ、錆が浮かんでいる有様だ。それに中には　誰の姿もない。とすれば、ここは閉鎖された遊園地に間違いないようだった。　「はあ、これが遊園地ですか」　「どうやら、潰れてしまっているみたいだがな」　　勢いに任せて無計画に建設した遊園地が、今となっては採算が取れず閉園に　追い込まれることは珍しくも無い。　　まさにこの世は諸行無常、である。　「あの、あの、天城さん――」　「ダメだ」　　永和が言い終えるよりも早く、俺はその提案を却下した。　「ひ、ひどいです。わたしまだ何も言っていません」　「どうせ遊園地の中に入ってみたいとか、そんなところだろう？」　「ひ、ひぅ……い、いけませんか？」　「勝手に入って、誰かに叱られたくは無いだろう？　それに、こんなところに　　寄り道するほど、悠長なことはしていられないぞ」　　まさかいくらなんでも、遊園地の中に俺たちの探す永和の家はあるまい。　　永和は残念だろうが、ここは寄り道などせず南区の探索に時間をかけるべきだと思う。　ただでさえ入り組んだ街なのだから、いくら時間があっても余るということはない。　「さて、名残惜しそうにしてないで、さっさと――――」　　諦めきれない様子の永和の襟首を掴んで、その場を離れようとした時だった。　　小さな人影が、鉄柵越しの向こう側を、視界の片隅をかすめる様にして駆けていった。　　長い黒髪をたなびかせるその人影は、　「――――！」　　はっとして振り返った時には、その人影は建ち並ぶ建物の中へ消えていた。　　瞬きする程度の、たった一瞬の出来事。　　一瞬ではあったが、俺にはその人影があの少女だったように見えた。　　雪那（せつな）と名乗った、冷たい笑顔を浮かべる少女。ここで見かけること自体に、　意味があるような気がしてならない。　「……永和、予定変更だ。ちょっと寄り道していくぞ」　「え、い、いいんですかっ！」　「ああ。ちょっとだけ、な」　　嬉しそうに目を輝かせる永和の傍らで、俺はじっと少女が消えた方を見つめていた。

  2008.03.14

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• 「空夢」～第十二幕： 雪光の街

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント第十二幕： 雪光の街　　ゆっくりと目を開き、世界に自分が居ることを思い出す。　　目の前に広がるのは飾り気の無いホテルの天井で、先ほどまで見つめ続けてきた　白い天井ではない。　「……夢…………か」　　曖昧な言葉を白い息と共に吐き出しながら、自分自身に言い聞かせる。　　頬が冷たい。手で触れてみれば、幾筋もの涙の跡が頬の上を伝っていたのが分かる。　　それは哀しい夢だった。　　夢の中では、一人の少女がずっと窓の外を眺めていた。　　白い部屋の中で、たった独りぼっちで…………とても大切なものを失って。　　よく顔が思い出せない。あんなにも鮮明だったはずの夢は、目が覚めてみれば　急速にその形を失い、靄がかかったかのように茫洋として知れない。　　失われた記憶の断片が夢として現れたと考えることもできるが、幸か不幸か俺は　男であり、記憶の中で少女である事はありえなかった。　「天城轍」　　あまぎわだち。自分の名前を声に出して確認する。　　よし、大丈夫。　　ちょっと馬鹿みたいだった。　　まあ所詮は夢。これ以上は気にしても仕方がない。　「さて、さっさと永和をたたき起こして、朝飯に行くとしますかっ！」　　俺はベッドから起き上がると、勢い良くカーテンを開け放った。　　目に飛び込んでくるのは控えめな光を放つ朝日と、その光を受けて白銀に輝く街並みだ。　「うわ、マジか。積もってやがる」　　昨日の夕方から降り始めた雪は、うっすらとではあるが街を白色に　塗りつぶしつつあった。まだ降り続いていることを考えると、これは本格的に　積もるかもしれない。　　さて、天気に文句を言ったところで仕方ない。風情があるとでも言って、　これはこれで楽しむしかないだろう。　　あいつなら――馬鹿みたいに喜ぶかもしれないな。　　俺は苦笑交じりに迷子のお姫様の顔を思い浮かべた。　「わわ、雪、雪ですよ。天城さん、雪が積もってますっ！」　　予想通りと言うか何と言うか、景色一面を埋め尽くす白化粧を前に、永和は高揚を　隠しきれない様子で文字通りとび跳ね回っていた。　　まだ朝の早い時間帯と言うこともあってか、オフィス街のこの辺りに人の姿は少ない。　まあ、たとえ大人数の前だろうと、彼女なら同じ反応を見せるだろうけれど。　「あ、あああああ天城さんっ！　雪が積もっているのですよっ！」　「……ああ、積もってるな」　　永和が嬉しそうに新雪へ足跡をつけて回る姿を視界に収めながら、俺は別の事を　考えていた。考える事をやめたはずだった今朝の夢――永和を眺めていると、　その記憶がおぼろげに浮かんでくる。　「ゆっき、ゆっき、ゆっきっ！」　「…………」　　あの白い部屋が、目の前の雪の白と重なるのか。あるいは目の前の彼女が夢の中の　少女に重なるのか。　「あっちの方にはまだ誰も足跡をつけてませんね」　「……………………」　　いや、そうじゃない。そんなものではない。　　俺が感じているこの違和感は、そんな具体的なものではない。　「うわ、雪の結晶がはっきり残ってますよ」　「………………………………」　　もしかすると、重なっているのは部屋でも彼女でもなく――――　「うわ、雪だるま発見です。どどどどどどどどうしましょうっ！？」　思い浮かびかけていた何かが――――弾けて消えた。　「どうもしなくていいから静かにしてろっ！」　　びしっ　「はうーーーっ！」　　満面の笑みで駆け寄ってくる永和に向かって放ったチョップは、カウンター気味に　彼女の眉間に突き刺さった。　　くぐもった声を上げながらその場にうずくまる永和。　　しばらく額を押さえていた彼女ではあったが、唐突に立ち上がると、　「なななな、何するですかー」　「いや、つい」　「つい、で人を叩かないでください！」　「……ああ、そうだな――――って、何か前にもこんなこと無かったか？　気のせいか？」　　これがデジャブというものだろうか。　「気のせいじゃないです。確かに、確実に、確信をもって言えます！」　「むぅ、そうだったか……」　　言われてみれば、この手ごたえは初めてでは無いような気がする。　「それは悪かった」　「そうです。そんな暴力人間の天城さんには、罰として雪だるま造りを命じます」　「はあ？」　「聞こえませんでしたか？　雪だるまを造るのです」　「はあ」　「ほら、早く早く！」　　俺の返事も待たずに、永和まだ新しい雪へ向かって駆け出した。　「やれやれ」　　…………まあ、いつものことか。　　俺は頭の片隅に残る違和感を追い払い、はしゃぐ彼女の後を歩き出した。

  2008.03.13

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• いよいよ転に入ります。

  のうみじま＆今田・イクイバレントが送る「空夢」(からゆめ)も起承転結の転に入ります。ああ眠い。

  2008.03.12

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• 「空夢」～幕間：やさしいおもいで

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント幕間：やさしいおもいで　「それは憧れというものですよ、お嬢様」　　大きな犬を連れた少年を窓から見たときに感じた気持ちの正体を尋ねたところ、　白い服を着た女性はかすかに目を細めて答えた。　「あこがれ？」　「そう、憧れです。自分もああなりたい、自分もそうでありたい――――そんな思いが　　胸を締め付けるのですよ」　「へぇ……ものしり」　「それほどでもありませんよ」　　女性は苦笑する。　「あたしも、いぬをつれてさんぽしたい」　「そうですね。今度所長に掛け合ってみましょう。それくらいのことなら、　　叶うかもしれませんし」　「ほんと？」　「ええ、本当ですとも」　「やった。おばさん、だいすき」　　少女がぴょいと飛びつくと、女性は嬉しくもあり悔しそうな表情を浮かべた。　「そういう場合は、お姉さんと呼ぶと大変喜ばれます」　　ちょっと微妙なお年頃らしい。　「うん。おねえさん、だいすき」　「ありがとうございます。それで、私の事はどのくらい好きなのですか？」　「うんとね、にばんめ」　「にばんめ？」　「いちばんは、おかあさん」　「そう……でございますか」　　不意に女性の表情が曇る。　「おかあさん、またあえるかな？　しょちょうさんに、かけあってくれない？」　「そればかりは、所長でも叶えられない望みでしょう。お母様はすでに……」　「ええー。おばさん、きらい」　「お、おば……」　「うそ。ほんとはおねえさんのこと、すき」　「あらあら、大好きから好きに降格ですか」　「おかあさんにあわせてくれたら、もっとすきになる」　「では、強く、強く念じて目を閉じてはいかがでしょうか。お母様の顔を思い浮かべ、　　声を思い浮かべ、匂いを思い浮かべ、強く強く思い出してください」　「ふわあぁ……なんだかねむたくなってきた」　「……おやすみなさいませ、お嬢様。それでは良い夢を」　　微睡みに沈みながら、少女は思い浮かべる。かつてのやさしいおもいでを。

