師匠との出会
我が人生を振り返ると、人間の骨格がはっきりしてくる30歳代(宮本輝の著書の言葉)までに出会うことができた、いずれも各界で活躍されていた3人の恩師の薫陶を受けられたことは僥倖、人生の幸運でした。
20歳前後、関西学院大学茶道部の創部以来の師範であった三井宗豊師匠からは、学生茶道の本分である「型(かたち)」を崩さないことを学び、
30歳を過ぎに執筆した滋賀県事業の脚本(ららばい)の演出をしていただいた永曽信夫先生(俳優座演出家:滋賀県出身)からは、演出における純粋客観「見極める」ことによる舞台空間づくりを学び、これが以後の県内各地に舞台指導に奔走できる素養となりました。
そして大学4回生のときの出会いから今日に至るまで寵愛(?)を受けている松本修師匠(以後、「師匠」と呼ぶ)からは、その旺盛なる知的好奇と物事の真実を探求する愚直なまでの姿勢から、
「知ることの愉快」を体感させていただいています。
師匠の「知ることの愉快」は、今まで世に送り出したヒット番組、発刊された著書に色濃く反映されています。
昭和55年5月の連休(おそらく4日)、朝日放送の会議室で初対面は、師匠がディレクター(番組発案も)だった「ラブアタック♡」の出演者4人との顔合わせでした。颯爽とした青年ディレクターの風貌(首にセーターは巻いていなかったが)は、いわゆる業界とは無縁だった学生には眩しくも感じました。
この日の打合せには、当時の師匠の最側近(名物アタッカー)で、今は国政政党党首(参議院議員)になったベストセラー作家百田尚樹氏も同席していました。
面談前から、師匠の出身は高島郡マキノ町(現在の高島市)で、当方の生家とは琵琶湖を挟んだ場所とは承知していましたが、初対面では郷土ネタはありませんでした。
さて、「仕込み」満載のラブアタック♡放映後、師匠が朝日放送入社後、「霊感ヤマカン第六感」を担当の頃、京都・下賀茂まで茶の稽古に通われていたことがあり、当方の茶道部の「修練のような」稽古に関心(好奇心の刺激)を示されました。
そんなご縁で、当方がラブアタックしたかぐや姫(これまた好奇心旺盛で、彼女の父からは拡散思考とし評された)を稽古にお招きする機会を得ました。彼女はのちに大手英会話学校の社長夫人となりました。
また師匠からは、同窓、関学在学中のかぐや姫の桜子嬢にも会わせていただきました。透き通る肌、これぞ美人!と感動したものです。
某国の◎◎様ではありませんが、師匠の傍らには常に美女軍団、「アホの遺伝子を受け継ぐ」アタッカー集団も脇を固めていました。
急接近は鮒ずしの縁
湖国(※滋賀県)人は、親交が深まると
「鮒ずしは食べれるか?」
と話が進むのが一般的で、これは岐阜県人が
「蜂の子は食べられるか?」
で郷土愛を確認するのと似たようなものです。
師匠の生家近くには、鮒ずしの老舗・魚治(その料亭は、遠藤周作氏が命名した「湖里庵」)があり、師匠は鮒ずしとその飯(いい)を味醂につけて食べるほどの大好物と知り、ここから急速に師匠との距離が縮まった気がします。
当方の郷土では、正月や祭り事、「混ぜごと」には自家製鮒ずしを披露する食文化があり、もちろん農家の我が家でも両親が漬けていました。早速、師匠に自家製を賞味していただくことになりました。母は
「松本さんが好きなのは粕漬け(二年漬け)と違うか。口に合わんかもしれん」
と危惧していましたが、師匠からは過分な誉め言葉をいただきました。それ以後、帰省後の手土産は鮒ずしになり、手渡すときの師匠の感謝の表情(ときには師匠は手を合わすことも)には気恥ずかしさを覚えたこともありました。
師匠の番組関連で、朝日放送の乾浩明キャスターにお裾分けしたこともあり、その日のうちにお茶漬けにされたと聞きました。
※滋賀県庁の有志職員が発刊した書籍(1995年発行)ので、当方の自治会でのアンケート調査に協力しました。
後書きには、『湖国の伝統食文化の「ふなずし」は稲作の伝播とともにわが国に伝わり、最古のすしの形態を残している。
全国各地ですしの形が変遷してきた中、湖国においては、未だに昔と同じふなずしが漬けられている。発酵食品特有の匂いを嫌う人があり、珍味ともてはやす人がいる。~略~』
鮒ずし丸かじり事件発生!!
大手企業を退職して、還暦後に法科大学を経て、今は弁護士となったアタッカーの羽賀くん。彼と一緒に宝塚の師匠のマンションに、酒を飲みに泊まりにいったときのことです。
持参した鮒ずしが湖国の名産・珍味と聞きつけ、当方が包丁を探している間に、なんと腹部を丸かじり。まさに止める間もなくで、師匠は
「勿体ないことするな~」
と嘆息。怒ってはいなかったが、おそらく怒る気も失せた?のでは。
あれから40数年、今では羽賀くんのお祝い事には、
「丸かじりさせたるで~」
になっていますが、今や高級食材、羽賀くんの方が遠慮しているようです。
鮒ずしとともに長いご縁
師匠との同郷の縁を紡ぎ、知人たちからも喜んでいただいている我が家の鮒ずし。師匠のお気に入りとなり、両親が松本専用桶を漬けたこともありました。
当方は父の生前に「我が家流」を引き継ぎ5年目、やっと一昨年に松本専用桶(5㎏)を漬けるに至りました。
親戚・友人にお裾分けすると「お手間いりをありがとう」と返されるほど、手間と時間がかかるソウルフード。年明けには5年目の鮒ずしの仕上がりを賞味していただくのを愉しみにしています。
我が家流の本漬け
地元漁師から仕入れ塩切鮒を、8月始めに漬けます。
かつては7月下旬の土用が適期と言われてましたが、昨今の酷暑、飯の発酵が進みすぎるので時期を遅らせています。
塩切り鮒はピカピカになるまで洗います。この作業を怠ると、生臭さが残ります。
昼は天日干し、夜は室内(離れ)でエアコン除湿と扇風機で一昼夜かけて乾かします。

ひと桶・鮒10㎏に米4升あまり、塩と酢、山椒。飯に塩を混ぜ、鮒の頭と尾、背びれは酢に漬けます。こうして発酵を抑えることで酸味が少ない、農家好みの鮒ずしが仕上がります。
山椒は殺菌効果と、飯(いい)の風味を良くします。
鮒を置くと一段づづ90度方向を変えて、飯を手と足で踏み固めます。
しっかり固めることで桶が崩れない。
殺菌効果のあるバランも自家製。家の前栽に生えています。まさに自家製。
