真に感謝すべきことに、たいていは気づいていない。
子どもが親に、「ありがとう」というのは、多くの場合、自分がしてほしかったことをしてもらったときだろう。欲しい物をもらったときも同じだ。物なのか、行動なのかの違いだけである。また、してほしかったわけではないけど、嬉しいことには、きっと素直に「ありがとう」というのだろう。サプライズ的な誕生日祝いとかね。しかし、同じ「ありがとう」でも、どうにも前者「ありがとう」が軽く聞こえるのは気のせいだろうか。してほしかったことを、してもらって、「ありがとう」というのは当然だろう。むしろ、そこで言わなかった場合、相手にしてもらって当然だと思っている可能性もあるから、かなりよろしくない。子どもたちよ、親御さんに対して、そのようにはなっていないかい???大丈夫かな??では、言ってほしくないことにはどうだろうか。友達は言ってはくれない、親だからこそ言ってくれる、親だからこそしてくれる、そういったことには感謝できているだろうか。ご飯を作り、送り迎えをし、本気で進路について考えてくれて、お金も出してくれて、そんな親御さんに向かって、暴言を吐いてはいないだろうか。周りがやってくれないようなことに感謝はしやすいだろうが、周りが言ってくれないようなことを、言い返すことなく、すべて受け入れて、「言ってくれてありがとう」と思えているだろうか。「ほんとうざい」とか言っていないだろうか。もし、言ってもらえなかったら?もし、気にも掛けてもらえなかったら?そのときあなたはどうなっているだろうか。すでに見捨てられている場合、見捨てた相手を悪く言ってはいけない。もしかしたら相手も、いろいろ悪かったかもしれないけど、かけがえのない、唯一の存在に、見捨てられることの重大さをわかっているだろうか。もちろん、そういうことに感謝できないような人間に育った背景に、親というのは存在する。自分がこうなったのは、親のせいだ!と考えるのは、仕方のない思考の流れだとも思う。それでもなお、子どもは親に感謝すべきだと思う。それほど、親には感謝すべきだと思う。こういう話を聞いて、うぬぼれて調子に乗る親でも、それでも、なお、感謝しよう。言ってほしくないことも、言ってもらえるということ。それが、真に感謝すべきことだから。