小説・琴姫さくら

琴姫さくら

「勇太、あんたねぇ今日は怪我せんように気ぃつけてや」
「わかっとるって、そう毎日怪我してたまるかってんだ。へへへ」
「それならいいけど…」サチは不安そうに首をかしげた。
「よし、ついた。いつもの場所だ。おいらは、そうだな。今日はあっちの方」
勇太はそう言い捨てると、草むらをかぎ分けてどんどん奥の方に進んでいった。
「姉ちゃは心配しすぎるぜ。だからろくなもんが採れないんだ。食えるもん採ろうとしたらほかの人が行けない場所でないとな」
 木の幹にくくり付けた縄をつたって崖下についた
勇太は、そこに倒れている男、正助を見つけた。
勇太は、手に持った枝で、正助の身体をチョンチョンと突付いてみた。枝を振り払うように、正助の手が動いた。

「姉ちゃ、姉ちゃ、ちょっと」
「何?」
サチが顔を上げると、勇太ともう一人の姿があった。
「誰、その人」
「そこに倒れてたんだ。この前の戦の時、この山に迷い込んだんだって」
「面目ない。つい腹が減って倒れているところを、助かりました」
 サチは疑い深そうな目で、正助の姿を上から下まで見た。
「ふーん。で、どっち?」
「どっちと言うのは、はて」
「敵か味方かって意味だよ。おじさん」
「そう聞かれると、弱ったなぁ。どちらでもないと答えるしかないなぁ。あ、いや、戦が始まるまでは確かにアチラ側だっだが…、それが嫌で逃げ出したんだ」
「じゃぁ味方だ」勇太が嬉しそうな声をだす。
「あ、いや…」
「アッチが嫌で逃げ出したんなら、コッチの味方だ」
「勇太っ」サチが軽くたしなめ、正助の顔を睨みつける。
「じゃぁ、おじさんは戦はしてないのね。そう、良かった」
「「そうだよ。ここの山神様ぁ、争いごとを嫌うからなぁ」
「はぁ、やまがみさま、と申すと…」
「山神様は、山神様。この琴姫山の神様さ」
勇太が、そんな事もわからないのかと、少し小馬鹿にした口調で教える。
「ところでおじさん、これからどうする?。ここから山ぁ下りたらお侍がいっぱいいるよ」
「それは…」考え込む正助。
「山ん中を通ってずっと逃げればいい。山の向こう側まで行くと小さな村があるから、そこまで逃げればいい」
「そうだよ。姉ちゃの言う通りだ。村に来ているお侍たちに見つかったら、どうなるかわかんないもんな」
 正助の顔が明るくなる。
「じゃぁ勇太、あんたはこの先の山小屋まで、おじさんを案内していって。わたしは家から何か食べ物を取ってくるから」
「あれぇ、家に食べ物あったかなぁ」
「こら、勇太」
「へへへっ、おいらが後でとっておきの茸、採ってきてやるよ。それから庄屋さん処に行って、米でもお金でも、たくさん換えてもらうさ。やっぱりオイラ、頼りになるだろっ」

日が沈みかけ、うす暗くなった山道をサチと勇太はやや足早に歩いていた。背中には風呂敷包みを背負っている。しばらくして一人の侍が二人に追いついてきた。
「おーい、待てぇ」
 侍は、すぐに二人に追いついてきた。
「何だい。おいらたちに何か用かい?」
 勇太がとぼけて訊ねた。侍はハァハァという荒い息を整えてから、
「おい、小僧ら。こんな山の中にどんな用があるんだ」
「山菜採りだ」
「さ、さんさいとりだとぅ。ふざけるなっ」
「じゃぁ、何だってんだい」
「その風呂敷ん中、握り飯だろっ」
 勇太は一瞬、言葉に詰まった。侍がニヤリとうす笑いを浮かべる。
「あ、ああ、この握り飯は、おいらたちが食べる分だ」
「ほほ―う、だがお前ら二人分にしちゃぁ、ちと多過ぎるんじゃないか。それにもうすぐ日も暮れる」
 侍は、サチの襟首をぐいっとつかんで逃げられないようにした。
「さぁ、小僧。たぶんこの先に山小屋かなんか有るんだろう。そこに案内しな。誰がいるんだろ。その握り飯を待ってる奴がなっ」

