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【アースマラソン間寛平さんに贈るエール】*本日のスポーツニッポン(大阪版)掲載の記事から「偉大なアスリート」間寛平に元高校教師がエール マラソンとヨットで世界一周する「アースマラソン」に挑戦中で、4日に日本に戻ってくる予定のタレント間寛平(61)を特別な思いで見つめる旅人がいる。荷物を積んだベビーカーを押しながら走り、日本列島を縦断した三重県在住の元高校教師、高繁勝彦さん(50)。大阪に住んでいた少年時代は吉本新喜劇を見て育ち、アスリートとしても寛平から多大な影響を受けただけに「最後まで安全第一でゴールを目指して」とエールを送った。 これまで100キロマラソンや、自転車での北米大陸横断など過酷な旅を経験してきた高繁さん。40代最後の挑戦をしようと日本列島縦断を思い立ち、北海道・宗谷岬から25キロの荷物を積んだベビーカーを押しながら走った。計3443キロを104日間で走破し、50歳の誕生日の2日前、昨年10月20日に沖縄・波照間島にゴール。大変さが分かるからこそ、10倍以上の距離を走る寛平に敬意を表する。 「関西が誇る偉大なアスリート。がんと聞いた時はアースマラソンも終わるのかと思ったが、不屈の精神は多くの人に勇気を与えている」 大阪出身だけに、幼いころから親しみを感じていた。「毎週土曜は吉本新喜劇を見てたし、(寛平が歌う)『ひらけ!チューリップ』も友達からレコードを借りて聴いた」と笑顔を見せる。 20年以上前にホノルルマラソンで会ったこともある。スタート地点で「調子はどうですか」と声をかけると「ボチボチですわ」と愛くるしい表情で答えてくれた。1990年に寛平が東京-大阪間、560キロを走破したと知ると、高繁さんも負けじと京都・三条大橋から東京・日本橋を走破。常に刺激を与えてくれる存在だった。 「50度の砂漠を50キロ走るなんて想像を絶する。僕もやってみたいと思った。好きなことをする生き方はあこがれる。ゴールしたら、またやりたくなるのでは」 そう笑う高繁さんは、来年5月には米サンフランシスコからニューヨークまで、ベビーカーを押しての米国横断を計画している。 [ 2011年01月04日 ]*ニュースソース(WEB版)はこちら…。*記事が掲載された新聞(anchinさん提供)(…続きを読む)
2011.01.04
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【トレイルランニング@金剛山】6月12日、チームユニクロ主催のトレイルランニングを金剛山で行いました。参加者は、酒盛竜馬さん(チームユニクロ@泉北)、anchinさん(チームユニクロ@河内)、それに私(チームユニクロ@伊賀)の3名。近鉄河内長野線の富田林駅で午前10時に待ち合わせ。金剛バスでロープウェイ前まで約35分。580円。今回は、百ヶ辻から念仏坂経由で伏見峠、山頂を目指すコースで往路を選びました。(…続きを読む)
2010.06.12
【トレイルラン@二上山】今日はイザ!ランニング部のanchinさんと二上山でトレイルランを楽しんでまいりました。私は羽曳野市の実家を午前9時ごろスタート。待ち合わせ場所の上ノ太子駅までまずは6キロをウォームアップで走ります。(…続きを読む)
2010.06.05
【トレイルラン@曽爾高原】朝は例によって5時20分から60分のジョグへ…。(…続きを読む)
2010.06.02
【PEACE RUN 再び…】既に計画としては頭の中にあったことなのだが、今回マウンテンバイクでキャンプツーリングに出かけてみて、荷物を積んだ自転車で150キロ走れるのであれば、体力的には問題なかろうということで、その計画を実行に移そうと考えている。日本列島を北から南まで走る日本縦断、それも自転車ではなく二本の脚(足)で走るという計画。ただ、走るといってもキャンプの装備が必要だ。(…続きを読む)
2010.05.07
【うな丼マラニックツアー】うな丼マラニックツアー、50キロを無事走り終えた。明け方ごろまでかなり激しい雨が降っていたが、午前9時過ぎには晴れ間が出てきた。午前10時すぎ近鉄大阪線青山町駅発。この時点で晴天。駅前から青山高原ウィンドファームの風車も見えていた。参加者は、millionさん、マッサーさん、Sモトさん、Nさんと自分の5名。(…続きを読む)
2010.04.29
【炎のランナー】---「炎のランナー」(Chariots of Fire)は、1981年公開のイギリス映画。監督はヒュー・ハドソン。走ることによって栄光を勝ち取り真のイギリス人になろうとするユダヤ人のハロルド・エイブラハムスと、神のために走るスコットランド人宣教師エリック・リデル、実在の二人のランナーを描いた映画。第54回アカデミー賞 作品賞受賞作品---(以上は「ウィキペディア(炎のランナー)」の項目から引用)*******大学を卒業してまもなくこの映画を見る機会があった。その頃はまだ、真剣に走ることには目覚めてはいなかったけれど、「走ることで人生を変えることもできるのかも知れない…」と密かに思い始めつつあったのもこの時代だった。ヴァンゲリスのあのメロディが聞こえると、心は自然に走り出す。海岸を走るあの場面で、若者たちの激しく荒い吐息が伝わってくる。(…続きを読む)
