国語の教育の意義
一昨日は、三島由紀夫の生誕100年というとことが新聞に書いてありました。三島由紀夫は、大学受験生から大学に入ったくらいに何冊か読んで、強烈な印象を受けた記憶があります。当時は、三島由紀夫だけでなく遠藤周作、太宰治、大江健三郎などを読み、その効果を国語の成績でじわじわ感じていました。もっと早くから、こういう人たちの作品を読んでいたら、そして、このレベルの作品が読み慣れていくとおもしろい、ということがわかれば、別に国語の受験勉強は必要ないわけです。共通テストとか難関大学国語などは。昨日、高校生に、読書をすること、読む本は、文豪が書いた小説を。そして、そこには、その時代の空気が感じられるものを。そして、ちょうど今ネット番組で、国語の教育が下がっている。別の点では、他の科目のほうが重要だという風潮があり、それで、数学や英語のほうに重点が置かれているということが語られていました。しかし、まともな塾の先生ならば、国語が低い生徒は、なかなか成績が伸びないと考えています。国語ができれば、他の科目を伸ばすことができます。そういう点では、家庭での読書がとても大切なことを語られていました。今、生徒を見渡すと、本を読み生徒がいません。月に1冊あるかどうかが、今の中高生の実情です。さて、国語ができると、英語や外国語の習得の能力が高いということです。これは、正しいですね。そういことを知ってほしいですね。HPはここです。