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我が家でも世間一般と同じくして最近 節分に恵方巻を食べる習慣が定着してきた。
私が思うにこの風習(習慣)がこんなにも早く全国に広がったのは、世の奥様方が 『今日の晩ご飯は、恵方巻』 で済むからではないかと思われる。
相手が神様ですので、だめだと言える人はいないだろう。
私の住む地域では、昔からの慣わしで 『今年の恵方は、笠寺の観音様だそうだ。』 のように干支を言うでもなく、方向を言うでもなく 観音様の有る方向でいい表しています。 歴史を感じますね。
調べてみましたら、中心は名古屋城ですので 自分家からは 少し方向がずれますね。 |
尾張四観音 - Wikipedia | 尾張四観音(おわりしかんのん)とは、尾張国の代表的な四つの下記の観音寺
笠寺観音(名古屋市南区笠寺上新町83)
甚目寺観音(海部郡甚目寺町大字甚目寺字東門前24)
荒子観音[(名古屋市中川区荒子町宮窓138)
龍泉寺観音(名古屋市守山区竜泉寺1-902)
を指す言葉である。いずれの寺も開基から千数百年以上を経た古刹である。
概要
徳川家康が名古屋城の築城に際し、城から見て鬼門の方角にある上記4寺を鎮護として定めたとされる。(ちなみに、大須観音は、江戸時代初期に家康の命により美濃から現在地に移転した比較的新しい寺であり、四観音には列しない。)
それぞれの観音を結ぶ道として四観音道があったが、このうち笠寺と竜泉寺を結ぶ道の一部が現存し、千種区内の地名にもなっている。また、道中には明治時代に立てられたと伝えられる道標が一基残っており、「東 やごと ひらばり 西 あらこ 南 あつた かさでら 北 せと りゅうせんじ」と刻まれている。
節分での四観音
名古屋城を中心にほぼ四方に分散する形で立地しており、毎年節分の時期になると(名古屋城を中心として見て)その年の恵方(北北西/甚目寺観音・東北東/竜泉寺観音・南南東/笠寺観音・西南西/荒子観音)にあたる寺では特に盛大な(他の三観音も節分祭(会)は行われる)節分祭(会)が行われる。
尾張四観音の節分の恵方は、笠寺観音(1)、龍泉寺(2)、荒子観音寺(3)、笠寺観音(4)、甚目寺観音(5)の順番に、5年で一巡するようになっている。
尾張四観音の恵方の寺に参拝に行くと、利益(りやく)が多いという風習が名古屋にはある。
また、昭和30年代に名古屋城と同じ中区に位置する大須観音が自らを「中心恵方」と称したのが現今で浸透したために、恵方の中心が名古屋城か大須観音かが疑問とされる事がある。尾張四観音の各寺では旧来から変わらず名古屋城を中心としており、また大須観音や成田山萬福院などがかかげる「中心恵方」には関知していないことから、尾張四観音の中心(名古屋城)とこれらの「中心恵方」とはそれぞれ別個のものと理解するのが妥当である。 |
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節分「恵方の決め方を教えて!」neophilism | 節分の日に、恵方に向かって恵方巻を食べる風習が、全国的に広まりましたが、そもそも恵方って何ぞやと。日本の行事や神様関係に詳しいお友達に聞いてみたよ。
節分の恵方というのは正確な呼び名ではなく、恵方はその年の吉方位のことを指すので、節分の日だけが恵方を使うわけじゃないんだって。
恵方の方角に向かって行動を起こすと吉ということで、歳徳神という、その年の福徳を司る吉神様がいる方角が、恵方と呼ばれていて、昔は初詣に自宅から見た恵方の神社に行ったそうです。
恵方の方角は年によって決まっていて5年周期・4方位です。
「甲・己」の年(平成21・26)は「甲」の方位・寅と卯の間(およそ東北東)
「乙・庚」の年(平成22・27)は「庚」の方位・申と酉の間(およそ西南西)
「丙・辛」の年(平成23・28)は「丙」の方位・巳と午の間(およそ南南東)
「丁・壬」の年(平成24・29)は「壬」の方位・亥と子の間(およそ北北西)
「戊・癸」の年(平成20・25)は「丙」の方位・巳と午の間(およそ南南東)
平成21年は「丙」の年なので「丙」の方角です。「丙」の方角といってもピンと来ない方が多いと思います。
現在での方位の呼び方に変えると、「丙」は「南南東やや右」となるそうです。
十干を今の方角に当てはめても若干ずれが生じるのは、十干で24個に分けるのと、現在の東西南北を軸に方向を分けるのでは、分ける角度が違ってくるからです。
恵方の方角にお出かけして、福を分けてもらいに行きましょうか?(笑) |
節分 - Wikipedia | 節分は、季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことをも意味し、江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。
概要
季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊ばらい行事が執り行われる。
節分の行事は宮中での年中行事であり、延喜式では、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾っていた。これは、平安時代頃から行われている「追儺」から生まれた。『続日本紀』によると706年(慶雲3年)にこの追儀が始まり、室町時代に使用されていた「桃の枝」への信仰にかわって、炒った豆で鬼を追い払う行事となって行った。『臥雲日件録(瑞渓周鳳)』によると、1447年(文安4年)に「鬼外福内」を唱えたと記されている。近代、上記の宮中行事が庶民に採り入れられたころから、節分当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり、寺社で豆撒きをしたりするようになった。一部の地域では、縄に柊やイワシの頭を付けた物を門に掛けたりするところもある。 |
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最終更新日
2011.02.10 08:46:00
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