2010.03.11
【死闘の4時間半】京都木津川マラソン、全体で5千人を超えるランナーが京田辺市、木津川草内運動公園に集結。人生で31度目のフルマラソン。そして木津川はこれで8度目の参加。午前9時現在の気温は9度、湿度は52パーセント(大会本部発表)。結果は過去最悪ながら4時間31分。右足太ももに痙攣が発生したのは中間点より少し手前辺り。前半は1時間45分程度で折り返し、1キロ5分をフラットに維持していたはず。(…続きを読む)
2010.02.07
【第27回京都木津川マラソン】明日、31回目のフルマラソンとなる京都木津川マラソンに出場します。大晦日に伊賀市から名古屋市まで130キロ走って以後、一度に10キロ以上の距離を走っていません。睡眠不足と過労で、仕事で走り回るのが自分の場合トレーニングになっているように思います。(…続きを読む)
2010.02.06
【風の歌を聴け】いつも、いつの時にも、僕には一本の道があった。道はどこまでも果てしなく続く。野を横切り、山を越え、川を渡り、谷を抜ける。(…続きを読む)
2010.02.02
【ゴールは笑顔で】過去ホノルルマラソンは5回走った。最後に走ったのはもう20年近くも前。自己最高記録2時間52分台を2回記録したが、最初は1987年のホノルル。翌1988年3月の篠山ABCマラソンが現時点での自己最高2時間52分35秒。ホノルルで出した記録をわずか20秒ばかり縮めたことになる。(…続きを読む)
2010.01.25
【PEACE RUN 回想】そうだった。寒さで泣きそうになったのはそれが初めてのことだった。寒さで目を開けていると自然に目に涙があふれる。寒さがトラウマになるくらい恐ろしいものだと感じられた。Illustration "orion" by Kay(…続きを読む)
2010.01.06
【PEACE RUN その後…】体の中心に鋼の塊が突き刺さったような刺激を感じて、僕はコタツで目が覚めた。 そう、もう旅は終わっていたはずなのに、そのことを知らせるのがこの痛みだったとは…。 130km、29時間30分、長かった…長すぎた旅だった。 寒さと眠さと体の痛さがいまだトラウマになっている。 (…続きを読む)
2010.01.01
【Peace Run 再び…】「今年もまた年末走られるんですか?」いつも年末が近づくたびに、いろんな所でそんな質問をされる。2004年に始まったこの個人的企画、途中で中断していたが、いつの間にか夏と冬の二本立てになってしまった。(…続きを読む)
2009.12.29
【第20回伊賀上野シティマラソン】地元伊賀上野シティマラソンを走ってきた。学校の方がインフルエンザのために4年生が学年閉鎖となり、対外行事の参加も見合わせるということで20名あまりが申し込んでいたのに全員キャンセルとなった。教員3名だけで出場。参加できなかった生徒たち分の参加賞を持ち帰ることに。体重増加と練習不足で相変わらず。走れば走るほど遅くなっている。(…続きを読む)
2009.11.29
【伊賀上野シティマラソン2009】2009年11月29日(日)に開催される「2009 忍者の里 伊賀上野シティマラソン」の申し込みが既に始まっている。(…続きを読む)
2009.09.11
【Harmony~調和】 "If you can create harmony in your own life, This harmony will enter into the vast world."---Sri Chinmoy 「自分の生活の中でハーモニーを創ることができたなら そのハーモニーは広い世界へと広がっていきます」 ---シュリ・チンモイ (…続きを読む)
2009.09.06
【青山高原つつじクォーターマラソン】朝方激しい雨が残っていたが、バスに乗って山上へ。メイン会場付近は霧の中。下界と比べてさらに気温が低く、ウインドブレイカーを着ていても寒いくらいだった。昨年の大会が中止だったため、2年ぶりの大会開催となる。今年は前日の準備作業からボランティアに加わっていた。(…続きを読む)
2009.05.31
【明日は青山高原へ】5月31日は青山高原つつじクォーターマラソン大会。教え子たち20数名がボランティアで、受付係を担当してくれる。このマラソンも個人的に参加して7回目。10.55kmに毎年エントリーしている(去年は嵐のため中止)。ボランティアたちは本当によく働いてくれる。(…続きを読む)
2009.05.30
【第22回青山高原つつじクォーターマラソン大会】新緑の5月、昨年は嵐で中止となった青山高原つつじクォーターマラソンの申し込みが始まっている。嵐といっても雨と突風で会場のテントも設営できない状況だったとか…。普通、たいていの市民マラソンは雨が降る程度なら中止することなんてまずないのだろうけど、高原ということで天気も変わりやすいし、大荒れになってしまえばランナーにも危険が及ぶと考えたうえでの中止だったのだと思う。この大会、青山高原の三角点広場周辺がメイン会場。コースはアップダウンの多い青山高原道路を走る風光明媚なルート。もちろんウインドファームの風車のすぐそばを通るので、直径40mの風車がビュンビュン回っているのを横目に見ながら走ることになる。(…続きを読む)
