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シアトルからこんにちは

2002年11月後半の日記

11月 30日 土曜日 のち

Shinoさん、ご結婚おめでとう!

創世記 / 2章 18節
主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

創世記 / 2章 21節
主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。
そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、
人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」
こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。
人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。

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人間の幸せの中で、「結婚」は、もっとも根本的なものだ。どこかで読んだが、未婚の男性は、寿命も短いらしい。
つまり男性にとっては、結婚が生死の問題でもある。

結婚ほど神秘的なものはないと思う。全然違う環境で育った2人がひとつになって、新しい「コミュニテイー」をきずきあげる。

そして、やがて、大きな社会となる。
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昨日は感謝祭で、娘の家族や次女やお友達が来られた。主人と2人ではじめたちいさなコミュニテイは、いまでは、6人家族になった。

ハレルヤ

長女は、パスタサラダとグリーンビーンズキャセロールをつくって、次女はスタッフィングと、パンプキンパイと、アップルパイ。
婿は、クランベリーとマッシュポテト、コーン、パパは、七面鳥をわたしはジェロー、野菜の盛り合わせ、次女のお友達はグレービーをつくった。

朝9時から料理初めて夜10時半までずっと、ペチャペチャはなしこんだ。

今年は娘2人が独立し、空の巣になったので、こうして皆で料理ができることが感謝だ。

混雑したキッチンで、クックしながらふと「幸せだな」と思った。
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今日はShinoさんの結婚式。うれしいな。

素晴らしい人生の門出だ。幸せになってくださいね。

人生1人であゆむより、ニ人三脚のほうが断然いい。

決り文句かもしれないけど、2人だと悲しみが半分になって、喜びが2倍になるって本当だよ。

良かったね。

主が、あなたとご主人の上に豊かな祝福を与えてくださいますように。

ちょっとここで老婆心の一言。

「寝る前に怒って寝ちゃダメよ。その日のうちに赦しあって寝ましょう。」

心からごおめでとうございます。

 

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11月 29日 金曜日 のち

今日は感謝祭

夕べいやな夢をみて、泣きながら目がさめた。夢の中で、主人が泣いていたのだ。苦しかったらしい。人が泣いている場面にいるのは、なんとなく、心地悪いが、男の人の泣くと私まで泣いてしまうほど、迫力がある。おそらくめったに泣かないからだろう。

朝起きて、主人の顔をみると、相変わらずニコニコしていた。
あー。夢だったんだ。

一体あの夢は何だったのだろう?

神様が、「人間は表面ではわからないのだよ。」と教えてくれたような気がした。

「微笑みの裏に人には誰にも言えない苦しみがあるんだ。」ということ。

38年病気だった人だって、周りに人がいたはず。それなのに彼の本当のニーズは満たされていなかった。

人が、他の人にできることは本当にわずかなことしかない。

どんなに苦しんでいても代わってあげることも出来なければ、癒してあげることも出来ない。

共に苦しむといっても、実際には出来ない。

もし、人が病気で苦しんでいるからといって、自分まで同じ病気になって、苦しんでも、確かに気持ちは分かち合えるかもしれないが問題が増えただけで解決にはならない。

人にしてあげれることは、そばにいて話を聞いてあげることくらいかもしれない。

今日は感謝祭。

今年は、大勢のひとを呼ぶ気がしなかった。

この家を売るために、かなり片付けてしまったので、我が家という雰囲気がないからだ。来年は、どんなところに住んでいるのだろう?

今年の感謝祭は家族だけ。ちょっと寂しいな。

でも、主人がNYのパレードをみて、娘が泊まりに来て、二階ですやすやと寝て、(愛犬もつれてきている。)
そして、長女がパイを作ってくれて...

