2005/11/22(火)01:52
センス・オブ・ワンダーの祭り。
代官山のiスタジオで、春日大社で毎年行われる国指定重要無形民俗文化財の「春日若宮おん祭り」の魅力と見所を紹介する企画があり、お世話になった権宮司さんが講演をなさるというので、友人と行ってきました。
最寄り駅から電車に乗ったのですが、車内に足を一歩踏み込んた瞬間、真っ赤な中吊りに目を奪われる。
奈良への誘致ポスター。
路線が違うので、JR、近鉄のポスターを目にする事はまづなく、珍しい事なので驚きましたが、それ以上に驚いたのは、ポスターのコピー。
「そろそろ奈良へ。」
そう、そろそろ奈良へ、と思っていたので、衝撃でした。
シンクロ以外の何者でもない。
奈良で知り合い、この春大阪から都内に嫁いできた友人と合流し、一路代官山へ。
おん祭りは保延2年(1136年)以来、毎年欠かさずに行われてきたお祭りで、今年で870回目。
当時最高の文化芸能と最上の礼を形にしたものが、今も変わらず継承されているのです。
権宮司さんの講演「おん祭り よもやま話」は、何度も聴かせていただいたし、それ以外でも折に触れお話しは伺っていたので、今回はお話を聴くより、お久しぶりにお顔が拝せれば・・・くらいの気持ちだったのですが、とんでもない。
おん祭りの奥の深さと、権宮司さんの知識と経験と話術で、食い入るように聴き入ってしまいました。
まだまだ知らない事がたくさんあるんだろうな。
権宮司さん曰く、12時間あっても話し足りないそうなので。
こんなに奥深い日本の美を、いったいどれほどの日本人が知っているんだろう。
もったいないなー。
むしろ外国の人の方が、この魅力に夢中だったり、深く理解してたりすることも。
神道は、『センス・オブ・ワンダー』。
アニミズムこそは、自分の思想だけに凝り固まって他者を廃し、対立する世の中を救える智慧だと思う。
そして、いわゆる人の原罪を清める道標だと思う。
国家神道なんかとは、本来違う、生活に根付いたもの。
権宮司さんのお話は、ちょっとした小ネタまで感嘆するものばかり。
「遊び」は、本来、魂に活力を与えるもの。
「休み」は、屋・住みであること。
「笠」は、古来高貴な人の頭上を覆うものだけれど、それは、神様の降臨の目印としての役割であること。西洋で言う天使の輪等を表したもの。(父は傘の卸問屋をしていたので、思わず話してしまいました。)
ああああ、とても書ききれない。
すべてテープ起しして、出版してほしひ。
権宮司さんをはじめ、他の神職さん方もいらしていて、3年半ぶりの再会でした。
ご無沙汰してしまいましたが、皆様お変わりなく、嬉しかったです。
そして、講演の後は舞楽鑑賞。
演目は、「蘭陵王」と「納曽利」の対の舞。
演奏は南都楽所で、楽頭さんもいらしてました。
ちょうど西側に建物があり、午後の日が遮られてしまったのが残念でしたが、1番好きな「蘭陵王」に胸どころか、体中がビリビリするというか、もう魂がふるえます。
ああ、傾きかけて色の濃くなった日に照らされてたら、どんなにか見事だったろうと、惜しい気持ちです。
でも、やっぱりおん祭りで、あの冬の夜空の下で、キリリとした大気を大太鼓の振動でビリビリ震わせた中で、若宮の神様のおすそ分けとして観せていただくのが1番ですが。
何か、いつもは若宮さまに向かっての奉納なので、客席に向かって舞ってもらうと、いいのかな?と少し落ち着かないです。
浄闇の中でのお祭りは、太古の昔に自分がいるかのような錯覚を起こすような不思議で豊かな時間。
宗派を問わず、色々な形で神様はいらっしゃる、と常日頃から思ってるけれど、「すぐ、そこに、お出ましになる。」場に参列を許される時間。
神様がいると「思う」から、いるのを「知る」時間。
靖国問題やらで、ケチョンケチョンに言われたり、妙な解釈をされる事も多い神道ですが、もっと、源流に遡って観てくれたら、きっと、違う解決策もあるだろうに、と思うんですけどね。
ふー。