2009.05.03
【アースマラソン】間寛平さんが昨日太平洋横断ヨットの旅を終えて、アメリカ西海岸ロス・アンジェルスにたどり着いたという。70日間1万2710キロヨットの旅、時化(しけ)、船酔い、実際ひとことで片付けられるような単純な旅ではなかったと思われる。昨年12月にスタートした「アースマラソン」、この後はアメリカ大陸を二本の脚で走って横断する。現在彼は59歳。アメリカの道中どこかで60歳の誕生日を迎えるのだろう。1990年春に彼が東海道を走って(大阪~東京)旅したという話を聞き、自分自身も京都から東京を11日かけて走った。(…続きを読む)
2009.03.12
【200キロで42.195キロ】東京マラソン挑戦の曙が練習公開 「止められても走る」と42.195km完走誓う2月25日19時43分配信 スポーツナビ3月22日の「東京マラソン2009」でフルマラソンに挑戦する第64代横綱・曙が25日、千葉・東京エアロビクスセンターで行っている合宿を公開した。相撲時代からいろんなスポーツに興味があり「マラソン、駅伝、トライアスロンをやってみたかった」という曙は「今年でちょうど40歳だしいいんじゃないかな」とマラソン挑戦を決意し、2月9日から本格的にトレーニングを開始。普段はジムでのサーキットトレーニングとプールでのウォーキングを行っているが、今回は2泊3日で集中的に練習を行い、約1カ月後に迫った本番に備える。合宿初日のきょうはあいにくの天気となったが、冷たい雨の中、ウォーミングアップで1周400メートルのトラックを3周歩いた後、ひざへの負担の軽いウッドチップのコースで軽いランニングを披露した。曙をサポートするトレーナーによれば、今回の合宿では10キロを走りきる体を仕上げる予定。現在200キロオーバーの体重も食事制限と練習で、マラソン当日は100キロ代まで絞り込んで本番に臨むという。体重200キロでのフルマラソンという無謀ともいえる挑戦だが、曙は「やってみないと分からないから、とにかくやり通す」とキッパリ。「よく『本当に真剣に走るの?』って言われるけど、真剣じゃなかったら最初からやってない。制限時間に届かなかった、止められても最後まで1人で走る。それくらいの気持ちです」と42.195キロ完走を誓った。現在の曙の目標は1キロを確実に10分以内で走ること。このペースを守れば、計算上では7時間という東京マラソンの制限時間内での完走も可能だという。しかし、元々ひざが悪くペースダウンは必至。今回は5キロごとに制限時間の“足切り”があり、最初の5キロは問題ないが、10キロ地点で早くも強制リタイアの危機を迎えるという。最初のヤマ場は10キロ地点。曙の東京マラソンはスタートからいきなりクライマックスがやって来る! (ニュースソースはこちら)(…続きを読む)
2009.02.26
【第26回京都木津川マラソン】寒さと強風の中、フルマラソンを完走しました。(…続きを読む)
2009.02.01
【明日、木津川マラソン】 今日、担任をしている高校3年生たちを送る会が終わった。 昨日は卒業記念マラソンで生徒たちと一緒に3キロばかり走り、今日は午前中に伝達式といわれるプレ卒業式のイヴェントがあった。 卒業式は3月1日。それまで生徒たちは自宅学習になる。 明日、京都木津川マラソン(フルマラソン=42.195km)。 2003年からずっと走っているが、年々タイムも順位も落ちる一方。 (…続きを読む)
2009.01.31
コメント(2)
【PEACE RUN スタート!】午前5時半、伊勢神宮を目指して、これから自宅のある伊賀市をスタートします。気温は低めですが、天候は悪くなさそうです。今年最後のロングラン、走り納めです。この後のリアルタイム更新はFC2ブログをご覧下さい。Zero Tolerance for Wars!
2008.12.29
【PEACE RUN 2008冬】やはりじっとはしておれない性質なのか、旅人の本性なのか、突発的に飛び出したくなる衝動に駆られ、明朝、伊勢神宮に向かうことにした。自宅の伊賀市から70キロ程度か。2004年に始まったPEACE RUN、最初の企画では、伊賀市~伊勢神宮~熱田神宮で170キロを一晩で走るというものだった。その年は、みぞれ混じりの雨から雪に変わり、シューズの中は氷水状態。しかも、走行中に膝を痛め、松阪から伊勢神宮までの20キロはずっと歩きっぱなし。伊勢神宮で走行を断念。その日の内に家に帰ってきた。(…続きを読む)
2008.12.28
【2008伊賀上野シティマラソン】腰痛という爆弾を抱えながら、恐る恐る10キロを走りました。(…続きを読む)
2008.11.30