感謝で一杯だ。

この瞬間を共に体験できることを心から感謝している。

ハレルヤ

Happy Thanksgiving To You All

 
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11月 28日 木曜日 のち

ルツ記 / 1章 3節

夫エリメレクは、ナオミと二人の息子を残して死んだ。
息子たちはその後、モアブの女を妻とした。一人はオルパ、もう一人はルツといった。十年ほどそこに暮らしたが、
マフロンとキルヨンの二人も死に、ナオミは夫と二人の息子に先立たれ、一人残された。
ナオミは、モアブの野を去って国に帰ることにし、嫁たちも従った。主がその民を顧み、食べ物をお与えになったということを彼女はモアブの野で聞いたのである。
ナオミは住み慣れた場所を後にし、二人の嫁もついて行った。
ナオミは二人の嫁に言った。「自分の里に帰りなさい。あなたたちは死んだ息子にもわたしにもよく尽くしてくれた。どうか主がそれに報い、あなたたちに慈しみを垂れてくださいますように。
どうか主がそれぞれに新しい嫁ぎ先を与え、あなたたちが安らぎを得られますように。」
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私が26年前国際結婚したとき母に言われた。「家族のいないところで1人でどうやって生きるの?だんなに死なれても誰もいないよ。」

心配していってくれた言葉だったが、妙に心に残った。

「大丈夫よ。心配しないで。」とそのときは、強気に母に答えたが、

実は「もし、主人が死んだら私は1人だ。」といつも思っていた。

不安になったとき、このルツ記を読んでは励まされた。

主は、夫も子供をもなくしたナオミを祝福してくださったからだ。

ナオミは自己中心に嫁にすがることもせず、気持ちよく、自分の里に帰るように嫁二人に指示した。

ところがルツは、ナオミと留まり、主は、ボアズとの出会いを与えて下さった。そしてのち年老いたナオミはルツの子供を育てる喜びをも授かった。

何年後どうなるかを心配せず、今日一日、主を信じて喜びと感謝の中で生きよう。

主は必ず、自分の民を守ってくださるのだから。

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11月 27日 水曜日 のち

娘にちょっと反抗?

ゆうべ、主人と二人で孫の子守りをした。ジムにって、ボールを蹴ったり、小さな車で遊んだりとても楽しかった。

夕ご飯を食べた後、歯を磨いて、本を読んであげる時間になったた。

子供たちが幼なかった頃、私はくたくたに疲れていて本を読み出したとたん、自分のほうが先にいびきをかくような母親だった。

ところが、孫だと話はちがう。

2冊読んであげるはずのところを7冊も読んであげた。

最後の本を読み終えたとたん、娘夫婦が帰ってきた。10時半だった!

娘は、まだ起きているの?とすごい剣幕。就寝時間はおそくとも9時半と決まっている。

「一生懸命規則正しい生活をさせようと努力しているのに、おばあちゃんが甘やかすと私が困るのよ。お菓子を食べさせない子に砂糖を上げるようなことはして欲しくない。」とさんざん叱られた。

いかに「私の甘やかしが彼女のしつけの妨げであるか」懇々と説明してくれた。

文句をいうと、「もう子守りさせない。」といわれては困ると思ってハイハイと聞いておく。

心の中で「あーあ。せっかく、孫といい絆ができたと喜んでいたのに、叱られた..」と私のうきうきしていた心は風船が針でさされたようにしぼんだ。

帰りの車の中で主人と、「もし、今の私達に子供がいたら、甘やかしていただろうね。」と言う話をした。

年を取って生まれた子は可愛いと言うが、孫に「One more book, gaga, please」と、甘い茶色のひとみで頼まれたら、どうやって「NO」といえようか...

娘のときアンナに厳しかった母親が今は骨なしのおばあちゃんだ、、、

それにしても、だんだん孫は私のことが好きになっているみたい。

フフフ、うれしいな...
1. 11/27 22:20 うふふふ。読んでたらわたしも早く孫が欲しくなっちゃいました!/shino

 
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11月 26日 火曜日 のち

あなたがたは敵を愛しなさい

ルカによる福音書 / 6章 35節

しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
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J.B.フィリップが、「イエスは、恩を知らないものにも悪人も、情け深い。」と説教したとき、観衆は、不公平だと叫んだ。

「神の驚くほどの寛容さを信じたくない。」とまで言った。

人は「神が、正しいことを行っている人を祝福し、悪いことをしている人を罰する。」のが公平だと思うが、神の考えは人の考えとは異なる。

神様は、悪人にも情け深い。これが神様の性格だからだ。

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私も悪いことをした人につめたくして、良いことをしてくれる人に親切にしたくなる。

