細木数子かわら版

2009/04/13(月)13:06

「お守り」part5

小説(24)

 深い眠りから覚めた真治は毎日がたまらないものになった。それは彼女への愛というよりはなんだか生きる希望を見出したようで、うまく救ってくれたような気持ちがいっぱいに胸にこみあげていた。幻想にいた頃感じた彼女との溝もどうやら違うものだったらしい。そういった経緯を愛する大切な人に伝えた。愛する人は感動して喜んだ。そういう人なのだ、私も会いたいとも言った。この人に間違いはなかった。  よくよくを考えると自分の考えすぎだったのかもしれない。自分が悲劇のヒーローぶって本当に悲劇であるのはあるいは彼女のほうだったかもしれない。そして満ち足りたと感じた自分はむしょうに自分が許せなくなった。そして今までの時間を少しでも埋めていこうと決めた、愛とは別の、ただ聖なるものを胸に。 「もうすぐ桜の季節だね」 「あら、本当、ね」 「覚えてる?あの日の花見」 「覚えてる、わ。本当に、あの日は、楽しかった」 「本当?」 「本当、よ。真治君は?楽しく、なかった?」 そう問われ、複雑な気持ちになった。あの日は、あの日に、自分はあの日から、さよなら、を言いたくて、ただ言いたくて、死から逃れて生きてきて。それがこういう再会を自分たちが選んで、そうして、今改めてさよならを口に出すことなんてするわけがなく、そんなことを考えて、踊り狂った過去を顧みて。 「あの日は、何だかよく踊ってて、よく酔ってて。正直何が何だか分からないままなんだ」 「そっか。私は、楽しかったなあ、ほら、あんな、生き生きした、真治君を、見れて」 「現実はそうじゃない言い方だね」 「いや、そうじゃ、なくて。本当に、あれから、随分、年とったね」 「まだ若いさ」 「ううん。少なくとも、私は、老いた。あのときから、私の時間は止まってるの」 「今も?」 「ううん、何だか、少し、動き始めた、みたい」 「そっか」 「あれから、何か、あった?真治君」 「うんいろいろ」 「好きな人できた?」 「うん」 「そっか、そうだよね。いいなあ」 「百合さんは?」 「私は全然。最後よ・・」 語尾がよく聞こえなかった。 「また元気になって恋しなきゃね」 「うん。もっと綺麗になりたい。自分を磨きたい」 「十分綺麗だよ」 「上手ね、真治君」 「そうじゃなくて本当に」 「今もそう?」 「うん」 「あのときもそう?」 「うん」 「あのときは、好きだった?」 「うん」 「今は?」 「・・・」 会話が止まった。 「ごめん、変なこと聞いて」 「ううん。でも、もしあのときのまま続いていたら本当に好きになってたかもしれない」 「まあ」 「本当に、そう、思うよ」 「まあ」 彼女はうれしそうに笑った。 「ねえ、花見、しようよ」 「そうだね、したいね」 「今からしよう、ね」 「え、今から?」 「そう、今から。ほら、妹も呼んで。今回は、邪魔が、入らないように、ね」 「わかった」 看護師の人に事情を説明し、準備を始めた。  春の歌を探し始めた。どんな歌が似合うだろう、どんなのがいいだろうかと巡らせた。有希さんを呼んだらすぐに来てくれた。彼女も大学生で自分と同じ大学に通っていた。再会の日からたまに大学で会うようになった。こんな風に彼女、百合さんとも過ごしたかったと思った。それを有希さんに伝えると、有希さんは悲しそうな顔をした。本当のことを知ってそうな顔をしていた。深くは聞かないように心掛けた。  病院の中庭には桜が一本咲いていた。そこにベンチがあって、ここならいいだろうということになった。ゆっくりと歩く彼女を支えベンチに座らせ、花見が始まった。 「桜、きれい、ね」 「本当だね。あのときと変わらない」 「こうやって、ここの桜は、毎年同じように咲いて、すぐに散って、また咲くのね」 「そうだね。でも全部が全部同じとは限らないよ。