2.西涼の嵐――安定、城内。呂布が出撃しようとしている。その知らせを聞いて、王異は驚きを隠せなかった。 今、安定には待機命令が出ている。武威から南下しつつある涼州軍三万騎の退路を断つためだった。武威から天水へ向う道は安定とは目と鼻の先にある。 呂布も待機することに納得していた筈だ。それが王異が自室に戻っている間に、突然、出撃の準備を始めたらしい。 王異は焦りながらも、走って城門へと向った。呂布の後姿。押し留めようとする兵達を撥ね退けながら進んでいる。 意を決して、王異は呂布の目前に飛び出した。 「お待ちください、呂布将軍」 呼び声に応じて、呂布はじろりと王異を見下ろした。 「退け、女」 「どきませぬ」 「退けと言っている。死にたいのか?」 呂布の声は低く、鉛のように重く感じられた。王異は威圧されないように大きく息を吸った。 「そうは参りません。どういうことですか、これは。将軍も長安からの伝令はお聞きになった筈です」 「気が変わった。待機などやはり、性に合わん」 呂布の言葉に思わず、唖然としていた。それでもすぐに我を取り戻し、王異は呂布をきっと睨み返した。 「そんなことでは困ります。我々には涼州軍の退路を断つという役目があるのです。今 、呂布将軍が勝手に動かれては、すべてが水の泡となりかねません」 「小細工など要らん。涼州軍如き、この俺に任せておけば容易く捻り潰し てくれる」 「呂布将軍の武勇は私も聞き及んでいます。ですが、これは董太帥の御命令です。どうかご自重を」 「知ったことか。戦には勝つ。それで文句はあるまい」 呂布が吐き捨てるように告げる。募る苛立ちを抑えきれず、王異の脳裏に怒りが沸々と湧き上がってきた。 「そうですか。では、どうぞ、呂布将軍は出撃なさってください」 王異は眼を細めて、呂布を見据えた。自分でも驚くほど低く冷たい声が喉から漏れ出している。 「ただし、兵は城に残していってもらいます」 「なんだと?」 「当然でしょう。ここに居るのは、皆、朝廷の兵です。呂布将軍の私兵ではございませんわ」 「貴様、ふざけているのか?」 「ふざけているのは将軍の方ではありませんか。独断専行、作戦無視。それが一軍を預かる総帥の為さることですか。自らを匹夫と知らしめているようなものです」 風が吹いた。王異がそう感じた時には、呂布の剣先が突きつけられていた。刃の冷たい感触が、首筋に直に伝わって来る。 思わず目を見張りながらも、王異はなんとか震えを抑え込んだ。 「首を刎ねたければどうぞお好きに。暴力を振るわなければ、女一人黙らせることのできない情けない男として歴史に名を残すがいい」 呂布と目が合った。その瞳の中で、怒りが燃えている。 突然、喉首を強い力で掴まれた。喉が絞まり、呼吸が苦しくなる。声にならない声が、喉から断続的に漏れ出していく。朦朧としていく意識とは逆に、喉を絞める圧力がよりはっきりと感じ取れた。 悲鳴を上げたくなったが、それでも必死に堪えた。こんな暴力に屈してたまるものか。そんな想いが僅かに脳裏を過ぎった。 ここで死ぬなら、所詮それまでの命に過ぎない。そう思った時、突然、体が投げ出された。喉に掛かっていた圧力も消え去っている。 何時の間にか、王異は地面に座り込んでいた。空気を求めて体全体が喘いでいる。 「強情な女だ」 見上げると、呂布が剣を鞘に収めながら王異を見下ろしていた。 「今回は見逃してやる。だが、次に俺の邪魔をすれば殺す」 興が削がれたのか、呂布は来た道を引き返していく。 「こんなことで、負けるものか」 呟きながら、王異は呂布の後ろ姿を見送った。僅かに浮かべていた涙も拭い去った。 <191年12月 天水の戦い> ■董卓軍 ![]() 指揮:董卓 兵力:五万五千 ■馬騰軍 ![]() 指揮:馬騰 兵力:三万 ■張魯軍(五斗米道) ![]() 指揮:張魯 兵力:二万 ■解説 同年11月、馬騰軍の騎馬隊三万騎が武威を進発し、天水に向けて南下を始めます。 その動きに呼応するように漢中の張魯軍二万が東側から天水に向って攻めあがって来ました。 董卓は馬騰軍が攻城能力に劣ることから、天水に敵軍を曳きつけ、打ち払うことを決定。 天水からは二万五千の内、五千を守備に残し、五千の騎馬隊を張遼、張シュウ、高順、侯成にそれぞれ率いさせて迎撃に向わせます。 同時に長安から董卓率いる騎馬隊一万五千と董白率いる騎馬隊五千が進発し、張魯軍と交戦しつつ天水へと進撃。 一方、安定からも呂布率いる騎馬隊一万が馬騰軍の退路を遮断するために出撃します。 張遼らが率いる騎馬隊二万は天水へと押し寄せてきた馬騰軍に対し分散して応戦。 