ところが、聖書の命令は、「恩を知らない人、悪人にも憐れみなさい」とある。

聖霊の力でのみしか出来ない。

人に言われたひとことで、夢を見るほど腹が立ったり、落胆するとき、その人のために祈る。

すると、不思議に聖霊の力によって、その人に対する悪意が消えていって、何が問題だったかさえも忘れてしまう。

心に平安が戻った。

神様

悪人の私を救ってくださってありがとう。

貴方の愛を全ての人と分かち合えますように。
 
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11月 25日 月曜日 のち

フィリポとエチオピアの宦官

使徒言行録 / 8章 26節

さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。
フィリポはすぐ出かけて行った。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、
帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。
すると、“霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。
フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。
宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。
彼が朗読していた聖書の個所はこれである。

「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、/口を開かない。
卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」

宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」

そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。

道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」
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ルサレムのユダヤ人はサマリヤの人たちを軽蔑していた。というのはサマリヤの人たちは、偶像礼拝をする他民族と結婚し、純粋なユダヤ人ではなかったからだ。

フィリッポが出会ったエチオピアの宦官は人種的にだけではなく、性的にも偏見されてた。宦官とは男性としての機能を棄てる代わりに位の高い女性に近付く人だったからだ。この人は、高学歴でしかも求道者だったようだ。彼はエルサレムに礼拝に行く途中イザヤの預言書を読んでいたとき、フィリッポに出会った。

フィリポは聖霊の導かれ、宦官に福音を知らせた。

イエスの福音をきくと直ぐに、宦官は言った。

「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」
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夕拝の説教で、二つのことを確信した。
一つは、「何人であろうが関係ない。求める者を主は聖霊によって導いてくださり、御言葉と状況が一致するとき、救ってくださる。」2つは、「洗礼を受けた者は主の御手にある。」ことだ。

心の中から新しい泉が湧いてくるように、私の霊は、強く励まされた。

「娘がイエスを信じて洗礼をうけたということは、彼女の人生神様の御手にあるということだ。」という確信が与えられたからだ。

彼女は中学生のとき、イエスを自分の主と告白し、洗礼を受けたのだから何も心配することはない。

久しぶりに心に平安が戻った。

いったん、主を受け入れ洗礼を受けたものを主は決して見放さないのだから。

主に感謝

ハレルヤ!
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11月 24日 日曜日 のち

罪の深さ

今日のデイボーションから

マルコによる福音書 / 4章 19節
この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない。
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神から目を話してしまうとき、2つの理由がある。

1つはこの世の欲望。もう1つは、人に不公平に扱われたくないという気持ちだ。

聖アウガステインは、「神様、自分を守ろうとする気持ちから解放してください」と祈った。

自分のことを説明しようとしたり、理解してもらいたいと努力する必要はない。イエスは、何も説明なさらなかった、
他の人の誤解は自然になおるように放っておかれた。

他の人の霊的な成長を気にしたり、批判するのは私達に与えられた仕事ではない。

祈ることだけだ。

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夕べ主人と話して、彼が、「私達は、罪びとで、罪という海の中を泳いでいるようなものだね。」とふっと言った。

世の中では「人間はもともと悪い人はいない。」とか「努力すればどうにかなる」という。つい、こんな嘘を信じたくなることがあるけど、実は、私達は、本当にどうしようもない罪人なのだ。
テクノロジーが発達して、賢くなったかのように思える人間は全然変わっていない。
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だから罪のないイエスが十字架にかかる必要があった。病気で汚れた血ではなく、純粋で、清い血によって私達は救われた。

なんという憐れみだろう!