  2008.03.10

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• 「空夢」 ～第十一幕：きっとその名前を呼ぶから

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント第十一幕：きっとその名前を呼ぶから　　きっと怖かったんだと思う。　　癒えることの無い傷を負った彼も、赦されることのない罪を背負った彼も。　　きっと信じたかったんだと思う。　　その傷は癒えるのだと、その罪は赦されるのだと。　　それはきっと矛盾する思いではなく、同じものから生まれた想い。　　手を差し伸べたいと思いながらも、その手を払いのけられることを恐れた。　　差し伸べられた手を掴みたいと願いながらも、突き放されることを恐れた。　「結局、なんだったんだろうな」　　夕暮れに染まる帰り道、俺は傍らを歩く少女――永和に向かって言った。　「分かりません」　「……だよなぁ」　　永和の返答に、俺は苦笑交じりに呟く。　　結局のところ、俺たちは少年と犬に振り回されていただけのような気がする。自分たちの　本来の目的、永和の家を探す件については全く進展が無かった。まあ、東区には永和の　見覚えがありそうな場所が無かったことが分かった、というのが収穫といえば収穫か。　「この調子で見つかるんだろうか……」　「きっと見つかります。天城さんは探し物名人ですから」　「何だよ、その権威無さ気な称号は」　「今回わたしのことを見つけてくれた天城さんに贈る、名誉ある称号です」　　謹んで賜りなさい、と言わんばかりに胸を張る永和。　「ちょっと待て、何で見つけられたお前の方が偉そうな態度するんだよ」　「えっへん。天城さんに見つけられたわたしは、見つけられ帝王ですから」　　悪いことが出来そうにない帝国が建国された瞬間だった。　　と言うか、名人やら帝王やら、もはや脈絡も何もあったものではない。　「でもな、今回俺たちが永和を見つけられたのは――――」　　そこまで言って、俺はそこから先を言葉にする事を止めた。　　脳裏をあの黒髪の少女の言葉がよぎったからだ。俺たちは決して永和の家を　見つけられないと、雪のように冷たい表情で、少女は言った。　　あの子のことは永和には言わない方がいい。この二人は会わせてはならないと、　俺の心の奥底で警鐘が鳴ったような気がした。　　突然言葉を止めた俺を不思議に思ったのか、永和は怪訝そうな表情で俺を見上げ　言葉の先を促す。　　「どうかしましたか？……わたしを見つけられたのは？」　「いや、なんでもない。永和とあの犬を見つけられたのは、一緒に居た純君が　　頑張ったからだよ。俺の力じゃない」　「では天城さんは、探し物名人から探し物達人へ降格です」　「……それって降格なんだ」　　彼女の脳内ヒエラルキーの基準は、イマイチ不明確だった。　「でも、良かったです。ドン君が無事に飼い主のところに戻れて」　　良かったと言いながらも、永和の表情はどこか浮かない。その瞳が赤みがかって　見えるのは、夕日のせいだけではないように思えた。　「もしかして――――」　　永和にとってあの犬は、大切な存在になりつつあったのかもしれない。　　帰る場所を忘れてしまった彼女と、帰る場所を失ってしまった犬。その在り方を　重ね合わせ、共感にも似た思いを抱いていたのかもしれない。　「いえ、ドン君が幸せになれることは、喜ぶべきことですよ？」　「…………そうだな」　　俺の言葉を遮りにっこりと笑う永和に対し、俺は穏やかに微笑み返した。　　どんなに自分が辛くても、時ノ宮永和と言う少女は他人の幸せを喜べるのだろう。　その結果、自分が一人ぼっちになったとしても、彼女は他人の幸せを笑顔で　祝福するだろう。　　だったら、お前の幸せはどうするんだ。　　言いかけて、俺は口を閉ざした。　　それは言うべきことではなかったし、言ったところで永和の理解が得られるとは　思わなかった。　　だから俺は代わりの言葉を口にする。　「何度でも見つけてやるよ。お前が一人ぼっちで寂しそうにしてたら、　　嫌になるぐらいその名前を叫んで探してやる」　「…………え？」　「俺は探し物名人だからな」　「は、恥ずかしいこと言いますね」　「うるさい」　　俺は傍らを歩む小さな少女の頭に、ぽんと手を乗せた。そしてそのまま、　わしゃわしゃと頭を撫でてやる。　「な、ななな何するんですかっ！」　　永和は驚いたような声を上げて俺を見上げた。　「こっちを見るんじゃない」　　頬が熱い。きっと俺の頬は、夕日の赤と照れでりんごのように真っ赤に　染まっているだろう。こんな顔を永和に見られてはならない。　「うわわっ、どうしたんですか」　「いいから、されるままにしておけ」　　俺が照れた顔を見せたくないのと同様に、彼女も辛い顔を俺に見せようとは　しないだろう。でも、こんなときくらいは辛いことは辛いと言えば良いと思うのだ。　　「頑張ったな、永和」　「…………は……は、い」　　俯き肩を震わせる少女の髪がぐしゃぐしゃになるまで、俺は彼女の頭を撫で続ける。　　空を見上げればひらひらと舞い始める雪。　　心に抱えた辛さも悲しみも、いつかはこの雪のように溶けてしまえばいいと思った。

  2008.03.07

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• 「空夢」　～第十幕：傍らの友（５）

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント第十幕：傍らの友（５）　　夕暮れ時の公園に、ポツリと立ち尽くす一人の少女の姿があった。　　その傍らには大柄な犬。　　一人と一匹は、夕焼けに染まる紅の世界に佇んでいた。　　子供たちはそれぞれが家路に着く時間。昼間は賑わっていた公園も、終わりの鐘が　鳴り響けば閑散とした風景へと変貌する。　　もう、終わりの時間だから。　　だから――――帰らないといけない。　　けれど、一人と一匹はじっとその場で寄り添ったまま動かない。　　なぜなら、彼女たちには帰る場所が無いからだ。　　温かいご飯を用意して待っていてくれる母親も、厳しい言葉の裏に優しさを込める　父親も、誰一人として彼女たちを待っていないからだ。　　夕焼けに染まる終わりの世界。　　俺と永和が犬に出会った始まりの場所だというのに、なんて皮肉だ。　「ねえ、犬さん。これからどうしようか？」　「わふん？」　「えへ、訊いても分からないよね」　　傍らの犬に向ける彼女の表情は穏やかだ。　　けれど俺にはその穏やかさが、嵐の中で訪れる一瞬の凪のように、脆く　危ういものであるように見えた。　　踏み込めば、一瞬で砕け散ってしまう硝子の世界。それが怖いのか自分でも　分からなかったが、俺は公園の入り口でただ立ち尽くしていた。　　けれど、少年――純――は違った。　　緋色の硝子が砕けるのを恐れず、寄り添う永和と犬に向かって足を踏み入れた。　「やっと……見つけたよ。ここだったんだ」　「――――何の用なの？」　　歩み寄る純に対し、永和は鋭い視線を叩き付ける。だがそれにも純は怯むことなく、　さらに一歩前に歩みを進める。　「僕は、謝りに来たんだ」　　じゃり、じゃり、と土を踏みしめる彼の足音は、硝子を踏み砕いているかのよう。　　その砕けた破片が彼自身を傷つけることも厭わず、愚直にただただ前に進む。　「謝る？」　「うん……僕はドンにひどいことをしたから」　　それが何なのか俺たちは知らないし、知る必要も無い。　「謝りさえすれば、それで済むと思っているの？」　　永和の冷たい問いかけに、純はゆっくりと首を振る。　「だったら何故――――」　　「だって、僕にはそれしか出来ないから」　　　純は決意に満ちた眼差しで以って、永和の鋭い視線を弾き返す。　「ごめんなさい。本当にごめんなさい」　　純は深々と頭を下げた。　「僕は守らないといけなかったのに、いや、僕も裏切ってしまったんだ」　　裏切りは、裏切られた者の心に、癒えることの無い深い傷を残す。きっと、　あの犬に刻まれたその傷が、今も彼らを縛り付けているのだろう。　「だから、ごめんなさい」　　繰り返される謝罪の言葉。　　それは赦されることが無い罪だと、ここに居る誰もが知っていた。　　けれど、もしその謝罪の言葉が、目の前にいる永和という少女に　向けられたものではなくて、傷付いた犬に向けられた言葉だとするならば――――　　――――それは、　　純の目は、ずっと永和の傍らに寄り添う犬に向けられていた。　　本当に後悔して、本当に悪い事をしたと思って、だからこそ少年は謝ったのだろう。　　いつも傍らに居てくれた最良の友に。　　――――それは、赦されてもいいのではないか。　　犬はふと、傍らの少女を見上げる。　　恐る恐る、大きな体を精一杯縮こまらせ、不安と迷いと喜びに満たされた目で。　「うん、そうね」　　少女は優しく微笑む。　「あなたが信じたいと思うなら、もう一度くらい信じてあげて」　　それが契機だった。　　ドンという名を与えられた犬は、少年に向かって駆け出していた。　　子犬のように尻尾を千切れんばかりに振りながら、犬は飼い主の下へと駆けていく。　「――――ドン！」　　純は嬉しそうに顔を輝かせ、最良の友を受け止めるため両手を広げた。　「わふわふ！」　　ドンも嬉しそうに声を上げ、純に向かって飛び掛り、　「あ、お前たちちょっと待――――」　　俺が制止の声を上げるよりも一瞬早く、自分よりも大きなドンに飛び掛られた純は、　後ろに向かって盛大に倒れ込んでいた。　「わふわふわふわふわふ」　「わわ、ちょっとドン、やめろって――――あーっ！」　　暮れ往く空の下で仲睦まじく戯れる少年と犬。と言うか犬に襲われる少年、純。　　もしかすると、あれが犬なりの仕返しなのかもしれない。けれどまあ、あの程度で　済むのなら、随分と簡単な話だろう。　　張り詰めていた空気は次第に和らぎ、再び世界が動き出したような気がした。