正助が山小屋の中で横になって身体を休めていると、勇太が飛び込んで来る。
「おじさんっ、姉ちゃが、姉ちゃが」そう言って、正助の手をぐいぐいと引っ張る。
「どうした。何があった」
「そこで侍に捕まって…」

「ほほう、大将首を期待してたんだが、ただの雑兵か…。まぁいい、しょっ引いていけば今晩の酒代ぐらいにはなるじゃろう。さ、観念しな」
 正助は少しためらったが、
「わかった。おまえの言うとおりにする。だから、その娘っ子は放してやれ」
 侍は、正助の顔をまじまじと見つめ、威嚇するように首をごきごきと振ってから、口を開いた。
「いやだね」ぐいっとサチを掴まえている手首に力をこめる。
「おいっ…」
「へへん、こいつらもてめえを匿った以上は同罪だ。逃がすわけにゃぁいかねえ」
 侍は、刀の柄に手をやり、スラリと抜いた。
「さ、来なっ」
刀を握った手で、手招きする。
「姉ちゃ」
前に出ようとする勇太をかばうように後ろに押し戻し、正助は、ゆっくりと歩を進めた。
正助が一歩前に出ると、侍が一歩後ずさりする。
「ええい、イライラする。お前らが前ぇ歩け」
 侍の指示通り、両者が場所を入れ替わろうとしたその時、侍の足元がすべり、体勢が崩れた。掴まえていた手が緩んだ隙を逃さず、サチは逃げ出した。
「ちぃっ、逃がすかぁ」
 サチの背中すれすれに、刀が振り下ろされた。
「あぶないっ」
 サチが身をかわすのと同時に、正助が侍に体当たりを仕掛けた。
「うわっ」
 横からの不意打ちをくらった侍は、そのまま崖下に転げ落ちていく。

「ちくしょうぅ、ちくしょう」侍は、血と泥にまみれたまま手探りで上に登ろうとするが、上手くいかない。
 しばらく試みていたが、やがてあきらめ、
「くそっ、おぼえてやがれっ」そう言い捨て、川下へと立ち去っていった。
 崖の上から、正助たち三人は呆然としてその様子を見ていた。
「さて、どうする?」正助が聞いた。
「あのお侍、半刻もすれば村につくだろうな…」
「そうね、それから村は大騒ぎ。だからわたしたち、もう村には戻れない…、勇太、わたしたちも行くよっ」
「どこにさ」
「山の向こうに」
      
 山は深い霧に包まれている。
 峠の中ほどに手頃な窪みを見つけた三人は、
 そこでひとときの眠りをとった。

 勇太は夢を見た。
 夢の中でも、勇太は眠っていた。
 母の膝を枕にして、幼い勇太は眠っていた。

 ヒューヒューと、風が音をたてる。
 風が強まり、その音は怒るように鳴る。
 風は砂を削り、岩をも動かした。

 岩は、ゆっくりと動きだし、下へと、
 ちょうど三人が身を寄せている窪みに向って、
 岩はその速度を増し、勢いを強めた。

「どしーん」と強い音が響き、振動が伝わった。
岩は、窪みの真上にある巨木に、
その行く手を阻まれた。

風が巨木にまとわりつくように舞った。
「なぜ…、なぜ我の邪魔をした…」
 巨木の葉がざわめく。
「なぜ、彼らを害そうとされるのです」
 風が唸る。
「彼らは人間、その本性を我は嫌う」
 巨木の枝がそよぐ。
「あの二人は、私たちの元で生まれ…育った。貴方もあの二人のことは、気にかけていらした」
風がゆらぐ。
「だが、あの男は…、山を汚した…汚す…」
巨木の葉がささやく。
「あの二人は、あの男を受け入れました…。それは…」
風が震える。
「わからぬ…、わからぬ…。それが何故か…わからぬ」

