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テーマ:山登りは楽しい(12020)
カテゴリ:山を語る
【山について】 山とのつきあいは比較的長い。 幼少の頃は、父に連れられて、大阪府の最高峰金剛山(1125m)によく登ったもの。 大晦日の深夜に登り始めて、山頂から初日の出を拝むのだ。 すこぶる寒い。寒さで泣きたくなることもしばしば。それでも美しい日の出を見たとたんに寒さや辛さもぶっ飛んでしまった。 大学を出て一年目は大学の図書館で非常勤職員を勤める。そこで大学の事務職員のメンバーで構成される山の会に所属。月に一回、関西エリアの低山を登っていた。 低い山ではあってもけっこう道の険しいところもあったし、暑い時期、寒い時期、いろいろあった。 1985年に最初のマウンテンバイクを手に入れた。ミヤタのアイガープロというクロモリフレーム、確か前がトリプル、後ろは7速で21スピードだった。 この自転車であちこちの山に登った。大阪と奈良の県境、金剛山を筆頭に大和葛城山、二上山、岩湧山など1000m未満の山が多かったが、階段ばかりのルートとか、あまりにも急峻でほとんど押しと担ぎだけというのもあった。 1985年には3776mの富士山頂へ。1986年には大阪府枚方市から浜松~糸魚川~能登半島一周~敦賀~京都のツーリング途中に乗鞍岳(3026m)も制覇した。 水平志向から垂直志向を目指していた時期でもある。 いつかは出場しようと思って今だ実現していない富士登山競争が毎年7月に行われている。全国のレースで、恐らく完走率が一番低い(噂では3割)といわれているのは、その高低差に加えて、高山病との闘いもあげられるだろう。めまいや頭痛・吐き気、低酸素の状態で普通の人間はじっとしているだけでも苦痛を感じるはず。 初めて登った富士山はさすがに厳しかった。9合目から山頂はマウンテンバイクを担いでの登山だったが、2,3歩歩くだけで息切れがして数分休んで息を整えてから歩みだすというありさま。100m進むのに30分くらいかかっていたように思う。
富士山頂剣ヶ峰を極めた時に、ふと世界最高峰エヴェレストのことがちらっと頭の中を掠めた。 「いつかひょっとして…」 そのいつかが訪れるかも知れない。 Where there's a will, there's a way. (意志がある所に道は開ける) 飽くなきチャレンジを求めるには必ず理由がある。
なぜ山に登るのか…そこに山があるから…。 なぜ走るのか…二本の脚があるから…。 なぜ旅に出るのか…人が、街が呼んでいるから…。
本当は明確な理由などなくてもいいのだ。 たとえこじつけであっても、自分があることをするのは、ある意味本能的なものだと信じている。 エヴェレストが呼んでいるのか、自分の内にある細胞の中に、ひょっとしてエヴェレストに関わる何らかのDNAが埋め込まれていたのか、そんなことは誰にも分からない。 誰かが誰かに恋をして結婚するように、すべてそうなるべくしてなるもの。 偶然の必然性を信じよう。 少しでも見知らぬ遠くの場所を求めて旅立つものがいるように、 宇宙に、あるいは神に、一歩でも近づくために、高みを極める人間がいる。 繰り返そう。 冒険に理由はいらない。 必要なのは、好奇心と忍耐。 理由はあとから分かるというもの。
ある山好きな知人は言った。 「山に登るのはね…下るためなんだ。山登りってのは、人生と同じで、平坦な道を好まない人が始めたと思うね。高いところに登ってみれば景色はずいぶん違って見える。高い所に登らなければ見えないものもたくさんあるんだ」 その通りなのかも知れない。 人生のピークは、いつか必ず越えなければならないけれど、山のピークはいつでも同じところにあって、求めればいつだってそこに行ける。気力と体力がある限りは登れるものだ。 遥かなる山の呼び声が聞こえる。 遠い未来から聞こえてくるのは、果てしない宇宙にこだまする自分自身の声だろうか…。
(写真:二上山雌岳にて、愛車MUSASHI号とともに 1985年)
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富士登山競走は走るのではなく、歩くレースです。
少なくとも私はそういうレースの組み立て方を考えて臨みます。 トライアスリートとして遠泳というのも悪くないかなと考えています。 山に比べて面白味を欠いているようにも思えますが、なんとか海峡を泳いで渡るなんていうのもありでしょうね。 (2007.07.02 22:40:19)
Magnum160411さん:
「登る」競争ですから、スピードは別として、意識的には「走る」と思いたいですね。LSDでは歩くスピードよりも遅く「走る」という意識。 自分の中では「歩く」と「走る」は別のものとしてとらえたいですね。 遠泳…いいですね。この肩が普通に動けば水泳も可能なのですが…。 (2007.07.03 01:01:46) |