今年は咲かない実もあるんじゃない?」 「そっか。桜も、苦労、してるんだ、ね」 「ちょっとなにお姉ちゃん言ってるの。ほら、飲む?」 手渡したのは、お酒、ではなかった。 「まあ、今回は、ね」 「うん。俺も、さすがに病院でお酒はまずいし控えるよ」 「そう、ね。ああ、お酒、飲みたいな。強い?」 「ううんどうだろう。むしょうに飲みたくなったときにガンガン飲むかな」 「だめよ。お酒は、楽しんで、飲まなくちゃ」 彼女が母親のように一瞬見えた。こんな風になっても幹の部分はまだ生きていた。 「あれ、おもしろかった、ね」 「なに?」 「あれ、真治君の、踊り」 「えーなに?真治さん、踊るの?見たい、見たい」 「いや、踊らないよ。ほらあれはその場のノリみたいなものだったから」 「見たい、な」 「見たい見たい」 「・・・分かったよ」 6年ぶりに踊ったその踊りに二人は大いに笑い始めた。前のように酔いもなければ、一緒に踊ってくれる人もいない。そんな中を大人になった自分は踊った。狂いの踊り子を演じた道化の化身は成長した。 「真治さん、ごめん、ありがとう、笑いすぎてお腹痛い」 「こちとら必死でやってたんですけど、失礼な」 「テーマは、なに?」 「そうだね、希望」 「希望か、いい言葉」 彼女は静かに上を見上げた。もうどうなるでない現状を分かっているかのような悲しい目を見た。 「また見よう、ね、桜」 「うん来年も再来年も」 彼女と桜を見るのは、しかし今年で最後になった。 「もう長くはないんです」  彼女と再び会って、自分の生死を確認できて、けれど彼女の生死の選択はゆっくりと近づいてきた。それが最近お見舞いに行くたびに時折見受けられた。もう長くはない、そんなことははじめから何となくだが覚悟していた。 「分かっていたよ。だから余計に明るく振舞った」 妹の有希さんは涙を抑えるように病院の控え室でゆっくりと話し始めた。 「もう、本当に、本当は長くはないんです。6年前病気が発症したときから長くはないって伝えられていました。今日までもったのが不思議なくらいだそうで。本当に、ただあなたへの愛、それだけが支えでここまでやってこれたようなもので」 愛に国境はないように、愛は病気をときに乗り越えさせる。こうして生き延びたのが自分への愛だと知るとその間の自分の生き様を嘆かずにはいられなかった。彼女が思うほど自分は大した男ではない。彼女の愛を受け止められるだけの愛もなければ体もない。 「真治さんにお願いがあります。たった一つのお願い」 そう言うと有希さんは自分の手を取り涙をこらえて続けた。 「姉に、お姉ちゃんに、愛をあげてください」 予想通りの願いだった。しかし自分には愛する人がもう一人いた。その人に偽りを加えるというのか。 「真治さんに彼女がいるということは知っています。それでもそれは未来がある、姉には、お姉ちゃんにはもう未来はそんなにないんです。偽りでもいい、それでお姉ちゃんが少しでも元気でいてくれるなら、そんな愛は許されるものでしょう、お願い、お願いだから・・」 すぐには返事出来なかった。  それからしばらく考える日々が続いた。有希さんは最後に「恋愛同盟」と付け加えた。アカツキに見た光、電球のように輝いて見えて、とって変わって生まれた恋愛同盟―。 思い悩んだが愛する大事な人に当然相談した。愛する人は涙を抱えかまわないと返答した。それでも自分はもうひとつ踏ん切りがつかなかった。もし万が一その同盟を受け入れたとしてそれをまず本人に伝えるわけにはいかないし、それだけ自分が支え続けれるかが不安でならなかった。 そして6年間ずっと思い続けてくれた彼女に対する裏切りではないかという矛盾に襲われた。そんな甘い、軽いものではないということだけは明確に分かった。日々に追われる中での6年間と、ただベッドにいるだけの6年間の思いの思考の量は全く違う。