【Qちゃん引退】Qちゃん完全燃焼 笑顔と涙のゴール10月28日21時46分配信 産経新聞「自分の中で完全燃焼しました。陸上人生に悔い無しです」-。シドニー五輪で日本女子陸上初の金メダルに輝いてから8年。「Qちゃん」の愛称で親しまれたマラソンの高橋尚子選手(36)が28日、現役引退を表明した。全力を出し切った晴れ晴れとした表情で、最後までさわやかなQちゃんスマイルを振りまいた。同日午後5時。会見場となった東京・紀尾井町のホテルには、約200人の報道陣が詰めかけた。白いシャツに黒のスーツ姿で登場したQちゃんは冒頭、「ファンの人におわび申し上げます」と、自らの力不足を謝罪した後、今の心境について「さわやかな気分」と笑顔で話した。質問する記者から、「お疲れさまでした」とねぎらいの言葉をかけられるたびに頭をさげては回答。引退については「練習をするなかで精神的にも肉体的にも限界を感じたが、いつ周囲に伝えるべきか悩んだ」と、引退表明までの葛藤(かっとう)を説明。第二の人生については「多くの人に陸上の楽しさを伝え、恩返しをしたい」。北京五輪の女子マラソンで野口みずき選手が欠場したことについての質問では、「野口選手に応援のメールを送ろうとしたら、メールアドレスが変わっていて送れなかった」とのエピソードを披露。会場の記者の笑いを誘った。だが、会見終了後、記者からねぎらいの拍手が送られると、気丈に振る舞っていた高橋選手の目に涙が。Qちゃんは両手で顔を覆い、会場を後にした。 (ニュースソースはこちら) (…続きを読む)
2008.10.28
【10K[ten kei]走者の孤独】 スタートラインに立たされたランナーは孤独だ。 何度同じような場面を経験しても、僕にはこの緊張感がある種の脅迫感を伴って、思わずその場から逃げ出したくなるような衝動に駆られてしまう。多くのランナーに囲まれながらも、ここから先頼れるのは自分一人だけなのだ。 号砲一発! ランナーの一群が一斉に飛び出した。最適なポジション(位置)を得るために、右へ左へと、他のランナーの隙間を縫うようにして移動していく。 注意していないと足を踏まれたり腕がぶつかったりするという危険を伴う。まもなく1キロ地点。ラップタイムを確かめ、ここまでのペースと自分のコンディションをチェックする。 スタートしてからわずかの間に、自分自身が別空間にタイムスリップして、僕の意識も次第に別世界へとトランスポートさせられていくのが分かる。肉体と精神が別のレヴェルで動き始めているのだ。胸の鼓動は高鳴り、心拍数は既に180を越えている。 (…続きを読む)
2008.10.27
【第26回京都木津川マラソン大会】2009年2月1日(日)草内木津川運動公園(京都府京田辺市)にて、第26回京都木津川マラソン大会が開催されます。伊賀市に移り住み、はや7年。この大会へも7回目の参加となります。(…続きを読む)
2008.09.25
【夢は世界へ】 間寛平:「人力で世界一周」人類初挑戦 2年かけマラソンとヨットだけ 12月に出発 世界一周マラソンに挑戦する間寛平さん お笑い芸人の間寛平さん(59)が、ランニングとヨットという人力と風力のみで世界一周するプロジェクト「アースマラソン」に挑戦すると31日、発表した。今年12月から2011年3月までの約2年をかける世界初の試み。全3万6000キロの行程になるという。同日行われた会見で間さんは「東へと出発するので、世界一周して必ず西から帰ってきます。東から帰ってくる(リタイアする)ことはありません!」と意気込みを語った。間さんの所属事務所、吉本興業の100周年記念企画の一環。12月17日に大阪を出発して千葉県鴨川市からヨットで太平洋を横断し、米ロサンゼルスに到着。そこから約4カ月走りぬきニューヨークからヨットで大西洋を横断してポルトガル・リスボンに到着。リスボンから中国・青島までの1万3900キロを約1年以上かけて走り、10年11月から11年3月までの間にゴールの大阪に到着するという計画になっている。ランニング2万キロ、ヨット1万6000キロの計3万6000キロの道のりで、1日平均50キロを走る予定。間さんはこれまで、ハワイ・ホノルルマラソン17回完走、日本テレビの24時間テレビで200キロ完走、ギリシャのスパルタスロンで246.3期ロを走りぬくなど、さまざまな長距離走に挑戦していることでも知られている。3年前に「ばっと(企画が)頭の中に降りてきて、これはやらなあかんと思った」ときっかけを語った間さんは、1000キロ以上の走り込みのほか、忙しいスケジュールの合間を縫ってヨットスクールにも通い、世界中でヨットが借りられる資格も取ったという。期間中は日本に戻らず、特設サイト上にブログや画像、動画などを随時掲載していくという。(毎日jp 2008年8月31日)ニュースソースはコチラ (…続きを読む)
2008.08.31
【The Day After】旅の翌日も5時前に目覚めた。朝起きて天気を確かめる。旅人の習慣のひとつだ。が、もう既に昨日で旅は終わってしまった。旅の翌日はまず洗濯と荷物の片づけから始まる。旅はある程度自分のペースで進められるが、世の中は自分のペースで動いてはくれない。すぐさま現実に戻らねばならぬと言う宿命。本当は今日出勤して、夏期講習の準備をするつもりだったのだが、明日以後に回すことにする。何より仕事のことを思い出すのはプレッシャーでしかない。ブログのコメントの返信46件、メールのチェックをして、写真約百数十枚の整理。これがたった4日の旅だったからいいようなものの、アメリカ横断のように5ヶ月もの旅に渡ると大変な作業となる。朝食をとるのも忘れて作業にふけっていた。洗濯物を干すのも忘れてしまっていた。本来仕事をためるのは好きじゃない。すぐに済ませるべきことはすぐに終わらせるに限る。「すぐやる・必ずやる・確実にやる」の「やる気3原則」を生徒に提唱しておきながら、自分自身ができていないようでは話しにならないから。気持ちを落ち着けてから、旅のレポートを書こうと思うが、いったん仕事が再開したらなかなか時間を捻出するのも難しい。高校3年生の担任は、これからが受験指導で一番多忙を極める二学期を迎えるのだ。(…続きを読む)
