2007/06/25(月)08:01
Fete de la musique 音楽のお祭り。
6月21日は音楽のお祭りでした。
フランス国内では18000もの大小のコンサートや催しが行われたそうです。
本当ならリヨン市内の豪勢な(笑)コンサートに出かけたかったのですが・・・
(豪華ゲストの演奏しかも無料なのですごく混み合う)
(パリは当然ながらもっとすご~い規模です。テレビで中継されます。)
夫が仕事ですので、ひとりで夜の街、それも繁華街に出かけるのはちょっと・・・
なんせ、スリ事件の直後ですしね(^^;
ということで近所のうちの市主催のコンサートに一人で散歩がてら出かけました。
小規模とはいえ、市の4か所で様々な趣向のコンサートが行われていました。
どこも見てみたい、聞いてみたかったのですが・・・
あいにく体は一個しかない(笑)
しかたがないので最初は市役所前の広場で観賞。
プログラムの最初のあたりは(前座かな)地元の音楽学校の生徒さんによるクラシック。
大好きなアルビノーニのアダージォとか演ってくれて嬉しい。
なかなか上手でした。
観衆は子供連れの近所の人が晩御飯のあとにちょっと出てきたって感じですので
あまり真剣に静かに耳を傾けるといった雰囲気ではない。
皆でピザを回し食べしたり子供たちが走り回ってワイワイガヤガヤ・・・演奏中も(汗)
その子の親ではないけれど・・・生徒さんたちに申し訳ないような気分に。
そのあと、少し河岸を変えて、地元アマチュアバンドのジャズコンサートを鑑賞。
よく知っているジャズスタンダードをたくさん演奏してくれました。
サックスやドラムがかっこよかった!
リーダーらしきギターのパートの人がものすごく楽しそうにニコニコニコニコ
満面の笑顔で演奏しておられて・・・最前列の私もつられてニコニコノリノリ!
やはり楽器を演奏するのってものすご~く楽しいんだろうな~
ってうらやましくなりました。
ご家族らしき人が一所懸命写真を撮っておられるのもなんとも微笑ましい~~~
その後は地元のリセのロックバンド。
リセの仲間が大勢応援にきて、皆 囲んで踊りだしました。
座席に座ってると見えないよ~~
あまりに急に混んできたので、また場所を変えることに。
広場に戻ってみると今度はゲストに招いたプロのジャズカルテットの演奏が始まりました。
そして、私は久々に脳天をが~~~んと射抜かれたような衝撃を受けました。
ジャズ生演奏ってこんなに素晴らしかったのかと。
詳しくは私もあまりよく知らなかったのですが、
私の以前からなんとなく好きなジャンルだったようで。
やはりフランス関連でしたわ。
日本の家にCD持ってますわ。たしか・・・(笑)
後でネットで調べてみましたら
マヌーシュ manouche というジャンルだそうです。(詳しくは最後に記します)
この日のゲストは Hot Club de Lyon というジャズクラブ 所属のカルテットでした。
超かっこいい~~~
プロだから当然なんですけど、めっちゃめちゃうまかった~~~
さっきのアマチュアバンドでも十分満足だったのですが
この人たちの演奏を至近距離で見て感激を通り越して深く感動してしまった。
ソロアドリブでは、もうかぶりつきです(笑)上記の写真の子供のように
(座席に座っていたらちょろちょろ走り回るお子さん方が目に入るので気が散ります・・・)
コントラバスも身体の奥深く響き素敵~~。クラリネットの調べには身をよじり。
ギターソロでは失神しそう(爆)
時々おたがいの顔を見て、タイミングを計る様子がまたまたとびっきりの笑顔です。
かっこいいな~~ (確かに男前でもありました・・・笑)
オテルドビルにあるクラブで毎夜、ライブがあるらしい。
うわ~~~見に行きたい、聴きに行きたい。
いつか、夫の目を盗んで行ってみようと決心しました
でも・・・ジャズクラブなんて今まで一回も行ったことないんですけど~~
一人でも入れるものなんでしょうか~~
(なぜか夫を誘おうというアイディアは浮かばない私・・・)
B'z のコンサートではこんな至近距離で見れるなんてありえないし、
無名のバンドのファンになるってちょっと美味しいかも・・・
でもまずは来週でもCDを買いに行ってみようっと。
24日の今日はなんとこのクラブで無料のコンサートがあるそうで、行ってみたいけど。
と思っていたらさっきリヨン友からお知らせのメールが・・・
へ~え。タイミングよく同じ嗜好の人たちがいるんだわ~と驚きました。
私はたぶん行けないので、またお話を聞かせてもらおうと思います!
マヌーシュスィングとは:
"マヌーシュ"とは、フランス北西部アルザス地域に住むジプ
シー民族をいい、また、彼らが奏でるスウィング・ジャズ・ギター音楽のことをい
う。"
マヌーシュの代表的ギタリスト:
ジャンゴ・ラインハルトは1910年生まれ。マヌーシュの旅回り芸人の息子で、パリ
郊外のジプシー居住区に育った。幼い頃から音楽に惹かれていた彼は、12歳でギター
を手に入れる。独学で昼夜練習に励み、短期間で上達、13歳になる前にアコーディオ
ン奏者の伴奏者としてダンスホールで働き出す。当時のパリで流行していた(そして
近年リヴァイヴァルした)アコーディオンを中心としたダンス音楽ミュゼットを演奏
していた。
若くして天賦の才能を見せていたジャンゴだが、18歳のときに不幸が襲う。1928年
11月2日に住まいのキャラヴァン(移動式住宅)が火事に遭ったのだ。1年半も療養所
にいたほどの重傷で、特に左手の薬指と小指の2本が動かなくなるというギタリスト
にとって致命的な怪我をしてしまった。しかし、ジャンゴは努力を重ね、人差し指と
中指だけの独得な運指で流麗なソロを弾けるようになる。
ジャンゴはアメリカのジャズに熱心に耳を傾け、自分の個性的なギター・スタイルを
発展させていく。ルイ・アームストロング、デューク・エリントン、そしてジョー・
ヴェヌーティ&エディ・ラングなどがお気に入りだった。
ジャンゴが「マヌーシュ・スウィング」を完成させたのは、34年にパリ生まれの
ジャズ・ヴァイオリン奏者ステファン・グラッペリと組んだフランス・ホット・クラ
ブ五重奏団との演奏だった。主役の2人をリズム・ギター2本とアップライト・ベース
がサポートするという彼らの編成は、管楽器が主役を務めることが多いジャズの世界
では異色だったが、その弦楽器だけで軽快にスウィングする独創的な音楽は人びとを
驚かせ、たちまち人気を呼ぶことになった。
このフランス・ホット・クラブ五重奏団との活動によって、ジャンゴは世界的に名
を知られる音楽家となり、フランスを訪問した本場アメリカのジャズ・ミュージシャ
ンがこぞって彼との共演を望んだ。第2次大戦が始まると、グラッペリがロンドンに
住むことを選び、ジャンゴはフランスに留まったために、オリジナルの五重奏団は解
散するが、ジャンゴはグラッペリの代わりにクラリネット奏者を加えた新しい五重奏
団を結成し、活動を続けた。大戦後の46年にはデューク・エリントンに招かれ渡米
し、彼のバンドの客演ソロ奏者として全米各地で演奏を行なう。帰国後はパリ郊外の
サモアに住み、演奏活動を続け、時折旧友グラッペリとも共演したが、53年に41歳の
若さで急逝した。 五十嵐 正(ライナーより抜粋)
それにしても…最近惚れっぽい私です・・・
もしかして倦怠期??(笑)