  2008.03.04

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• 「空夢」　～第九幕：傍らの友（４）

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント第九幕：傍らの友（４）　　頭をよぎる不安を振り払おうと走り続けた。　　何度も何度も角を曲がり、この付近一帯の地理を把握できるほどに走り回った。　　けれど永和の姿も犬の姿も見つける事ができないまま、太陽は西の空を　赤く染め始めていた。　　俺はこの状況を打開するため、手がかりを求めて交番まで戻ることにした。　「ん……あれは…………？」　　向こう側から歩いてくる人影にハっとするが、すぐに純という名の少年だと分かった。　　その沈鬱な表情を見れば、彼が何の手がかりも掴んでいない事は分かる。　どうだったかなんて、訊くまでもない。　　それは俺も同様だったのか、彼から何かを訊ねてくることもなかった。　「……どうして、あいつはこんな馬鹿な真似を――――」　「わからないの？　それとも、わからないふりをしているの？」　　不意に、背後から声が聞こえた。　　夕暮れの空気を凍てつかせるほどに冷たい声。　「お前はっ！」　　振り返ってみると、そこには黒髪の少女が居た。見間違えようはずもなく、　彼女は昨夜ホテルのロビーで出会ったあの少女だった。　「一体お前は何なんだよ」　　雪の夜に消えた少女。まるで彼女自身が雪の結晶であるかのように、　溶けるように消えてしまった少女。　「くす。いまのわだちおにいちゃんに、そんなひまがあるの？　さがしものが　　あるんじゃないの？」　「……なんでお前がそれを知っている」　「しっている。しらないのはわだちおにいちゃんだけ。おにいちゃんは、しらなくていい」　　黒髪の少女は昨夜の言葉を繰り返した。その意味を尋ねたかったが、彼女の　言うとおり今の俺たちには余分な時間など無い。　　俺が黙っているのをいいことに、少女はさらに言葉を続ける。　「いちどうらぎられたものは、そのいたみをわすれない。うらぎったものがわすれても、　　うらぎりをうけたものは、けっしてわすれることはない」　　裏切りられた痛みは癒えることが無い。ずっとずっと、心の奥底に棲み付き、　差し伸べられた手を掴む力さえも奪っていく。　　その痛みを感じられるのは、きっと人間だけじゃない。　「あ、ぼ、僕は…………」　　純の表情が今にも泣き出しそうに歪む。　　それはまるで、犯した罪の大きさに気が付いた咎人の慚愧にも似ていた。　　もしその痛みが忘れられることが無いと言うのなら、彼が刻んでしまったその　痛みは決して消えることが無いと言うのなら、　「――――そんなわけあるか。取り返しがつかないことなんて、何一つ無い」　　少年の後悔と、心に浮かんだ自らの不安を打ち消すように、俺は声を大きくして言った。　　どんなことでも、頑張りさえすれば取り返しはつく。　　だって、そうでなきゃ、あまりに救われないだろう。　　失われてしまったものが、失われたままだなんて。　　壊れてしまったものが、壊れたままだなんで。　　失ったのなら、もう一度手に入れればいい。　　壊れてしまったのなら、直せばいい。　　それはカタチあるモノでも、カタチなきモノでも、同じはずだ。　「なあ……そうだろう？」　　俺は黒髪の少女に同意を求めるように語り掛けた。　　だが、少女は俺の言葉に反応することは無く、言葉を紡ぐ。　　歌うように、謳うように。　「やりなおしをもとめている。うらぎられた、さみしいこ。いたみをしっているくせに、　　まだ、しんじようとしている、おろかなこ」　「……え？」　「いってあげて。まにあうとおもうなら、やりなおしたいとねがうなら」　　その一瞬、少女の表情に何か柔らかいものが浮かんだように見えた。　　だがそれも一瞬の事、すぐにあの雪のように冷たい表情へと変わる。　　俺には少女が何を言っているのか分からなかったが、純には何か思いつくことが　あったのか、はっと顔を上げて彼女の方を見上げた。　「いきなさい」　「うん、分かった！」　　少女の言葉に、純少年はわき目も振らずに駆け出した。　「ちょ、ちょっと待てよ」　　俺は慌ててその背中を追おうとしたが、　「もしかしたら、わだちおにいちゃんなら、おわらせることができるかもしれない」　「……何だよ、さっきは俺だけ知らないとか言ってたくせに――――」　　足を止め、少女の方を振り返る。　「それに終わらせるって、何をだ？」　「やっぱりしらなくていい」　「…………っ！」　　ものすごく馬鹿にされているような気分だったが、今はそれどころではない。　早く少年の後を追わなくては、また見失ってしまう。　「じゃあな、俺は行くからな！」　　そう吐き捨てるように言って、駆け出そうとした俺の背中に声が掛かる。　「――――雪那（せつな）」　　それが黒髪の少女の名前だと気が付いたのは、駆け出した後のことだった。