2008.08.16
【PEACE RUN SUMMER 2008 in LAKE BIWA】いよいよ旅立ちの時が来ました。これより以降は、現地からリアルタイムでメール更新をしていきます。KAY’S BLOG(FC2版)の方をご覧下さい。
2008.08.12
【びわ一:PEACE RUN再び…】 なまった心と体を鍛え直すべく、今再び旅の空へと…。目指すは日本最大の湖、琵琶湖。 浜大津から湖西を湖岸に沿って北へ、時計回りで琵琶湖一周(略して「びわ一」)約180kmだ。 1990年夏、びわ湖アイアンマン(水泳3.9km、自転車180.2km、マラソン42.2km)で鉄人となった記念すべき地。 学生時代に「びわ湖一周サイクルマラソン」で走ったルートを今回はたどろうと思う。自転車なら6時間程度で完走できる距離だが、二本の脚で走るとなると時速はおよそ3分の1。荷物を背負ってのんびり走るのならもっとスローペースにもなるだろう。 (…続きを読む)
2008.08.08
【伊賀上野シティマラソン】2008忍者の里 伊賀上野シティマラソン(11月30日開催)のエントリーが始りました。種目はハーフマラソン(21.0975km)、10km、5km、3km、ジョギングの部の5部門。今年も昨年に続いてゲストランナーに高石ともや氏が選ばれました。これまで彼とは、ホノルルマラソンツアーや、阿蘇カルデラ100キロマラソンや、いびがわマラソンなど、いろんな大会で顔を合わせてきました。地元のマラソンに来てもらえるというのはうれしい限りです。コースは、伊賀市役所前より、市内をぐるりと回る風光明媚なコース。メイン会場となる上野西小学校は上野城のすぐ前、忍者博物館や松尾芭蕉の生家もすぐ近くにあったり…。ゴール手前の心臓破りの坂はこたえますが…。毎年、本校の4年生(高校1年生)の男子寮生は全員が10キロの部に参加します。忍者の里というだけあって、忍者スタイルで走るランナーもかなりたくさんいたり…。(…続きを読む)
2008.08.07
【人生とはチャレンジの場】 人生には自分という人間を試す機会がひとつでも多くあった方がいい。自分に何ができるのか、何をやれば自分自身が活かされるのか。時には厳しい試練に立たされるかも知れないが、それもまた乗り越えていくべきハードルである。学校というところでは、いやが上にも人はいろんな形で試されるものだけれど、ひとたび学校を卒業してしまうと、自分自身の可能性を試す機会というのは少なくなるもの。単調な毎日を送っているOLやサラリーマンならなおさらのこと。(…続きを読む)
2008.08.04
【ボランティア052408】 青山高原に行ってきた。 外は横なぐりの雨。ガスがかかっていて視界も悪かった。「こんな荒天の中を走るのは辛いものがあるな…」と密かに心の中で思っていたが、雨が降るであろうことは間違いなかろう。 明日実施される「青山高原つつじクォーターマラソン」のボランティアたち約40名の生徒を引率してきた。 仕事は単純な作業。 明日受付で配布される参加賞・記念Tシャツ・プログラムなどをまとめて袋詰めするというもの。 明日は1212名(3km:208名、5km:223名、10.55km:781名)がエントリーしている。そのひとりひとりに、彼ら/彼女たちのセットした袋が渡されるのだ。 (…続きを読む)
2008.05.24
【青山高原つつじクォーターマラソン】 今年もまた新緑の美しい季節がやってきた。 関西の軽井沢と呼ばれる三重県青山高原。 青山高原(あおやまこうげん)は、三重県中部の津市から伊賀市にかけて広がる高原である。また、布引山地の一部である。 室生赤目青山国定公園の東部に位置し、布引山地の主峰笠取山から南北約10kmにわたって広がる標高700~800mの高原。 起伏はゆるやかであるためハイキングのみならずドライブ・ツーリングに最適であり、また四季折々の草木や冬期の樹氷など,四季の移ろいを年中楽しめる高原である。 頂上付近にはレストハウスや公園があり、伊勢湾一帯を見渡すことができる。 また高原全体に、風車(風力発電機)が32基建てられており(青山高原ウインドファーム)、風力発電所としては本州最大規模を誇る。 以上はウィキペディア「青山高原」から (…続きを読む)
2008.05.05
【負けて強くなれ~雑草魂】 ともかくも 生かされてはゐる 雑草の中 ----------種田山頭火『草木塔』から Anyhow, I'm being kept alive, Amongst the weeds. (…続きを読む)
2008.03.11
【東京マラソン】ハリーさんのために一肌脱ぎます。 走られる皆さんも、応援される皆さんも、このランナーの祭典をぜひ楽しんでください!
