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ふらりかずたま ひとり言 

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2008年02月21日
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カテゴリ:旅行・山関係
今回の北海道旅行で、笑顔の素敵な、すばらしいガイドさんに出会いました。

ツアーに参加すると大抵はガイドさんが付いて、地元の名所を案内してくれます。地元でしか得られない情報を提供してくれるので、できるだけ居眠りしないように耳を澄ませています。
しかし、ガイドさんにも「なんだかなあ」と思ってしまう人が少なくありません。口調が気になる人、滑舌の良くない人、メリハリがなくて話がつまらない人、マンネリなのか無表情に説明を続ける人、塗り壁状態の厚化粧、思いきり不細工な人(これは、自分も醜男なので許容するしかない)…。

北海道で一期一会の出会いをしたガイドさんのうち、心に残る人が何人かいます。新人で、テキストを一生懸命読み説明してくれたガイドさん。たどたどしい説明、言い間違い、いろいろ失敗はあったけれど好感が持てました。千歳で別れの握手をしたら「ありがとうございました」と大泣きしていました。
また、早めに函館に行くためわたしたちがツアー離脱した時のガイドさん。チャーミングでしかも親身な人でした。空港で合流するはずだったのですが、函館の街で同社の観光バスに遭遇。ガイドさんが見つけてくれ、駆け寄ってバスに案内してくれました。などなど…素敵な(容姿だけではない)ガイドさんたちでした。

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本当は択捉島が日本最北端だが、現時点での日本領土の最北端は
宗谷岬の西北西にある無人の弁天島(写真右の小島)。最北端の銅像は間宮林蔵

今回お世話になった宗谷バスのガイドさんは別格です。ツアー2~3日目同行してくれたのは、自称・室井滋似の高橋美幸さん。歯切れのいい語り口調、たくみな話術。オーバーさも、わざとらしさもなく好感の持てる案内に引き込まれました。
高橋さんは、うちの母ちゃんと同い年。中学を出てバスガイドの世界へ飛び込み、以来30年間ガイド一筋の達人です。2人のお嬢さんを持ち、会社でも若手の教育担当をしているママさんガイド。ふるさと稚内をこよなく愛し、北海道を多くの人に楽しんでもらいたい! そんな情熱が感じられました。
今回の移動距離は2日目350キロ、3日目250キロを超えるロングラン。長い時間、わたしたちを退屈させず、かといって喋りすぎて疲れさせるようなこともなく、優しくわたしたちを巻き込んでいきます。車中は常に温かで和やかなムードに満ちていました。乗客全体が昼寝をして、そろそろ起こさなくてはいけないときも、ささやくような小声で「おはようございます」を2回ほど繰り返し、その後は明るい声で話し始めるという心憎いばかりの配慮をしてくれるのです。

稚内市内でなぜか細かい道の説明が始まったと思ったら「はい、今の道を右に入ったところがわたしの家です。お土産を持ってきてくださった方には、お茶などお出しします」。バスの中は大爆笑です。
見知らぬ人ばかりのバスツアーで、久しぶりに一体感が味わえました。「宗谷の岬」「カチューシャ」など一緒に歌う。「ロシア語講座」と言ってロシア語でのあいさつをみんなで練習、北海道難読地名クイズ…。すっかり高橋さんのペースです。

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宗谷では何でも日本最北端。写真には最北の宗谷灯台ほか
信号機も、土産物店も、高台の宗谷公園と記念碑も

乗客のことが良く分かっているのでしょう。例えば、「右に見えますのは、**でございま~す」と言うのが一般的なガイドで、予備知識のない乗客が反応したときにはたいてい行き過ぎています。ところが、高橋さんはあらかじめ話題を振り、客に心の準備をさせてくれ、そして「はい、いま右に見えています」と言ってくれるので見逃しがない。わたしたちは一斉に右を向きます。もし、見逃しても「右から後ろのほうに見えています」とフォローしてくれます。こうなると、わたしたちは自分で気づかないうちに、高橋さんのガイドのままに右を見たり左を見たり。高橋マジックの虜です。

彼女には、どの景色がどの間合いで現れるのか、後ろ向き(客席)に過ぎ去っていく景色を見ながら分かっているようです。どこを走っているときでもそうですから不思議。北海道を知り尽くしているということでしょうか。言うまでもなく、ダイヤモンドダストやオジロワシを発見したときには、前を向いている時でしたが・・・。

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車中から見た最北のGS。給油すると証明書をくれる

宗谷から238号線を紋別に向かう途中、高橋さんの口調が変わりました。サハリン(旧樺太)でポツダム宣言受諾後に起こったソ連軍の侵攻・虐殺事件。最後まで通信連絡を取りつづけ、若い生命を投げうった、9名の真岡郵便局電話交換嬢たちの話を始めたのです。
終戦から5日後の1945年8月20日、ソ連艦隊は真岡の町に艦砲射撃を開始します。この時、局にいた9人の交換手。緊急を告げる電話の回線、避難経路の指示、多くの人々の生命を守るため、再三の避難指示にもかかわらず彼女たちは職場を離れませんでした。逃げ遅れた住民を射殺しながら局に近づくソ連兵。9人の乙女たちは「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」のあいさつを残し自決しました。
1974年「樺太1945年夏 氷雪の門」と題して映画化されましたが、当時のソ連大使館からの妨害で公開できなかった作品ですが、わたしは自主上映会で見手、知っていました。
しかし、高橋さんの真摯な話し方に心が揺さぶられ、涙が溢れて仕方ありませんでした(年のせいか最近は涙腺が甘いようです)。
高橋さんの家族も樺太からの引揚者だったからでしょうか、淡々とした口調ながら情景が眼に浮かぶほど迫るものがありました。観光ツアーでけっこう長時間重い話を聞くことは余りありません。なのに、聞き終えたわたしたちは不快になるどころか、一生懸命拍手を送りました。戦争の語り部としての高橋さん、すごい人です。

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映画「氷雪の門」上映実行委員会HPより

極めつけは、新千歳空港が近づいてきた車中、高橋さんは「おみやげという歌を聴いてください。この歌は家族で作りました」と歌い、宗谷の自然に対する彼女の思いの深さを伝えてくれました。この歌はバスの中だけで披露するのだそうです。
いつまでも心に残る名ガイド、高橋美幸さんありがとうございました。

第1日目稚内空港から宗谷~稚内のホテルまで約4時間、付き合ってくれた宗谷バスのガイドさんも笑顔が可愛く、朗らかで、魅力的でした。宗谷岬で「ホッケのすみれ汁」にわたしたちが殺到したとき、乗務員休憩室から腕まくりをしながら飛び出し、店のお手伝いをはじめ、わたしたちを感激させました。彼女も高橋さんの薫陶を受けたガイドさんなのでしょうか。
母ちゃんも「宗谷バス恐るべし。ガイドさんのレベルが他社と違う。高橋さんの指導がいいんだね」という感想を述べていました。





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最終更新日  2008年02月21日 01時57分59秒
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