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ブツブツ手帳

ブツブツ手帳

網の中のメッセージ

メッセージ 2007 春

今どき、大概どんな田舎に行ってもケータイは通じるし、コンビニだってある。
病院も学校もあるし、一応、選ぶほどの就職先だってある。
聴きたい時に聴きたい音楽を聴けて、読みたい本を読みたい時に読める。仕事や趣味や恋愛に思い切り没頭することもできる。

それは当たり前のこと?

同じ地球の上に、沈没しそうな国があり、戦争しか知らない子どもたちがいる。

僕らは、何気なくコーヒーを飲みチョコレートケーキを食べるけれど、生産現地では子供までもが低賃金で身を粉にして働き豆を栽培していて、しかも彼らはコーヒーもチョコレートも見たことがないという。
北朝鮮が保有している10kgか20kgくらいのプルトニウムを巡って、国際会議をやる時代。しかし実は、その隣国の日本は、現在国内外にあるものを含めて50トン近いプルトニウムを持っている…。

世界は知らないことで溢れている。


資本主義先進国の大量消費、人口増加。いわゆる温暖化に根差した環境の変化、水不足、食糧危機、資源枯渇、エネルギー問題…。
地球温暖化をテーマにしたドキュメント映画「不都合な真実」が大ヒットするほどの時世だからもうみんな本当は分かっている。何がいけないのか、どうすればいいのか。
しかし、ものごとに逆らうのには勇気がいるし。責任と犠牲を伴う。
誰もそんなリスクを背負いたくないのだ。ほんのちょっとのことでも「まわりの目が気になる」のである。
だからなかなか変わらない。広がらない。

向上意識を強く持ち、自分の正義できちんと問題と向き合える境遇の人は、「たったそれだけのことも出来ないのか」、「意思表示をしないのは問題を容認(加担している)のと同じだ」などという。しかし悲しいかなこれは少数派である。

なぜ、みんな感じていながらも彼らのように出来ないのか?

本当のところ、人はネガティブな氣が充満しているところへは本能的に入りたがらない生き物なのではないか、と思う。
「○○反対!」、「○○せよ!」
シュプレヒコールやデモ行進。いいことを主張しているのかも知れないが、どこか冷めた悲壮感が漂う。(一揆なら別だろう。エナジーとパワーが渾沌と渦巻き、否応無しに誰しもを呑み込んでゆくから。)そんな街頭運動に出くわしたとして、果たして、参加したい、一緒について行きたいと思うだろうか?

想像してみて欲しい。そこで出くわしたものが、たとえば「戦争反対!」とシュプレヒコールを叫びデモ行進をする反対運動ではなく、音楽や踊り、いろんな楽しさに溢れた「平和賛成」のお祭りだったなら…。

「戦争反対じゃなくて平和賛成活動なら、喜んで参加するわ」
マザー・テレサ

人は正しいものについて行くとは限らないけど、楽しいものにはきっとついて行くんです。
要は、今の現状から脱したい、このままではいけないという想いを、エナジーとしてどっちの方向に放射するかだ。もちろん、「楽しい活動なんて、そんな呑気な場合じゃないよ」という声もあるでしょう。しかし、とにかく僕らは今、一刻も早く「多数」にならなければなならい。


素敵じゃないか、聴きたい時に聴きたい音楽を聴けて、読みたい本を読みたい時に読めるということ。ありがたいではないか、仕事や趣味や恋愛に思い切り没頭できる世の中。いつまでもそうだといいな。

「反対ではなく、脱却を」
「No!ではなく、Yes!を」
未来の愛と平和のために。


2007 アースデイ
風義


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