「勇太、勇太」
「うーん、かあちゃ…」
 サチは寝ている勇太の頬っぺたをぎゅーッとつねった。
「いてっ…」目を開けて「なんだ、姉ちゃか…」
 サチはもう一度、勇太の頬っぺたをつねる。
「さ、目は覚めたかい」
「ああ」勇太は、ぷぅーとふくれっつらになる。
「よぉーし、お昼までに山の向こうまでいくよッ」
「うん、……、あれっ、おじ…、正助さんは?」
サチはひょいと上を指し示す。
「勇太が寝ている時に、上でおっきな音がしたんだ。気になるから見てくるってさ」
 その頃、正助は崖上で、怪我をしている一人の女性の介抱をしていた。
「それにしても、こんな山奥まで入っているのはわしらだけだと思っていたが…、貴女は?」
 女性は黙ってうつむいた。
 (はあ、まるで人とは思えねぇ。なんて美しい女性だろう。どこかのお姫さまかも…)
 正助は、しばし見とれていた。
 ふと気付くと、女性の方も、正助を見つめていた。
 そのことに気付いた正助の顔が、カァッと赤くなる。
「貴女ぁ、この下の村の人かえ?」
 女性は、静かに首を横に振った。
「じゃぁ、旅のお人かえ?」
 女性はまたも、横に首を振る。
(下の村のお人でもねぇ。旅のお人でもねぇ。ああ…そうか)
「あ、えーと、わしら、この山ぁ超えて、その先の村まで行くが、一緒に来るだか?」
 女性は、黙ってうなずいた。

 風が唸る。
 女性が一行に加わったことを怒るように。
 風が渦を巻く。
 誰かを山に押し止めようとするように。
 風の音が響く。
「行かせぬ。行かせぬ。行かせはせぬ」

 その日の太陽が沈むごろになっても、一行は山を抜けられなかった。どこで道に迷ったのかわからないが、そこは朝、彼らが出発した処だった。
「はぁー、ここ、朝と同じ場所だ…。おいらたち、ぐるっと回って同じ場所に帰ってきちゃったんだ」
 勇太はそう言って、ペタリと地面にしゃがみこんだ。
「まぁ、食い物はもう無いが、水はこの先に湧き水がある。一晩休んで、それからのことは明日考えればよい」
「そうね、そうするしかないわね。お姫さんもそれでいい?」
 サチの言葉に、女性は黙ってうなずいた。
 夜もふけ、月が雲に隠れると、あたりは漆黒の闇に包まれる。
 三人の同行者に気付かれないように、女性は静かに起き上がり、その場を離れる。

雲が動き、また月があたりを優しく照らす。昨夜の岩を止めた巨木のすぐそばに、女性の姿が浮かび上がり、またすぐに見えなくなる。
巨木の枝がそよぐ。
「なぜ、このような邪魔をなさるのです」
 風が起こる。
「この山の、いや、我等の掟だからだ」
「我等は、山を守るもの。山を離れてはいけぬ」
 枝がざわめく。
「では、あの子たちをほおっておけと…」
 風が弧を描くように舞う。
「そうではない。そうではないが…」
「そのために掟を破ることは出来ぬ」
「出来ぬ…」
「掟を破れば…」
「破れば…」
 風が撫でるようにそよぐ。
「そちは今日、人間の姿に化身した」
「しかし、声までは…」
「それは、何故かね」
「どうしてかね」
 その時、ガサリと葉ずれの音がした。
 風がピタリと止まる。
 そこには、正助の姿があった。
「人間だ」
「人間…」
「聞かれた…」
「知られた」
「人間に、我等のことを…」
「知られてはならぬ」 
 次の瞬間、無数の風が正助に襲いかかった。

「勇太、勇太・起きなッ」
「うーん、あれッ、姉ちゃ」勇太は眠そうに目をこすった。
「勇太、あの二人は?。」
「正助さんとお姫さまかい?。お姫さまぁこの山に住んでるんだって。で、正助さんは、お姫さまと一緒にいたいから、山の向こうへは、おいらたち二人だけで行けってさ」
「ふーん」
 遠くから、ワンワンと犬の鳴き声が聞こえてくる。
 勇太は起き上がると、鳴き声がした方に駆けていった。
 木々の隙間から、ふもとの村が垣間見える。
「ほら、見て。村が見えるよ」
 そう言って、勇太は首を傾げた。うん、夢なんかじゃぁなかった。そう思い込むことにする。
 昨夜の、夢ともうつつともわからぬ一刻を、勇太は思い浮かべた。
 仲睦まじそうに寄り添っている正助とお姫さま。勇太は、お姫さまの膝を枕にして二人を見つめ、二人の言葉に耳をかたむけていた。

  初出・周防文芸26号


 


















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