できる作業が1つならば、不安に使うのはもったいない。
人は複数のことに意識を配れない。つながりのない別々のことを同時に思考するも難しい。ながら運転が危険なのは言うまでもない。視線も正面からスマホへと移ってしまうしね。じゃあ、スマホを操作しないで電話するのはいいのでは?と考えたくなる。ところが、正面を見ているつもりでも、電話中や、会話中は、意識がそれていることがある。目は開いているものの、頭の中でいろいろ描いたイメージに意識がいくと、視界に見えている情報に対して反応が悪くなったりする。妄想を膨らましている状態で授業を受けたら、授業で何をやったか記憶にないのと似たようなものだ。それでも、ちょっとくらいの操作なら、2つを同時にできるよ〜と考えるだろう。正しくは2つの物事を瞬時に切り替えているらしい。「同時」ではないようだ。あくまで意識できるのは1つだからだ。3つ4つのことを同時にやろうと思ったら、意識できるのは1つ。他のことは無意識にできる必要があるらしい。さて、これは「思考」についても言えることだ。試験の待ち時間や休み時間のながーいながーい時間、頭で思考できることは1種類。意識を向けて考えることであって、ぼーっと漠然と、なんとなーく、ぼんやり何かよくわからないものを感じることではない。こういうときに、何を考えるか。1、良くないこと、悪いことを考える良くないことを考えて、結果不安になる、というのであれば、今すぐやめるべきだ。良いことなんて1つもない。最悪を想定して、その対策を考えるのはまた別だ。対策を講じるという目的を忘れて、悪いことのみを考えるのは、多大なるプレッシャーを自分にかける行為になってしまう。メンタルがもたない人には決しておすすめしない。2、良いことを考えるありえないような良いことを考えても良い。少なくとも、楽しかったり、面白かったりするだろう。それに、不安を考えているよりは気分が良い。現実的な話としては、自分がうまくやっているビジョンを明確に描くのだ。ミスをしないようにうまくやっているところや、ミスをしてもうまくカバーしているところなどを考えたい。今までにたくさんミスがあった人は、「自分は絶対にミスなんかしない」と思い込んでも意味がない。人は何かしらやらかしたりする。だったら、「ミスは前提、大事は対策」と考えるのが良い。3、その他まったく別のことを考えたっていい。僕は人間観察からの推測が好きだった。試験会場の後ろ姿から、その人の人となりを想像するのだ。服装、着方、髪型、髪のセットの有無、机上の筆記用具、足元のバッグ、仕草、などなど、人となりを表しそうな要素はいくらでもある。そういうのを考えていてもいい。どうせ、試験が始まれば、試験についてのこと、点数を最大化すること、しか考えない。試験前の退屈な「無」の時間を消したいだけだった。と、思考できることが1種類なら、何を考えようか。座席から動けなかろうと、周りが一言もしゃべらない状況だろうと、自分も一言もしゃべれない状況だろうと、そのときに何を思考するかは、自由だ。不安なことを考えるきっかけがあるかも知れないが、それを目にしたり、耳にしたりしたところで、何を思考し始めるかは、自分の意識の問題であり、自由なのだ。それでも、不安ばかり考える人は、悪い自己暗示をかけているようなものだから、失敗する確率あがっちゃうよ。