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愛を分かち合いたい♪

愛を分かち合いたい♪

赤ちゃんの供養

5/30の日記より【やっぱり一人で抱え込めなかった・・】




我慢をしていたわけではない。

ただ、自分を保つので精一杯だった。

明るく笑顔で家族に接しているのだけで、いっぱいいっぱいだった。

でも、一人になる瞬間が怖かった。

お風呂・・おトイレ・・

そのたびに、こらえている何かが
溢れ出すかのように、涙がこぼれてくる。

でも、そんな私に気づいていた旦那さん。


旦「いいんだよ・・・


無理しないで・・・・」



子供たちが寝た後

旦那さんが私の手を握って言ってくれた。




その言葉が、私の心の箍を取った。

溢れ出して止まらなくなった。

大きな声で泣いた。

泣きながら、きっとなんて言っているかわからなかったと思うけど
色んなことを話した。

自分の気持ち、気づかないうちに失ってしまった赤ちゃんへの思い。

もし、私が子宮内膜症の治療をちゃんとしていたら。。

もし、私がまだ30代だったら。。

もし、私が風邪なんてひかないで基礎体温がちゃんと測れていたら。。

もし、私が精神科の薬を飲んでいなかったら。。

もし、私がもう少し早く病院に行っていたら。。

もし、私が妊娠したら困るなぁ~なんて一度も思わなかったら。。



ちゃんと育って、生まれてこれたかもしれない。



いつものように、旦那さんは何も言わずに
手を握って話を聞いてくれていた。

時々私の涙をティッシュで拭いてくれながら・・・。



旦「kazuminは優しいから・・

優しすぎるから・・

だから自分のせいにしちゃうんだね。

でも、それも今日までだよ。

自分のせいにするのは・・。
もし・・って考えるのも・・。


来月中に鎌倉の○○に行こう!
お地蔵さんを作ってもらおう!