私達が罪びとであったとき、主は私達のために死んでくださった。

どうか、貴方の愛を罪びとに、伝えられますように。

ハレルヤ

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11月 23日 土曜日 のち

詩編 / 1編 1節

いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず
主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。
その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
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去年の夏、ユタ州に行った。7月後半で、真夏だった。

ワシントン州から、カリフォルニア州に行って、それからネバダ州を通ってユタ州に行った。1泊2日かかった。Books on tapeをバーンズアンドノーベル書店で買って、それを聞きながら、主人と二人での旅行だった。4冊聴き終えた。

美しい常緑のワシントン州から真っ青のカリフォルニア州の空、そして、ネバダ州に入ると、砂漠。なんにもない。同じ景色を7時間車をとばした後、ユタ州につく。オーブンで体が焼かれているような気持ちになるほど暑かった。エアコンの効いた車から一歩出ると、あまりの暑さと、日射線の強さに目がくらくらっとした。

ユタ州はモルモン教の人たちが迫害にあって、逃げて確立したと言われるが、あそこには誰も追っかけてこないだろうと思う。緯度が高くて、夏は、暑く、冬は寒く、ほとんど何にも育たない。

帰り道で、ふたたび険しい自然を超えて、カリフォルニア州に戻ったとき、何故、ロスアンジェルス(天使の町)と名づけたのかわかるような気がした。

さわやかなカリフォルニア州をとおって、ワシントン州西部につくと予想通り雨だった。(ワシントン州は東と西で全然気候が違う。東は、砂漠気候。)

この雨のおかげでワシントンの西部の空気がきれいで、緑が美しい。
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詩篇1を読むと、なんだかこのことを思い出す。

主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。
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きのう次女の人生で悲しい出来事があった事を知った。自分の人生で悲しいことがおこるのと、娘の人生で悲しいことがおこるのとはちがう。

なんというか、できれば、悲しいことに出くわさないでいつもいいことがあって欲しいと思う。

だから、悲しい顔をした娘を見る時心が痛む。

自分の無力感を感じて辛い。

ところが昨日は朝BSFに行って、祈りの態勢だったので、不思議と絶望感はなかった。

すこし問題が明確に見えて、彼女のためにどうやって祈ってあげたらいいのかわかったような気がした。

神様に感謝
 
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11月 22日 金曜日 のち

霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。
ガラテヤの信徒への手紙 / 5章 22節 ~23節
これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。
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今日はBSFの日だった。リーダーのキャンデイさんは、弟さんがどのようにしてイエス様を受け入れたか話してくださった。

弟のDさんは、40歳にしてシリコン・バリーでとても成功した人だ。大邸宅、スポーツカー数台、個人用のジェット飛行機と、物質的に恵まれていた。

或る日、トイレが、壊れて修理屋を頼んだ。プラマーは修理が終わったあと、トイレのふたの上にパンフレットを残した。
Dさんは何の気なしにそのパンフレットを、新車のベンツの中にほおっておいた。或る日、信号が変わるのを待っていたとき、彼はふと、乗車席に置いてあったパンフレットに気付いて、読み始めた。

そこには、「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。」とあった。

Dさんの目は涙でにじんだ。

そして神様に「自分に人生に欠けているのはこれです。神様、僕に愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制を与えてください。」と祈って、イエスを受け入れた。

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パンフレット一枚で、主を受け入れたのは、その時期だったからなのだろう。

伝道は、その人と個人的な関係を築いてからと思っていたが、このように主に従ってパンフレットやトラクトを配るとき、聖霊が、導いてくださるのだ。

経済的に豊かなDさんは霊的に渇いていたのだから。
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昔、路傍伝道やコーヒーハウスミニストリーをしたことがある。

でも最近は全然していない。

この人の働きのおかげで、1人神の子が増えた。さぞ天使達は、喜んだことだろう。
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私達に与えられた望みを1人でも多くの人と分かち合おう。

シャイでいる場合ではない。

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ヘブライ人への手紙 / 6章 19節

わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。
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ハレルヤ

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11月 21日 木曜日 のち

Frank B. Minirth, M.D.とPaul MeierM.D

掲示板で、はちこさんがPaul Meierの話をして、なんだかすごく懐かしくなった。

10年以上前、私はFrank B. Minirth, M.D.とPaul MeierM.D共著の本を何冊か必死になって読んだことがある。この2人は医者であり、神学校で学んだ人たちだ。本はとてもわかりやすく、普通の人でも理解できる。本当の博識者ってコミュニケーション・スキルに優れてるよね。Recovery Bible という依存症の人のための聖書も読んだ。