  2008.03.03

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• 「空夢」 ～第八幕：傍らの友（３）

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント第八幕：傍らの友（３）「それにしても、何の手がかりも無いどころか、交番さえも見つからないな」　　探している場所が悪いのか、永和の家も犬の飼い主も、何の情報も得られなかった。　まだ日は高い位置にあるとはいえ、あまり悠長なことをしていられないのも確かだった。　「交番？」　「ああ、警察だよ。そこでなら、永和の家のこととか、探してもらえるだろう？」　　時ノ宮という珍しい苗字だ、交番で訊けば探し当てるのはそれほど難しいことでは　無いだろう。うまくことが運べば、犬の飼い主だって見つかるかもしれない。　　「テレビで見たときは、そんな感じじゃなかったです」　「テレビ……どんな感じだった？」　「えーと、拳銃を持った二人組みが――――」　「それ間違い」　　きっとその二人組みの頭には、デンジャーの文字が付いているに違いなかった。　「交番って言うのは、町のお巡りさんが居て、市民の悩みに答えたりパトロールしたり、　　まあ、そんな感じの場所だ」　　考えてみると、俺も交番がどんなものかよく知らなかった。普段生活している限りでは、　そんなにお世話になる場所でもないからな。　「ええと、たとえばあんな感じの建物でしたっけ？」　　不意に、永和が住宅地の一角を指差して言った。　「そうそう、あんな感じ」　　テレビでよく見る金色のエンブレムを掲げた小さな建物が、彼女の指差す先にあった。　その前には、いかにもお巡りさんが乗りますと言わんばかりの自転車まで停まっている。　　なんだ、世の中には良く似た建物が――――　「って、あれだよ！！」　　良く似ているのではなく、まさに交番そのものだ。　　誰も突っ込んでくれないので、自分で突っ込むしかなかった自分が悲しかったが、　今はそんなことを言っている場合ではない。　「どうするのですか？」　「わふわふ？」　　声を合わせてこちらを見上げる永和と犬。どうするかなんて、そんなの決まっている。　「永和の家と、そいつの飼い主を探してもらうんだよ。さ、行くぞ」　　あまり気が進まなさそうな一人と一匹を引き連れ、俺は交番へと足を向けた。　「こんにちはー」　　透明なガラス戸を開けると、中から暖かい空気があふれ出してきた。こういう瞬間に、　よりいっそう外の寒さを実感する。　「はい、こんにちは」　　笑顔で応対してくれたのは、口元の髭がダンディーな初老のお巡りさんだった。　　どうかしましたか、と尋ねてくるお巡りさんに対し、　「ちょっとこの子の家を探しているんだけど、分からないかな？」　「この子の家？」　　いきなり不審そうな顔をされた。　　考えてみれば、俺はものすごく不自然な質問をしているのではないか。　どこに自分が連れている少女の家を尋ねるやつがいる。明らかに不審人物な俺だった。　　だから俺は、　「ああ、この子っていうのは、こっちの犬のことで……迷い犬みたいなんだ」　　とっさに質問の内容を永和から犬へと変更した。　　未成年者略取とか、そんな容疑で逮捕されたくは無かった。　「随分とまた、大きな犬ですね」　「多分、セントバーナードという犬種だとは思うんだけど」　「ちょっと待ってください。先ほど、犬を探しているという男の子が来ましてな。　　まさかとは思いますが――――おーい」　　そう言ってお巡りさんが奥の座敷へ呼びかけると、　「あ、はーい」　　イガグリ頭の少年が返事をしながら現れた。　　その声を聞いたとたん、永和の後ろであくびをしていた犬はピンと耳を立てた。　「ほら、純くん。この犬だよ」　「…………あ、こいつです。探したぞ、ドン」　　純と呼ばれた少年は、ぱっと顔を輝かせながらこちらに歩み出てきた。　「何だ、意外とあっさり見つかったじゃないか」　　俺はドンと呼ばれた犬の背中をつついてやった。　　ドンも一歩、少年に向かって歩み出る。飼い主と犬の感動的な再会だった。　　――――そうなることを、俺は信じて疑わなかった。　　が、　　少年が手を差し伸べたその瞬間、ドンは身を翻すと大きく後ろに跳び退った。　「え、ド、ドン？」　　戸惑いを隠せない少年は、再び犬に手を差し伸べようとするが、ドンは警戒にも似た　唸り声を上げた。　「おい、どうしたんだ。お前の飼い主なんだろう？　だったら――――」　「ダメです。飼い主だったとしても渡せません」　　犬に手を伸ばそうとした俺の前に、今まで黙っていた永和がおもむろに立ちはだかった。　　その顔に浮かぶのは、祈りにも似た苦しげな表情。　「お、おい永和。お前までどうしたってんだよ。ほら、お巡りさんだって　　困ってるだろう？」　「困ってもダメです。この子は渡しません！」　　そう強く言い放つと、永和はドンを連れて交番の外へと飛び出した。　　いきなりの出来事に、俺も少年もお巡りさんも、みんなの反応が遅れた。　「あ、永和！」　「ま、まま待ってください、僕も――――」　　永和と犬に遅れること数瞬、俺と少年は冬空の下へと飛び出した。　「ったく、あの馬鹿。何いきなりはっちゃけてるんだよ」　　純という名の少年と共に交番を飛び出したときには、すでに永和と犬の背中も　見えなくなっていた。おそらくは、入り組んだ路地へと駆け込んだのだろう。　犬も人間も普段はぼんやりして見えるというのに、意外にもはしっこい。　　「ドン……どうして…………」　　飼い犬に逃げられたのがショックなのか、少年はうなだれた様子で立ち尽くしていた。　　どうしてこんなことになったのか、考えなければならない事はたくさんあったが、　今は永和と犬の行方を捜すことが先決だと思われた。　「気持ちは分かるが、今は犬……ドン君を見つけるのが先だ。手分けをして捜すぞ」　「はい……そうですね」　　何か考えているのか、少年の反応は鈍い。だが、それでも今は永和と犬を捜す為の人手が　要る。　「じゃあ、俺はこっちの方向を重点的に捜す。お前は反対側を頼む」　　少年が小さく頷くのを確認すると、俺は指差した道を走り出した。　「くそ……無事で居てくれよ。約束……したじゃないか」　　永和を彼女の家に連れて帰るという約束。それはまだ果たされていない。　　嫌な考えを振り払うようにして、俺は前傾姿勢になって足で地面を蹴り立てた。　　ただ、いくら走ることに集中しようとしても、去り際に見せた永和の祈りにも似た　あの表情が脳裏にこびり付いて離れなかった。

  2008.02.29

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• 「空夢」 ～第七幕：傍らの友（２）

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント第七幕：傍らの友（２）　　二人と一匹に増員された迷子御一行は、昼下がりの住宅地を当てもなく歩いていた。　　先頭を行くのは一行の中で最大の体躯を誇るセントバーナード。　茶色い尻尾を雄々しく掲げのっしのっしと歩くその様は、マフィアの親玉のような　貫禄がある。　　足を踏み出すたびに右に左に揺れる犬の尻尾を、目で追いかけながら永和が続く。　　そんな永和が目を回して倒れないか、気が気じゃない様子の俺。　　そんな二人と一匹が歩く様はまるで犬の散歩。と言うか、それ以外の何物でもなかった。　　途中で何人か擦れ違った主婦らしき人達の視線が、皆一様に俺たち一行を　微笑ましそうに見つめていた。　　子連れの主婦の一団に向かって永和が元気良く手を振ると、皆控えめながらも　手を振り返してくれた。　「わふわふ」　　自分に視線が集まっていることが分かるのか、犬はうれしそうに声を上げる。　　そんな穏やかな午後の散歩をしている間に、気が付いたことがあった。　　このセントバーナードは、とても人懐っこい。見知らぬ人間に向かってでも、　尻尾を振って飛びつこうとするほどに人に慣れている。だから最近まで　飼い犬だったということは、疑う余地は無いだろう。　　けれど――――彼の首にはあるべき首輪が無かった。　　これだけ体の大きな犬なのだ、迷い犬であればきっと首輪は付いているのではないか。　　ただ単に、何かの拍子に首輪が外れてしまっただけなのだろうか。　　そうでないならば、意図的に首輪が外されたというのなら、それはきっと　迷い犬ではなく――――　「なあ、永和……この犬、もしかすると――――」　「分かっています、天城さん」　　俺の方を振り返りもせず、永和は俺の言葉を遮った。　　そして、ぽつりぽつりと言葉を続ける。　「でも、偶然かもしれないじゃないですか。首輪が外れてしまったのも、　　この辺りの人たちがこの子のことを知らないのも、みんなみんな、ただの　　偶然かもしれないじゃないですか」　　永和は散歩をしながらも、擦れ違う人たちにこの犬のことを知らないか　尋ねて回っていた。決して人と話すのが得意でもないくせに、見知らぬ他人に向かって　必死で言葉を紡いでいた。　　自分の時にはうまくできなかったくせに。　「そうだな、偶然かもしれないな」　「はい、きっと偶然です」　　それが偶然ではありえないことなど、とっくに分かっていた。　　こんなにも目立つ体躯の犬の事を、この近所の人達は誰も知らない。それはきっと、　この犬がどこか遠くから連れて来られたから、に他ならない。　　首輪も無く、遠くから連れられて来た犬。それは、迷い犬ではなく捨て犬だ。　「勝手、ですよね」　　永和にしては珍しく憤った様子で言葉を口にした。　「……そうだな」　　俺は小さく相槌を打つ。　　小さくて可愛いからといって飼い始め、大きくなれば邪魔になったといって捨てる。　　捨てられるものが何を思うか考えもせず、ただ一方的に切り捨てる。　　その思いの欠片が、彼女には分かっているのかも知れなかった。　　どうしたらいいのか分からない不安。どこに行けばいいのかさえ分からない心許無さ。　頼れるものが誰一人としていないことの寂しさ。　　それはきっと、永和が感じていた思いに似ている。　「そんな勝手なヤツはな、思いっきりグーでぶん殴ってやればいいんだよ」　「天城さん、暴力はダメですよ」　「いいの。言っても分からないやつは、殴るしかないんだから」　「ダメです。どんなときでも、暴力を使って解決を図るのは野蛮です」　　先を行く永和は足を止め、振り返ってキッと睨みつけるような視線を向けてきた。　「わふわふーん」　　　とぼけた眼差しで俺たちを見守るのは、マイペースなセントバーナード。　「永和が殴れないんだったら、代わりに俺がそいつを殴ってやるよ」　「ダメですったらっ！」　　どごっ！　　永和が叫ぶように言った次の瞬間、体に響く重い音と共に息が止まった。　「と、永和？」　　視線を下ろしてみると、堅く握られた永和の拳が俺の腎臓の辺りにめり込んでいた。　　これ以上ないほど見事なコークスクリューパンチであった。　　俺は堪らずその場に膝を付く。　「どうして暴力はダメだって分かってくれないのですか」　「え、今、お前、俺を――――」　「話を逸らさないでください！　わたしは暴力の無意味さについて話しているのです」　「え、で、でも……」　　確かに俺、殴られましたよね？　「いいですか、わたし思っていたのですが、天城さんはすぐに暴力に訴えることが　　多い……聞いてますか？」　「…………ああ」　　懇々と続く説教を聞き流しながら、俺は思った。　どうして永和はその素晴らしい常識を活用出来ないのか――それが　残念でならなかった。

