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カテゴリ:アニメ
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川崎でチェンソーマン4D版見てきました。先月、2D版を観ながら思ってましたけど、中盤以降(レゼが正体を現した辺りから)は本当に4Dが似合いますね。『進撃の巨人FinalSeason』と比較しても良い勝負 d(-- ![]() そして、これは映画見終わった後のディナー。いやぁ、2D版見た時も食べたかったんですよね、ステーキ。レイトショーだったのでお店閉まっちゃってて残念(><; まぁ、そんな訳で『レゼ篇』楽しい。漫画は1巻だけセールの時に買った終いだったので、『レゼ篇』はアニメ初見勢な訳ですけど、凄い好みのお話でしたね。苦手な所が一切ない。寧ろ、好きな所ばかり。全ての構成要素が上手く使われてるなぁと。 強いて言うなら、コベニちゃんに情けない場面しかなかったぐらいか。でも、あれはあれで彼女にしか出せない味だと思う(笑 閑話休題。 さて、そんな訳で売り上げも好調なレゼ篇なんだけど、原作勢の中には「原作読んだ時には全然、印象に残ってなかった」人らも居た模様。そのポストを見た時、ちょいちょい同調してる人ら(勿論、それをバッシングしてる人らも)も居て、へーそうなのかぁと興味深く眺めてました。まぁ、元のポスト消えちゃいましたけど……
勿論、原作レゼ篇無印象という感想自体は単なる逆張り、あるいは、悪ノリ釣りの可能性もある。その可能性もゼロではない。私には、私以外の人間が何考えてるかなんて分からないからね。誰一人。 ただ、本当の本当に原作を読んでた時、その程度にしか印象に残らなかった人もいるのではなかろうか。 で、それは原作の問題でもなければ、読み手の落ち度でもないと思う。 要するに、認知の差なのだ、これは。 例えるなら、蟻を踏み潰してどう思うかに正解がないのと同じ。命を奪ったことに対して罪悪感を覚える人もいれば、快感を覚える人もいるだろうし、そもそも何も感じず気づきもしない人だっている。結局のところ、それは「蟻を踏み潰した人」次第でしかなく、「どう感じるべきか」に正解なんてない。 私も若い頃、お金払って上野美術館に絵画を観に行ったことがあったけど、何にも感じなかったし、何も伝わってこなかった。でも、漫画やゲームの原画を観たらワクワクしたし、ドキドキした。 なんというか……そんなものなのだろうと思う、何事も。あ、劇場版の『レゼ篇』はマジで良く出来てるのでおススメです。是非、4Dで体験してくだされ d(-- ※追記 一つ、書き忘れてたので。
元々、この記事を書こうと思った切っ掛けがこれ。Xでも実際にそういうポストがチラっと流れて来て「お、釣りかな?」と眺めてたんですけども。 正直、こういう重ね合わせみたいのはよー分らん……「あのキャラ、格好良い(カワイイ)~」とか「あのキャラ、好き!超好み!!」とか「あのキャラ、気になる。心配……」とか、そういうのは分かるんだけど。憧れとか、変身願望とか。 まぁ、でも書かれてること自体はナルホドとなりました。多分、この手の"自認"っていうのも、刹那的・部分的な"共感"や"理解"を変に拡大解釈しちゃってるんだろうなぁって。「あ、この人、私と同じだ。私、この人かもしんない……!」って。そういう時期は誰にでもある。 私も二次創作書いてたけど、結局、書けるキャラって自分が内面を ちなみに、私が人生で一番共感できた気がするのは北方先生の『水滸伝』に出て来る楊春ですね。十二巻で焚火を眺めてる時の。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025年10月19日 19時31分42秒
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