先鋒である韓遂の騎馬隊を粉砕すると、馬騰本隊をいなし続けます。 そこへ後続のホウ徳の騎馬隊を撃破した呂布、張魯軍を撃破した董卓の本隊が天水に集結し、馬騰本隊を包囲。 董卓の突撃を受けて馬騰は戦死し、天水の戦いは董卓軍の勝利で幕を閉じました。 その後、董卓軍は天水にて軍を再編し、すぐさま武威へと進撃を開始します。 <192年5月 武威の戦い> ■董卓軍 ![]() 指揮:董卓 兵力:三万五千 ■馬騰(馬超)軍 ![]() 指揮:馬超 兵力:二万 ■解説 天水の戦いで戦力の大半を喪失し、総大将である馬騰をも失った馬騰軍。 しかし、「錦馬超」と名高い長男の馬超は総大将の座を受け継ぎ、父の仇を討たんと戦意を高めていました。 そこに、董卓軍三万五千が天水から武威へと渡渉を始めます。 馬超は父の盟友であった韓遂に城の守備を任せ、自らは騎馬隊を率いて董卓軍を強襲。 董卓軍の先鋒を任されていた張?の騎馬隊五千は、半壊しながらも馬超の猛攻を凌ぎきります。 馬超の勢いにまともにぶつかるべきではないと考え、董卓は侯成の騎馬隊五千に撹乱を指示。 そして、馬超の騎馬隊が統率を失った隙を突いて、董卓と呂布の騎馬隊一万で挟み込むようにして削り倒していきます。 また、馬超の身動きを封じている間に、城へと取り付いた皇甫嵩が攻城部隊に命じて城内へと火矢を一斉射撃させます。 同年10月。武威の騎馬隊および守備隊は全滅し、馬超や韓遂ら主だった武将はすべて捕えられました。 この天水と武威における一連の戦いの最中、長安の東に位置する潼関では、董卓軍と袁術軍の激しい戦いが繰り広げられていました。 <191年11月 潼関の戦い> ■董卓軍 ![]() 指揮:朱シュン 兵力:三万 ■袁術軍 ![]() 指揮:盧植 兵力:四万五千 ■解説 この戦いは、袁術軍の先鋒である盧植の歩兵隊八千が潼関守備隊と干戈を交えた時に始まりました。 董卓軍は長安から指揮官として朱シュン、軍師としてカクを派遣し、潼関の守りを固めます。 一方、袁術軍も洛陽、宛から大軍を送り込み、潼関の制圧を目指します。 カクは野戦は避けて、兵站を整えた上で潼関とその後方の二段構えの陣を敷くことを進言。 袁術軍の猛攻に一度は潼関を奪われますが、それ以上の進出を許さず、同年9月には袁術軍を全滅させ、潼関の奪還に成功します。 同年10月。長安に帰還したカクは、董卓本隊が武威を制圧し、涼州の平定に成功したことを知るのでした。 ――武威、獄中。 これが董卓か。 目前に現れた巨漢の男を馬超はじっと見上げた。かなりの肥満体のようだが、よく見れば肩は盛り上がり、がっしりとした体つきをしている。相当、鍛え抜かれていた。 董卓の目がぎょろりと動いた。驚くほど大きな瞳で丸みを帯びている。まさに悪鬼と呼ぶに相応しい迫力があった。 「なるほど、親父の面影がある。若い頃の馬騰にそっくりだ」 董卓は薄笑いを浮かべていた。馬超の顔を覗き込もうとした時、その顔に思いっきり、唾を吐きかけてやった。ぴくりと董卓の頬が僅かに動く。次の瞬間、みぞおちを勢いよく蹴り上げられた。衝撃とともに、肺の中の空気が一気に喉から噴出していく。 激しく咳き込みながら、全身を貫く痛みに思わず身をよじった。 「鍛えてはいるようだが、躾はなっておらぬな」 痛みと苦しみを堪えつつ、馬超は顔を上げた。 董卓は平然としたまま、顔についた唾を拭っている。 「ほう、良い面構えだ。流石は錦馬超と、匈奴に恐れられていただけのことはある」 錦馬超とは西涼一帯での馬超の通り名だった。遠目からでも一目で分かるような派手な武具を纏っていたことから付いた綽名である。 西涼でその名を知らぬ者はいないとさえ言われたこともあるのだ。しかし、今は敗残の身である。ただの虜囚に過ぎない。 「どうだ、馬超。この董卓に仕えぬか?そうすれば、この檻から出してやる。望むものも与えてやろう」 お前は親父の仇だ。 思わず言い掛けた言葉を喉の奥に戻し、馬超は無言のまま董卓を睨み続けた。そんな馬超を嘲笑うかのように董卓はにやりと笑みを浮かべた。 「強情だな。まぁ、時は幾らでもある。檻の中で、少しは頭を冷やして考えるがいい」 言い放ち、董卓は馬超に背を向けた。後ろから襲い掛かろうにも、手足には枷が頑丈に嵌められていた。せめて、剣が一振りあれば。一太刀で董卓の巨体を両断することができる。 董卓が檻から去っていく。馬超は目を閉じた。今はどうすることもできない、と心の中で自らに言い聞かせた。 獄中で、馬超はあぐらを組んで座わっていた。