  2008.02.28

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• 「空夢」　～第六幕：傍らの友（１）

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント第六幕：傍らの友（１）　「この子を飼うことに決めたからっ！」　　永和に良く似た声で、毛むくじゃらの物体が息遣いも荒く迫ってきた。　　視界一杯を茶と白のツートンカラーに占領される。　　聞こえてくるのは荒い息遣い。仄かに香るのは獣の臭い。　「……一体全体何がどうしてこういう結論になったのか、まずは説明してくれないか？」　　毛むくじゃらを右手で押し退けようとしたら、べろりと舌で舐められた。　ざらざらした感触に耐えながら、それでも毛むくじゃらを視界から追いやると、　瞳にキラキラと星を散りばめた少女の姿が現れた。　　時ノ宮永和（ときのみや・とわ）。厄介事の請負人でありながら自身が厄介人という、　すさまじい属性持ちの少女である。　「さて、説明してくれ」　　俺は物理的に舐められっぱなし右手の感触を断ち切り、辛抱強く少女に語りかける。　「犬なの」　　少女は相も変わらずキラキラした瞳で俺を見上げていった。　「ああ、犬だな」　　ついでに言えば、ふかふかの毛皮にでっぷりとした体躯、愛嬌のあるくりっとした　目のセントバーナードという犬種のようだった。　「かわいいの」　「……まあ、好みにもよるが、概ねその感想は外れたものじゃないな」　「飼うのっ！」　　永和は形のいい白い人差し指を、びしっと俺に突きつけてそう言った。　　あまりに早すぎる結論だった。ちょっとその能天気そうな頭を開いて、　彼女の思考回路を覗いてみたかった。　　俺は少しだけ考えてから、　「――――却下」　　白い息とともに、短く答えだけを吐き出した。　「えー、えー、どうしてですかー」　　不満そうに頬を膨らませる永和と、それに賛同するようにして尻尾を振る毛むくじゃら。　「どうしてって、お前、こんなときに何を考えてるんだよ」　「何って……犬はかわいいよ？」　「……あー、お前に聞いた俺が悪かった」　　永和が何を考えているかなんて、彼女の瞳キラキラ星モードを見れば一目瞭然だった。　だが、ここでこの流れに負けてはいけない。俺は根気強く、小学生に微分積分計算を　教えるようなつもりで、ゆっくりと語りかけた。　「さて、俺たちは何をしているのでしょうか？」　「この子の名前を考えてるところっ！」　「えーい、それはお前だけだ！」　　はい、と元気一杯な様子で手を挙げる永和に向かって、俺はチョップを振り下ろした。　　びし。いい音がする。　「はうっ！……うう……体罰です……」　「答えを間違えた子には厳しくいきます」　「わたし間違ったこと言ってません。だって、この子……迷子なのです」　　永和は傍らで尻尾を振る毛むくじゃらにしがみつくと、おどおどした目で俺を　見上げて言った。その瞳には先ほどまでの興奮は無いが、その代わりに決して　折れない強い輝きがあるように見える。　　これは――――彼女から犬を無理に引き剥がす事はできそうになかった。　「……迷子、ね」　　また迷子。迷子は永和だけで十分だというのに。ああ、俺は迷子じゃない。　ちょっと人生という名の迷路に迷い込んでしまった行くあてのない旅人。　　自分で言ってみて軽い失望感に襲われた。　「……どうしたんですか？」　「いや。ちょっと、人生について考えていたところ」　　「わふわふ」　　元気を出せとでも言いたそうに、犬は俺の足にぽんと自らの前足を掛けた。　　　犬に同情される我が身の不幸を省みるため、どうしてこんなことになったのか思い起す。　　永和の家を探すためホテルを朝９時に出発した俺たちは、とりあえず地図でいうところの　東区から回ることにした。　　中央区とは違って、緑もたくさん残っている閑静な住宅地。　あれこれ歩き回ってみたものの、手がかりらしい手がかりも無いまま、太陽は　いつの間にか真上に差し掛かっていた。　　住宅地の一角に設けられた公園で、歩き疲れた俺たちは一時の休憩を取ることにした。　ちょうど目に入ったコンビニでパンとジュースを買い、ベンチに腰掛ける永和と俺。　　ここまでは何の間違いもない。　　ただ、彼女から目を離したその一瞬。　　その一瞬の後、再び彼女に視線を戻そうとした俺の視界は毛むくじゃらに　埋め尽くされたのであった。以上、回想終わり。　「この子も迷子です」　　回想を終えた俺の前に、永和は歩み出た。固い決意の眼差しで、じっと俺を見据える。　　行き場の無い自分自身の姿と、その犬を重ね合わせているのかもしれない。　「迷子は…………寂しいです」　「……そうだな」　「迷子は…………不安です」　「……そうだな」　　こんなにも悲しそうな目で俺を見上げる彼女に対して、俺は何を言えばいい。　「だから、飼うの」　　俺は少しだけ考えるフリをしてから、　「――――許可」　　　溜息とともに、負けを認めるその言葉を吐き出した。　「わっ、やった！　良かったですねっ！」　　ぱっと表情を輝かせ、永和は犬と手を取り合って――犬は前足を取り合って――　嬉しそうに飛び跳ねた。　「ただし……飼い主が見つかったら、ちゃんと返すんだぞ」　「はいっ！」　「わふわふ」　　迷子が二人から、二人と一匹になった記念すべき瞬間だった。

  2008.02.27

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• 「空夢」　～幕間：しろいきおく

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント幕間：しろいきおく　　彼女の記憶にあるのはただ白一色だった。　　何も無い、寒気すら感じるほどに空虚な部屋。余分なものどころか、ベッド以外の　必要最低限の家具さえも存在しないその部屋は、生活感が無いという表現を通り越して、　生命さえも感じられなかった。　　ここに居れば誰からもいじめられない代わりに、誰からもやさしくしてもらえない。　　彼女と世界を繋ぐのは、一枚のドアと、その反対側の壁に取り付けられた小さな窓だけ。　　それが彼女に与えられたものであり、それが彼女の持つもの全てだった。　　ドアにはいつも鍵がかけられていて、定期的に現れる白い服を着た人達が彼女の様子を　見に入ってくるほか、開かれることはなかった。　　だから、実質彼女の所有する世界とは、窓から見える範囲の四角く切り取られた　風景だけだった。　　そこから見える世界は、まるで額縁に入れられた絵画のようだ。　　移ろう季節、移ろう景色、見るものを愉しませる色彩豊かな世界が広がっていた。　　自分と同じくらいの年頃の少年が、犬を連れて歩いている。　　連れているというよりは、自分の体よりも大きな犬に連れられていると言ったほうが　近いだろうか。ピンと伸びた紐に翻弄される少年と我関せずとのとぼけた表情の犬。　　そこにはこの部屋に無い温かみがあるように思えた。　　その光景があまりに眩しくて、思わず彼女は手を伸ばす。　　けれど、それはやはり絵画と同じであり、彼女がいくらその世界を望んで　手を伸ばしたところで届くことは無い。ふと伸ばした指先には、分厚い窓ガラスの　感触だけが返ってくる。　　こんなにも近くだと言うのに、そこには決して届かない。　　世界の外から眺めているという事は、世界の中で生きるということと限りなく　近似であり、そして決定的に違うということ。　　彼女は楽しいということを知らなかった。だから退屈とも思わない。　　彼女は悲しいということを知らなかった。だから辛いとも思わない。　　ただ、少しだけ胸が締め付けられる思いがした。　　その感情が何なのか、彼女には分からない。　　だから、今度誰かが部屋に入ってきたときに訊いてみよう。　　――――この思いが何なのか。　　その思いにもう一度触れてみたくて、彼女はもう一度手を伸ばした。　　記憶にあるのは白い部屋。　　白く塗りつぶされてしまいそうなほど、遠い記憶。