下手をすれば一日の上で何十時間と想いを胸にいたときもあったかもしれない。それ故に、彼女が本当にそういう心境だったならば、自分は彼女のことがどうしても忘れることが出来ないでいたのかもしれない。それ故に自分は彼女のことで死まで考えてしまったのかもしれない。 想いは想いを乗せて必ず伝わる。その想いが純粋であればあるほど時間が止まったかのような彼女のひたすらな想いは気持ちがこもっている、年季が入っている。年月の重さを改めて思い知った。その日から彼女への往来をしばらくやめた。  素晴らしい日々の連続だと悟った時期からこうして人間は転がり落ちる。その転がりの行方は何処いずこ、真治は苦悩と闘っていた。その苦悩は長くは続かなかった。 連絡があった先に向かうとそこは修羅場と化していた。 「あっこっちです、真治さん」 相変わらずの丁寧語をやめない妹さんは悲愴の表情でこちらに招き入れた。電話があった。彼女が危ない、と。 「具合は?」 「分かりません。朝方、急に調子が悪くなって。こんなこと、最近なかったのに」 「僕がいけないんだ」 「え」 「僕が最近お見舞いに行かなくなったから」 自意識過剰だとは分かっていた。有希さんは黙って何も言わなくなった。 手術室の外の廊下は重々しい雰囲気に包まれた。自分だけじゃない、他にも彼女の両親も来ていた。彼女の兄弟には妹さんしかいなくて、妹さんとその両親と自分。何だか場違いな気がしてならなかった。  手術はなかなか終わらなかった。待っている間に夜がだんだん明けようとしていた。無意識にも眠気が少しずつどうしても誘ってきた。 「少し横になるといい」 彼女の父親が自分にそう言った。 「いえ、大丈夫です」 「そうか。君のことは、よく聞いている」 背筋が少し凍った。 「本当にありがとう」 何か怒られることを覚悟したから余計に意外だった。 「いえ、自分は、本当に何もしてません」 「そんなことはない。娘は、本当にあなたのことを想っていたんだ。私もよく聞いたものだよ、君のことを。始めはよく思わなかったが、笑うんだ、君の話になると。悔しいことだけれど、だから、」 「はい」 「お願いします、この通りだ。娘はきっと良くなる。そうなったらまた支えてやってくれ。何でもいい、ただ傍にいてやってくれ」 「はい」 同盟は静かに締結された。ここまで、頭を下げられてまで、それも親に、もう迷うことはなかった。何もない、こんな自分が必要とされている、その喜びというものは何物にも変えがたい、気持ちは静かに吹っ切れた。  気がつくと少し眠りに入っていた。はっとして起き上がると周りには人がいなかった。手術は終わったらしい。まさか。 「ああ、真治さん、早く」 朝の光が部屋に入り込んでいた、まぶしいくらいだった。恐る恐る近づくと鳥肌が立つのを覚えた。木漏れ日に包まれたような彼女がそこにはいた。綺麗だった。とても綺麗な顔をしていた。 「近くにいてやってくれ」 父親の言葉に小さく頷き、横たわる彼女の横に座り手を取った。眠りについた白雪姫は林檎を食べたらしい。その林檎には毒が入っていた。やがて眠りについた白雪姫はそれでもなお何かを求めようとした。そしてそのときに近くに誰かが。近くに誰かがいたほうがいい。そのほうが起きたとき安心して起きれる。そんなことを考えていた。  彼女が再びの目覚めを見るとき、辺りは暗くなっていた。病室に一人。 「真治、君?」 真治は眠っていた。なかなか起きようとはしない。ただすべてのことを彼女に捧げようと考えた代償か、これから始まる目の前のゲームに、苦し紛れの選択か、否、そんなことをゆっくりと考えて、眠りについていた。 「真治、君。いいの、そのまま、聞いて、高校の頃、覚えてる?」 彼女の語りかけにぼんやり目が覚めたような気がした。

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