2008.02.11
コメント(9)
【PEACE RUN 2007】学生時代は学生向けのアパートで一人暮らしをしていた。大学から20分ほど歩いたところにあるおんぼろアパートである。自分のホームページにも、当時のことを思い返して連載小説「花池物語」を書き始めたが、現在は中断している。自転車を始めたのもこの時代。ロードバイクを買って部屋の天井にぶら下げていた。暇さえあれば、大学のある枚方から京都や滋賀・奈良方面まで走りに出ていた。長期休暇にはロードバイクをキャンピング仕様にして、全国を駆け巡った。こういった経験がアメリカ横断旅行のベースになっていたということは間違いない。行った先々で野宿をしながら、人との出会い・語らいを楽しむ。地域の祭りに出向いて、その土地のものを食べる。古来からあった旅人の楽しみは、恐らく21世紀の今も何ら変わることがないのだろう。(…つづきを読む) *お知らせ… 明日から旅に出ます。 PEACE RUN2007-2008(伊勢神宮~熱田神宮)の様子はFC2ブログにて、実況ライブ(メールによるリアルタイム更新)で随時お知らせしていきます。*Illustration "midnight run" by Kay
2007.12.30
【ランナーと体脂肪率】~最近のニュースから~愛好家肥満はほぼゼロも…ランニングもホドホドに (夕刊フジ) 今年の大ブームといえば、ビリーズ・ブートキャンプ。激しく体を動かすエアロビクスがダイエットにてきめんとモテモテだ。有酸素運動が健康維持には欠かせないことに異論はないだろうが、そんな中、ヘルスメーターメーカー大手のタニタが、ランニング愛好家の体脂肪率を計測して話題になっている。 同社によれば、人気ランニングサイト「ランネット」を通じ、初心者から経験40年以上のベテラン市民ランナー、1475人を対象に月間平均走行距離や体脂肪の分析を行った。この種の調査は類がないという。結果から(1)ランナーのうち肥満者は男性のわずか1割、女性では誰もいなかった(2)ランニング歴が長いほど体脂肪率が落ちる(3)長い距離を走る人ほど体脂肪率が低い(4)フルマラソンでは完走タイムが速いほど体脂肪率が低いといったことが明らかになった。体脂肪率とは体重に占める脂肪の割合。ランナーの大半は標準範囲だったが、月に450キロ以上走るハイレベル群では逆に「やせすぎ」を指摘された人もいた。日ごろ運動習慣のない人には無縁に思える距離だが、分析からは毎月25キロ程度の距離を走れば、標準値を維持できそうなこともうかがえた。これなら毎週末を利用して1時間ほど汗を流せば稼げる距離である。 日本生活習慣病予防協会の池田義雄理事長は、「体脂肪率は、肥満を判定する上で重要な指標です。ランニングは、有酸素運動の代表的なスポーツといえますが、それによって肥満やメタボリックシンドロームが予防できる可能性がある。ただし、継続させること、無理をしないことが基本です」と話している。ダイエットには体脂肪率のほかにBMIによる標準体重=【身長(メートル)×身長(メートル)×22】も目安になる。過体重が気になる人はまず走ってみてはどうだろう。[ 2007年12月17日16時37分 ] *ニュースソースはこちら*******今年初めに体組成計を購入して、毎日体のスキャンをしています。最近体脂肪率が増えてきました。現在、かろうじて1ケタを維持していますが、間もなく10パーセントに達する勢い。数ヶ月前に6.8パーセントを記録して、今は8~9パーセントあたりを行ったり来たり。なぜか寝不足だと体重が増えて体脂肪率が下がったり、トレーニングして体重が減ったのに体脂肪率が増えていたり、我が家の体組成計もあまりあてにならないのかな…?睡眠不足→モチヴェイション不足→運動不足…という悪循環を断ち切らなければいけません。体を動かして、いい汗をかいて、美味しく食事をとって、しっかり眠る。そういった人並みの生活から遠ざかっているため、なかなか思うようには行きませんが、健康については常にシヴィアに考えたいものです。(Photo: フルマラソン自己最高記録2時間52分35秒を出した1988年篠山ABCマラソン)
2007.12.18
【いつもいい風が…】年にふさわしく風にふさわしく病気の時は病気のままに元気な時は元気なままに走りつづけようと思いますそしていつものあいさつですが走る人にも走らない人にも走れない人にもいつもいい風が吹きますようにありがとう …「気分はいつもトライアスロン」高石ともや(ランナーズ)から******フォークシンガー高石ともやさんは知る人ぞ知るスーパーランナーでもあり、トライアスリートでもある。今年66歳という年齢が信じられないほどに若々しい人である。今日も伊賀上野シティマラソンのゲストランナーとして10キロに参加された。わが教え子のKくんが、最後高石氏と一緒にゴールし、49分54秒の同じタイムで手をつないでゴールしたらしい。今の高校生には余りなじみのない高石氏だが、その実、恐るべきスーパーランナーであるということは否めない。サロマ湖100キロマラソンや阿蘇カルデラ100キロマラソン、揖斐川マラソン、ホノルルマラソン(今年31回連続出場)と、全国あちこちに現れて、多くのランナーとの交流を持たれている。マラソン大会の会場や沿道でギターを爪弾きながら声援をかねて歌ってくれている。その気さくな人柄の中には、恐るべき精神力を秘めているのだと思う。彼がたどってきた轍(わだち)を見ていただければその凄さが分かる。並みの人のように見えて、その実超人的な偉業を成し遂げられているのだから。30代半ばでフルマラソン2時間45分台を記録されているのもすごいのだが、歳を重ねるにつれて彼のチャレンジはエスカレートしていく。48歳でウエストフィールドラン(オーストラリア1018キロ)、52歳でトランス・アメリカ・フットレース(ロスアンジェルス~ニューヨーク4700キロ)をいずれも完走している。言葉で書けばたった数行の記録かもしれないが、30歳で京都~東京500キロあまりを走った自分自身の経験からすると、この二つの記録は彼の年齢から見ても怪物的である。走ることを通じて命は平等であることを氏は唱えている。