  2008.02.24

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• 「空夢」　～第四幕：雪降る街で約束を（４）

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント第四幕：雪降る街で約束を（４）　「ああ、そう言えばわたし、地図を持っていたのです」　　永和はそう言うとおもむろに、フレアスカートのポケットから丁寧に折りたたまれた　紙切れを取り出した。　「地図って……それはこの街の地図か？」　「はい、もちろんです」　　頷く永和を見てほっとする。その辺りから確認しなければならないこの状況が　ちょっと悲しかった。……世界地図が出てきたらどうしようかと思っていたところだ。　「えーと、ちょっと広げてみますね」　　永和はビルの前に並ぶ植え込みのレンガに腰掛けながら、予想以上に大きなその紙を、　ばさりと広げた。　　地図上に描かれるその街は、とても特徴的な形をしていた。　　ビル群が建ち並ぶように見える円形状の市街地を中心に、東西南北の四地域が　それぞれ太い幹線道路で区切られている。各地域を区切る幹線道路は、中心部の　市街地の周りをぐるりと一周し、それぞれが繋がっているといった要領だ。　「今、俺たちが居るのが、この中央区、か」　　ビルの建ち並ぶ風景や道路の感じからすれば、それ以外に無いだろう。　　せめてこの区切られた五つの地域のどこに永和の探す家があるのか、それさえ分かれば　随分と楽になるのだが――ちらりと彼女の様子を横目で覗き見る。　「……うわー、うわー」　　まるでこの地図を広げてみるのが初めてだというような顔で、キョロキョロと　地図の上に視線を迷わせている彼女を見れば、俺の望みは儚い　蜃気楼のようなものだったと知れる。　「まあ、片っ端から行ってみるしかないんだろうな」　　あまり利口な手段とは思えないが、それしかないように思えた。　　それにあちこち捜し歩いていれば、永和の記憶にある場所に辿り着くかもしれないし、　彼女を知る人にも出くわす可能性だってある。　　じゃあどこから行こうか、と立ち上がろうとしたところで、周囲の風景が白から　朱へ移り変わっていることに気が付いた。　「……うわー、うわーキレイ」　　永和は子供のように――実際見た目は子供そのもので――目を輝かせ、太陽が沈みゆく　朱の空を見つめていた。　「しまったな、もうこんな時間か」　　季節柄を考えればまだまだ夜と言うには早い時間帯である事は間違いないが、　知らない街に迷子が二人。これから暗くなるであろう中をうろつくのは、あまり利口な　行為であるとは思えなかった。　　「じゃあ、行くか」　「え、あ、どこに行くのですか？」　「今日の寝床探し」　　暗くなる前に、今夜の宿を探すことが先決に思われた。こんな雪の降る季節に　野宿など自殺行為であるし、ちょっと落ち着いて考えたいこともある。　「ほら、分かったらさっさと立つ」　「は、はわ、天城さん……ま、待ってください」　　急いで地図を畳む永和の慌てぶりに苦笑を漏らしながら、俺はぐるりと周囲に　視線をめぐらせていた。雪を纏ったビル群が西日を受け、その色を白から朱へ　変えていく風景は、どことなく物悲しかった。　　当てもなく彷徨い歩くこと小一時間。夜の帳が下りる寸前に、小奇麗な　ビジネスホテルを探し当てることに成功していた。　　ホテル全体を包み込む柔らかな暖房と暖色系の照明が、外の冷気で　冷え切った体にはありがたい。　「ほら、あまりきょろきょろするんじゃないぞ」　　ものめずらしそうに視線を漂わせる永和の襟首をひっぱりながら、俺は受付の　男の前まで進み出た。　「予約はしていないんだが、二部屋空いているか？」　「はい、ございます。こちらにお名前とご住所を記入してください」　　ペンと宿泊者の記入用紙を差し出してきた。　　俺は免許証をポケットから取り出すと、そこに書いてある天城轍の名前と、　見覚えのない住所を用紙に書き写した。　「あー、どうも自分の住所ってのは覚えられなくてね。携帯の番号みたいなものさ」　　受付の男が怪訝そうな顔をしていたので、俺は軽く言い訳をした。　あまり自然な言い訳ではなかったが、それ以上受付の男は何も言わず、俺の差し出した　記入済みの用紙を受け取った。　「天城轍さまと、天城永和さま、ですね」　「え？　わたしは――――もが」　　何か余計な事を言い出しそうだった永和の口を後ろ手で塞ぐと、俺は男に向かって　さわやかに微笑んだ。下手な厄介事を抱えるのは、これ以上御免被りたい。　「ああ、似てないように見えるけど兄妹なんだ」　　俺の言葉をどう受け取ったのか知らないが、男は眉一つ動かさなかった。これこそ　受付の鑑というやつだ。その替わりに職務に忠実な質問をする。　「何泊のご予定でしょうか？」　「そうだな…………とりあえず３日頼む」　「かしこまりました」　　一体全体どれだけの時間が掛かるものか分からなかったが、とりあえず後から　伸ばすにしろ、考える時間分の宿は確保しておくことにする。ここ中央区に拠点を　構えれば、各地域を巡るのにちょうどいい。　「えー、では料金は……」　　男の手がレジに伸びたところで、俺はようやく自分が大切なことを忘れていることに　気が付いた。　　つまりあれだ。ヤバい、俺金持って無いのではないか？　　もしもここにタイムマシーンという物があるのならば、無一文でありながらホテルで　宿泊の手続きを進める自分自身を、後ろからぶん殴ってやりたい気分だった。　　まさか永和にたかるわけにもいかないだろうし、その前に彼女がそんな大金を　持っていることも期待できなかった。　　俺がどうしようかとおろおろしていると、　「天城さん、お金持っているのではないですか？　ほら、そのカバンの中に」　「え？」　　彼女に言われて初めて、俺は自分が後生大事にショルダーバックを抱えていることに　気が付いた。薄い青色をしたカバンは、ずしりとした確かな重みを伝えてくる。　　言われるまで自分がカバンを持っていたことに気が付かないとは、本当に　どうかしている。だがしかし、今はそれより金の問題の方が大事である。　「よし、開けるぞ」　　俺はかすかな期待を込め、カバンのファスナーに指を掛けた。　　ジジジジジ……　　洗濯板を爪でなぞるような音とともに、カバンの中に姿を現したのは、　おびただしい数の福沢諭吉さんその人であった。　「は？」　　目が点になる。　　いわゆる百万円の束が、一つ二つどころではない。ぎっしりとカバンの中で　ひしめき合っているではないか。　「え、あ、あ、あれ？」　　ちょっと待て。俺の人生の中で、これほどの数の福沢諭吉さんたちと御近づきに　なれたことは、ちょっと無い。きっと未来にも無いだろう。　　それなのに、今ここに居た。　　ありえない。コレは一体何の冗談だと――――　「じゃあ、代金はこれでお願いしますね」　「かしこまりました。こちらがお部屋の鍵になっております」　「どうもー」　　いつの間に札束から抜いたのか、永和は数枚の一万円札を受付の男に渡し、　その替わりに部屋の鍵を二つ受け取っていた。　「ま、いいじゃないですか。お金はあるに越したことは無い、ですよね？」　「…………何なんだ、俺は……」　　先ほどまでのように、永和にツッコミを入れることも出来ない。放心した俺は　しばらくの間、諭吉さんが大繁殖したカバンを手に、ホテルのロビーで　立ち尽くしていた。

