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今日も他人事

6.魔王、帝を握り策略を巡らし



「無様ね!言っておくけど、おじいさまの天下にあんたたちはいらないの!そんなに助かりたいなら泣いて命乞いしてみれば?」
(郡雄伝第三章 董白と十常侍の会話にて)



一方、帝を連れ去り、逃走していた宦官達でしたが、洛陽での有様を知り、絶望すると黄河に身を投げてしまいます。

残ったのは14歳の少帝と9歳の陳留王だけです。

お二人は歩いて宮殿に帰り始めますが、途中の民家で露車を出してもらい、北芒坂にて公卿に出迎えられました。

その帰途、董卓は遂に少帝の下に辿り着きます。(異説には、少帝と陳劉王を連れて逃げている中常侍・段珪らに遭遇し、それを殺して奪い返したとも言われています)

この時、軍勢を率いる董卓に恐れをなした少帝が泣き出してしまい、公卿達はおじいさまに、

「兵を退けよとの詔勅である」

と告げます。しかし、


「貴公らは国家の大臣でありながら王室を是正することもできず、挙げ句、天子を都外にて流浪させてしまっているではないか。昼夜通して三百里もやって来た我らに、どうして兵を退けよなどと言うか」

と言い返し、少帝と陳留王を連れて入城します。

この間、董卓おじいさまは事の次第を少帝に尋ねますが、董卓への恐怖もあり何を言っているのかさっぱり分りません。

その時、幼い陳留王が乱の始まりから現在までを刻々と語り、少帝に代わって説明しました。



この時の堂々とした態度を董卓おじいさまは気に入り、また5歳年上の異母兄よりも賢く、陳留王の方が帝にふさわしいと考えたと言われています。

(陳留王の母、つまり董太后と董卓が同性であった事も関係していたと言われてたり。また、董卓は少帝ではなく、陳留王に自身の馬に同乗する様に奨めますが、これを陳留王が拒絶し、徒歩で歩き出すと、それに馬を合わせて進んだという話もあるそうです)

さて、幼い帝と陳留王を手中に収めた董卓おじいさまはすぐさま洛陽へと入城しました。

この時点で何進が暗殺されてから、僅か四日後の事です。

当時、朝廷において実権を握っていた宦官らは既にその大半が殺害され、対立の筆頭候補であった何進も死に、政権自体が空洞化するという事態。

ですが、董卓おじいさまもすぐさま実権を握るという訳には行きません。

それは董卓おじいさま以外にも何進の檄文を受けて上洛していた他の勢力を無視できなかった事、さらに涼州から従軍してきた兵が僅か三千程度でしかなかった事が主な理由でした。

そこで董卓おじいさまは、兵力を増強すべく幾つかの策を弄したと言われています。

まず、従軍してきた三千の兵を昼間、ひたすら休ませておきます。

そして夜中になると、その兵達を洛陽の外へと密かに移動させて集結。

朝方になると、洛陽の城門に数千の兵が現れ、旗や太鼓を鳴らして派手に洛陽へと入っていくのです。

これを四、五日間、毎日繰り返したので、洛陽の人々や兵士達は底知れぬ董卓軍の勢力に恐れをなしたと言われています。

(ただ、上記の話は小説だという話も……理由は「あまりに小細工過ぎる」という事です。董卓おじいさまの悪辣さを強調するためだったのかもしれません……この話に限らず、「歴史の敗者の在りそうな悪事」は何処まで本当なのでしょうね…?)

この策が事実であったかはともかくとして、洛陽に駐屯する董卓軍は次第にその兵力を増していきました。

まず、加わったのが洛陽に駐留していた大将軍・何進、その弟の車騎将軍・何苗の軍勢です。

元々、何苗は何進と協調していなかったために、何進配下の呉匡に宦官とのつながりを疑われていました。

呉匡は「何進暗殺を手引きしたのは車騎将軍である」と告げると、董卓おじいさまの弟・董旻と共に攻め、これを討ち取ったのです。

統率者を失った両軍勢はそのまま、董卓軍に吸収されていきます。

そして、次に董卓おじいさまが目をつけたのは……



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