マラソンを辛いもの・苦しいものと思う人がいる。確かにそれも一部正しいのかも知れないが、辛く苦しいだけのものではないということだけは確かだ。辛く苦しいと感じるのは人生も同じ。楽しいこともうれしいこともきっとある。自然体…ありのままに生きる。生きていくうえで同じ日は二度とやってこない。毎日いろんなことがあるけれど、それを快く受け入れてみよう。走っていればいろんな時がある。脇腹が痛くなったり、呼吸が苦しくなったり、足が動かなくなったり…。そうかと思えば、素晴らしい風景に出くわしたり、予期せぬ出会いがあったり、自分の意外な可能性に気づかされたり…。「いつもいい風が吹きますように…」常に誰かにそう祈ることができる自分でありたい。(Photo: 高石ともや氏と 1993年ホノルルマラソンの完走パーティ会場にて) しなやかな身体にしなやかな頭脳…40を過ぎても細胞の若さは保てるはず…(1992年ABC篠山マラソン)。*2006年11月30日の記事を一部つかっています。
2007.11.25
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【一念発起】惨憺たる結果となってしまった伊賀上野シティマラソン10キロ。原因はウェイトオーヴァー。通常よりも2キロは増えてしまったこと。月間走行距離は100~120キロ。サブスリーで走っていた頃は200~300キロは当たり前だった。体脂肪率は現在も7~9パーセントと変わらないのだけれど、肉体の細胞組織はかなりレベルダウンしているはず。歳のせいにだけはしたくない。睡眠不足でモチヴェイション低下。気力が衰えれば体力も低下する。たるんだこの身体に喝を入れなければなるまい。年末にはまた夜通しランをするつもりだが、今の体力では途中リタイヤや肉離れで走れなくなったりしかねない。ウェイトトレーニングもこなしていくべきだし、通勤ランニングで走行距離を増やすことも考えなければ…。来年2月の木津川マラソン(フル=42.195キロ)に再起をかけよう。そんじょそこいらにいる、ただの中年オヤジではないってことを自らに証明してみせよう。 *写真:完走後…教え子のK本くん(左)とY口くん(右)
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【ゴールは笑顔で】 マラソンをずっと走ってきて、守ろうと決めてきたことがある。「ゴールは笑顔で」どんなに苦しくてもそれを顔には出さない。苦しいときほど笑顔を浮かべればいい。そうすると不思議と苦しみが勝手に消えていくもの。苦しいのは苦しいと感じている肉体だけであって、頭も心もそれを無視すればいいだけのこと。苦しみから逃げるのではなく、いったん苦しみを受け入れて、それを自分の外に出してあげるのだ。「ゴールは笑顔で」ゴールで待ってくれる人のためにも精一杯の笑顔を用意しておこう。 (Photo: Honolulu Marathon 1987)
2007.11.21
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【伊賀上野シティマラソンまであと5日】今週末、地元伊賀市で開催される「伊賀上野シティマラソン」まであと5日。今年はゲストランナーにフォークシンガーの高石ともや氏を招く予定だそうだ。毎年勤務している学校から集団でエントリーしている。昨年2006年も100名近くの中学生・高校生を引率した。今年も120名あまりが出場するということで、大会事務局から「団体賞(ひとつの団体から最多数のランナーが出場している組織・集団に贈られる)」を受賞する予定だ。 伊賀市は旧上野市。市町村合併で6年前に誕生した。「忍者の里」ということで、忍者スタイルで走るランナーも多い。大会のアトラクションとして「忍者ショー」なども企画されている。観光地としても、伊賀上野城、忍者博物館、松尾芭蕉生家など見所がたくさん。 10キロにエントリーしているが年々タイムは落ちてきている。睡眠不足がモチヴェイション不足となり、練習もろくにできぬままスタートラインに立つ破目に。それでも見慣れた町並みをバックに走るのは気持ちがいい。教え子たちが沿道で応援してくれるのもありがたい。 マラソン大会に出場することで、 20代の頃はどれだけタイムが短縮したかで喜んでいたが、40代の今となっては、衰え行く体力をどれだけ維持できているかを知るきっかけとしている。 2月には京都木津川マラソン(フル=42.195km)にエントリーしている。一体いつまで走れるか分からないが、二本の足が動く限りは走り続けよう。 年末、またPEACE RUNを企画している。昨年末は名古屋の熱田神宮から伊勢神宮までの(推定距離)120km、睡魔と闘いながら29時間35分を走り続けた。雪が降ったり、積雪の中でペースが上がらず難航したり、足を痛めたりとハプニングが絶えなかったが、走り終えた時はほっと一安心。 チャレンジの中に喜びがある。苦しいのは当たり前、生きているから感じられる苦しみや喜び。世の中の全てをありのままに、寛容に受け入れること。逃げも隠れもせず、正々堂々と走り続ける生き方に今はこだわり続けよう。
2007.11.20
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毎年2月第一日曜日、木津川マラソンに参加しています。例年、自分自身はフルマラソンを走りますが、勤務している日生学園の生徒を連れてボランティアとしても参加させていただいています。そういった縁もあって、今日は京都木津川マラソン25周年を祝う会に招待されました。この四半世紀の歴史を振り返りながら、大会を支えるスタッフの方々のいろいろな苦労話も聞かせていただきました。手作りの大会ゆえに、さまざまな問題やトラブルを乗り越えてここまで来たのだということを知らされました。自分の左隣には衆議院議員、右隣には京田辺市教育長が座っておられます。自分自身も「25周年に寄せて」ということで一番にスピーチをさせてもらいました。 ランナーと主催者、そしてボランティアが一体化することで、大会は命を持った生き物のように成長していきます。25年という歳月をかけて築いてきた伝統も、これからさらに新しいものへと変わっていこうとする今が真っ最中なのでしょう。裏方というのは普段見えないところで活躍されている方ばかり。今日は貴重なお話がたくさん聞けました。マラソン大会の舞台裏を垣間見ることができる貴重なひと時でした。