  2008.02.20

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• 「空夢」～第三幕：雪降る街で約束を（３）

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント第三幕：雪降る街で約束を（３）　「まあそういう訳で、だ。お前の家を探すのは分かったが――――」　「はいはいはーい」　　俺の言葉を遮るようにして、永和は元気な声とともにぴょこんと手を挙げた。　「あー、『はい』は一回でいい。それで何だ？」　「じゃあ、はい。質問です」　「はい永和くん。発言を許可しよう」　　俺が指名すると、永和は元気良く立ち上がった。いや、元々立っていたわけだから、　元気良く飛び跳ねたというのが正しい。　「名前聞いてません。貴方のお名前」　「ああ、そう言えばそうだったな…………」　　うっかりしていた。永和の名前を聞いたのだから、自分も名乗るのが　当たり前だと言うのに、そんなことすら忘れていた自分が恥ずかしい。　「俺の名前は――――」　　そこまで言いかけたところで、俺は固まってしまった。　　何だろう。どうしてか、そこから先の言葉が出てこない。喉の奥に何かが　詰まってしまったかのように、当然有るべきはずの名前を口に出来ない。　　嫌な汗が頬を伝う。　　こんなにも雪が降るほど寒いのに、流れ落ちる汗は止まらない。　　呼吸すら忘れるほどの緊張。息が苦しい。喉はすでにカラカラ。　　意識が途切れてしまいそうだ。　「俺は――――」　「どうしたんですか、天城轍（あまぎ・わだち）さん」　「あ、え？」　　はっと意識が覚醒する。　「え、じゃありませんよ。突然どうしたんですか」　　心配そうな表情の少女――時ノ宮永和――が、突然固まってしまった俺を　覗き込むようにして見上げていた。　「それより、俺の名前……」　　名乗った覚えは無いというのに、どうして初めて会った彼女がその名を口にするのか。　「はい、車の免許証が落ちていましたよ」　　俺の怪訝そうな表情を見て取ったのか、永和は手にした四角い紙片を「はい」と　俺に差し出してくる。　　そこに映っているのは、どこか眠たそうな雰囲気を漂わせる青年の顔と、天城轍と言う　名前だった。　「お、お前いつの間に！」　「だから、拾ったのですよ。天城さんのズボンの後ろポケットの中に」　「それはスったと言うんだ！」　　俺はぶんどるようにして永和から免許証を受け取り、そそくさとズボンの　後ろポケットに戻した。今度はスられないように、ポケットの口をボタンで固定する。　「まったく、油断も隙もあったもんじゃねぇな」　「油断出来ない世の中ですねー」　「お前だお前！　まずお前が油断出来ないって言ってるんだ！」　　それにしても、自分の名前が出てこなかっただなんて、本当にどうかしている。　　ド忘れなんてレベルを、遥かに超越してしまったのではなかろうか。　　まだ二十歳だというのに――いや、深くは考えないことにしよう。　　俺は落ち着くために深く息を吸った。冬の静謐な冷気が肺を満たすと、体中の細胞が　覚醒し頭がはっきりとしてくる。　　オーケイ、嫌な汗は引いている。さあ気分を落ち着けよう。　　俺は心の中だけで呟くと、先ほど言いかけていたことに話を戻すことにした。　「まあ、名前はいいとして、お前の家を探すのに何かヒントになるものはないのか？」　　さすがに何もヒント無しでは見つけるのは難しい。時ノ宮という苗字から、交番で　探してもらうことも出来るかもしれないが、いかんせんその交番が見つからない。　それに動き出す前にヒントを揃えておくのは、悪い手じゃない。　「えと、この街にあります」　　永和は自信たっぷりな口調でそう言った。　「お前、馬鹿だろう」　「え？　え？　今の何かおかしかったですか？」　「どこの誰が違う街にある家を探しているっていうんだよ、この馬鹿」　　それくらいの前提条件は確定済みだと思っていた。もしも彼女の家が　アメリカにあるとかだったら、本気で引くぞ俺は。　「また馬鹿って言われました……」　　とたんに肩を縮めてしゅんとなる少女。　　その体躯の華奢なことも相まって、本当に子供のように見えてくる。　　その姿が、今にも溶けて消えてしまいそうな雪の結晶のように儚くて、　俺は彼女の頭の上に手をくしゃりと乗せていた。　　もしかすると、彼女はそれ以上のことを覚えていないのかもしれない。　　目指す場所がどこら辺にあって、どんな形をしているのかさえ分かっていないから、　そんなことから言ったのではないか。根拠も何も無かったけれど、俺はそんなことを　思った。　　自分の家のはずだから、それくらいは分かっているのが当然だ。　　けれど、彼女はそうじゃないということを、俺は確信していた。　「実はさ、俺もよく分かっていないんだ。どこに行こうとしてたのか、　どうしてここにいたのか」　　その言葉がすんなりと口をついて出てきた。　　嫌な汗はもうかかない。呼吸も意識も乱れない。手のひらから伝わる彼女の体温と　その事実のみを、淡々と受け入れることが出来そうだった。　　これはきっと偶然じゃない。ましてやド忘れなんてものでもない。　　名前すら分からなくなった、これはきっと何か意味があることなのだと。　　不意に、永和が顔を上げる。　　どうしたのかと問う俺に、彼女は柔らかに笑いながら、　「あー、良かったです」　「何が良かったんだ？」　「だって、天城さんも迷子です。だったらお揃いです」　「…………」　　迷子が迷子に道を尋ねてどうするつもりなのか。こういうものの『お揃い』というのは、　状況的には最悪を示す言葉だと思う。　「……お前、やっぱり馬鹿だろう」　「ひ、ひぅ。また馬鹿って言われました……」　　悲しそうに表情を曇らせる彼女に背を向け、俺はこっそりと溜息を吐いた。

  2008.02.19

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• 「空夢」 ～第二幕：雪降る街で約束を（２）

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント第二幕：雪降る街で約束を（２）　「じゃあ、そう言う事で」　　さわやかな好青年らしく片手を軽く上げ、俺は時ノ宮永和と名乗る少女に別れを告げ、　「わわ、ちょっとちょっと待ってください！」　　別れを告げようとして、失敗した。　　厄介事に巻き込まれる前に退散しようとしたのだが、そうは問屋が卸さない。　　両手を広げて立ちはだかる少女を押し退けてまで進むほど、俺は非情には　なりきれなかった。　「……で、迷子だったか？　えーと、時ノ宮」　　溜息混じりに声を掛けると、少女は突然首を振った。　　「ダメです」　　「何が？」　　「わたしは苗字で呼ばれるのが嫌いなのです」　　変なこだわりだった。　まあ、人には事情というものがあるのだろうから、素直にそれには従っておくことにする。　　二十年も生きていると、それなりに判ってくるものだ。まあ、判った気になっている　だけかもしれないが。　「じゃあ、永和。迷子だって話だったよな？」　「はい。それで、道を尋ねようとしていたのです」　「タックルの練習じゃなかったのか……」　「はい？」　「ああ、いや、こっちの話」　頭の中に浮かんだ三回転半を追い出し、話を続ける。　「それで、どこに行こうとしていたんだ？」　「えと、家に…………」　「ああ、道が分からなくなったから、一旦家に戻ろうとしてたのか」　「……えと、そうじゃなくて……その、家に……」　　永和はもごもごと言葉を濁した。　　何だかとても嫌な予感がするので、俺は彼女に質問を投げかけてみることにした。　「ここからは『はい』か『いいえ』の二択で答えろ、いいな？」　　永和がこくんと小さく頷くのを確認して、俺は言葉を続けた。　「永和は迷子だ」　「はい」　「道に迷ったので、一旦家に引き返すところだ」　「いいえ」　　さて、そこから導き出される結論は。名探偵でなくとも分かりそうなものだが、　念のために訊かねばならない。俺は深呼吸をしてから、ゆっくりとその質問を投げかける。　「実は家への道が分からない」　「…………はい」　　少しだけ間があり、永和は俯きながらそう答えた。　「……お前、幾つだよ。小学生のガキじゃなかろうに」　ぼそりと漏らした俺の言葉に、永和はむっとした表情で指を３本突き出してきた。　「えらく大きな幼児だな」　「誰が３歳ですか！　高校三年生ですっ！」　「え？」　　今度は俺が驚く番だった。背は小さいし、てっきり中学生だと思っていた。　だったら、俺と２歳しか違わないじゃないか。　「何だか今の『え？』には、カチンときました。何か失礼なことを考えてませんか？」　「き、気のせいだろ」　「いえ、気のせいではありません。今のはわたしを中学生だと思っていた人が　　口にする『え？』でした」　　ピンポイントな推察だなおい！　　オマケに当たってるし。これが全国の男共を恐怖のどん底に突き落とすと言われる、　女の勘というものなのだろうか。　俺が呆気に取られていると、永和はキッと俺を睨みつけ、　「もういいです。貴方のような失礼な人に訊くことなどありません！」　　勝手に自己完結をした。そして、俺にくるりと背を向けて歩き出す。　「お、おい……」　　俺が止める間もなく、小さな背中が遠ざかっていく。きょろきょろと視線を　彷徨わせている様子からすると、他の誰かに道を尋ねようと思っているようだ。　　足早に横断歩道を渡ろうとするスーツ姿の女に標的を定めたのか、小さな背中が　とととと、と雪の上を滑るように進んでいく。　「あ、無視された」　　スーツ姿の女は一瞥もくれずに去っていた。　　永和は一瞬だけ立ち尽くしたものの、すぐに次の標的を見つけたのか、再び誰かに　駆け寄っていった。　「あ、また無視された」　　通行人たちは、まるで少女などそこに居ないかのような振る舞いで、忙しなく　街を行き交っている。厳しい社会の構図がそこにはあった。　　永和はそれでも諦めずに、右へ左へぴょこぴょこ跳ね回っていたが、誰からも　反応が無いことに落ち込んだのか、ひどく打ちひしがれた様子でとぼとぼ帰ってきた。　　そして、捨てられた子犬のような瞳で俺を見上げ、　「あのー、道を尋ねたいのですが……」　　不安一杯の目で。怯えた心を震わせて。　　こんなのは卑怯だ反則だ、国際条約違反だ。　　たった一つしかない選択肢を、せめてクールに選ぶことにする。　「オーケイ分かった。それではどちらまでお連れいたしましょうか、お姫様？」　　中世の騎士がそうするようにうやうやしく膝を付き、小さく肩を震わせる少女に手を　差し伸べた。　「……わたしの家まで、連れて行ってくれますか？」　　今にも消えてしまいそうな声の少女に、俺は優しく声を掛ける。　　大丈夫だと。誰もが君に気が付かないわけじゃないと。時ノ宮永和という少女は、　紛れも無くそこにいるのだと。　「了解だ。絶対に連れて行ってやるから、な。だから、そんなに暗い顔するなよ」　「じゃあ、約束」　「約束？」　「――――ん」　　俺が反応するより先に、永和は自分の小指を俺の小指に絡ませていた。　少しでも力を加えたら、砕けてしまいそうなほどに華奢な白い指が虚空に輪を描く。　「約束。指きりげんまん、嘘ついたら来世はおたまじゃくしになーる、指切った」　「やめて！？そんな呪詛の誓約！？」　「あははははっ、約束だから絶対なんだよ？」　　顔を上げて見れば、悪戯っぽい笑みを浮かべた少女。　　ああ、そうか。これが全国の男共を絶望の淵へ叩き落すと言われる、女の　嘘泣きというものか。　　降りしきる雪の中で交わされた約束（呪いにも似た）を、ちょっとだけ後悔しながら、　俺は空を見上げた。　そうしないと、何かが零れてしまいそうだったから。