Paul Meier自身、4人の子供の一番下の娘が14歳のとき家出するという苦しい体験をした。アメリカで女の子が家出をするのは、日本より、何十倍も怖い。
毎晩、どこかで家出少女が殺される。行方のわからない娘をもつ親の気持ちは想像を絶する。いろいろ苦しみを克服して、今では、学校に戻って、2つ博士号をとっているそうだ。
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母との絆がきちんと確立せず育った私は、愛されることが苦手だった。傷つかないためには心を開かないのが一番だと思い込んで長い間、主人の愛を受け入れられず、ちょっとしたことで怒りが爆発した。

今思うと主人はさぞびっくりしたと思う。彼の家族は、とても静かな家族で一度も声を上げたことのない家族なのに、結婚した(それもやまとなでしこだと勘違いしていた)相手が、ヒステリーを起こす。

彼の家族も問題がなかったわけではない。なぜかというと貝のごとく口を閉ざしてしまうからだ。

こうして、2つのdysfunctionalな家族から独立した主人と私は家族を築いた。

Frank Minirthの本を読んだとき、「私を幸せにしてくれるのは主人ではなく自分だ。」と学んで、目から鱗が落ちた。

怒りも自分がコントロールすることを学んだ。

Nobody makes me mad.
I have a choice whether to get angry or not.

Frank B. Minirth, M.D.とPaul MeierM.Dがはじめたnew life clinicは家の近くにもある。

できればあそこのカウンセラーになりたいな。
どんな資格がいるんだろう?
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神様なしでは、この結婚は最初から生き延びるチャンスはなかった。とうの昔に死んでいただろう。
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ヨハネによる福音書 / 6章 63節
命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
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神様ありがとう。

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11月 20日 水曜日 のち

試練のほうが、信仰を強めるのかもしれない...

エレミヤ書 / 32章 2節
預言者エレミヤは、ユダの王の宮殿にある獄舎に拘留されていた。

エレミヤ書 / 32章 17節
「ああ、主なる神よ、あなたは大いなる力を振るい、腕を伸ばして天と地を造られました。あなたの御力の及ばない事は何一つありません。あなたは恵みを幾千代に及ぼし、父祖の罪を子孫の身に報いられます。大いなる神、力ある神、その御名は万軍の主。
その謀は偉大であり、御業は力強い。あなたの目は人の歩みをすべて御覧になり、各人の道、行いの実りに応じて報いられます。
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エレミヤは牢獄の中で主を賛美した。
パウロも牢獄の中で主の名をあがめた。

信仰生活では、人生がスムーズにいっているときほど、主のことを忘れがちになるのかもしれない。自分の信仰生活を振り返ってみても、苦しい試練に遭ったとき、主に泣いてすがって、愛する主は憐れんで豊かな慰めを与えてくださった。

それなのに、主が、私の祈りに答えてくださると、まるで、それが当たり前かのように感謝も忘れて不平を言ったりした。(ぜんぜん可愛くない。)

愛読しているえでんさんのHPにも、

<一般に社会で、絶望は良くないことだと思われているので、できるだけ絶望の感情を避けようとする傾向があるが、絶望こそは神から与えられた成長の機会ととらえ、絶望をしっかりと受け止め、体験することが成長につながる。
とある。

いま苦しみのどん底にいる人のために
私にできることは祈ることだけだ。

どうか主が貴方と共にいて慰めてくれますように。

p.s.もし、このHP読んでたらお電話かイーメイルください。

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11月 19日 火曜日 のち

あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせよう

コリントの信徒への手紙二 / 10章 5節
神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ、

健康をたもつために、栄養のあるものをたべるように、霊的な健康を保つためにも害のあるものを避けたほうが良い。

最近私の周りでは暗いニュースが多い。

夕べもお友達から電話で、彼女の義兄が病で亡くなったそうだ。クリスチャンなので、本人は痛みから解放され、天国にいかれたのだから、素晴らしいが、家族は悲しみに打ちひしがれている。

奥さんは脳腫瘍で放射治療をしている最中で、ずいぶん体がよわっている。それなのに、今住んでいるローマから、アメリカのアトランタに飛んで、葬式の手配などしなくてはならない。