2007.11.17
【京都木津川マラソン】2008年の京都木津川マラソンの要項が届いた。毎年走っている近場のマラソンのひとつ。2月の京都木津川マラソン、5月の青山高原つつじマラソン、そして11月の伊賀上野シティマラソン。伊賀上野シティマラソン以外は、ボランティアとしても私の教え子たちが参加してくれている。木津川マラソンは全国マラソン大会100選に選ばれるほど素晴らしい大会。まず制限時間がないということ。そして、サイクリングロードを使ったコースはほぼ全体がフラット=記録が出しやすい。さらには、ボランティアが多く、コース上のエイドステーションも充実。ゴールではうどんも振舞ってもらえる。環境に配慮したエコマラソンという点でも他のマラソン大会に秀でている。京田辺といえば、つい最近、専門学校に通う女性が警察官の父親を斧で殺害するという悲しい事件が起きたばかり。確実に増加し、しかも凶悪化しつつある少年犯罪…健全な青少年はボランティアにいそしむ。毎年走っているフルマラソンだが、記録は停滞ぎみ。それもそのはず。十分な練習ができぬまま、体重も一向に減らぬまま。気力だけで乗り越えているからだ。ただ、いつも心がけているのは「ゴールは笑顔で」。レースを支えるスタッフやボランティアの皆さんに感謝の意を込めてゴールする。これもまた大切なこと。ブロガーの皆さん、ものは試しで、フルマラソンを走ったことがないという方、ぜひ参加されてみてはいかがですか?42.195キロ、自転車なら1時間少々で走れる距離ですが、二本の足で走ってみるというのもまたいいものですよ。*京都木津川マラソン公式ページ(写真:ゴールまで195m…今年2月4日に走った京都木津川マラソンで)
2007.09.26
【スーパーキッド】 マラソン完走:中国の8歳女児が3600キロ08年の北京五輪を記念し、中国南部の海南島から北京まで約3600キロ走破を目指した張恵敏さん(8)が28日未明、目的地の北京・天安門広場に到着した。中国中央テレビなどの報道によると、恵敏さんは身長約125センチ、体重約20キロで、父建民さんとともに7月3日、海南島三亜を出発し、1日平均70キロを走ったという。恵敏さんは連日夜明け前に起きて走り始め、寝るのは夜9時ごろ。約20足の運動靴をはきつぶしたという。途中、野犬に追いかけられて危険だったため、2回、伴走する父のバイクに乗ったという。中国国内では、恵敏さんの完走をたたえる報道がある一方、一部には「父親が売名行為のため子供に過酷なマラソンを強いた。児童虐待に当たる」などと非難する意見も。専門家も「幼い子供の成長にはよくない」と懸念を示すなど論議を呼んでいた。【中国総局】毎日新聞 2007年8月28日 20時32分 (最終更新時間 8月28日 21時14分)ニュースソースはこちら *******確かに賛否両論分かれるところ。子供に対して過酷な試練を与えることが果たして虐待なのか…。だとすれば、「巨人の星」の星一徹が、小学生の息子の飛雄馬に大リーグボール養成ギプスなどという過酷な道具をつけさせていたことそのものが「虐待」行為になってしまう。子供をヒーロー/ヒロインにして親が有名になる。イチローの父チチローや、娘のおかげで議員さんになったさくらパパなどはその典型。愛知県の小牧市にある小牧ランニングクラブも、毎年12月のホノルルマラソンにたくさんの小学生を送り込んでくることで有名になっている。それもやはり小学校の低学年の子供たちが中心である。どんなトレーニングをしているのかは定かではないが、ホノルルマラソンの年代別(エージグループ)で必ず入賞者が何人も出てくるのである。7~8歳でフルマラソン3時間台という選手も過去にはいた。昔勤めていた学校の文化講演会にオスマン・サンコンさん(ギニア日本交流協会顧問)を招いたが、彼は幼い頃、学校まで片道5キロを走って通学。お昼前になるとご飯を食べに帰るために、また5キロの道を走る。食べ終わったらまた5キロ走って学校へ。少なくとも一日20キロを走る計算。聞くところに寄れば、学校まで5キロというのはまだ近い方で、同級生の中には片道10キロの所に住んでいる者がいたとか…。そうなると一日40キロ。日本のマラソンのトップランナーが一日に走る距離に匹敵する。自然に子供たちの足が速くなるわけである。想像してみよう。8歳のごく普通の女の子が60日近くかけて、20足の靴を履きつぶし、3600キロも走るのである。「お父さん…もう足が痛いからやだよー」「何を言うんだ。せっかくここまで走ってきたんだ。もうしばらく頑張りなさい」「お父さんはバイクだからいいでしょ。あたしはもう足が痛くてたまらないの」「そんなことを言うもんじゃない。お前は走るために生まれてきたんだ。3600km走り終えるまでは頑張るんだ」そんな会話が親娘の間であったかも知れない。何はともあれ、無事にゴールした、8歳の恵敏ちゃんに拍手を送りたい。
2007.08.28
【伊賀上野シティマラソン】2007忍者の里 伊賀上野シティマラソン(11月25日開催)のエントリーが始りました。今年はゲストランナーに高石ともや氏が選ばれたようです。これまで彼とは、ホノルルマラソンツアーや、阿蘇カルデラ100キロマラソンや、いびがわマラソンなど、いろんな大会で顔を合わせてきました。自分の地元に来てもらえるというのはうれしい限りです。 毎年、本校の4年生の男子寮生は全員が10キロの部に参加します。忍者の里というだけあって、忍者スタイルで走るランナーもかなりたくさんいたり…。抽選会があって、折りたたみ式自転車や、伊賀牛、伊賀米なども当たります。忍者ショーも迫力満点。レース後には温泉あり、伊賀牛の焼肉やすき焼きも楽しめます。ぜひ皆さん、参加されませんか?詳細はこちらを!*昨年のレポートはこちら
2007.08.14