  2008.02.18

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• 「空夢」　～第一幕：雪降る街で約束を（１）

  　「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント　第一幕：雪降る街で約束を（１)　　頬に当たる冷たい感触にはっとして、空を見上げた。　　太陽の光を反射しながらきらきらと舞うのは、白い雪。視界を埋め尽くすほどの　白銀の欠片に目を奪われ、俺は横断歩道を渡ることさえも忘れ立ち尽くしていた。　　高層ビルが立ち並ぶ瀟洒なオフィス街。皆一様に忙しなく歩いていくこの街角で　立ち尽くす様は、彼らの目には随分と奇異に映るだろう。　　けれど、そんな些細なことなど気にならないほどに、周囲の雑踏が　聞こえなくなるほどに、俺はただただ雪空を見上げていた。　　舞い落ちる白銀の煌き、いや、まるで自分自身が空に向かって落ちているような錯覚。　　冬の厚い雲が覆うあの空に、吸い込まれてしまいそうな気さえしてくる。　　このまま、落ちていけたなら、それはどんなに――――　「あのー、ちょっとすみませ――はわわわっ！！」　　　　　　　　　どんっ　　唐突に世界が回転した。　　目が回り、世界が回り、意識が回った。　　女の子の声が聞こえたと思った次の瞬間、予想外の衝撃とともに目の前に立ち並んでいた　高層ビルの群れが三回転半したのだ。　　目を止め、世界を止め、意識を止めたところで、逆さまの世界の中で逆さまの少女が　駆け寄ってきた。　　肩にかかる程度のショートボブに大きな黒い目が印象的な娘だった。背格好から　判断すると、年の頃は俺よりも５つは下――中学生くらいに見える。どちらかと言えば　可愛いといえなくも無い顔立ちだったが、悲しいかな彼女は逆さまだった。　　きっと逆さまの国から逆さまを広めにやってきたのだろう。　　だが、その仮説を正しいとするならば、周囲のビルまでもが逆さまになっているのは　　どうしてか。　　念のため視線だけを動かして周囲の通行人を確認したが、やはり彼らも逆さまだった。　おかしなものを見るように、容赦の無い視線を俺に向けるが足早に通り過ぎていく。　――――オーケイ。どうやら逆さまになっているのは俺の方らしい。　　俺が現状を把握したところで、少女はおずおずと口を開いた。　　「あのー、道を尋ねたいのですが…………」　　きらきらと期待に目を輝かせ、逆さまに転がった俺を見下ろしている。　「あのなあ、お嬢ちゃん」　「はい？」　「君の生まれ育った場所では、人を突き飛ばして逆さまに転がしてから道を尋ねる　　風習でもあるのか？」　　俺の問いかけに、少女は一瞬キョトンとした様子で目をしばたかせ、　「失礼な方ですね。そんなおかしな風習があるはずないでしょう」　　心外だと言わんばかりに頭を振った。　　ああ、常識を知っている子で良かった。惜しむらくは、せっかくの常識を　　活用できていないこの現状だった。　「……まあ、いいけどな」　　俺はそれ以上文句を言うことを諦め、自らの力で以って立ち上がった。　　……別に誰かに手を貸して欲しかったわけじゃないが、何だろうこの敗北感は。　　俺がぐったりとうなだれていると、少女は唐突に俺の方に向かって手を伸ばしてきた。　　「あ、頭に雪が付いています」　　手を伸ばしたままの不安定な格好で、ぴょんぴょん飛び跳ねる。　　まるで止まり木の上で遊ぶカナリヤのように、忙しなくぴょんぴょん跳ねる。　　どうやら俺の頭に付いた雪を払おうとしてくれているらしいが、頭二つ分近く　　背が高い俺に彼女の手は届かないらしい。　　その姿があまりに微笑ましかったので、しばらく眺めていると、　　　　「えいっ！」　　　　　　びしっ。　　　気合一閃。　　俺の頭を狙った彼女の右手は、見事に俺の眉間に突き刺さった。　　「何をするか、このガキンチョは」　　俺はノーモーションでチョップを彼女の脳天に振り下ろす。　　　びす。　「は、はぅ」　　ちょっと小気味いい音がして、少女は自分の手で頭を抑えた。そしてその手の隙間から、　涙の浮かんだ目を俺に向ける。　「なななな、何するですかー」　　どうやらお気に召さなかったらしい。　「いや、つい」　「つい、で人を叩かないでください！」　「……ああ、そうだな」　　本当にその通りだ。彼女自身の行動が、それに当てはまっていないのが　返す返す残念でならなかった。　「それに、わたしはガキンチョではありません」　「いや、俺、お前の名前知らないし」　「――名前ですか、よくぞ訊いてくれました」　　えへん、とありもしない胸を張るガキンチョ。　　別に少女の名前を訊ねたつもりはなかったが、ここでそれを蒸し返すと　話がややこしくなりそうなのでとりあえず放っておく。　　俺の沈黙をどう受け取ったのか、少女は得意げに口を開いた。　「わたしの名前は時ノ宮永和（ときのみや・とわ）。…………迷子です」　「はあ」　　ものすごく厄介なことに巻き込まれたような気がした。　　と言うか、事実それ以外の何物でもなかった。

  2008.02.17

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• 「空夢」－カラユメ－

  「空夢」のうみじま＆今田・イクイバレント序幕：其れは雪の日の御伽噺　　それを見つけたのは、偶然だった。　　コートの前をしっかりと押さえ、しんしんと降り続ける雪の冷たさに　耐えながら歩いていた。　　いつもなら、何の気なしに通り過ぎてしまっていただろう閑静な住宅地。　　その一角。一際厳重そうな門構えのお屋敷の前を通りがかったとき、視線を感じた。　　ふと目線を上げる。　　三階建ての最上階、そこにこちらを見つめる視線の主が居た。　　今も降り続けるこの雪のように、白い肌をした女の子だった。きっと笑ってさえいれば、　ただそれだけで世界を明るく変えることができそうな、そんな女の子。　　けれど、　　それが――――あまりにも哀しそうだったから。　　それが――――あまりにも儚げだったから。　　まるで、こちらが暖かい部屋の中に居て、彼女こそがこの寒空の下に居るのではないかと　錯覚するほどに。　　だからなのか――だけどなのか――俺は足を止めていた。　　びっくりしたような顔でこちらを見下ろす彼女に、俺はおもむろに手を振った。　　「外に出たいのか？」　　その声が彼女に届くとは思ってはいない。　　　けれど、こちらが声を掛けたのが分かったのか、白い女の子は窓の向こう側で　パクパクと口を動かす。訴えるように、その姿は――祈りにも似ていた。　　　どうしてそんなにも辛そうなのか、分からなかった。　　どうしてそんなにも辛そうなのか、分かりたかった。　　けれど俺は窓の外側の住人で、一枚の硝子を隔てた向こう側の世界を知ることは　出来ない。　　だから俺は空を指差した。　　此方と其方、見えるものは同じはずの冬の青空を。　　ひらひらと踊るように舞う一片の雪の欠片を。　　俺の指先につられてか、彼女の視線も上を向く。　「こんな雪もいつかは止む。冬が終わり、雪が溶け、春が来たら――――」　そこで記憶は途切れる。　まるであの日の雪に埋もれるように、白く塗りつぶされてしまったかのように。　ただ、これだけは覚えている。　空を見上げた視線を戻したそのとき、彼女の口元に浮かぶのはやわらかな　笑顔だったのだと。　それはある冬の日の記憶。　思い出と呼ぶにはおぼろげな、遠い遠い白くかすれてしまった日々の欠片。

  2008.02.16

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• 空夢

  のうみじまと、今田・イクイバレントが送る小説。「空夢」読んで下さいな。

  2008.02.15

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