数理進学予備校イーズ こばじいのブログ 〜つくば市竹園ときどきひたち野うしく〜

2018/10/31(水)14:23

「読む」のと「書く」のどっちが大事だ?

イーズ予備校 少人数授業 質問(6)

文法の授業で、 幾度となく迷ったことがある。 文法の授業で解説することのうち、 どれほどをレジュメにし、どれほどを板書にするべきか、だ。 メラビアンの法則、というものがある。 矛盾したメッセージが発せられたときの人の受け止め方についての研究であり、 視覚情報が55%、聴覚情報が38%、言語情報が7%というものだ。 授業において「矛盾したメッセージ」が発せられるときが どういうときに該当するのかはなんとも言えないが、 高校生以上に英文法を教えていると、 彼らが持つ知識とうまく噛み合わないものは多々ある。 いわゆる、「中学英語の嘘」というものだ。 中学英語の中には、 soを「とても」と教えるなど、 高校に入ってからいろいろと違うじゃん!と思うものは少なくない。 someは疑問・否定文だとanyだ!というのもそうだ。 しかし、中学英語ならではの説明の難しさ、伝達の難しさゆえだというのは 重々承知している。 生徒の中には、「え、違うの?」とフリーズする子も少なくない。 特に英文法がまだまだ勉強不足の子には多い。 疑問が尽きず、違いが見いだせず、英文法が嫌いになる子にも多い。 そういう場合は、 たいていが「質問」として飛んでくるから、 レジュメにはかかれないものも多いし、参考書にも書かれていない場合も多い。 そうなると、きっちり板書して(またはメモをつくって)教えることとなる。 こういう場面も考慮してレジュメにすることは可能ではあるが、 膨大な量になるし、すべての質問に対応しきれない、という限界もある。 こうなると、どうしても授業中の板書は避けられない。 じゃあ、板書でいいじゃん、とも言えるけれど、 板書を書いて、生徒が写して、となると、 その分どうしても「時間」が必要となる。 疑問が解消されないまま授業を進めることは可能だが、 イーズの少人数授業の形式でそれをやる意味を感じない。 加えて、 疑問を感じているときに、 それを解決して、すっきりさせることは、 記憶への残りやすさに直結もする。 となると、 板書して、(疑問が解決して)それを生徒がノートに書く、 という流れそのものに意味があればいい。 調べてみると、 「書く」という行為そのものが、 インプットとアウトプットを両方同時に行える手段だという。 理解してインプットしながら、 実際にそれをノートに書くことで、同時に手も動かしてアウトプットとなる。 意味記憶だけでなく、運動記憶も同時に記憶される。 頭と手と目との相互のやりとりも活発になるようだ。 去年あたりだろうか、 タイピングによるメモをとりながら授業を受ける生徒と、 手書きによるメモをとりながら授業を受ける生徒とで、 記憶力、ひいては成績に違いが出る、という実験があった。 この理由の背景にも、同じことが言える。 手を動かして書くことで、脳幹網様体賦活系(RAS)が刺激され、 対象物に対して集中力を高め、積極的に情報収集をするようになるそうだ。 流れとしてはこうだろうか。 1「基礎的な部分は見て(読んで)、疑問を見つける(考える→意識→記憶)」  ↓ 2「疑問点を解消し(感動)、板書を通じてメモを取り(活性化)、記憶強化」  ↓ 3「問題演習を通して、再度記憶強化(接触頻度の向上)」  ↓ 4「さらなる疑問点・不明点の解消」 1は授業ではなく自習でも良いかも知れない。 2のタイミング(場合によっては追加で4)は授業で。 3は自習で。 ここまでやれば、あとは正答率9割になるくらいまで、 素速く演習するだけだろう。 イーズでは、質問しやすい環境を整えているから、 4以降も質問で確実に記憶していきたい。 予備校の授業なら、 前期でこのレベルまでやっておいて、 後期で記述も含め、形式の違う問題演習へと入って、 「解き方」を身につける流れになる。 「読む」と「書く」には、 それぞれメリット・デメリットがある。 意識してみて!

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