膝に伝わる石畳の冷たさが、嫌というほど敗残の身であることをはっきりと自覚させる。 負けたのだ。完膚なきまでに負けた。兵力が少ないことなど只の言い訳にしかならなかった。兵の錬度が劣っていたとも思えない。涼州の荒野で、父の馬騰が鍛え抜いた精強な軍だった。戦い方に問題があった。敵の先鋒を力任せに押しまくったが、結局は撹乱されて、気づくと倍する騎馬隊に削り取るように攻め立てられていた。 指揮官である自分の責任だ。心の中で呟きながら、馬超は唇を噛み締めた。死んでいった兵達のことを思うと、悔やんでも悔やみきれない。 父や多くの部下たちが死んだ。だが、馬超は生きている。生き延びた喜びなどなく、生き残ってしまったという後悔に似た思いがただ強い。 生き延びた自分は何をすべきなのか。董卓に仕えるつもりなど毛頭なかった。父の仇に仕えるぐらいなら、自分は命を絶つ方を選ぶ。 このまま、食事を断つだけでも死ぬことはできる。馬騰の息子としての誇りを守る為なら、そうすべきではないか。 死ぬことは逃げではないか。かなりの時間が経った頃、そんな思いが馬超の脳裏を過ぎった。 確かに、馬超の誇りは守られる。しかし、それで何か為すことができるのか。何も為さぬまま、ただ戦で死ねなかった自分の心を慰めようとしているだけではないのか。 俺は生きている。生きている以上、力の限りを尽くすべきではないのか。 目を瞑ったまま、馬超はじっと思いを巡らせていた。それから、目を見開き、牢番を呼んだ。 ――武威、城内。 謁見の広間に、軍装を纏った馬超が立っている。上座に座したまま、董卓はじっとそれを見下ろしていた。 「用件を聞こうか、馬超」 「お願いがございます」 「なんだ?」 「私を董卓殿の軍に加えて頂きたい」 広間がざわめきで満ちた。まさか、という声が耳に入った。馬超は拱手したまま、無表情に立っている。 「見返りは何を望む?」 「父の軍を再興させて頂けないでしょうか」 「馬騰軍をか?」 「父は心血を注いで精強な軍を作り上げました。私も部下達とは離れ難い思いがあります。彼らを一隊として纏め上げ、その指揮を私に取らせて頂きたいと願っております」 虫の良い話だった。何より、危険である。馬騰軍の将兵だけで構成されているので、かなり独立性が高い。部隊が丸ごと、董卓に叛旗を翻すという可能性も十分に在りえるのだ。 だが、董卓は馬超の申し出に何か惹かれるものを感じていた。何か肌を刺すものがあるのである。こうした感覚は久しぶりだった。関東の諸侯が連盟して攻めあがってきた時と似ている。あの時は、洛陽を焼き、長安に退いただけで、関東の諸侯たちは分裂した。四分五裂といって有様で、今も中原の覇権を巡って争っている。 あの肌を刺すような感覚を、董卓は久しく味わったことがなかった。今、この若造が何をしですかのか。それを見届けてみるのも悪くない。 「よかろう」 董卓が口を開くと、広間に静寂が満ちた。 「我が軍の将軍として、まずは三千の兵を率いてみよ。働きによっては増員も認めてやる」 「ありがとうございます」 馬超が頭を下げる。再び、上げた顔はやはり無表情なままだった。 <勢力一覧> ■董卓軍 ![]() 拠点数:四 総兵力:七万 解説:帝と朝廷を掌握し、長安を根拠地に西涼一帯を支配している。馬騰軍を亡ぼし、武威を占領したことで後顧の憂いを断った。 ■袁紹軍 ![]() 拠点数:四 総兵力:十万 解説:エン州の曹操らを引き込み、冀州のギョウを根拠地として、南は袁術、北は公孫サンと争っている。寿春を占拠し領土は増えたが、度重なる戦で兵力は大きく損耗している。 ■袁術軍 ![]() 拠点数:三 総兵力:十二万 解説:孫堅を配下とし、予州や荊州北部を拠点に、劉表、董卓、袁紹と争っている。三分の一の兵力を失いながらも、領地は堅固に維持している。 ■公孫サン軍 ![]() 拠点数:七 総兵力:二十万 解説:劉備や孔融らを味方に、幽州や青州を拠点に袁紹と河北の覇権を巡って争っている。十万近い兵を失いながらも劉虞軍を滅亡させ、領地を拡大させている。 ■劉表軍 ![]() 拠点数:三 総兵力:四万 解説:荊州南部を拠点に、同盟を組んでいる袁紹の為に袁術軍を南から牽制している。空白地帯である荊州南部に手を伸ばしつつある。 ■劉焉軍 ![]() 拠点数:三 総兵力:十万 解説:中原から切り離された益州を拠点に、独立した小国家を作り上げようとしている。本格的に戦いを始めておらず、力を蓄え続けている。 ジャンル別一覧
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