そうすれば、抱きしめてあげられるし
供養もできるよ。
2年間、ずっとまつられているんだよ。
その後は、天国で俺たち家族を見守ってくれているんだって。

そうしよう!」


いつの間にか調べたんだろう・・・。

嬉しかった・・


本当に嬉しかった・・。

抱きしめてあげれなかった事が
愛おしいと思う瞬間もなかった事が辛く悲しいって事を

わかってくれたんだ・・・


男の人にはわからない・・・なんて決め付けて
何も気持ちを話さないでいた自分が
愚かに思えた。

まだ細胞の状態で、「命」と呼べないと医師は言っていたけど

私たち夫婦にとっては、大事な4人目の子供だった。

それがはっきりしたら、
心が頭をあげてくれたような気がする。

水子地蔵なんて、あまりよく知らないけど、
形にしてしまったら、もっと悲しい気持ちになるかも知れないけど

でも、この悲しみを乗り越えるには必要なことのような気がする。

旦那さんの言うとおり、

来月、行ってみようと思う。

旦那さんに話さないでおこうと思った色々な気持ちは

やっぱり一人では抱え込めるものではなかった。。。。

旦那さんはわかってくれたし、もっと早く飛び込んでしまえばよかった。

弱いくせに強がりな自分・・・

旦那さんに心配かけたくないと思っていても
まったく逆だった。
かえって心配をかけていた・・。

そういうことを、私は

亡くなった赤ちゃんに教えられたんだね。







子供たちには話さないでおいたほうがいいのか・・
それがまだわからない。



6/13の日記より【供養できなかった・・】




今日、旦那さんが約束してくれた鎌倉に<行ってきました。

でも、・・・


供養できませんでした・・・


できなかったというより、しなかったと言った方が正しいかな・・。



今はショックで、


気持ちがへこんだまま、胸が痛いです。



ただ、

旦那さんが私に一言もなしに、流産のことを義母に話していたことは

話し合えることができて、

それはそれで解決しました。




でも、供養できなかったことが


悲しい・・・


鎌倉まで行って、


何もできずに帰ってきました。



泣きたい気持ちをこらえるのがやっとです・・・・


明日、気持ちが落ち着いたら、

今日のことを書きますね・・・。



6/14の日記【供養できなかった経緯】



少し落ち着いたので心の整理をつけるためにも、

昨日、鎌倉まで行って何もできずに帰ってきた事を日記に書いていきたいと思います。


そこは。。。全国でも有名なお寺です。

私は、旦那さんが調べてくれたその場所に

二人で行くことを楽しみにしていました。

赤ちゃんを供養できること・・・

そして、私自身が悲しみを乗り越えられること・・

きっと全てがうまく行くと信じていました。


鎌倉まで車で1時間半くらいでした。

駐車場から、賑わう鎌倉の町を歩いて

そのお寺の入り口にたどり着きました。

入山料を払う受付で、旦那さんが

旦「水子供養をしたいのですが、

どうすればいいでしょうか?」


と聞いてくれました。

受付の人は



事務的に


受「入山料を払っていただいて

本堂で受付してください」


と案内状をくれました。


入山し、山道を歩いていると

綺麗な花々や木々に

私「あー、こんなに綺麗な場所なら

赤ちゃんも気持ちいいだろうね・・・」


と思うほど、綺麗で素敵なところでした。

山道を登っている途中に、


たくさんの小さなお地蔵さんが並んでいるところがありました。

そこは、大きなお地蔵さんを囲むように
水辺に何百体ものお地蔵さんが静かにたたずんでいて

周りにはたくさんのお花とろうそくとお線香が供えてありました。



ここなんだね・・・



旦那さんの目が私に言いました。

私もその場所から動けなくなるほど、その美しさと
癒されているであろう赤ちゃんたちの魂を感じました。


本堂まで、歩いているときは

ここで供養できる安心感でいっぱいになりました。


本堂に着くと、そこは人でごった返していました。

修学旅行生、観光客、遠足・・・

私は

毎日こんなに賑やかなら、赤ちゃんも寂しくないな・・

と、また安心しました。



本堂の受付で、まだ旦那さんが


旦「水子供養をしたいのですが・・・」

と、尋ねると

受付の人が

事務的に

受「あちらに、受付がありますので。」


そっちの方へ行ってみると

その受付の人が

受「まず、お地蔵さんをそちらで選んでいただいて、

お金を払っていただいて、

ご両親のお名前をこちらにかいてください。


明日、お経をあげて、お地蔵さんを所定の場所に設置します。

毎日お経をあげさせていただきます。」




旦「あの・・明日・・ですか??


私たちは立ち合えないんですか?」




受「・・・( ̄、 ̄)


立ち合えません。


どうしてもというなら、特別に2万円で

お経をあげることもできます。


でも、お地蔵さんは関係ないので、

お経のみとなります。」



旦「あの・・じゃ・・後日お地蔵さんのところに来て、お線香をあげることはできますか?」



受「なんで、そうお地蔵さんを探し回ることを

したがるんですかね!!(`m´#)

お地蔵さんは子供じゃないんですよ!

天国と子供の橋渡しの役目なんですから、

わざわざ探さなくても、ちゃんと毎日お経をあげますから!!!」




突然声を荒げて怒り始めた受付の男の人・・・。


私たちは、ただ、一緒に供養の場にいたいと思っただけなのに。。。


何がいけないというのだろう。


きっとこの人も一日に何十人にも同じ話をして、同じ事を聞かれて
へきへきとしているんだろうけど、

私たちにとっては、まったく初めてのことだし

赤ちゃんを供養したいと言う気持ちをもっているだけなのに、

何かと言うと、

お金!


お地蔵さんに2万円、お花代にお線香代にろうそく代・・・


そんなこと聞いてるんじゃない!!

私たちは、赤ちゃんが供養されることを望んでいるだけなのに・・・

流産してから、赤ちゃんがいたことに気づき、

一度も愛おしいと感じないまま・・


一度も抱きしめてあげれないまま


天使になってしまった赤ちゃんに

せめて、できることを・・・・


影も形もない、お骨も位牌もお墓も何もない・・

手を合わせる場所もない・・・

だから、

お地蔵さんに向かいたかった。

ただの自己満足かもしれない・・

でも、お地蔵さんを作ってもらえると聞いて

わざわざ鎌倉にやってきたのだから・・

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旦那さんは、最後に


旦「じゃあ、どれが自分たちのお地蔵さんかは

わからないし、教えてももらえないんですか?