友達が泣きながら、「1ヶ月仕事から休みを頂きたい。と言ったら、ついこの間取ったばかりだから駄目だと言われた。金持ちならこんな仕事今すぐにでもやめる!」とすごいけんまくだった。

いつも穏やかな友達の言葉に私までかなり揺られ、ただ、話を聞くだけだった。

それにしても子供達は、辛いだろうと思う。お父さんがそこまで、悪化していたことを知らなかったので、アメリカの大学に通っていた。最後のサヨナラも言えなかった。どうか彼らが、survivor’s guiltに苦しみませんように。

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ガラテヤの信徒への手紙 / 2章 20節
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。
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人生の秋、冬に差し掛かると、暗い話が多いとはいえ、信仰に生きる人には希望がある。

Shinoサンの日記にあったようにアブラハムの人生は75歳からはじまったようなものだし、モーゼだって80歳から始まったようなものだ。

40代50代なんてひよこだ。

最近夜寝る前11時のニュースを聞かなくなって、悪い夢も見なくなった。

人生短いのだから、あらゆる思惑を捕まえて、イエスに捧げよう。

主が、私達を、解放してくださるのだから。

ハレルヤ
感謝です。

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11月 18日 月曜日 のち

イエスの名に力がある

娘達の仕事のスケジュールのため、日曜日朝ご飯をたべにくる(普通は夕ご飯を食べに来る)というので、久しぶり、土曜日の夕拝に出た。日曜日と違って自由な雰囲気でワーシップも素晴らしかった。
歌っているうちに涙が堰を切ったように出てきた。全ていやなこと、苦しんでいることを主に捧げた後、感謝の気持ちで一杯になった。親友のジョーさんを去年癌で亡くしたことを初めて神様に感謝した。彼女の死を通して、私は人生で最も大切なことは信仰、愛と希望だと学んだ。神様ありがとう。

説教も素晴らしかった。ジム牧師はバージニア州から帰ったばかりというのに、疲れも見せず、聖霊に満ちたお話だった。
それは「イエスの名に力がある。」と言うメーセージだった。
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使徒言行録 / 5章 28節
「あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいたではないか。それなのに、お前たちはエルサレム中に自分の教えを広め、あの男の血を流した責任を我々に負わせようとしている。」
ペトロとほかの使徒たちは答えた。「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。

40:使徒言行録 / 5章 40節
使徒たちを呼び入れて鞭で打ち、イエスの名によって話してはならないと命じたうえ、釈放した。
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イエスが昇天後、300年間いわゆる教会という建物はなかったのにもかかわらず、福音の宣教振りは最もすぐれていた。家庭集会をもち、人々にイエスについて説教した。
ジム牧師は、家庭でイエス様を教えることやあがめることの大切さ、人を家に招くことの大切さなどを話された。

そういえば、私も最近接待をしなくなったな。むかしは一ヶ月に一回くらい夕ご飯に呼んでいたのに...

私達の本当の霊的さは教会で奉仕することではなく、いかに家庭で、祈り、弟子作りに励むかだ...

本当の教会は、建物なんかじゃない。

今日娘達がやってくる。

接待を通して、イエス様をあがめることが出来ますように。

皆でそろって天国にいけますように アーメン

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11月 17日 日曜日 のち

人間の幸せ

毎日、はてなアンテナを使っていろんなクリスチャンのウエブサイトで日記を読んでいて、全く同じことを主が示してくださっているので驚くことがある。
同じ聖霊様なので、驚くほうがおかしいのだが、嬉しくてたまらない。

きょうもSycharさんのひとりごとをよんで、主が教えてくださったことが全く同じだった。

http://a.hatena.ne.jp/go?http://sycharnoidobe.hotspace.jp/hitorigoto.html20021117033848
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ルカによる福音書 / 2章 52節

イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。
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イエスは神だけではなく、人に愛された方だったのだ。

それはおそらく、神様は私達の心のニーズをご存知だったからだろう。

きのうの出来事で主は私にあることを教えてくださった。目から鱗が落ちた。

それは、海外在住している人にとっていかに友達が大切であるかということだった。(何故こんな当たり前のことに今まで気付かなかったのかしら???)
私としては大切にしていなかったわけではないけど、思いやりが足りなかった...