ここで、今日、お金を払ってお終いなんですか?」



と聞いてくれました。

答えは、

想像以上に辛いものでした。


受「だから!!


なんでそんな事を言うんですか??

ちゃんと毎日お経をあげるって言ってるじゃないですか!!


あなたたちがお地蔵さんをどうしたいのかわかりませんが


どうせ、何もできないんですよ!


供養と言うものをしらなすぎるね!!」



旦那さんは、涙ぐんでそばで聞いていた私の手をつかんで


旦「帰ろう^^」


と言いました。


私も同感でした。


確かに素敵な大自然の中で、供養されていたお地蔵さんたちがいました。

でも、その男の人に

私たちの赤ちゃんの供養をゆだねることは

どうしてもできませんでした。



間違っているかもしれない・・・

私たちのためではなく、赤ちゃんのためなのに。。

でも、旦那さんの気持ちも同じだったので

そのお寺を下山したのです。

その後の話は長くなるので、明日に続きます。



6/15の日記【続 供養できなかった経緯】




昨日、月曜日に天国の赤ちゃんを供養したくて

鎌倉まで行ったのに何もできずに帰ってきた事を日記に書きました。


今日はその後のお話を書きたいと思います。


受付の人の心無い対応にショックを受けた私は、

人目もはばからず泣きながら本堂を出ました。

そしてすぐ横の展望台で海を眺めながら泣きました。


「こんな素敵なところなのに・・」


旦那さんは、何も言わずにそばにいてくれました。


しばらくして


旦「海でも行ってみようか。」


と、下山をうながしてくれました。


途中、行きで見つけた水子供養の場所に立ち寄り
お金を出してろうそくとお線香を買い、
ここにいる天使ちゃんの魂が幸せになれるように手を合わせてきました。


海の見えるレストランで、

私はやっと涙がとまったので

私「海に二人できたのなんて、

何年ぶりかだろう・・・ね。

赤ちゃんが私たち二人にデートをプレゼントしてくれたのかもね。」



旦那さんは、うん、うん、とうなずいていました。


そして




流産したことも、

今日供養できなかったことも、悲しいことだけど、

二人で鎌倉の海を眺められることは幸せに思うと言ってくれました。


そして、義母に流産のことを話した理由を聞いてみました。

やっぱり、いつもいつも義母から電話があることを知っていた旦那さんは
私が少しでも気が休まるようにと

義母に電話をしないようにと言っていたそうです。
そして、大ばあちゃんが入院して

「まだkazuminは具合が悪いの?」とひつこく聞いてきたので

仕方なく流産して体調が悪いんだと言ったそうです。


でも、それならそうと私に言って欲しかった
言うと

話さないでおこうと思ったわけではなく、
話そびれていたらしいです。

お互い、気持ちがわかり

おいしくお昼を食べ、

レストランのまん前の浜辺へ

裸足で降りていきました。

何も話さず、ただ裸足で波打ち際を歩き

時折、貝殻をひろって・・・・

帰り際に旦那さんが

旦「必ず、俺たちが納得できる供養をしようね。」


帰宅後、浜辺で拾った桜貝をお皿に飾って
庭の花と水を供えて

キッチンの窓辺に置きました。↓

鎌倉貝殻供養
私なりの供養です。

旦那さんも手を合わせてくれました。

変かもしれないけど・・ちゃんとした供養ができるまで

私なりにできることをしたいと思っています。

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今日は、お仕事で、とても疲れました・・。

でも、、天使のような赤ちゃんのお世話

私の心を癒してくれました。

皆さん、心のこもった優しいコメントをありがとうございます。

供養について、もっと旦那さんと話し合って
探したり、調べたりしながら

私たちなりの・・・納得のいく供養に出会えるように
頑張りたいです。






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