アメリカの結婚は、50%の離婚率という事実は、良く知られているが国際結婚の場合は90%だそうだ。
(私が以前聞いた数字では75%だったのにいつの間に15%も上がってしまったのだろう。)

私と主人は親戚がとおくに離れて暮らしているため、2人で家族を築き上げたし、引越しも多かったので、友達は、短期、家族は永遠と思ってきた。だから、家族で一緒にいる時間を作ったり絆を深める努力をしてきた。

ところが、まわりを見回すと私と同年齢で国際結婚した人の、ほとんどは離婚している。

日本を離れてアメリカで暮らしていくのに、家族がバラバラになったら、どんなに寂しいことだろう。といっても、子供がこちらで育ったのでほとんどの場合、日本には帰れない。

私は、自分の家族のことで精一杯で、友達を大切にしていなかった...例え、クリスチャンであっても(クリスチャンでなければなおさら)友達が欲しかったんだ...

それは、正論をいうひとではなく、ただ愚痴をきいてくれたり、ただ、そこに座っていてくれるだけでも良いのかもしれない。

もう少し、自分の周りで痛んでいる人や苦しんでいる人に目を向けなさいと主は教えてくれた。

伝道は、日常生活の中からだった...

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11月 16日 土曜日 のち

人間関係

コロサイの信徒への手紙 / 3章 3節
あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。
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今日のデボーションから

We tend to set up success in Christian work as our purpose, but our purpose should be to display the glory of God in human life, to live a life "hidden with Christ in God" in our everyday human conditions ( Colossians 3:3 ). Our human relationships are the very conditions in which the ideal life of God should be exhibited.
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今日人間関係ですごくいやなことがあったのでこのデボーションはぴったりだった。

私の霊的な成長は、教会でどのような仕事をしたかではなく、人との関係の中で、どのように、イエスの栄光が現れるかだ...

人間ってなんて、罪深いのだろう。
プライドが強くて、競争心に満ちて、嫉妬して...

特に海外に住んでいると日本人社会の狭さに閉口してしまうことがある。

でもその人間関係のひとつひとつを主は気にとめてくださっている。

というのは、そこに本当の意味の、redemptionが表れるのだから...

どこかで、「霊的バロメーターはどれだけ赦すかだ。」と書いてあったけど、今日聞いたことは、忘れよう。

そして明日からまた新しい一日を迎えよう。

主が、あなたの心も私の心も赦しと愛で満たしてくれますように。

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11月 15日 金曜日 のち

どこでパンを買えばよいだろうか?

ヨハネによる福音書 / 6章 5節

イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。
フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。
弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。
「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」

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イエスは、ご自身が群集に食べ物を与えるつもりでありながら、
フリポとアンドレに尋ねた。

「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいのだろうか?」

悲観的はフィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」

もうすこし楽観的なアンドリューは、「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」

と答えた。

イエスがおこなったいくつかの奇跡を見ていながら、フィリポもアンドレも現実をみて、問題の大きさに圧倒されていた。

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ウエブには書けないが、いまある問題を抱えている。その問題は長年の試練なのでもう考えるのがいやになって、神様に、早期解決を求めている。

ところがきのう、ある人のHPでこんな節を示された。

<問題がやってきても、その問題をまるで友人のように
> 受け入れましょう。
> なぜなら神はその問題を用いて、私達のうちに
> 働いてくださるからです。
>
> <被援助者が突然に元気になった時は、逆に注意が必要です。
> 被援助者は神様の望まれる、ゆっくりとした
> 忍耐を伴うプロセスを通っているでしょうか?
> もう苦しむのは嫌だと、安易な解決に逃避していないでしょうか?

主が問題に答えてくださるとき、どのような方法をとられ、いつ解決してくださるかは、私達の選択ではない。

私達の務めはただ主を信じることだ。

主を信じよう。

目を大きく見開いて、主のなさる業を、見逃さないように、信じて待ち望もう。




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